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2009/05/05

ローウェル城の密室

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「ローウェル城の密室」
小森 健太朗 1995/09 単行本 出版芸術社 314p ハルキ文庫版 1998/05
Vol.2 No.598★★★★☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 そもそも5年前に、読書ブログをはじめることになったきっかけは妻にある。私たち二人は、国家資格を目指して勉強していた。私はニュートン社のCD教材を使い、社会保険労務士という資格の勉強をするため、ノートPCの前に毎日4時間ほど坐わり、画面に出される問題の5択枠のボタンを押し続けていた。

 妻の趣味は編み物で、ソファーに座りながら、せっせと編み棒を動かし続けていた。しかし、彼女の趣味も半端じゃない。文部科学大臣承認の編物検定試験の、しかもその上の審査委員というものを目指していたのである。

 すでに子どもたちが成長した熟年カップルに、それほど多くの会話があるわけではない。それでもなんとか、テレビの音を流しながら、たまにビデオでもみながら、お互いの作業を続けながらも、かたことの会話は存在していたのである。

 編み物という作業も不思議なものである。指をちょこちょこ動かし続けるだけで、あれだけ大きなセーターやらチョッキやらが生まれてくるのだ。いったい、どのようにあの模様や形のパターンが脳みそに刷り込まれているのだろうか。もっと不思議なことに、あの編み物という奴は、両手両目を駆使しながらも、おしゃべりは自由にできるのである。実に不思議だと思う。

 かく言う私のほうは、国家資格の難関と言われる社会保険労務士を目指していると公言はしていたものの、所詮、ノートパソコンの画面にでてくる諸問題の5択問題のボタンをチェックしていけばいいだけのことだから、それほど難しい作業ではない。問題などは読まず、5つのボタンのどれかをひとつクリックすれば、次の問題にいくのだから、特にメンドウではない。もちろん、このような学習態度では、脳みそへの焼き付けのほうはうまくいくはずはない。

 それでもなんとか、子育てが終わった熟年カップルとしては、まずまずの会話を確保していたのである。夫婦円満の秘訣はなんですか、などと聞く人があれば、私は「家庭内の大きな問題は私が決定し、小さなことはすべて妻にまかしている」と答えたものだ。

 「小さなこととはどういうことですか」と聞くので、それは「たとえば、家のローンはあと何年残っているのか、借り換えたほうがいいのか不利なのか。今度の車検でハイブリット車に乗り換えるべきなのか、さらに13年目の車検を目指して、今のリッターカーを乗りつづけるべきかどうか、子どもたちの学費の何割を奨学金で負担させるか、などの決定である」と答えた。

 では「大きいこととはなんですか?」と聞くので、「この宇宙に果てはあるのか、神はいるのか、意識と無意識を隔てるものはなにか、超意識、宇宙意識は、どのように達成されるべきか、そのような家庭内の重要な課題については、私が決定している」と答えた。どこかでムラ・ナスルディンも同じようなことを語っていたが、あれは私の受け売りである。

 そのようにして続いていた我が家のささやかな静寂はやがて、妻の合格、私の不合格という、資格試験の結果に基づいて、破られた。妻の努力と、私の怠慢さから推理すれば、当然の結末ではあったが、その結末は意外な影響を生み出し始めた。

 ちょうどその頃、妻の職場が変わり、中学校図書館の司書をすることになったのである。仕事に忠実な彼女は、学校では図書の整理をし、ノートに図書一覧を作り始めた。初めてみかけるような本は、自宅に持ち帰り、実際に自分で読んでみて、いつ中学生から質問されてもいいように「読書ノート」をつけはじめたのである。

 彼女の仕事熱心さにはいつも敬服するのだが、思わぬ影響を受けたのは私の方である。彼女は常に5~6冊の本を自宅に持ち帰っては、本に目を通し、ノートを書いている。以前は編み物をしながら、ささやかに維持されていた、かたことの会話が失われたのである。編み物をしている彼女に話しかけるのはなんでもないが、読書中の彼女に声をかけることは、ちょっとはばかれる。

 私の方はといえば、すでに2年連続で資格試験に失敗していたし、あの資格CD教材のコースは終了していたので、当面の課題を失ってしまっていた。ニュートン社の教材はちょっと高価なのだが、うれしい特典がついていて、教材を修了して、資格試験を受験しても、もし不合格になれば、教材費用の全額を返金してくれる、というシステムになっていたのである。

 つまり、私はCD教材を修了したにもかかわらず、本番の試験は不合格になったので、全額が戻ってきた。もちろん合格すれば、全額を没収されるシステムである。だから、本当は、私は知識だけを身につけて、教材費を取り戻し、3年目に全精力をかける予定でいたのである。生まれつきセコイというか、転んでもただでは起きないのは、生来の私の哲学である。

 しかるに、世の中の空気が変わった。社会保険庁や厚生労働省の不祥事の発覚がつづき、いかに社会保険のシステムがいいかげんなものかが暴露されはじまったのである。このことは、私はとうの昔に社会保険を勉強しながら気づいていた。ピラミッド形の硬直したシステムで、このシステムがうまく稼働すればそれこそ素晴らしいが、下からは何にも言えないシステムだ。もし、上のほうがいい加減なことをしたら、このシステム全体は崩れる。

 そう気づいていたけれども、私の当面の課題は、資格に合格することである。間違っていようがいまいが、そんなことにかかずらっていたのでは、本番の勉強がすすまない。見て見ぬふりをして、5択のボタンを押し続けていたのだが、この勉強をし続けることに、2年も3年もモチベーションを維持し続けることは、実に困難になっていったのである。

 うちつづく社会保険庁と厚生労働省の不祥事報道に、ちょっと嫌気がさしていた私の社会保険労務士の勉強は頓挫した。自分がなにゆえにこの資格試験勉強を中止したかの理由を挙げることは簡単だった。いくつも理由を挙げることができる。そんなわけで、あえなく私のボケ防止を兼ねた資格取得の夢は途絶えたのである。

 目的を失ってハリを私ではあったが、妻の読書が救いであった。彼女が借りてきた本の何冊かを一緒に読めば、本を読みながら会話をするということはできないまでも、食事の時間とか、たまに一緒にでかける買い物の時などに、おなじ本について語り合い、話題を共有できるのではないか。読書をしている時の妻の熱中度はかなりのものである。さぞや面白いに違いない。

 と思って彼女が居間のピアノの上においていた何冊かのうちの一冊を手に取って読み始めてみた。愕然とした。読めない。面白くない。メンドクセー。こんなの読んでられるかよ。なにが、こんなの、何が面白いんじゃぁ、怒りさえこみあげてきた。中学校の図書館に入るような本と、熟年の域に達した私の嗜好には、これほどの差があるのか。あらためて、そのギャップを思い知らされた。

 それで私は、妻との対話を渇望しつつも、自らの道を開拓しなければならなくなったのである。当ブログ「地球人スピリット・ジャーナル<1.0>」の初期からの読者諸氏であれば、それ以降の顛末については、ほぼお察しいただけるだろう。私の努力も涙ぐましいものであったのではないか。今振り帰って、我ながらにタメイキをする。Hoo!

 そして、今朝、私は、小森健太朗の「ローウェル城の密室」を読んだ。このなにやら、日本ミステリー界のマギー司郎とかの異名をとる中年作家の、デビュー作である。16才当時に書かれたというからびっくり。江戸川乱歩賞の最終候補にも残ったというからなおオドロキだが、この本自体は1995年に加筆されているから、もとのままではない。

 この後に書かれたのは「コミケ殺人事件」だが、こちらもまた私のもともとの読書領域ではない。未読のうちからそう決めつけてはいけないが、まぁ、ざっと考えれば、こうして横のソファーに優雅に座って、適度の集中度を維持しながら読書を続けている妻にまかせるべきだ。

 妻に読ませて、そのダイジェストと結論だけを聞いておこう。そう考えて、それを依頼するためにも、その経緯を話す必要があると思い、ちょっとだけページをめくったのが失敗だった。結局、「ネメシスの哄笑」を読んだ時と同じことがおきてしまったのである。いや、おなじこととは言うまい。あの時は、床で寝入りがしらにめくってしまって、すっかり眠りを阻害されたのであるが、今回は、朝方である。しかも、刺激された脳みそのどこか部位が違ったのではなかろうか。

 私は、自分が16歳のころのことを思い出していた。自分もミニコミを作っていた。朝日ジャーナルの「ミニコミ」特集のリストにも掲載され、全国の人々から手紙をもらった。「見本誌をおくれ」という依頼にはまいった。いや、中学生のときだって、クラスメイトと漫画肉筆誌をつくっていた。同人でもあった親友の一人はあれからすっかり芝居人生を送っている。私から見れば、人生を棒に振ったようにも見えるし、初志貫徹で芸術人生をまっとうした羨ましい奴、ということにもなる。

 いや、小学生のときだって、ワラ版紙に4コマ漫画を書いて、友人と批評しあっていたし、ガリ版で学級新聞なんかを作っていた。小森健太朗の二作目は「コミケ殺人事件」とかいうらしいが、手作り漫画なら、こっちのほうがよっぽど先輩だ。まぁ、たしかにあのコミケとかコスプレとかいうブームは、現在のニューハーフ・ブームやクール・ジャパン・ブームにつながってくるのだから、ないがしろにはできない。

 とかなんとか言いながら、「ローウェル城の密室」を読みながら、私の意識は、あちこちあらぬところをランダムに動き始めたらしい。紙数も尽きた。先を急ごう。つまり、私はあることに思いついた。いや今初めて分かったわけではない。先日から知っていた。しかし、あまり顕在化させたくないという思いからか、すっかり忘れてかけていた、と言ったほうがただしいか。それに、今や小森健太朗から、「メタフィクション」という手法を教わったのである。

 「芸能界では売れなくなった女優が脱ぐというのはよくある」所業であると小森は言うが、現在の私が陥っている落とし穴から這い出るには、このメタフィクションとやらは、結構使える技かもしれない。これから先のことは一気には書けない。あとは、当ブログ<2.0>の中で徐々に展開されるだろう。

つづく

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