僕が2ちゃんねるを捨てた理由
「僕が2ちゃんねるを捨てた理由」
西村博之 2009/06 扶桑社 新書 243p Vol.2
No.648★★★☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆
私自身は、2chを拾ってもいないので、捨てることもできない。したがってその「理由」はなにもないが、店頭でこのタイトルが目につけば、一応はパラパラとめくっておこうかな、という気分になる。「2ちゃんねる宣言」とか「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」とか、2chネタ本も何冊か目を通してみたが、世代的に言っても、目的から言っても、この動きとはほとんど当ブログとクロスするところがないのではないだろうか。
この本で言っていることはよくわからないのだが、なにやら著者ヒロユキが本年1月にその権利をシンガポールとかの会社に売却したとかしないとかのネタのようだが、ほとんどそういう話には関心がない。「理由」もあんまり詳しく書かれてはいないのではないかな。
銀行の窓口に行って自分の順番がまわってくるまで、備え付けの週刊誌をよく読むのだが、2chなんか徘徊しているより、よっぽど面白いと思う。もちろんプロが書いているわけだし、誇張のしかたがお上手であることは間違いない。ましてや、銀行なんてお堅い空間の中でゴシップを読むのは、なんともその逆説的なギャップが面白いのである。週刊誌数種がおいてあり、バックナンバーが備え付けてあったりすると、あ~、もっと自分の順番が後でもいいなぁ、と思う時さえある。
銀行の次に歯医者に行ったりすると、また待合室に週刊誌がある。またまた続きを読み始めるのだが、だんだん飽きてくる。週刊誌の存在自体が、銀行の待ち時間と、歯医者の待合室では意味あいが違ってくるのだろうか。とたんに面白くなくなる。それで、しかたがないので、カバンから自分の読みかけの新書を出して読んだりするのである。
だから2chも、読む空間が違ったり、アクセスする角度が違ってくれば、また別な楽しみ方があるのだろうが、ついぞ、私は2chを面白いと思ったことはなかった。数か月の間、なんとか「慣れよう」と書き込みしたこともあったが、もうそれもすでに忘却の彼方に消えつつある。ただ、いくら匿名とは言いながら、あの自分の書き込みがいつまであのようにネット空間に残ってしまうのだろうか、とすこし気にはなる。
当ブログ<1>も、こちら<2>に引っ越してからすでに2か月が経過し、ほとんどなんの更新もないのにも関わらず、ずっと定着したアクセス数が続いている。実にあきれる。もし、このまま私が死んでしまって、誰も更新しないままになっても、道端に忘れられたお地蔵さんのように、通りかかる人の何人かは、ネット空間のお地蔵さんにわずかなお賽銭がわりのアフェリエイト・ポイントを与え続けていくのではないだろうか。
もし2chが売却されただけではなく、倒産あるいは消滅したとして、はて、あの膨大な掲示板の情報はどうなってしまうのだろうか。突然ネット空間から消えるのだろうか。それとも、自然劣化するのを待つのだろうか。自然劣化と言っても雨風にさらされるわけでもないので、サーバーが配給を提供しつづければ永遠と続くのであろうが、突然だれかがぜんぶ削除してしまったら、世の中大変な騒ぎになるかもな、なんて思ったりする。いずれにせよ、2chの騒動には、あまり関心がない。
まぁしかし、ネット空間のひとつのテストパターンではあっただろうと思う。まったくの無関心とか、「反」2chでもないこともメモはしておかなくてはならない。ネット空間の使い方が違うということくらいだろうか。
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