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2009/06/03

1Q84 <1>

【重版予約】 1Q84(イチ・キュウ・ハチ・ヨン)(book 1(4月ー6月))  1Q84(book 2(7月ー9月))
「1Q84」book 1(4月ー6月)  book 2(7月ー9月) <1>
村上春樹 2009/05月 新潮社 単行本 554p

 テレビのワイドショーなども取り上げているので、関心が湧かないわけではないが、小説嫌いを標榜する当ブログとしては、別に飛びついて読まなくてはならないような本ではない。もともと村上春樹と村瀬春樹違いも、ほんの数年前まで気がつかなかったくらいだから、5年ぶりの新刊とか言われても、あまり食指は動かない。

 でも、当ブログ<1>が「村上春樹にご用心」で終わっている以上、いつかはじっくり読みこみ作業に入ろうと、そのチャンスを狙っているのは事実である。イスラエル賞での受賞の弁もなかなか感動的ではあった。次はノーベル賞、の呼び声も高いが、はてさて、それがどうした、と割と醒めて見ていることは確かだ。少なくとも、私はハルキニストではない。

 ところで、今回のこの小説「テーマはカルト教団とセックス・・・」とかいう中途半端なコピーが流れていると、はてさて、どんな内容なのだろうと、「心配」になるのは事実である。「1984」は、ジョージ・オーウエルが1948年当時に書いた小説で、4と8をひっくり返した年号を使って未来SF小説とした。今回の村上作品は、この「1984」をひとつの伏線にしているのだろうが、9をQとしただけであって、それはどうやら21世紀の現代小説ではなくて、20世紀以前の物語なのだろうか、と思う。いや、これは明らかに1984年と読んでおいていいのだろう。

 はてさて、1984年の「カルト教団とセックス・・・・」云々などと書かれると、気になってしまうのは、仕方ない。いまさら何をおっしゃるかとも思うが、どこからわが身に火の子が降ってくるか分かったものではない。オレゴンのコミューン「OSHO:アメリカへの道」などと、変なひも付きがなければいいな、と願ったりする。

 村上春樹は、1995年の例の事件において、「アンダーグラウンド」「約束された場所で」などの作品をものしているが、これらは小説というより、ノンフィクションというジャンルであろうと思われる。当ブログとしては、あの事件は一小説家の想像力をはるかに凌駕していたのだが、同時代の小説家としては沈黙を守ることを良しとせず、多くのスタッフの手を借りたノンフィクションにまとめた、と解釈している。しかもそれは、事件の核心というよりは、やや視点を外側にずらしたものであったと記憶する。

 大本教事件などについては、 高橋 和巳 「邪宗門」や出口和明「大地の母 」などで知っている程度だが、これらが小説仕立てになっていたことは興味深い。史実と小説がどれだけ誠実にリンクしているものか分からないが、これらの作品に対して大きな批判が湧いていないので、小説として読む限り、大意において、真意をはずしていないのだろうと判断できる。

 さて、そんな視点からネットをググってみると、まずアマゾンのカスタマーレビューは、まずまずそれなりに参考になる。別に文体は嫌いじゃないが、ハルキニストではない私は別に慌てて読むほどではないと判断した。しかし内容がよくわからない。そこでVijay氏のブログ記事「1Q84上巻読了(ネタバレあり) (1) 」を読んで、ようやく少しづつ具体的なイメージが湧いてきたというところだ。実際は、この記事に対するコメントを書こうとしたのだが、長くなりそうだったので、ここに書いてトラックバックにすることにした。

 >今のところ読む限り、何万人になるかもしれない読者が、「コミューン」という言葉や、「瞑想」という言葉に、悪い印象を持つだろうと思うと、暗澹たる気持ちなる。(略)教のおかげて「瞑想」という言葉が、すっかりやばいもののようになっていたあの頃をやっと脱して、スピリチュアル・ブームなんてものもやって来た時代に、だからこそ書いたのだろうけれど、「瞑想」が悪者になるのは、村上春樹じゃないけれど、やれやれ。だ。Vilay

 特定の名称を使うと、変なところからのアクセスが多くなるので、(略)にさせてもらいました。ごめんなさい。「ネタバレあり」とのタイトルだが、小説的推理力のない私としては、内容についてはいまいちわからないが、信頼すべきブロガーのこの感想には、多いに留意しておくべきだと思う。下巻(2)についての感想も気になる。

 それ以降の記事を読んでも、私が危惧するような状況への史実的リンクは少なそうだが、村上春樹的視点が、ハルキニストなる読者層とともに、現代社会に蠢いていくとすると、ちょっと時代に逆行しているのかな、との感想を持った。史実から離れたところで、一小説家のイマジネーションの世界に遊ぶ、というのなら、一読者としては、もっと他に楽しいことがあるので、なかなか村上ワールドまで足が伸びない、というのが本音だったりする。

 また、もうひとつも気になる「池田信夫 blog」であるが、こちらもネタバレなどとの批判的コメントがついているが、私なぞは、ネタバレどころか、全然わからない。いっそ最初から数ページにダイジェストしてくれたら、小説なんぞ(笑)読まなくてもいいのに、と思ったりもする。「ウェブは資本主義を超える」などを手にする限り、著者と当ブログの視点にはそれなりの隔たりがあるが、多面的かつ大量の記事が掲載されており、手ごたえのある信頼すべきブログとして注目している。

 >68万部という空前の売れ行きだが、中身を見ないで買うのはおすすめできない。「池田信夫 blog」

 というご宣託だから、慌ててネット注文などする気はないが、まさか、ここまでブログ記事を書いてしまって、読まないで済ますわけにはいかない。さっそく、うちの奥さんが図書館にリクエストしたので、それに便乗させてもらって1、2とも読んでみるつもりだ。もっとも、すでに予約数は350人に達しており、私たちが読めるようになるまでは数か月かかりそうだ。この本は続刊が出る可能性もあるので、その展開も注視しておく必要があるだろう。

<2>につづく 

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