「平成宗教20年史」島田裕巳
「平成宗教20年史」
島田裕巳 2008/11 幻冬舎 新書 237p
No.666★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★☆☆☆☆
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島田裕巳関連リスト(2011/12/09追記)
「世界神秘学事典」 荒俣宏編 1981/11 平河出版社
「宗教の時代とは何だったのか」 1997/3 講談社
「『オウム』 なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」 2001/7 トランスビュー
「日本人の神はどこにいるか」2002/6 ちくま新書
「創価学会」 2004/6 新潮新書
「人を信じるということ」 2004/9 晶文社
「不安を生きる」 2005/4 ちくま新書
「宗教としてのバブル」 2006/3 ソフトバンク新書
「オウムと9.11」 日本と世界を変えたテロの悲劇 メディア・ポート 2006/7
「創価学会の実力」2006/8 朝日新聞社
「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」 2007/4 亜紀書房
「日本の10大新宗教」2007/10幻冬舎
「平成宗教20年史」2008/11幻冬舎
「スマホが神になる」 宗教を圧倒する「情報革命」の力 2016/10 KADOKAWA
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図書館の新着コーナーから3冊の本を借りてきた。偶然といえば偶然だが、この3冊は、それぞれに時代を振り返る新書本となっていた。
「新潮文庫 20世紀の100冊」 このタイトルもなかなかそそられるものがある。1901年から2000年までの新潮文庫の中から、各年に一冊づつを取り出して紹介しようという試みであり、これから文学やら「小説」やらという分野に、ちょっぴり足を踏み込んでやろうという野心を抱えている当ブログには、渡りに船の一冊か、とも思える。しかし、これまでもいくつもリストを作りながら、まだ読了していないものが多数あるので、このリストを読み込んでいくのは、ずっと後のことになるだろう。
「男はつらいよ 推敲の謎」 こちらもなかなか興味深い。映画「男はつらいよ」は1969年に第1作が封切られてから、第48作が作られる1995年までを、一作一作時代背景を考えながら見直してみよう、という内容である。実はこの映画のシリーズはすべてDVDで手元に保存している。単にテレビ番組をすべて録画しておいたものだが、さすがに大好きなシリーズであっても、一気に48作を振り返ることは難しいだろう。だがいつかはやってみたいものだと思っていた。
「20世紀の100冊」」における1984年は、渡辺淳一「愛のごとく」が紹介されているが、1985年は村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が紹介されている。なるほど、今話題の新作「1Q84」との関連で読んでみれば、この時代にこの一冊がでていたことは、なにか意味があるかもしれないと、この文庫本をちらちらと読み始めたところである。
「男はつらいよ」の1984年は8月に第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」、12月に34作「寅次郎真実一路」が封切られている。タイトルを聞いただけでは内容を思い出さないのが、根っからのファンでないことの証明でしかないが、それでも、ダイジェストを読めば、ああ、あの映画か、とわかる。あの映画が一般に上映されていたのが、あの1984年という時代であった。
この2冊。分量といい内容と言い、ちょうどお手頃で、当ブログがネタ切れになったら、このリストを活用させてもらえば、当面の話題には困らないが、今すぐにこの話題に移ってしまったら、当ブログの趣旨がなにがなんだかわからないようになってしまいかねない。とくに「新潮文庫」のほうなどは、一年に一冊の「新潮文庫」という偏りが、良くも悪くも、ブログの可能性を限定してしまうだろう。でも100年間を俯瞰する、という魅力には耐え難い。
「男はつらいよ」にしたところで、1969~1995年、という「おいしい」年代を俯瞰することになる。勘ぐってみれば、「過激派」から「オウム」までの27年間である。ここを俯瞰してなにもでてこないはずがない。車寅次郎から見た20世紀後半はどのようなものだったのか、いちどは振り返ってみる価値がある。
さて、こちらの島田裕巳センセイの「平成宗教20年史」も、たくまずして一年ごとに時代を振り返ってみる企画の一冊であった。こちらは平成の20年間を振り返る。1988年から2008年までである。キーワードは「宗教」だ。各団体名が踊り続けるが、あえて言うなら、これは個人史だ。「平成宗教20年<個人>史」というタイトルをつけたほうがよかったのではないだろうか。ましてやその<宗教>とやらは、外面的な、いわゆる<社会学的>な側面ばかりを並べたもので、いわゆる内面的な<意識>や<覚醒>が主テーマになることがないまま、ただただ20年が経過する。
島田センセイのオン著書は、目についた時には積極的にハイ読することにしている。当ブログ<1>の「人名検索」<し>の欄において10数冊リストアップしておいたが、まだ独立したリストを作るまで至っていない。他に近著もあるようなので、機会があれば、いずれは単独リストに格上げしようと思っている。
本来、この新書本は立ち読みでめくるにとどめ、ブログにメモする予定はなかった。しかし、最後の最後「おわりに」に至って、これは簡単にメモをしておくことにしようと思い立った。
あるいは、インドのグルたちも、先進国の信者を集めている。本文のなかで述べたサイババのそうだが、1981年(昭和56年)にアメリカにわたり、オレゴン州で宗教コミューンを建設したオショウ・ラジニーシ(最初は、バグワン・シュリ・ラジニーシと名乗っていた)も、その代表的な人物の一人である。p231
ドメステッィクな宗教学者が「平成」を語りながら、1981年を昭和56年とまで言いかえながら、インドやアメリカにまで言及しなければならないチグハグさには、相変わらず失笑してしまう。ここがまたこのガク者の持ち味なのだが、この文章に更に続くOshoに関する一文がまた相変わらず一面的な皮相な表記に終始しているのが情けない。せめて「アメリカへの道」でも読みなおして、もっと新たなる視点からの展開がほしい。自ら研究者を名乗るなら、もっと本格的な研究をなさればいいのに、と、陰ながらいつも応援しているのだが、この程度だ。この本、当ブログにおける読書ナンバーVol.2における666冊に当たってしまったのも、何かの縁があるのだろうか。
今回もやっぱり、この方にはこの歌をプレゼントしたい。 →「ヒロミ」
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