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2009/06/08

草の葉<1>

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「草の葉」(上) ウォルト・ホイットマン /酒本雅之 1998/01 岩波書店 文庫 411p
No.651★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 若者よ君が今しているのはどんなことだ、
 文学か、科学か、芸術か、恋愛か、
 それともこれらうわべばかりの現実とやらに、政治に、成績に、
 ともかく君の夢や仕事に、真剣にとりくみ、打ちこんでいるのか。

 それも結構---ひとことだって異論はない、何しろぼくはうわべも歌う詩人なのだ、
 だけど、いいかい、うわべなんてあっというまにに衰えてしまう、いわば宗教のために燃やされる薪のようなもの、
 物質がすべて熱を起こすための燃料で、心の焔、地球に宿る根源のいのちを燃やす燃料なら、
 これらうわべのことだって、りっぱに宗教の燃料になる。
p88

 ウォルト・ホイットマン。ぼく、という一人称がよく似合う。英語では「 I 」だろうから、私でも儂でもオイラでも、なんとでも翻訳しようがあろうが、やっぱり、ホイットマンには、ぼく、がよく似合う。

 わたしを締め出したりするのはやめたまえ奢れる図書館たちよ、
 ぎっしり詰まった君たちの書架のどこにもなくて、しかも何よりも必要とされる本を、ぼくがとどけてやるのだ、
 戦争をぶじにくぐりぬけて、一冊の本をわたしは書いた、
 しるされた言葉は取るに足りぬ、言葉のめざす思いこそすべて、
 ほかの本とは絆を結べぬ孤独なやつで、頭でっかちには分かるまいが、
 しかし君たちなら、君ら言葉にならぬ胸底の思いよ、この本のすべてのページに心をときめかせてくれるはずだ。
p74

 わたし、という一人称を使うと、ちょっとフォーマルな感じになる。「アメリカをアメリカたらしめている根源的な作品といわれる、アメリカ文学を代表する傑作」を書いたホイットマン。どこか、150年以上の年月を超えて、オバマ大統領にさえ、その系譜がつながっているかに思えてくる。

 片親がインディアンの混血児が競走に出て競い合おうと軽快なブーツの皮ひもを結ぶ、
 西部名物の七面鳥撃ちには老いも若きも魅了される、
p137

 アメリカといえば、最近はネイティブアメリカンの視点からの歴史見直しがムーブメントになっている。当ブログも十分ではないが、ネイティブ追っかけをしている。たぶん、今後ある地点から鋭角的にそのポイントに入っていって、さらに数百冊を読みこむ必要がでてこよう。大変な作業だがとても大事な作業だ。それでもやっぱり、このホイットマンの詩も忘れてはいけない。

 ぼくは「からだ」の詩人、そして「魂」の詩人、
 天国の愉楽はぼくとともにあり、地獄の業苦もぼくとともにあり、
 前者をぼくはぼく自身に接木して増殖し、後者を新しい言語に翻訳する。
p152

 この詩集の初版は1855年、ホイットマン36歳。実にさわやかな青年像が浮かび上がってくる。

 11番目。これは、光明を得てもいなければ、導師(マスター)でもなく、弟子でもない人間によって書かれた本だ。ウォルトホイットマンの「草の葉」だ。だが何かが、彼の中の詩人を貫いて、通り過ぎた。詩人は竹笛として機能した。その調べは笛のものではない。それは竹に属してはいない。ウォルト・ホイットマンはアメリカ製の笛にすぎない。だが「草の葉」はこの上もなく美しい。神から溢れ出た何かが、この詩人によって捕らえられた。私が知る限り、ウォルト・ホイットマン以外は、ひとりのアメリカ人もそれに触れていないようだ---ほんの一部にすら。他のどのアメリカン人も、それほど賢くはなかった。Osho「私が愛した本」p24

<2>につづく

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