ムラ・ナスルディン物語<3>
<2>よりつづく
「ナスレッディン・ホジャ物語」<3>―トルコの知恵ばなし
護 雅夫 (翻訳) 1965/03 平凡社 文庫: 310p
この本、見かけは小さいし、ジョークの小話集だから、一息で読めるものと勘違いしていた。ところがどっこい、そう簡単には読みこめない。きちんと数えたわけではないが、500以上の小話が収録されているのではないだろうか。「世界の日本人ジョーク集」のように自虐的なジョークに苦笑いして終わるような一冊ではない。宮本常一の「忘れられた日本人」を読んだ時のような、ホッとした小さな笑いとともに、深い余韻がズンズンと残る。
このナスルディン・ホジャ、または、コーカサス・トルコ人の間でモルラ・ナスレッディンといわれる人物は、その名前のもとに集められた数多くの滑稽・頓智ばなし、奇矯な行状記、逸話の主人公、いわば「トルコのオイレンシュピゲール」、「トルコの一休禅師」である。p1
この本の中では全編よびかけは「ホジャ」になっている。いままで「ムラ」になじんできたOsho本読者としては、やや違和感を感じ続けることになってしまう。「モルラ・ナスレッディン」と呼ばれているのは、コーカサス・トルコ人の間、ということだから、Oshoの引用の仕方は、グルジェフ経由のムラ・ナスルディン理解ということになるだろうか。
10番目。そしてとうとう最後だ。ちょっと心配だね---だから言おうか言うまいかとすこし躊躇していたのだが---ムラ・ナスルディンだ! この男は架空の人物ではない。彼はスーフィーだった。そしてその墓もまだ残っている。だが彼は、墓の中からさえ冗談を言わずにはいられないような男だった。彼は遺言した・・自分の墓石は、錠のかかった扉だけにするように、そしてその鍵は、海に投げ込んでしまうように、というのだ。
これは変わっている・・・・。その墓参りに行った人は、そこに壁がないものだから、その扉の周りをぐるぐる回ることになる。そこに立っているのは扉だけで、全然壁がないんだからね! しかもその扉は錠がかかっている。ムラ・ナスルディンという男はその墓の中で笑っているに違いない。
このナスルディンほど私が愛した者はいない。彼は宗教と笑いはいつも背中合わせだ。ナスルディンは、この両者を、古くからの敵意を捨てて仲直りさせた。そして宗教と笑いが出会うとき、瞑想が笑い、笑いが瞑想するとき、奇跡が起こる・・・・奇跡の中の奇跡だ。
2分だけもらいたい。
私はいつでも、ものごとがその絶頂で止まることを愛している。Osho「私が愛した本」p120
この本は、予想以上に一気に読めない。いや、工夫すれば、いろいろな読み方ができるということだ。ジョーク集として読むこともできるし、民俗学的にも読むことができるだろうし、イスラム教文献のひとつとしても読むことができるだろう。あるいはひとつひとつのしきたりの教科書にさえなるかもしれない。あるいは項目別に並べて、生活百科のようにさえ使えるかも知れない。少なくとも、一人の人間が残した奇行集だけとはとても思えない。
ホジャの遺言
故ホジャが、死期の近づいたのを感じると、友人連中を枕元に呼んで、
おい皆。人間、死ばかりゃ何とも出来ん。若し神のお召しがあったら、儂(わし)を真逆様(まっさかさま)に埋めとくれ。
とたのんだげな。理由を訊いたげな。
こうしてくれたらば、この世がひっくり返るそのときにゃ、儂ゃ真直ぐに立てるでの。
と答えたげな。 p275
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