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2009年6月の56件の記事

2009/06/30

ディヤン・スートラ

ディヤン・スートラ
「ディヤン・スートラ」 瞑想の道
OSHO /マ・アナンド・ムグダ 2000/08 市民出版社 単行本 316p
Vol.2 No.692★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 この本を読む読者は、何を求めて、何のためにこの本を読むことになったのか、それぞれであろう。読む立場からそれぞれ理解されればいいことだが、この本はやはり60年代末と思われる時期に、インドの大衆を前にして語られた講話であり、瞑想キャンプの初期的指導である、ということは押さえておく必要があるだろう。

 真理を知ることは、大いなる祝福だ---だが、それに対する渇望を抱くことも、同じくらい大いなる祝福なのだ。たとえ、それを成就しなくても構わない。だが、この渇きを経験したことがまったくないとしたら、実に不幸なことだ。p9「瞑想の土台」

 この本のタイトルは「ディヤン・スートラ」、瞑想の道、だ。本当に瞑想しようと思う人、本当にOshoの指導を受けようと思う人なら、この本にまさる本も少ない。純粋に素直に、いろいろな挟雑音を排して、この本一冊に賭けてみる価値はある。そして、本当にこの本一冊に賭けることができるとすれば、その瞑想者は、すでに祝福されている、と言える。

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イーシャ・ウパニシャッド存在の鼓動 <1>

イーシャ・ウパニシャッド
「イーシャ・ウパニシャッド」 存在の鼓動
OSHO /スワミ・ボーディ・マニッシュ 1998年07 市民出版社 461p
Vol.2 No.692★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★★

 自然に帰ろうにとする大きな動きが、今日、西洋で起こっている。ヒッピーとか、ビートニクとかドロップアウトとか呼ばれる若い男女たちが、現在の、この大きな運動を担っている。それは感覚器官に回帰しようとする衝動だ。彼らは言う、「俺たちは、あんたたちの教育も、学位も、地位も、富みも、車も、豪華なビルも欲しくない。食べ物と、愛とセックスがあれば充分だ。あんたたちが持っているようなものは、何も欲しくない」と。私は、これを極めて重要な出来事だと信じている。これほど大規模の、こうした動きは、歴史的にも起こったことがなかったし、それに人々はこんなことを言っているからだ、「感覚器機から生まれた自然、感覚器官の顕れである自然、欲求と欲情に帰るため、喜んでカルマ・プラクリティを棄てる。これだけで充分だ、これ以上は望まない」と。p278

 ネット上の情報交換の場で、私はいつかこんなことを発言したことがある。「ウッドストックの映画を見ていて、Oshoは『Oh! My People』と言ったらしい」。なにかの文献かビディオで観た気がしていた。有名な話かもしれない。

 この直後にさっそく、この話に関心をもった人から、その出典の問い合わせがあった。私は、その出典を簡単に探せるものと思って、身の回りを探しはじめたが、なかなか探し出すことができなかった。

 私はこの時から、この出典探しを続けているが、いまだに探し出すことができないでいる。私が当ブログにおいて、自分が読んだ本の引用箇所がどこにあるのか頁数を書きこんでおく習慣もこの時から始まった。

 この「Oh! My People」発言も実際にあったのかどうか自分でも自信がなくなってきた。本当にあったのだろうか。あるいは、そう言ってほしいと誰かが思っただけなのだろうか。あるいは、それを面白い、と感じた私がデフォルメした形で記憶しただけなのだろうか。上の引用部分は、そんな疑問を、すこし払拭してくれる文章だ。

 この講話があったと思われるのは60年代のインドの高原。Oshoの目の前にいる瞑想キャンプ参加者たちは、インドの大衆だ。ヒッピーやビートニク、ドロップアウトは、「西洋」で起こっている「若者」たちの運動だ。Oshoがこの「運動」に、「私は、これを極めて重要な出来事だと信じている」というほど関心を寄せたのはなぜだったのだろうか。

 それ以前のアチャリア時代のOshoと、74年にプーナをアシュラムを構え、名前もバグワンと換えたあとのOshoでは、あきらかにリードの方向性のチャンネルを変えている。それに気付いたインドの大衆の中にOshoのもとを離れていった人々もいたかに聞く。それに反比例するかのように、欧米からの若者たちの訪問者が増えていく。「エスリンとアメリカの覚醒」と繋がってくる部分がここにある。

 私はインドの大衆よりも、欧米のカウンターカルチャーの波のほうにシンパシーを感じていたので、1974以降のOshoのほうにより魅力を感じる。この辺あたり関心があるからこそ、「現代社会とスピリチュアリティ」とか「スピリチュアリティの社会学」などで言われるところのORMとやらにも興味が湧いてくる。

 しかしまぁ、このORMとやらのネーミングもいまいちだが、この動きをどっか覚めて、冷やかに高みの見物だけしていただけでは、本当の醍醐味はわからないだろう。インヴォルブされて溶けていくところにこそ、本当のORMがあると思われる。

 この本のテキストとなっている「イーシャ・ウパニシャッド」はほんの小さな経典だが、すごく深い。

<2>につづく

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ゴドーを待ちながら<1>

ゴドーを待ちながら新装版
「ゴドーを待ちながら」 <1>
サミュエル・ベケット /安堂信也 2009/01 白水社 単行本 196p
Vol.2 No.691★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 若い時に演劇グループの手伝いをしていたことがある。ほとんどがポスターやチラシの制作、会場整理のような手伝いだったが、時には不足した役者の穴を埋めるためにステージに立ったこともある。アングラ芝居や実験シアターのようなものが多かったので、わりと変化に富んだ面白い体験をたくさんした。だから、いろいろなつきあいやネットワークもあり、演劇やステージも数多く観た。

 そんな青春のただ中で、この「ゴドーを待ちながら」も観た。私が見たのは男性役者の一人芝居だったが、すでにその時点でこの「ゴドーを待ちながら」という演劇の特異性、問題性も意識しており、拍手かっさいはしなかったものの、最後まで見通した。そして、当時の自分としては、何か観ずるものがあったのだろうか、その後、いくらか時間が経過してから、その一人芝居団の団長にして唯一の役者であるその本人を訪ねていったことがある。そんなことを思い出した。

 サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」の初演は1953年1月パリでのことであった。当時の批評の9割は無視と敵視だったという。そして1割は熱狂的称賛だった。その後、アメリカ・マイアミでの初演はさんざんだった。初日から客から帰ってしまい、最後まで残っていたのは身内だけ。早々に公演中止とあいなったとか。

 初演の1953年、そして私が観た1976年の間に23年間の時間が経過し、その後、今日までに、更に33年間の日時が過ぎ去ったのだが、こうしてみれば、私の人生のなかでは割と早い時期に演劇に接したことになるし、この「ゴドーを待ちながら」を観たことになる。

 私は途中で席を立たなかったが、決して面白いとは思わなかった。むしろ当時の自分は演劇に何がしかの「面白さ」を求めることをしてはいなかったと思う。なにかの探究をするかのようにステージを見続けていた。このステージがエンターテイメントであったなら、むしろ私はチケットを手にいれたとしても観にいかなかっただろう。

 私は、自分の人生で演劇とは出会ったが、それは私の道ではなかった。ステージさえ立ったことがあるが、それは2日間で終わったために、私は早々とその道から足を洗うことができた。「なんとかと役者は3日やったらやめられない」という俗語があるが、私はかろうじてその危険ゾーンから無事生還したことになる(笑)。

 11番目。サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」だ。さて、「ゴドー」が何を意味するのか知る者はいない。ちょうど「神」が何を意味するか知る者がいないように。実際、ベケットは「神」の代わりに「ゴドー」という言葉を発明することで大変な仕事をした。誰もがありもしないものを待っている。神など存在しないからだ。誰も待って、待って、待ちつくしている・・・・それもありもしないものを待っている。番号が完成しているにもかかわらず、私がこの本「ゴドーを待ちながら」を入れたかったのはそのためだ。Osho「私が愛した本」p163

 そのテーマや上演された時期から考えると、ベケットのこの現代演劇は、どこか現代アートとつながるものがあるに違いない。意欲に満ちて、創造的で、破壊性を持ち合わせていて、実験的で、どこか人騒がせなセンセーショナルな奇声を発する。その20世紀的スタイルは、どこか時代遅れになってしまっていて、「現代」と呼ぶにはおこがましいような気もする。だが、ひとつの伝統やしきたりのクビキを断ち切るには必要なものであったのだろう。

<2>につづく

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2009/06/29

荘子

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「荘子」中国の思想 12 第三版
荘子  岸陽子 1996/08 単行本: 徳間書店 284p
Vol.2 No.690★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★★

 一番最初にOshoのところに行った時、実は、その人物がどんな存在なのか、よくわからなかった。インド人で最近欧米からも訪問者があるらしい、という程度。読むべき本も「存在の詩」一冊しかなかった。どんな動きかわからなかったが、とにかく行ってみなければわからないだろう、という、若者特有のあたってくだけろ精神だった。

 今思えば、実は私は二股をかけていた。当時日本人青年がインドを旅しようということなら、Oshoか日本山妙法寺の流れだった。とにかくインドに行って、どちらかにお世話になろう。その程度だった。そして、ひとつ目にOshoを訪問したことが正しかったかどうかは今でもわからない。ただそうなっていたとしか言えない。

 プーナの彼のアシュラムを訪問して驚いたことは、Oshoは彼の住まいを老子ハウスと名付けていたこと。これは想像もつかなかった。そして、隣接する講堂を荘子オードトリアムと名付けていたことにも驚いた。私のなかのチャンネルが、どこかでカチッとはまる音がした。

 つまりここで私が言っておきたいことは、Oshoが語っていたから老荘が好きになったのではなくて、もともと私は老荘に魅かれていて、しかもOshoが老荘を重く見ていた、ということなのだ。これは日本にいてOshoを想像していただけでは予想もつかなかった。

 その後に日本山の藤井日達上人のもとでひと月も修行する機会を得ながら、結局その道場をあとにしたのは、日本山には仏教しかなかったからかもしれない。日本山には、直接的に老荘と繋がるようなものはなかった。

 もし私自身の「私が愛した本」を一冊出せ、と言われたら、この「荘子」を出すのではないだろうか。いろいろ考えて結局これしかないと思う。だが、よくよく考えてみると、じゃぁ、どの出版社から出た、どの著者によるものか、などと聞かれたら、完全にアウトである。あちこちの「荘子」をめくっているが、一冊単体の「本」はイメージすることができない。私にとっては荘子は「本」ではないようだ。

 老子やボーディダルマは、あまりにオリジナルすぎる。ひとつのカテゴリの祖である。類例がない。まったくの個性だ。彼らはあまりにキャラが濃すぎる。「本」として読むのは面白いが、人生のなかに取り込むような、栄養素としてなら、彼らは強すぎる。樹木としての私は、その栄養素が濃すぎるために、かえって枯れてしまうかもしれない。

 荘子は老子について語っていることが多いので、老子についてもわかるが、一人の人間として生きた人間像として、私は荘子のほうがイメージしやすく、親しみやすい。老子ほどけた外れではないが、易経孔子ほど、世間ずれしていない。なんとなく私にぴったりサイズという気がする。

 6番目は「荘子の寓話」だ。彼こそは最も愛すべき人間であり、これこそ最も愛すべき本だ。Osho「私は愛した本」p13

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論語

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「論語」中国の思想 X I  第3版
久米旺生 1996/03 徳間書店 単行本 308p
Vol.2 No.689★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆

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 今年一年は「天台沙門・染筆」カレンダーと一緒に日々を過ごしている。今月6月の一筆は、「巧言令色すくなし仁」。論語からの一語である。この語とともに一カ月過ごしたことになったが、この言葉、決して嫌いじゃないが、なんとなく落ち着かない一カ月だった。

 2番目。孔子の「論語」だ。私は孔子はまったく好きになれない。また好きでないことに何のやましさも感じない。今このことが記録されてほっとしている。孔子と老子は同時代人だった。老子の法がすこし年上だった。孔子は老子に会いにいったこともある。そして根底まで震撼されて、恐れおののき、汗をかいて帰ってきた。Osho「私が愛した本」p153

 朝は「論語」を読み、夜は「老子」を読む、という人もいるそうだ。なかなかいいバランスのようにも思うが、Oshoの評価はかなり偏っている。であるなら、なぜにOshoはここで「論語」を入れたのだろう。たしかに老子や荘子や列子などを読んでいくと、ひとつの反面教師のように孔子が登場してくる。キャラが立っているだけに、無視するのはもったいない、ということか。

 しかし、ただ公平を期して、私は孔子の最も有名な著書の一冊を入れておこうと思う。「論語」は一番重要な彼の著書だ。私に言わせれば、これはまさに、醜悪ではあるが絶対に必要な---いわゆる必要悪と呼ばれる---樹木の根のようなものだ。「論語」とは、必要悪だ。その中で孔子は、世間と世間的なことがら、政治とあらゆることについて語っている。Osho「私が愛した本」p154

 断片的には、私達の日常生活に孔子の思想や言葉はしっかりと浸透している。お隣の韓国などは儒教が広がっていたために、キリスト教が入りやすかったなどというレポートもある。

 私は彼を哀れむ。彼はいい男だった。ああ、彼は最も偉大な人間のひとりである老子にあれほど近づきながら、しかも逃した。彼のためには涙を流すことしかできない。Osho「私が愛した本」p154

 私は、孔子というと、なぜか、マキャベリを連想する。アントニオ・ネグリを読んでいると、肯定的にマキャベリを評価している部分に多く出くわす。なんでかなぁ、といつも思う。私自身は、ひとつのカテゴライズされたマキャベリ像を持っているだけで、実際にはよく研究したことがないので、真実のマキャベリを知らないのかもしれない。それと同じことは孔子についても言えるかもしれない。

 論語が”ひからびた修身教科書”として印象づけられていることも、事実である。実は、これは、論語そのものの責任ではない。後世の儒家が、自派の経典として神聖化して、固定化したためであり、さらに時の権力が封建制度の精神的支柱として権威化した結果なのである。「論語」p10 「解説」

 巻頭からこのようなエクスキューズを出してくる本もめずらしい。このような態度こそ、いかにも孔子的だ。巧言令色すくなし仁。いいじゃないか、うまく言えなくたって、かっこ悪くたって、ありのままがいいんじゃないか。孔子も儒家も、ここは腹を据えて、ヒールに徹してもらいたい。

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イーシャ・ウパニシャッド<1>

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「ウパニシャッド」
佐保田 鶴治 1979/01 平河出版社 単行本: 385p
Vol.2 No.688★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「イーシャ・ウパニシャッド」<1>

 Osho「イーシャ・ウパニシャッド(存在の鼓動)を読み進めようと、だいぶ前から手元においてはあるのだが、もっと取り組みやすいお手軽本が次から次とみつかるので、ついつい、後回しになってしまっている。そのような自分の動向にちょっと関心が向いた。

 Osho「イーシャ・ウパニシャッド(存在の鼓動)」は、本文に明記はされていないようだが、1960年代のインドの山中で行われた初期瞑想キャンプにおける講話録のようである。当然、参加者はインド人が中心だっただろう。

 まず、この辺の事情が呑み込めないことに、私の読書が進まない理由のひとつがある。自分がOshoに関心を持ち始めたのは、1975年のこと。その前年にボンベイからプーナに住まいを移したOshoは、いままでのインド人向けの講話から、もっと欧米の若者向けに講話することにチャンネルを変えた。だから、よくもわるくもここに、Osho講話の質的意味にひとつの断層が存在する。

 私は、ドメステッィクなOshoのインド人グル的な振る舞いより、当然のように、その後のOshoの、60年代の世界的なカウンターカルチャー的風土を継承する形で行われた講話の方がなじみがある。この辺の経緯については、「エスリンとアメリカの覚醒」の中にも書いたし、明らかにOshoも意識していた可能性が高い。

 この変遷については、逆に言えば、Oshoを「われらがグル」と見ていたインド人の取り巻きたちには、不満もあっただろうと推測される。離れていった人々もいたかに聞く。どこまでを事実として把握するかはともかくとして、ここでは、60年代のインド人向けの講話はそれなりに考えられたOsho独特なものであっただろう、ということを押さえておけばいいだろう。

 小森健太郎は、1990年に個人的に発行した文献でつぎのような記述をしている。

 和尚の本名は、チャンドラ・モハン・ラジニーシだが、彼の称号はアチャリャ、バグワン、和尚と三回変わった。その三つの称号の時期が、彼のワークの三段階を表していると思う。今出版されている彼の本は、バグワンという過去の称号を全て落として和尚という表記に統一されるようになっているが、私はむしろ各講話はその時期に呼ばれていた彼の名前をそのまま残すべきだと思う。そう思ったので「バグワン」となっているところは、皆そのままにした。小森「和尚講話・ニーチェ」1990/03  p60

 微妙な話題ではあるが、発行された時期が、Oshoが肉体を離れた直後でもあり、現在の彼がどのように考えているかは不明だが、本質的に私はこの話題の根っこはよく理解できる。Oshoのワークを「三段階」に分けるかどうかはともかくとして、アトランダムに発行されるOshoの講話録は、新刊として店頭に並ぶ限り一般的な読者は、発行時期が新しければ、発言された時期も新しい時期であるかのような錯覚をしかねないことになる。せめて講話された時期や状況を類推できるように、記しておく必要があるのではないか。

 このような状況があるものだから、玉川信明の「和尚ガイドブック・シリーズ」なるものが登場してくる理由もわかる。玉川は「和尚、聖典を語る」のなかで、「梵我一如の世界が存在してきた」という表題のもと、Oshoの「イーシャ・ウパニシャッド(存在の鼓動)」(全461頁)を要約して約30頁ほどにまとめてくれている。Oshoの講話をダイジェストとして読むことも可能は可能なのだが、はて、それって何? と疑問が湧いてこないわけではない。

 さて、ここまで話が進むと、話題とすべきテーマはいくつかでてきて錯綜してしまうので、いくつかの点だけを押さえておくことにする。

1)インド語→英語→日本語、という作業には大変感謝しているが、翻訳や編集の手が入りすぎると、生のOshoの声がどの辺にあったのか不明になりやすくなる。

2)90年代後半~21世紀初頭において、このインド語からの翻訳・編集本が多く発行されたが、これは読者層のリクエストというより、出版社による意図的なリードがあったのではないか。

3)つまり、バランスをとるためには、「OSHO:アメリカへの道」「ZENシリーズ」などの出版ももっと力を入れてもっと早期に出版されるべきだったのではないか。

 自らの一読者という立場も顧みず、ちょっと突っ込んだ意見を言っておけば、そういうことになる。過ぎ去った時間は取り戻すことはできない。すくなくとも、私は一読書子としては、このような個人的な思いがさまざまに作用して、なかなかこの「イーシャ・ウパニシャッド(存在の鼓動)」の読書が進まないのではないか、と自己分析している。

 8番目。8番目は「イーシア・ウパニシャッド」だ。私がどうしてこれを忘れたかは容易に理解できる。私はこれを飲み干してしまった。それは私の血と骨になってしまった。それは私だ。私は、これについて何百回となく話したことがある。それは実に小さなウパニシャッドだ。108のウパニシャッドがあるが、「イーシア」はその中で一番小さい。それは葉書の、しかも片面に印刷できる。しかし、これは残りの107のすべてを含んでいるから、他のものについて言及する必要はない。種子は「イーシア」のなかにある。

 「イーシア」という言葉は神聖を意味する。インドではキリストのことを「キリスト」とは呼ばないと言えば、みんなは驚くかも知れない。私たちは彼のことを「イーシア」と呼ぶ。「イーシア」、これは元はアラビア語の「イェシュア」にずっと近い。英語では「ヨシュア」だ。両親は彼のことを「イェシュ」と呼んだに違いない。「イェシュ」では長すぎる。その名はインドに旅してきて「イェシュ」から「イスゥ」になった。インドはその「イスゥ」が、神を意味する「イーシア」にあまりにも近いことにすぐ気がついた。つまり彼のことを「イーシア」と呼ぶ方がいいだろうというわけだ。

 「イーシア・ウパニシャッド」は、瞑想してきた者たちの最大の創造物のひとつだ。 Osho「私が愛した本」p21

 「イーシアはその中で一番小さい。それは葉書の、しかも片面に印刷できる」と言われて、「私が愛した本」巻末リストに紹介されている佐保田鶴治「ウパニシャッド」をみてみれば、わずかに4頁にまばらに18の言葉が書いてあるだけだった。そのすべてをこの小さなブログのなかに転記することさえできる。

 主への献身、祭祈、自我の観照、中庸の道、臨終祈念。文字は簡潔だが、それは一冊一冊の全集のタイトルであるかのように重い。文字だけ転記しても、なにも分かったことにならない。

 今日のところは、Oshoが「存在の鼓動」で461頁にわたって展開し、それを玉川は「聖典を語る」で30頁にまとめたが、そもそもそれの原典は、ほんのわずか4頁の「イーシア・ウパニシャッド」であった、と記しておくことにとどめよう。

<2>につづく 

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2009/06/28

摩訶迦葉

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「禅家語録 2」 <1>
世界古典文学全集 36B 西谷 啓治 , 柳田 聖山 1984/01 筑摩書房単行本: 523p
Vol.2 No.687★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「摩訶迦葉」

 つまりはマハカーシャッパの有名な「拈華微笑(ねんげみしょう)」のお話のくだりについてことだ。思うにその出典はあちこちにあるはずなのだが、Osho「私が愛した本」の巻末の紹介では、この「禅家語録2」の中の「無門関」第六則が、出典のひとつとして紹介されている。

 世尊釈迦牟尼仏が、むかし霊鷲山の法会で説法しておられたとき、来会の僧たちの前で、ひと枝の花を取って人々に示した。そのとき、みな黙ってしまったが、ただ摩訶迦葉尊者だけがそれを見てにっこりと微笑した。すると世尊は、「私のところに、真実の教法にして一切を照見し一切を蔵する眼、妙なる涅槃(悟り)の心、形相をもたない真実の相、不可思議ななる法門がある。いま、それを言句文字にたよらず、経典の教え以外のしかたで、摩訶迦葉尊者にゆだねるであろう」と言われた。p368

 実に有名なお話で、このエピソードがあったゆえに禅の流れができたともいえる。

 仏陀は目を上げ、声をあげて笑うと、摩訶迦葉を自分のもとへと呼んだ。彼に花を与え、一座の者たちに説法が終わったことを告げてこう言った。

 「私は、お前たちが受けとる資格のあるものはすべて与えた。そして摩訶迦葉には、彼にふさわしいものを与える。彼はまさにそれに値する。私はお前たちに何年にもわたって言葉で語りかけてきたが、お前たちは決して理解しなかった。今日私は沈黙で語りかけた。そして摩訶迦葉の笑いが、彼が理解したことを告げていた。
Osho「私が愛した本」p76

 あまりにシンポリックであり、誰でも知っているお話だ。多言は要しない。以心伝心、不立文字、教外別伝。

<2>につづく

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永久の哲学1

永久の哲学(1)
「永久の哲学」(1) ピュタゴラスの黄金詩
OSHO /スワミ・プレム・グンジャ 2004/09 市民出版社 単行本 390p
Vol.2 No.686★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 数年前にたしかにこの本を読んだはずなのに、ちっとも記憶に残っていない。私のようなそそっかしい読書では、何も覚えていないのかもしれない。あるいは、この本を読んでいる、といいながら、私は別のことをしていたのかもしれない。それとも、もともとこの本はそういう風に出来ていて、まんまとその罠にはまっているのかも知れない。

 若い時分に、年配のサニヤシンが、ペンと定規を持ちながら、赤いアンダーラインを引きながら、Oshoの本を読んでいるのを見たことがある。Oshoの本には、ペンもアンダーラインも不似合いでしょう、と内心思っていたが、自分が実際に年取ってみると、こりゃ、やっぱりペンとアンダーラインは必要かなぁ、と思い始めた。

 しかし、実際にペンと定規を使ってOshoの本を読み始めてみたとしても、結局おなじような結果になりそうな気がする。他の本なら、なにか目的があり、一定の情報なり知識なりを見つけてしまえば、それで読書の目的は果たされた、という思いがある。ところが、Oshoの本はそうはいかない。

 ピュタゴラスはほとんどひとつの原型だ。一段と優れた真実の探究者であり、「フィロソフィア・ペレニス」、永久の哲学の発見に全生涯を捧げた人だ。その可能性はあらゆる人のなかにある。それは実現されなくてはならない。だが私たちは無用で無益なゲームにあまりにも夢中になっている。まったく子供じみたおもちゃを夢中で集め、生を浪費し、エネルギーや時間を無駄にしている---人生は短いのに! それは瞬く間に過ぎていく。そして時間はあなたの手から滑り落ちていく。p59

 哲学にはいきつくところがない、と言っていたOshoがここでは「永久の哲学」と言っている。はて、などと、いちゃもんをつけているべきところではない。そんなことに振り回されているから、毎回、自分がOshoの何を読んだのか、すぐ忘れてしまう。ロジックや知識、それらを「子供じみたおもちゃ」と一喝されてしまえば、あとは、自分の内なる心の動きをみているしかない。そして、自分の意識のありようを眺めている。やはり、本の中身など覚えている余裕などなくなるのだ。

 たしかに、人生は短い! 紅顔の少年少女もいつのまにか後期老齢者へとなり果てる。瞬く間に過ぎ去った時間の中で、探求された真実とは何だったのか。永久の哲学、という象徴のなかで、Oshoは何を言わんとしていたのだろうか。

 ピュタゴラスは、初めて「哲学(フィロソフィー)」と「哲学者(フィロソファー)」という造語を用いた人だった。「哲学」は知恵の愛を意味し、「哲学者」は知恵の友を意味する。ピュタゴラス以前には、別の言葉が同じ目的で用いられていた。哲学には「知(ソフィア)」という語が用いられていた。「知(ソフィア)」の意味は知恵だ。そして哲学者には「知者(ソフォス)」が用いられていた。「知者(ソフォス)」とは賢い人、賢者を意味する。それらは美しい言葉だったが、それは堕落し、間違った人たちを連想させるようになった。悪い時代、それらは堕落してしまった。言葉にも良い時代と悪い時代があり、栄光と屈辱の日々がある。p202

 この本の中には、ウスペンスキーの「ターシャム・オルガヌム」や、慧能の「六祖檀経」、ニーチェの「ツラトゥストラ」などなど、Osho講話の定番メニューが満載となっている。

 この定理(三平方の定理)だけのために、ピュタゴラスは長いこと誤解されてきた。西洋の人々は、彼が覚者(ブッダ)だったことなどすっかり忘れている。彼らはピュタゴラスを偉大な数学者としか思っていない。歴史の本には、彼は数学者として言及されている。学校や大学では、彼はこの定理のおかげで記憶されているに過ぎない。
 この定理はまさしく命取りだった。この定理を見つけなかった方が、どんなによかったことだろう。彼は神秘家として知られていただろうし、定理に関しても、他の誰かが見つけることになたはずだ。そいう物事は長くは持たない。そんな科学的発見であれ、2,3年はかかるかもしれないが、それは必ず起こることになっている。
p360

 この本からひとつの定理のようなものを探し出す必要はない。ただ、探究を自らに向ける、ただそこだけを抑えればいいだろう。ペンもアンダーラインも必要なさそうだ。

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グレート・チャレンジ

グレート・チャレンジ
「グレート・チャレンジ」 内なる探求者に向けて語られた和尚初期質疑応答集
OSHO /西村栄次郎 1997/12 市民出版社 単行本 363p
Vol.2 No.685★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 初期質疑応答集、というだけではちょっと不親切な感じもする。いつどんな状況で語られたのかをきちんと記録すべきだ、と思うのだが、それはすこし客観的にものごとを見すぎているかもしれない。本文の内容自体は、あまり周囲のことに惑わされずに、ズバリと読みとるべきだろう。

 以前、当ブログで触れたことのある「LSD・間違ったサマーディへの近道」も第四章として収録されているが、もともとは単独のパンフレットとして1971年にインドで発行されている。これもたぶん最初はたぶんインド語で講話されたのではないだろうか。

 夢であったかのように、LSD体験を忘れてしまいなさい。そうでなければ、あなたとあなたの瞑想との間に種子を持つサーマディが来続け、そのふたつを比較し続けることだろう。その比較は自殺的だ。比較し続けるなら、瞑想は止み、もっとLSDを使いたくなっていくだろう。だが科学の助けは、たんなる物質的現象を作り出すだけだ。決して本物を実感することにはなりえない。本物の体験とは、あなたに起こったなにかではなく、あなたが偶然出くわしたものだ。何かがあなたを貫いたのではなく、あなた自身がその中へとジャンプしていく何かだ。p121

 この本もまた、なにか急いで読み進められるべき本ではない。じっくりと自らの瞑想の進捗状況に合わせて、いくどとなく読みなおされるべき本である。

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知恵の種子

知恵の種子
「知恵の種子」 
OSHO /スワミ・アンタール・ソハン 1999/08 市民出版社 単行本 276p
Vol.2 No.684★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「ア・カップ・オブ・ティー」と並ぶ、Osho初期書簡集。ひとりの弟子に宛てた120通の手紙がまとめられている。初期的にはOshoも小説などを書いたようだが、書いた文章として残っているものは少ない。のちにはすべて講話録となっている。この本に収められた手紙も、もともとはインド語で書かれたものであろうが、英語に翻訳され、日本語に翻訳された。

私はアルバート・カミュの著書を読んでいた。
その本はこんな序文から始まる、
「自殺こそが、哲学の唯一重要な問題だ」
なぜだろう?
それは、現代人が生に何の目的も見出さないからだ。
あらゆる物事は意味を失い、不毛となってしまった。

何が起こったのかというならば、
私たちは生の源泉との繋がりを失ってしまった、
それなしには、生は無益な物語以上のものではない。

私たちは、人にその根を戻してあげる必要がある。
人を、大地に戻してあげる必要がある。
その根とは魂であり、大地とは宗教だ。
これがなされうるなら、
今一度、人類は開花し得る。
p85

 カミュは交通事故で亡くなった。不条理なことだ。
 10代の頃、私のもっとも親しい友人はカミュの読者だった。大ファンだった。彼は私より年上だったが、ミニコミを作っていて、そのタイトルも「カミュ」だった。

 彼は文章を書いていた。自称「遺書集」。彼は自殺することを予告していた。私は彼がなぜ自殺したいのかわからなかったが、自殺することをやめさせようとは思わなかった。せめて、彼が亡くなったら、残された遺書集を発行してあげようと思っていた。

 正直言うと、この友人はいつどのような形で自殺するだろうと、ちょっと楽しみにさえしていた。自殺の方法もいろいろ研究していたようでもある。しかし、彼の人生はそれほど行き詰った風でもなく、淡々と過ぎていった。いつまでもその研究が続いて、終わることがなかった。いつの頃からか、ああ、この友人は、もう自殺する気はないのだな、と気がついた。

 もうすっかりお互いが中年になってから、ところであの「遺書集」はどうなったのか、聞いてみたことがある。彼の答えは意外なものだった。

 ある時、数十冊分もたまった「遺書集」の原稿ノートをバッグに入れて持ち歩いていたら、電車の網棚の上に忘れてしまったという。電車会社に連絡してみたが、結局、遺失物としては出てこず、永遠に紛失してしまったのだという。

 彼の自殺はなくなったし、彼の遺書集も残らなかった。あれだけ、青春のすべてを注ぎ込んだあの膨大な原稿が、なくなってしまった。しかも、電車の網棚の上、という不条理な設定だった。

 まもなく還暦を迎える彼だが、特段に人生に目的を見い出した風でもなく、今更死に急いでいる風でもない。やや体調を崩してはいるが、一生懸命、健康になろうと努力しているようではある。

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2009/06/27

夜眠る前に贈る言葉

夜眠る前に贈る言葉
「夜眠る前に贈る言葉」
OSHO /マ・ナヤナ 1999/03 市民出版社 単行本 553p
Vol.2 No.683★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「朝の目覚めに贈る言葉」と対になった姉妹編。長いこと講話録形式に慣れ親しんできた自分としては、このような編集本は新鮮だ。一晩にひとつのメッセージづつ読めるようになっている。ベットにはいって短い文章を味わい眠りにつくというのはなかなか素敵な発想だ。この本を読み終わるまで、ちょうど一年かかる。

 何年か前、体調を崩して不眠に悩んでいた御婦人にこの本をプレゼントしたことがある。別段にOshoのファン、ということではないのだが、あれから数年経過して、今はすっかり病院の薬も必要がなくなり、ヨガのサークルなどに通うようになったという。どこかで効果があったのかもしれない。

人間は無意識に生きる
単に回りの人々がそうしているという理由で
数多くの物事をし続けている
人はただ習い、真似し続ける
なぜそうするのか、じぶんでもはっきりとは気づいていない
自分が誰なのかすらもわかっていない
自分が誰であり、どこから来て
どこへなぜ行こうとしているのか理解していないとしたら
いったいそのような人に他の何を期待できるかね?

それらは瞑想を通してのみ解決し得る、根本的な問いだ
いかなる哲学も解決の手助けにはならない
哲学は実に多くの回答を差し出してくるだろうが
答えはすべて仮説にすぎない
熟考してみれば必ず多くの欠点や誤りを発見するだろう
瞑想は実存的なものだ
哲学的なものではない
瞑想は実に多くのことに気づかせてくれるので
自然にあなたは自己と出会うことになる

真実とは啓示だ
思考による結論ではない-----
瞑想による啓示であり
瞑想を経た結論ではない
  p252 27 month6

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ゴールド・ナゲッツ

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「ゴールド・ナゲッツ」
OSHO /スワミ・アナンド・チダカッシュ 1994/06 和尚エンタープライズジャパン 単行本 219p
Vol.2 No.682★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 いつの頃からか、Oshoの本をあまり買わなくなってしまった。Oshoが肉体を離れる前あたりまでは、ほとんど新刊で購入するか、発行前に手元にあることが多かった。まとめて仕入れて瞑想センターで販売する手前、いち早く入手することが多かったのである。

 ところが、90年代に入り、さらに95年以降のインターネットの時代になると、どこかOshoの本からだんだん離れていく自分を感じていた。一冊にまとまった単行本になるまえに、ニューズレターのような形で読むことも多くなり、また、本の形になる前に、ビディオで見ることも多くなった。そして21世紀になると、興味の範囲も拡散してしまい、あえて「Oshoの本」に集中することがすくなくなった。

 正確に数えたことはないが、100冊以上になるだろうと思われるOsho邦訳本も、最近でた本はあまり購入しないことが多くなった。もともとOshoの本は、私にとっては、さっさと読み捨てるような本でもなく、いちど読み始めると、なかなか読み終わらないことが多い。読む、ということ自体が、他の本とはちょっと違うスタイルになってしまいがちなのである。

 さらには、Osho本が図書館にはいる確率も高くなってきた。わざわざ自分でそろえなくても、図書館から借りてOsho本を読めるというのは、ある種の快感だ。すくなくとも、私がリクエストしたのではなく、他の誰かがOsho本をリクエストした、という事実が、私にはうれしい。現在のところ、全国の図書館でOshoの本が入っていないところのほうが少ないのではないだろうか。

 というわけで、五月雨式にOsho本を図書館にリクエストしていたら、何冊もたまってしまった。いざ手元にたくさんOsho本がたまると、これまた、一気に読むということはできないので、困ってしまうのだが、しかし、たまってしまった、ということを口実にして、ざっと目を通していくのもわるくないかな、と思い直した。この本も英語本を持っていたので、日本語を読むチャンスを逃していた。

 この本は、Oshoのワールドツアー中の「神秘家の道」など5つの講話録から選ばれた言葉で構成されている。あの大事件のあとの渦中にあって、しかもまるでジプシーのような生活の中で語られた講話録なのに、この一冊から一切そのようなドラマ性は排除されている。

 科学がただひとつしかないとしたら
 宗教もただひとつしかあり得ない
 客観的世界を探求するのにひとつの科学で充分なら
 人間の内面世界を探求するのもひとつの宗教で充分だ
 そして、そのただひとつの宗教には
 キリスト教的、ヒンドゥー教的、道教的といった
 いかなる形容詞も必要ない
 
 まさに科学がたんに科学であるように
 宗教はたんに宗教だ
 
 実際、私によれば
 ふたつの次元を持ったひとつの科学が存在するだけだ
 ひとつの次元が外面に働きかけ
 もうひとつの次元が内面に働きかける
 私たちは「宗教」ということばさえ排除することができる

 できるだけ少数の仮説を用いるというのが科学の原則だ
 それなら、なぜふたつのことばを用いる?
 ひとつのことばで充分だ
 そして「科学」ということばは素晴らしい
 それは「知ること」w意味する

 他者を知るのがひとつの局面であり
 自己を知るのがもうひとつの局面だ
 だが「知ること」はその両方に当てはまる 
p198

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六祖檀経

禅語録<1>よりつづく
禅家語録<3>よりつづく

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「禅語録」 世界の名著 18 <2>
1978/08 中央公論新社588p 
「禅家語録 1」世界古典文学全集 36A <4>
西谷 啓治, 柳田 聖山 1972/12 : 筑摩書房 単行本 519p

「六祖檀経」
★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★★

 ボーディダルマからの法統を受け継いだ六代目の祖・慧能が、ある時、一万人もの求道者たちを前にして、壇上に登って講話した時の記録。もちろん、当時、テープレコーダーもなければ、ビデオもないわけだから、一字一句違いもなく残されているわけではない。ただ多くの人が同時に体験し、普段から弟子たちに語りかけていた内容でもあり、また自分の人生を語った一代記にもなっているので、よくまとまっており、慧能のみならず、禅の要諦をよく抑え、その流れを象徴的に示していると言える。

 9番目。私が9番目に選んだのは、ボーディダルマの法を継ぐ中国人、慧能だ。「六祖檀経」はまだ知られていないし、日本以外では翻訳されていない。

 慧能は、ひとつの絶頂だ。人間が登りうる最高の高みそのものだ。慧能はあまり多くを語らない。彼が与えるのはヒンドだけ、ほんのわずかなヒントだけだ。だがそれだけで充分だ。それは足跡のようだ。辿って行ければ、人は到達する。彼が言っていることは、本質的にブッダやイエスと違ったものではない。だがその言い方は彼一流、まさに彼独自のものだ。慧能はそれを彼一流の言い方で言う。そのことが、彼がオウムではないこと、法王や司祭ではないことを証明している。

 慧能の言葉を要約することはたやすい。だがそれは自分の持てるすべてを賭けることができる者にしか実現できない。彼の言葉はごく簡単にまとめられる。なぜなら慧能の言っていることのすべては、ただ、「考えるな、在れ」ということだからだ。だがそれを実現するには、非常な知性を持っていないかぎりいくつもの生涯が必要だ。またその知性があるなら、この瞬間にも、今ここでも、それはお前たちの中で現実(リアリティ)になりうる。私の中ではすでに現実(リアリティ)だ。どうしてみんなにとってもそれが現実になりえないのか? 自分以外にそれを妨げている者など誰もいない。Osho「私が愛した本」p119

 そもそも、この言行録が一冊にまとめれたのは後世になってからであろうし、それこそ如是我聞の世界だから、必ずしも一定の経本に収まっているものではない。しかし、そのみちしるべが板書してあろうと、岩にペンキで書かれていようと、手持ちの印刷された地図であろうと、すべてが自らの内を見よ、と指し示している限り、みちしるべの表記方法の違いはなにほどのこともない。

 もともと漢文でまとめられたものであろうが、現代の私達はこうして現代日本文のきわめてわかりやすい読み下し文で味わうことができる。Oshoは日本語にしか訳されていない、と言ってはいるが、Osho自身は、なにがしかの英語文で読んでいると思われる。

 現在、私の手元にはたまたま二種の「六祖檀経」がある。「禅語録」と「禅家語録」に収録されているものだが、二冊ならべて読み進めてみると、おなじことが書いてあるのだが、やはり、表現方法やニュアンスがかなり開きを持っている。それは意味が違うということではなく、翻訳する立場の人によって、話の膨らまし方がおのおのの個性がでている、ということになろう。

 君たち、しずかに聞いてくれ。おら(慧能)がおやじは、洛陽が本籍であった。左遷で嶺南に流されて、新州の百姓になりもうした。おらが幼いときに、父はもう死んでいた。老いた母とみなしごは、南海に移って来た。つらい貧乏で、町に出て薪を売った。あるとき、一人の客が薪を買ってくれて、おらに旅籠までとどけさせた。客は薪をもってゆき、おらは銭をもらった。門の前に引きかえすと、ばったり一人の客が「金剛経」をよんでいるのに会う。おらは、それを聞いただけで気持ちが晴れて、すぐに悟った。そこで、客にきいた、「どこから、そのお経を受持して来られたか」 「禅語録」p98

 慧能の一人称に「おら」を使わせるところが、いかに彼が民衆に慕われてきたかの証明でもある。「ダイヤモンドスートラ」を聞いただけで、「すぐに悟った」ところに「頓悟禅」の真骨頂がある。弟子たちのリーダーであり、もっとも秀才とうたわれた神秀の歌に対して、慧能は痛烈にカウンターパンチを食らわせる。

 悟りは、もともと樹などでない、きれいな鏡も、台の上にはない。元来、何ひとつないのである、どこに塵やほこりがよりつこうか。「禅家語録」p78

 文字を読み書きできない慧能であったが、この歌ひとつで、慧能がどのような心境にあるのか、周囲の者たちにもすぐわかった。わかる周囲の者たちも偉い。

 その翌日、祖(五祖)はこっそりと米つき小屋にやって来られた。恵(慧)能が腰に石をつけて、米をついているのに気がつくと、わたしにつげていわれた、「道をめざすものは、真理のために生命を顧みぬはずだ。当然、こうなくてはならぬ。」 そこでたずねていわれた、「米はつけたか。」 恵(慧)能はいう、「米は前々からつけておりますが、まだふるいにかけておりません。」 祖(五祖)は杖で臼を打ち、三度くりかえして出てゆかれた。恵(慧能)はすぐに祖(五祖)の本意を了解した。「禅家語録」p79

 周囲から沸き起こるであろう嫉妬心から慧能をまもるため、五祖は夜中にひっそりと慧能に法を伝授し、その証左となる衣を授けて、地方へと逃がした。

 おらは、袈裟を手にとって、真夜中に出発した。五祖はおんみずからおらを九江の駅までお送りくださる。二人は、すぐに起った。五祖はいいつけられた、「お別れだ、つとめよや、法を南にもって行け。三年まで、この法を広めてはならぬ。妨害が起るにちがいない。その後で世の中に広めて、迷える人々を巧く導くんだ。心が開けさえすれば、そなたはいつも俺と一緒だ。「禅語録」p107

<達磨>につづく

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2009/06/26

頓悟要門<1>

<2>よりつづく

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「禅家語録 1」世界古典文学全集 36A <3>
西谷 啓治, 柳田 聖山 1972/12 : 筑摩書房 単行本 519p
★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★★

頓悟要門」

 Osho「私が愛した本」の中の「慧海の書」とされるのは、「頓悟要門」。

 問い、「どのような仏法を修行すれば解脱が得られるのでしょうか。」 答え、「ただ頓悟という法門のみが解脱を得る唯一のものである。」 問い、「それでは頓悟とはどういうことですか。」 答え、「頓とは、頓(たちま)ちに妄念を除くことであり、悟とは得られる何ものもないと悟ることである。 問い、「では何か修行すればいいのでしょうか。」 答え、根本から修行せよ。」 問い、「どのようにして根本から修行するのですか。」 答え、「心が根本だ。」 問い、「心が根本であるということがどうしてわかりますか。」 答え、「『楞伽経』に『心に生じたならば、それに応じて種々の差別の法が生じ、心が滅したならば、その種々の差別の法も滅する』といい、『維摩経』には『ブッ国土の清浄を欲する求道者(菩薩)は、自己の心を治め浄めることにつとめるべきである。その求道者の心の浄らかさに従って仏国土の清浄が顕現する』といい、『遺教経』には『心を一つところに統一制御して散らさないようにしさえすれば、何事も成就せぬことはない』といい、ある経では『すぐれた人は心を求めて仏を求めない。愚かな人は仏を求めて心を求めない。智慧ある人は心を調えて身を調えない。愚かな人は身を調えて心を調えない』といい、『仏名経』には『罪は心から生れるものであり、また心から消えるものである』という。これらの経典にいうところから、善悪やその他一切の価値観は、自分の心に原因があることがわかるではないか。だから心が根本だというのである。もしこの真理がわからなければ、無駄な努力を費やすにみであろう。外に向って求めるということは大きなまちがいである。『禅門経』にもいっているではないか、『外に向かって求めていては、何億年たっても、けっきょく何も得られない。内に自己の心を観じてゆけば、一瞬の間に菩提を証することができる』と。」p184「頓悟要門」

 頓悟は六祖慧能から始まった。修行の結果ゆっくり悟っていくとする漸修に対して、突然悟ることができると説いて、当時の禅の大きな流れになった。

 7番目は「(大珠)慧海の書」だ。またもや英語では、それは「慧海の教え」と訳されている。この哀れなイギリス人たち、彼らは人生には教え以上のものはないと思っている。このイギリス人たちはみんな教師だ・・・・そしてイギリス女には気をつけることだ! さもないと学校の先生につかまってしまう。
 慧海も黄檗もともに導師(マスター)だ。彼らは分け与える、教えたりはしない。それゆえ私はそれを「慧海の書」と呼ぶ。もっとも図書館ではそれは見つからないだろうがね。図書館で見つかるのは「慧海の教え」だ。
Osho「私が愛した本」p37

<4>につづく

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「頓悟要門」<2>につづく 2010/07/26

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黄檗伝心法要<1>

<1>よりつづく

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「禅家語録 1」世界古典文学全集 36A <2>
西谷 啓治, 柳田 聖山 1972/12 : 筑摩書房 単行本 519p
★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★★

「黄檗伝心法要」<1>

 「私が愛した本」の中の「黄檗の書」とはこの書であろうとされる。

 6番目。6番目はもうひとりの中国人による本「黄檗(希運)の書」だ。それは小さな本だ、論文ではない。ほんの断片だ。真実は論文では表現されない。真実の書に哲学博士とかくわけにはいかない。哲学博士は馬鹿者たちに与えられるべき学位だ。黄檗は断片で書く。表面的には、それらは何の関連性もないように見えるがそうではない。そのつながりを見出すためには、人は瞑想しなければならない。これはかつて書かれた最も瞑想的な本のひとつだ。

 英語では「黄檗の書」は、英語ふうに「黄檗の教え」と訳されている。タイトルまで間違っている。黄檗のような人間は教えたりしない。その中に教えなどない。人は瞑想し、沈黙し、それを理解しなければならないのだ。Osho「私が愛した本」p36

 臨済宗、曹洞宗とならんで、黄檗宗と称される禅宗の一派をなす伝統だが、その悟りへの透徹さは完全だ。

問い、「道とはどのようなもので、またどのように修行すればよいのでしょうか。」 

師の答え、「君はいったい道をどんなものだと考えて修行したいなどと言うのだ。」 

問い、「諸処のお師匠さまがたはみな、禅に参じ道を学べと説いておられると伺っています。」 

答え、「機根の鈍なやからを導き入れるための文句だ、そんなのは頼りにしてはならぬ。 

問い、「それは鈍根の人を誘導するための文句にすぎぬとなりますと、では上根の人を導くには、いったいどんな法をお説きになりますか。」 

答え、「上根の人なら、いまさらそれを求めるため人を頼りに行こうなどとするものか。この自己さえも把えようのないものである以上、ましてこのおのれの認識の対象たりうる法などというものがあろうか。経典にも言ってあるではないか、『法という法はいったい何の形をしているのか』と。」 

問い、「そういうことでしたら、追い求める必要は一切ないというわけですね。」 

答え、「そうだ。そのようであれば、苦労ははぶけるというものだ。」 

問い、「しかしそういうことですと、何もかも一切が断ち切られてしまって、すべて無になってしまいはしませんか。」 

答え、「いったい誰がそれを無にするというのかね。君はそいつを何ものと考えて追い求めようとしているのだ。」 

問い、「追い求めてはならぬとおっしゃりながら、なぜまた一方では、それを無として断ち切ってはならぬとおっしゃるのですか。」 

答え、「追い求めさえせねば、それで事はすむのだ。いったい誰がそれを立ち切れと君に言ったかね。それ、君がいま見ているあの虚空、あれを君はどのように断ち切るつもりかね。」 

問い、「それではこの法というものは虚空と同じだの異なるだのと言ったかね。私はさしあたり以上のような説明をしただけなのに、君はすぐさまそこのところに解釈を働かそうとする。」 

問い、「それなら人のために(虚空の喩えを引いたりなどして)解釈を働かせるようなことをなさらなければいいでしょう。」 

答え、「私は君の邪魔だてした覚えはないぞ。要するに解釈(知的分析)というものは情(こころ)の働きの枠内のものだ。そいう情が働くと智慧は遠のけられる。」 

問い、「つまり、そこのところに情(こころ)を働かせなければ、それでよいわけですか。」 

答え、「情を働かせさえせねば、よいのわるいなどと言うものは誰もおらぬ。」 p278「黄檗伝心法要」

<3>につづく

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「黄檗伝心法要<2> 黄檗の書」につづく  2010/07/25

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2009/06/25

アウローラ

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「アウローラ」明け初める東天の紅 (ドイツ神秘主義叢書8)
ヤーコブ・ベーメ 薗田 坦 2000/02 創文社 単行本: 440p
Vol.2 No.681★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 ヘルマン・ヘッセは「ヤーコブ・ベーメの召命」としてこれらの一連のベーメに触れている。この本では「明け初める東天の紅」とサブタイトルがついているが、別な本では「黎明」となっている。まさにほのぼのとした東雲を思い浮かべさせる。

 ベーメを読んでいると、その清廉さはスピノザ「エチカ」を連想するし、西洋における神秘主義といえば、スエデンボルグの「天界と地獄」をさえ連想する。しかし、ベーメはベーメの簡明さと率直さと清廉さを併せ持っている。清貧主義ともいえる。Oshoは、この清貧主義には手厳しい。

 ベーメもひどく貧しかった。賢くあるためには、人は貧しくなければならないようだ。これまでの場合はそうだった。だが私以後はそうではない。私以後は、光明を得るためには、豊かでなければならない。もう一度言おう。光明を得るためには、人は豊かでなければならない。金持ちは神の王国に入ることはできないとイエスは言う・・・・イエスは旧式な言い方をしていた。私は断固として、最も富める者だけが神の王国に入ると言う。いいかね、私が言っていることは、イエスが言っていることと同じだ。それは背反していない。イエスの言う「貧しい」と、私の言う「富める」は、まったく同じことを意味している。イエスは自分自身を、自我(エゴ)をなくした人間のことを貧しいと呼んでいる。それが私の言うところの豊かな人だ。エゴが少なければ少ないほど、人は豊かだ。だが過去においては、ベーメのような人間が豊かな家庭に生まれることは、特に西洋では滅多になかった。Osho「私が愛した本」p127

 それでもなお、スピノザもスエデンボルグも登場しないこの本に、Oshoはヤーコブ・ベーメを登場させる。

 「星々の誕生と第4日目の創造について」

 今やここで天空の誕生の記述が始められ、また本書の最初の表題、すなわち明け初める東天の紅が意味するところが注目されよう。というのも、ここにおいてまったく純朴な者ですらも神の本質を見、かつ把握することができるであろうからである。
 ただ読者は、その不信仰や把握可能性への固執によって自らを盲目にしないようにしてほしい。なぜなら、私はここで全自然をそのすべての子供ともども、証言者そして証明としてもちだすからである。あなたがそこで理性的であれるなら、あなたの廻りを見回し、またあなた自身をよく見つめ、正しく熟考するように。そうすればあなたは、私がいかなる種類の霊から書くかをただちに見出すであろう。
p338

 清廉な純朴さ、ということで言えば「アッシジの聖フランシス」なども連想するが、その清廉さというニュアンスには違いがあるようだ。

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2009/06/24

菩提達磨無心論<1>

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「禅語録」 世界の名著 18 <1>
1978/08 中央公論新社588p
Vol.2 No.680★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★★

「菩提達磨無心論」(無心に関する対話)<1>

 「私が愛した本」の中でOshoが「菩提達磨の弟子達の記録」として語ったであろう部分として、「達磨二入四行論」と並び称されているが、この「菩提達磨無心論」であるが、見つけてみれば、ほんの数ページのコンパクトな文章でしかない。

 弟子は先生にたずねる、「心は有るのですか、無いのですか」
 答え、「無心だ」
 問い、「無心なら誰が見たり聞いたり記憶したり判断したりするのです。誰が無心だと判断します」
 答え、「やはり無心が見・見・聞・覚・知する。無心が無心だと判断する」
 p84 「菩提達磨無心論」

 ぜひとも茂木健一郎あたりに読んでもらいたい部分だが、脳科学とやらの世界では、このようないわゆる禅問答では解決にはならないのかも知れない。しかし、脳科学者ならぬ、一介の瞑想者であってみれば、このワンセンテンスで解決することもすくなくない。

 これまでは、あやまって心が有ると思い込んだが、
 今悟ってみると無心でよろしい。
 無心といっても、ちゃんと認識し作用していて、
 認識し作用しつつ、いつもひっそりと元のままだ。
 p88「菩提達磨無心論」

<2>につづく 「六祖檀経」へ

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「菩提達磨無心論」<2>につづく 2010/07/24

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達磨二入四行論<1>

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「禅家語録 1」世界古典文学全集 36A <1>
西谷 啓治, 柳田 聖山 1972/12 : 筑摩書房 単行本 519p
Vol.2 No.679★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★★

「達磨二入四行論」

 「私が愛した本」の中の「仏教」編の「菩提達磨の弟子達の記録」、「禅」編の中の「黄檗の書」「慧海の書」「六祖壇経」の日本語資料がこの本の中に入っている。

 5番目---私は「菩提達磨の弟子達の記録」を忘れていた。ゴータマ・ブッダのことを話すとき、私はいつもボーディダルマのことを忘れる。それはおそらく、彼のことはその師である仏陀の中に入れたような感じがするからだろう。だがそれではいけない。それは正しくない。ボーディダルマはひとりで立っている。彼は偉大な弟子だった。あまりに偉大で、その師さえ嫉妬するほどだ。彼自身は一語も書き記さなかった。だが数人の弟子たち、自ら明記しなかったので名前は知られていない弟子たちが、ボーディダルマの言葉についていくつかの記録を残している。その記録はごくわずかのものだが、コイヌールほどにも貴重だ。知っているかね、コイヌールという言葉は世界の光を意味する。ヌールとは光のこと、コイとは世界のことだ。何かをコイヌールにたとえなければならないとしたら、そう、私ならボーディダルマの無名の弟子たちによって書かれた、このわずかの言葉を示すだろう。「私が愛した本」p19

 この本のほかに「菩提達磨無心論」も巻末に併記されているが、Oshoは「菩提達磨の弟子達の記録」という言葉で、「菩提達磨無心論」「達磨二入四行論」のことを示したのだろうか。Oshoには別途「ボーディダルマ」という単独に達磨を扱った講話録もある。

 もし法身仏の立場から修道するなら、ニルヴァーナを求めてはならない。なぜならば、法身の立場そのものがつまりニルヴァーナの世界だからだ。どうして、ニルヴァーナでニルヴァーナを求めようか。また君は法を求めてはならない、君の心がすでに真理の世界だからだ。どうして真理の世界にいて真理の世界をもとめようか。もし心を正そうと思うなら、すべての理法を畏れてはならず、すべての理法を求めてはならぬ。もし法身の立場から修道する人は、その心は木石のように無意識で、ぼんやりと知覚せず、分別せず、すべてふらりふらりと白痴のようであるがよい。なぜなら、理法は人の知覚を超えているからである。理法はわれわれに無畏の力を与えるから、これこそ大いなる安らぎの場所である。p26「達磨二入四行論」

 禅語というと興味はひかれるのだが、漢字だらけの世界が予想されて、ちょっと臆病になるものだが、この本は、漢文と読み下し文、そして現代文、さらには解説と、4段階のステージが準備されており、自らの理解力、興味の範囲に合わせて、好きなところを読めるところがとても大きな魅力である。

「禅家語録」<2>につづく

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「達摩二入四行論」<2>につづく 2010/07/23

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私の愛するインド 輝ける黄金の断章<1>

私の愛するインド
「私の愛するインド」 輝ける黄金の断章<1>
OSHO /スワミ・プレム・グンジャ 1999/11 市民出版社 単行本 257p
Vol.2 No.678★★★★☆ ★★★★★ ★★★★★

 100冊以上の本の抜粋からなるコメンタリティー。

 神秘家とは、全く異なる種の人間だ。彼は天才ではない。単に偉大な画家なのでも、偉大なる詩人でもない。神秘家とは神を媒介する者、あなたを刺激し、神へと誘う者だ。神が入ってくるための扉を開く者だ。そして何千年もの間、無数の人々がこの国の空気を満たそうと、神のための扉を開いてきた。私にとってはその空気こそが本物のインドだ。しかしそれを知るためには、特定のマインドの状態でなくてはならない。p4

 「India my love」という言葉自体がすでに美しい。

 学問はもう充分だ。学問というのはまったくもって二流だ。学問は現代科学と神秘主義の橋渡しにはなれない。必要なのはブッダについて知る人々ではなく、覚者だ。私達は瞑想者を、愛の人を、体験者を必要としている。

 そして気が熟し、時が訪れ、科学と宗教が出会い、合わさることができた時、二つのものは統合される。そしてその日こそ、人類史上かつてない最も素晴らしい一日となる。喜びに溢れた、比類なき、唯一偉大な一日となる。なぜならその日を境に、精神分裂病や分割された人間性は、世界からなくなるからだ。すると二つのもの、科学と宗教は必要なくなる。一つのもので足りるようになる。

 外側の世界では科学的な方法論が用いられ、内側の世界では宗教的な方法論が用いられている。神秘主義という言葉は美しい。その言葉は一つの科学、または一つの宗教に用いられる。どちらで好き好きだ。

 神秘主義は美しい呼名となるだろう。すると、科学は外側の神秘を探し、宗教は内側の神秘を探すようになる。それらは神秘主義の二つの翼となる。神秘主義は両方を表す言葉となり、神秘主義は二つの統合体となる。

 そしてこの統合体により、さらに多くの統合体が自然発生する。たとえば、科学と宗教が神秘主義の中で出会えたら、東洋と西洋、男と女、詩と散文、理論と愛の出会いが可能となる。出会いが幾多もの層に広がって、起こり続ける。もし一度これが起これば、人類はさらに完全な人間を、より完全でバランスのとれた人間を得ることだろう。p122

 カビール、ファりッド、アテーシャ、登場するひとりひとりが美しい。

 そして私にとって、インドとは瞑想を学ぶことの象徴に他ならない。インドは瞑想の大学だ。それは今日に限ったことではなく、何世紀も瞑想の大学であり続けている。p249

<2>につづく 

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スピリチュアリティの社会学

スピリチュアリティの社会学
「スピリチュアリティの社会学」 現代世界の宗教性の探求
伊藤雅之他 2004/11 世界思想社 全集・双書 281p
Vol.2 No.678★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 当ブログにおいては、「OSHO/gnu0.0.2のための21冊」の中の一冊として「現代社会とスピリチュアリティ」を選びながら、なかなか道筋はこちらのほうにはやってこなかった。インターネット上ののブログという形態と、宗教社会学という「学問」の世界がいまいち整合しないせいでなかろうか、と思う。同じ著者によるこの「スピリチュアリティの社会学」も前々から気にはなっていたのだが、たまたま手にとったので、ここですこし触れておく。

 とは言っても、この本は三人の著者による共著なので、触れなくてはならない点はいくつかあるのだが、今回は、他のお二方については割愛し、お一人の文章に留意しておく。そうとなれば、目を通すべきは「新しいスピリチュアリティ文化の生成と発展」の12頁と、「グローバル文化とローカル性の<あいだ>」の30頁だけ、ということになる。

 前部に関しては、網羅的な日本の精神世界の発展プロセスの把握だから、取り立てて特筆すべきものでもない。あえて当ブログとしてメモしておくべきは、第4章の「和尚ラジニーシ・ムーブメントの事例」という副題をもつ一稿であろう。

 この一稿の成立には、いささかなりといえ関与した手前、なかなか客観的に評価できない部分もあるが、すくなくともこの現代日本においては、この研究に類書はない。批判は批判として存在するとしても、この研究の価値は、もっと時代が下った地点で発揮される可能性がある。

 すくなくとも模索期のサニヤシンたちはORMメンバーとしての特権意識をもち、パートナーや友人関係も同じサニヤシンに限られる傾向が強い。その結果として、彼/彼女らは世界各地に点在し、共同体を形成しているわけではないにもかかわらず、当事者の意識レベルではきわめて高い凝縮性を示すことになる。換言すれば、模索期のサニヤシンはORMという宗教集団の一員として理解できるのである。p95

 ここで言われているORMとは、和尚ラジニーシ・ムーブメントのこと。ふ~~~。ORMという言葉使いはここだけの世界だ。それはそれでいいだろう。しかし、どうもラベリングと内容に齟齬が存在するような気もする。

 この後半の部分については、仮名とはいえ、実在するサニヤシン達が何人も登場する。その調査に協力した立場として、そのうちの何人もの実態を知っている。中にはすでにサニヤシンではなくなっている人々が存在する。

 だいたいにおいて、この調査は90年代前半のものである。2004年に発表になったとしても、すでに10年遅い。この調査の発表がここまでずれ込んだことには、それなりの理由があろうが、すくなくともいわゆるORMの一面を切り取ってはいるだろうが、全面的な反映とはなっていないことだけは確認しておかなくてはならない。

 しかしまた、このような調査の存在は稀有なことなので、一面的であったとしても、この調査研究の価値は、非常に貴重であることにも疑いはない。

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2009/06/23

中国の知的ライフ・スタイル

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「中国の知的ライフ・スタイル」 
林語堂著  喜入虎太郎訳 1979/12 青銅社 単行本 254p
Vol.2 No.677★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 はて、この本は、Oshoが言うところの「中国の知恵」の邦訳であろうか。英語のタイトルはThe Wisdom of China であるが、ウィキペディアを見ると、数ある著書の中で、一番それらしいのは「支那の知性」という本で、のちに「中国人の知的ライフ・スタイル」に改題されたとある。英語版Wikipediaにも「The Wisdom of China and India」という本はあるようだが、はて、それがお目当ての本かどうかも判明しない。

 しかし、ここは代表作とされる「人生をいかにいきるか」をめくり終わった今、こまかい検証は必要なかろう。数十冊もある膨大な林語堂の著書をおっかけてみるか、適度なところで手を引くか、の判断材料としてこの本がなってくれたらそれでいいだろう。

 2番目。林語堂によるもう一冊の本「中国の知恵」だ。彼には文筆の才がある。だから彼は、中国どころか全世界の知恵をも含む老子のことを何ひとつ知らないにもかかわらず、「中国の知恵」でまで書くことができる。もちろん林語堂は、老子の2、3の文章を入れてはいる。だがその章は、彼のキリスト教的教育と一致するものだ。言い換えれば、全然老子的ではないものだ。換えは荘子も引用しているが、当然その選択はきわめて合理的なものだ。ところが荘子は合理的な人間ではない。かつて生きていた人間の中でも最も不合理な人間だ。Osho「私が愛した本」p199

 林語堂のこの本はOshoが生まれる1930年前後の文章がまとめられている。今から80年前の本だから、ましてや英語や中国語や日本語に翻訳され続けているかぎり、原書の在り方とは違った形に変貌している可能性もあるので、単純に現代人のセンスで林語堂を受け止めてしまうのは、必ずしも正しい読書スタイルではないと思う。

 しかしそれを言い出したら、おなじ時代のグルジェフやシュタイナーなども同じことになり、「新潮文庫20世紀の100冊」のなかで言えば島崎藤村やサン・テグジュペリもおなじく割り引いて考えなくてはならなくなる。ましてや、ここはなにも林語堂の個人攻撃をする場ではない。ただ、長年にわたる彼の活動の顕著であればあるほど、ひとつのたたき台として、未来の地球人スピリットはいかにあるべきか、を考える上では、林語堂は恰好の材料になってくれるということになるだろうか。

 荘子は私の恋愛のひとつだ。自分が愛する者を語るときには、必ず極端な、誇張した言い方になるものだが、私には極端には聞こえない。私なら荘子に、彼が書いた寓話のどのひとつに対しても、この世の王国すべてをやりたいくらいだ・・・・しかも彼はそういうものを何百と書いている。そのひとつひとつが「山上の垂訓」であり、「ソロモンの歌」であり、「バガヴァッド・ギーター」だ。ひとつひとつの寓話があまりにも多くのものを表し、計り知れないほどに豊かだ。Osho「私が愛した本」p199

 当ブログにおいては、「荘子」も、「山上の垂訓」も「ソロモンの歌」も「バガヴァッド・ギーター」も未読である。しかしこれを機会にすこしづつ近づいていってみよう。

 林語堂は、荘子をキリスト教徒的に引用している。彼がそれを理解しているとは思えない。だが換えは確かにいい書き手だ。だから「中国の知恵」は、バートランド・ラッセルの「西洋哲学史」とかムーアヘッドとラダクリシュナンの「インドの心」などのような、一国を代用する数少ない本と並んで置かれるべきものだ。それは歴史であり、神秘ではないが美しく書かれており、文法も何もかも正確に書かれている。Osho「私が愛した本」p200

 なんと当ブログは「西洋哲学史」も「インドの心」も未読である。すでに林語堂の2冊の本を手にしたかぎり、ここはすぐに林語堂追っかけを始める前に、これら一連の書をめくってから、もう一度考えることにしよう。

 彼はキリスト教徒であるばかりではなく、修道院学校で教育を受けた・・・・。さて、子供の身に降りかかることで、修道院学校以上の不幸を思いつけるかね? だからキリスト教徒の観点からすれば、何もかも正しい。そしてここで今、彼について話している狂人の観点からすれば、なにもかも間違っている。だがたとえそうであっても、私は彼を愛している。彼には才能がある。申し訳ないが、私には彼が天才だとは言えない。だが彼にには才能がある。途方もない才能がある。それ以上は要求しないでほしい。彼は天才ではない。だからお世辞は言えない。私には真実しか言えない。私は絶対的に真実であることしかできない。Osho「私が愛した本」p200

 Oshoがここまでいう本はあまりない。ここにひとつの葛藤がある。

 市民たちの深い眠りを妨げるためにでも、卿の花火をもっと音高く揚げ、もっと明るく花火をはねさせずや。しかして全市の大火よりも美しき供応はなく、きらびやかなる道化はあり得ないだろう。
 なぜならば、その灰の中より「美しき都」が起り、しかしてその廃墟の中より「新しき王国」が地上に生まれるだろうから。なぜなれば、余は「蘇生」を待望するほどにも、「死滅」を熱望するものだから。
 だが、袂を分かつに当り、余の忠言を入れよ。今しばしはなお「真理」を庇い、愉楽のベールであろうとも相当の衣服をつけさせよ、なぜなれば、裸の「真理」は僧正たちの見るべきものにあらざれば!

 かくのごとくツァラトゥストラは語れり。  林語堂p192「ツァラトゥストラと道化」

 林語堂は実に神通無碍の言葉使いを知っている。この本は雑誌に掲載された小さなエッセーたちをまとめたものだが、であるがゆえに、実にテーマは広範な分野におよび、時には政治的にも時事問題にかなり影響された内容を書いている。しかし、それを差し引いたとしても、実にOshoが絶賛する文筆の才は、おっとり刀の出会いがしら読書子にも、尋常ならざることがよくわかる。

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イソップ寓話集

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「イソップ寓話集」19のおはなしとイソップにまつわる伝説と歴史
バーバラ・ベイダー 文 アーサー・ガイサート 絵 いずみちほこ 訳 1994/12 セーラー出版 ハードカバー p64
Vol.2 No.676
★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「ウサギとカメ」、「肉をくわえた犬」、「キツネとブドウ」、「北風と太陽」、「オオカミがきた!」、「ネコのくびに鈴」、「アリとキリギリス」などなど、考えてみればすでにその出典がイソップ物語であったかどうかすら忘れてしまったような、実に一般生活に同化してしまっているイソップ寓話はたくさんある。

 研究者たちはごく最近まで、イソップ寓話の源はふたつあると考えてきました。ひとつはギリシャの民間伝承、もうひとつは「パンチャタントラ」というインドの説話集です。これはイギリスの民俗学者ジョゼフ・ジャイコブズの説でした。けれども1950年代にシュメール人についての新しい発見があり、この考えは訂正されました。
 その発見とは、紀元前1800年以前にくさび形文字がかかれたもののなかに、イソップとよく似た形式の、ときには内容まで同じ寓話があったということです。古代シュメールの人々は、世界最古の法典を持つ、教養のある都市民でした。イソップの生きた紀元前6世紀のギリシア人たちは、そのシュメール人の流れをくむものです。
p7

 ふだんなにげなく話の端々に織り込まれるこれらの寓話にも、これだけの歴史が隠れていたのかと思うと、ちょっと背筋が伸びる思いがする。Oshoはまた別な視点から指摘している。

 8番目。「イソップ寓話集」。さてイソップというのは実は歴史上の人物ではない。そういう人間は存在しなかった。これらの寓話はみんな、仏陀が説教の中で用いたものだ。アレキサンダーがインドに来てそれらの寓話が西洋にもたらされた。もちろん多くの点が変更された。仏陀という名前までだ。
 仏陀は「菩薩(ボーディサットヴァ)」と呼ばれていた。仏陀は覚者には2種類あると言った。一つは「阿羅漢(アラハット)」。自らのブッダフッドを達成して、他の誰のことも気にしない者のことだ。そしてボーディサットヴァ。ブッダフッドを達成し、道を求めている他の者を懸命に助けようとする者だ。「ボーディサットヴァ」こそ、アレキサンダーによってボーディサットとして伝えられた言葉だ。それからその言葉は「ヨセフス」となった。その後「ヨセフス」から「イソップ」になる。イソップは歴史上の人物ではない。だがその寓話は途方もなく意味深い。これが私の教の8番目の本だ。
Osho「私が愛した本」p49

 検索してみれば「イソップ寓話集」の紹介本はいろいろあるようだ。また、上にあげた代表的な誰でも知っているイソップ物語だけではなく、もっともっと多くの物語が集められている。1982年に小学館からでた「イソップ寓話集」には350を超える物語が集められている。

 インドには、大多数が動物寓話からなる教訓物語「パンチャタントラ」(後3~4世紀ころ成立)があり、古来約60種もの言語に翻訳されて世界文学のひとつに数えられています。
 この「パンチャタントラ」を研究した著書の中で、その成立は前2~後4世紀と考えました。いっぽう完全な形で残る最古のギリシャの寓話は、ヘシオドス(前700年ころのギリシアの叙事詩人)の著した「仕事と日々」の中で、ヘシオドトス自身が裁判官である王たちにむかって語る、「タカとウグイス」だとされています。
「イソップ寓話集」1982小学館版p243

 Oshoのイソップ=ボーディサットヴァ説もなかなか興味深いが、いざ調べようとすると、間口は広いが、奥はかぎりなく深いのイソップの世界のようだ。イソップはそれだけで一つの大きな研究対象になってしまう。このような世界は、中東やコーカサスのイスラム圏に広がる「ナスレッディン・ホジャ物語」と同じように、急いで速読する類のものではないだろう。また精読する、というのも当たらない。

 折にふれて、ひとつひとつの小話を味わい、自分の中で熟成したものをまた自分なりに組み立てなおし、味わい直していく、という類の物語であろう。

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2009/06/22

人生をいかに生きるか(下)

  <上>よりつづく

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「人生をいかに生きるか」
林 語堂 , 阪本 勝・訳: 1979/11 講談社 307ページ
Vol.2 No.675★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 いかなる文明も、その最後の確認如何は、それが、どんなふうな夫や、父や、母を造り出すかという点にあると、私はむかしから考えている。このきわめて簡単な点に触れないでは、あらゆる文明の事績、すなわち、芸術、哲学、物質的生活といったようなものには、なんの意味もないものとなってしまう。p13

 上巻を読み終わった時の印象を引きづりながら下巻を読みだすと、なんという「俗人」かというような論旨の展開がつづく。

 「個人的経歴」の形にあらわれる一個の理想としての独身生活には、なにか個人主義的なところがあるばかりではなく、ばかばかしい主知主義的な点があって、この後者ゆえに、独身主義は排撃されるべきものなのである。いったん好んで無用の主知主義者となる頑迷な独身主義者や未婚夫人は、その外形的な功績にあまり夢中になりすぎているのではなるまいか。家庭生活のほかのなにかよい代用物のなかに幸福を見出すことができ、深い満足の味わえる知的、芸術的、職業的な興味を求めることができるとでも、信じているのではなかろうか。p22

 1937年、著者が42歳のときに書かれた文章とは言え、2009年の現在、この文書を読んでストレートに支持できるとすれば、かなり偏った信条の持ち主に見られてもしかたないだろう。少子化現象がすすみ、独身生活がどんどん拡大している現代日本においては、「婚活」という言葉さえ登場して、否定の否定は肯定、というような逆転現象が見られる。しかし、ここに書かれているような、一方的に決めつけているかのような言葉はなかなか受け取りにくい。

 たとえば、結婚という制度にすら痛烈なジョークを浴びせ続け、小さな家庭は個になり、さらには個はコミューンのなかに存在するようになるだろう、と預言したOshoにしてみれば、そのビジョンの違いはあまりにも明白である。Oshoサニヤシンの多くは結婚し、子供を中心とした家庭生活を送っているが、いまでもコミューンのなかに暮らしているサニヤシンはそれほど多くはない。

 われわれはいったい何をしようとしているのだろうか。私にはわからない。
 四角い家を建て、順に並べてゆく、樹もないまっすくな道路をつけてゆく。曲がりくねった道や、古風な家などはもはやなく、庭園に井戸のあるようなところはどこにもない。街のなかに私庭があったとところで、そんなものはおよそカリカチュアというものだ。
p151

 林語堂の痛烈な批判精神がいきつくところはどこであろうか。

 「オールド・ボーイ」こと老子は、その「道徳経」のなかで、「不刻の岩」のことをいつも力説している。自然をあまりひねくりまわすことをやめよ、至高の芸術品は、最大の詩や文章と同じく、なんら人工の痕なく、曲水浮雲のように自然で、中国文芸批評家がしばしばいう「斧鑿(ふさく)の痕をとどめざる」ものだからである。p155

林語堂は、他のキーパーソン同様、要所要所において老子を登場させる。しかるに、巻末の解説「林語堂その人と思想」の中で解説の合山究は書いている。

 実際生活においては、彼は勤勉誠実な儒家的人物であり、宗法にはこだわらぬが敬虔なクリスチャンであった。人情に篤く、家庭に温かく、熱誠にあふるる態度で人に接し、尽くることなき情熱を傾けて文学や芸術を語る彼は、老荘的な怠惰や放縦とはいささかも縁がなかったという。道教的な性向は、内面的、気質的な問題として、彼の内部に根深く存在し、文学思想となって奔放に顕在化したにすぎないのである。合山究p305

 老荘が必ずしも怠惰や放縦とは言えないが、「いささかも縁がなかった」と研究者が断定する限り、「人生をいかにいきるか」という大テーマのなかでは、老荘的なライフスタイルは、林語堂という人とは縁がなかったと言っていいのかもしれない。

 宗教や思想方面について言えば、彼は本来クリスチャンであるが、長いあいだ異教徒をもって自認してきた。しかし、59年にはふたたびキリスト教に復帰したことを宣言している。合山究 p304

 上は、1985年生まれ、1976年に81歳に亡くなった著者、74歳の時の心境である。

 私は異教徒である。この声明のうちには、キリスト教に対する反逆的意味が含まれていると思う人があるかもしれない。しかし反逆という言葉は苛烈な言葉だ。私などはきわめてゆっくりと歩みを進めて、すこしづつキリスト教から離れてきた人間であって、そのあいだいに愛と敬虔の念をもって、死力をつくして諸々の教理に取りすがったのだが、残念ながらそれはみんな私から逃げ去ってしまった。反逆という言葉は、かような気持ちを正しく表現しない。つまり憎悪の気持は絶対になかたのだから、反逆とはいえない。p256

 祖父の代より続いたキリスト教牧師の子としてうまれ(p297)に生まれ、一時は上のこのような文章を書いた(42歳)林語堂は、結局74歳の時にクリスチャンになったのだから、当ジャンルにおいては、一応「キリスト教」編に入れておいてもまんざら間違いではない、という結論に達した。

 最良の書は、われわれをこの瞑想的な気分に誘うものであって、事実報告に終始するだけのものではない。この点からいえば新聞閲覧に費やされる莫大な時間は、全然読書ではないと私は思う。なぜなら新聞の一般読者は、瞑想的価値のない事実や事件の報道ばかりに接するからである。p222

 私はいつでも山上の垂訓に還ることができた。「野の百合を見よ。」などという詩句は、なかなか傑作なので、ちょっと疑うわけにもゆかなかった。私に力を与えたのは、この詩句と、キリスト教徒の精神生活の意識であった。p264

 林語堂の本は、時代背景やそのキャラクターを勘案したうえで読み進めていく上では、いろいろな示唆があってなかなか面白い。しかしてまた、Oshoがわざわざ「私が愛した本」の158冊のうちの2冊としながらも、林語堂を「堕落した中国人、キリスト教徒だ。それこそが堕落というものだ。堕落は人をキリスト教徒にする。堕落は腐敗をまねく。すると人はキリスト教徒になる。」p197と酷評していることにも合点がいく。

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2009/06/21

人生をいかに生きるか(上)

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「人生をいかに生きるか」
林 語堂/ 阪本 勝 (翻訳) 1979/11 講談社  文庫: 275p
Vol.2 No.674★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 林語堂と書いて、はやし・ごどう、と読むものと思っていたが、実際はリン・ユータンと読む。語感からすれば、禅語録にでも出てきそうな名前だが、Osho「私が愛した本」を読んだかぎりは「キリスト教」編にふさわしかろうと思っていた。ところが実際に読んでみると、これはむしろ最初からやっぱり「東洋哲学(中国)」編に入れるべきだったのではないか、と思い直した。

 中国人的教養の最高理想はつねに賢者の覚識に立ち、大観の精神をもって人生に処することにあるのである。この心境の曠懐の精神が生まれる。これあるがために、人々は鷹揚な皮肉の味に世をわたし、名声や、富貴や、功名の誘惑をものがれ、最後には甘受することができる。またこの大観の精神から、自由の感覚や、漂浪への愛着、矜持と、洒脱と、平成が生まれるのである。最後にははげしく強く生のよろこびに至りつくことのできるのは、ただこの自由と洒脱の念あるゆえである。p35林語堂

 現在のところ上巻をめくったところだが、この本なかなか面白い。なかなかジャンルにはまらないカテゴリー・エラーな魅力がむんむんしている。どこかOshoの話題に通じるところさえ感じてしまう。ところが、Oshoの評価は辛い。

 林語堂はその著「人生にいかに生きるか」の中で、さまざまなことについて美しく書いている---死を除いてだが。ということは<生>は含まれていないということだ。<生>は、死を招じ入れた時に初めてやって来る。死がなくては無理だ。生と死はひとつの硬貨の両面だ。一方を拒否して他方だけを手に入れることはできない。しかし彼は美しく、芸術的に書いている。彼はまちがいなく現代の最大の著述家のひとりだが、何を書いてもそれは単なる空想、純粋な、純粋な空想に過ぎない・・・・単に美しいものごとについて夢を見ているにすぎない。時には、夢が美しいものであることもある。夢がすべて悪夢であるわけではない。Osho「私が愛した本」p198

 林語堂は決してその著書のなかに死という単語を使っていないわけではない。すくなくとも、現代人が日常に使う程度以上に死は意識されている。

 人間これ必滅の肉体---この事実の結果としてつぎのような重大なことが起こる。第一、いつかは死なねばならぬ。第二、胃というもの、強健な筋肉というもの、好奇的精神というものがある。これらの事実は、基礎的なものであるから、人類文明の性質に深甚な影響をおよぼす。あまり明白なことなので、誰も考えてみたものがないが、これらのことをはっきりと知らなければ、人間とその文明とを理解することができない。p92林語堂

 当ブログは右往左往しながらも、自前のプロジェクト「G・O・D」を通じて、「死」に接近中だ。むしろ、これを避けてはもう当ブログは前進できないところまで来ている。林語堂は、ちょっとしか読んでいないが、積極的に「死」を「語って」いるように思う。

 「人生をいかにいきるか」は、<生>とは何の関係もなく、また芸術とも何の関係もないが、それでもやはり偉大な本だ。それは、読む者が本の中に吸い込まれてしまうという意味で偉大だ。人はその中で迷いかねない。まさに鬱蒼たる森の中に迷い込むようなものだ。空には星、あたりいっぱい樹ばかりだ。道もなければ、人の通った跡もない。どこに行く当てもない。Osho「私が愛した本」p198

 本格的な酷評だ。Oshoが取り上げているもう一冊の林語堂の本「中国の知恵」はまだ見つけていないが、検索してみれば、林語堂の本は結構ある。もっと冊数を読んでみないと、当ブログとしては結論はだせない。

 通常、関連本を読もうとした場合、なんとなく億劫だなぁ、と思う場合と、お、これは面白そう、と全然苦にならずに読み進めることができる場合がある。林語堂については、まだひとつの本の半分を読んだに過ぎない。だから、まだ初期的な面白さが効果的に感じられているのかもしれない。もっと読んでみたい、と思う。何冊か、10冊とか20冊とか読んだあとに、私はどんな読後感をもつのだろうか。

 それは人をどこにも導かない。それでも私は、これを偉大な本だと思う。なぜか? それは、この本を読むだけで、人は過去と未来を忘れ、現在の一部になるからだ。林語堂がはたして瞑想というものを知っていたかどうか私は知らない・・・・不幸にも彼はキリスト教徒だった。そのため彼は、道教の僧院にも、仏教の寺院にも一度も行かなかった。ああ、彼は自分が何を見逃しているのかを知らない。Osho「私が愛した本」p198

 私の読んだかぎりではここまではとても言えない。いやぁ、そんなことはないんじゃないか、とさえ思う。

 私自身の目で人生を観察すると、人間的妄執のかような仏教徒的分類は完全だとはいえない。人生の大妄執は2種ではなく3種である。すんわち名声、富貴、および権力。この3つものを一つの大きな妄執に包括する恰好の言葉がアメリカにある。いわく、「成功」。しかし、多くの賢明な人々にはわかっていることであるが、成功、すなわち名声、富貴に対する欲望というのは、失敗、貧困、無名に対する恐怖を婉曲にいい現した名称であって、かような恐怖がわれわれの生活を支配しているのである。p174林語堂

 林語堂はエマーソン、ホイットマンやソローなどのアメリカの詩人にも言及するし、キリスト教にも言及する。あるいは当然のごとく中国の哲人たち、老子、荘子、孔子、陶淵明、柳宗元にも言及する。

 中国には、儒教、道教、仏教の三宗教があて、いすれも壮大な組織を持ってはいるが、中国人特有の強靭な常識は、どの宗教も微力なものにしてしまい、人生の幸福とはなんぞやという、平凡な問題に引き下げてしまった。だいたい中国人は、あまりつきつめてものを考えなることをしないし、ある一つの観念や、信仰や、あるいは哲学の学派を、心底から信頼をすることをしない人間である。p50林語堂

 老荘思想に比して、儒教や孔子に圧倒的な距離をおいているOshoと、キリスト教的環境を生き抜いた林語堂が老儒折半的な態度をとることには、おのずと、互いの立場に違いが見えてくる。

 彼は「バイブル」を、つまり世界一の三流本を読んでいた。その中のふたつの小部分、「旧約」の「ソロモンの歌(雅歌)」と、「新約」の「山上の垂訓」を除いてだが。このふたつを取り除いたら「バイブル」はまさにがらくたにすぎない。ああ、彼が少しでも仏陀を、荘子を、少しでもナーガルジュナ(竜樹)を、カビールを、アル・ヒラジ・マンスールを・・・・少しでもこういう狂人たちを知っていたら----そのとき初めて科rえの本は真摯なものになっただろうに。彼の本は芸術的ではあるが真摯ではない。誠実ではない。Osho「私が愛した本」p199

 「バイブル」をここまで言ってしまう人は多くない。むしろ一般的な常識では、Oshoのほうが少数派だ。「ソロモンの歌」と「山上の垂訓」はOshoのお気に入りだから、近いうちに目を通しておこうと思う。

 成功欲は失敗の恐怖の別名だと、きわめて聡明に考えてしまうと、成功欲そのものは消滅してしまう。大成功すればするほど、人は失意に対して恐怖をいだく。名声に対する夢覚めはえれば、大いなる逃避の利を悟るにいたる。老子的見解からいえば、悟達の士とは、成功とは成功とは思わず、失敗を失敗とも感じない人のことである。これに反し、そこまで悟れない人の特徴は、外見的な成功や失敗が絶対真実のものと考えてしまう点にある。p266林語堂

 本書が「人生をいかに生きるか」(The Importantce  of  Living, 1937)というタイトルの一冊であってみれば、要領よくこの世を生き抜いていく処世訓が展開されていたとしても、必ずしもこの一冊だけが糾弾されるべきものでもなさそうだ。

 林語堂は<生>のことなど何ひとつ知らない。死について何も知らないのだから。中国人であるにもかかわらず、彼は堕落した中国人、キリスト教徒だ。それこそが堕落というものだ。堕落は人はキリスト教徒にする。堕落は腐敗をまねく。すると人はキリスト教徒になる。Osho「私が愛した本」p197

 ここにおいて、論点は非常に微妙なところにやってきた。Oshoは生きるということは、死を知り生を知ることだ、とする。それには瞑想が必要だとする。林語堂は、人生を幸福に生きるには、ユーモアが必要だとする。

 叡智、言葉をかえていえば、最高のものの考え方は、われわれの夢または理想主義を、現実に根ざすすぐれたユーモアの感覚をもて和らげる点にあるのである。p41林語堂

 林語堂の「ユーモア」論も捨てがたいし、Oshoの死と生をくぐりぬける「瞑想」の道も、必ずしも容易なことではない。たしかに自分の中にも、林語堂の中に逃げてしまいたくなる部分は存在する。もし、それで満足するなら、結局は、自分はそれまでの存在だったのだ、ということになるのだろう・・・・、か。

<下>につづく

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2009年上半期に当ブログが読んだ 新刊本ベスト10

2008下よりつづく

2009年上半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10

第1位
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「現代アート、超入門!」

藤田令伊 2009/03 集英社  新書 204p

第2位
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「『場所』論」

丸田一 2008/12 NTT出版 単行本 271p

第3位
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「クラウド化する世界
ニコラス・G.カー /村上彩 2008/10 翔泳社 単行本 313p

第4位
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「オバマ演説集」 
バラク・オバマ /English Express編集部 2008/11 朝日出版社 単行本 95p 付属資料CD1

第5位
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「今、ここからすべての場所へ
茂木健一郎 2009/02 筑摩書房 単行本 251p

第6位 
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「図書館・アーカイブズとは何か」
粕谷 一希、菊池 光興、 長尾 真、他多数著  2008/11 藤原書店 単行本 295p

第7位
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「進化するグーグル

林 信行2009/1 : 208ページ 青春出版社

第8位
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「1Q84」 
村上春樹 2009/05月 新潮社 単行本 554p

第9位
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「神秘家の道」

OSHO /スワミ・パリトーショ 2009/03 市民出版社 849p

第10位

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「英文学の地下水脈」
小森健太朗 2009/02: 東京創元社 単行本 244p

次 点
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「デジタル・ナルシス」
西垣通 2008/12 岩波書店 文庫 281p

2009下へつづく

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2009/06/20

オバマ演説集

オバマ演説集
「オバマ演説集」
バラク・オバマ /English Express編集部 2008/11 朝日出版社 単行本 95p 付属資料CD1
Vol.2 No.673★★★★☆ ★★★★★ ★★★★☆

 オバマ関連本についてはもう少し読み込みたいと思っていたが、なかなかうまくいかない。他のテーマが続行していて、新たなテーマに切り替えることが難しい、ということと、オバマは扱い方が難しいということが理由だ。

 オバマ個人のキャラクターの素晴らしさはすでに周知の事実だが、実際にこれからの現実的な課題をどのように切り開いていくのかは、一筋縄ではいかないからだ。それらの動きにいちいちコメントを加えることは、うろうろきょろきょろが持ち味の個人ブログでは扱いきれない思いものがある。ましてや、出版された印刷物や、一般に流通している情報は、私たちに届くまでに加工されているので、心から真剣になる、ということはできない。

 それでもやっぱり図書館にオバマ本が並んでいれば自然に手がでる。この本にはCDがついている。対訳で英文に目を通しながら耳からオバマの演説を聞くことができる。意味は右ページに日本語で書いてある。すでにテレビや他の本で知っている内容だが、今日も思わずホロリと涙をこぼしてしまった。

<2>につづく

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神の慰めの書

神の慰めの書
「神の慰めの書」
マイスター・エックハルト /相原信作 1985/06 講談社 文庫 350p
Vol.2 No.672★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 マイスター・エックハルトは13~14世紀のドイツのキリスト教の神学者だった。この本を読んでいて、自分はエックハルトと同時代人でなくてよかったな、思った。もし同時代人としてこの本を読んだら、トンデモ本の一冊として嘲笑するか、とことこん巻き込まれてしまうか、どちらかだったに違いない。

 人間や、その精神を取り巻く環境は、21世紀の現在、ほとんど想像もつかないようなギャップが存在するはずだ。いまでこそ一定の距離を持って眺めることができるけれど、この本はとてつもない磁力を持っている。異端として禁書になってしまったことに、なるほど、と納得さえしてしまう。

 エックハルトは教育を受けなかった。多くの神秘家が無教育だったというのは不思議だ。教育はどこか間違っているに違いない。そして人が神秘家になるのを妨げている。確かに、教育は破壊する。幼稚園から大学院まで、25年間というもの、教育は人間の中の美しいもの、美的なものを破壊し続ける。蓮の華は学問によって押し潰される。薔薇はいわゆる教授、教師、総長というような人間たちに殺される・・・・なんともまた素晴らしい名前を自ら名乗るものかね。
 真の教育はまだ始まっていない。それは始まらければならない。それは頭の教育ではなく、心(ハート)の教育になる。男性的なものではなく、女性的なるものの教育だ。
p124

 Oshoは、エックハルトは、東洋で生まれるとよかっただろうに、と残念がる。

 この本をめくってしまえば、当ブログ「私が愛した本」「神秘主義」編の15冊を読了したことになる。振り返ってみれば、ほとんどがグルジェフと神智学系のものであり、エックハルトをこのジャンルに入れたことは、ちょっと間違っていたかもしれない。そもそも、東洋においては「神秘主義」なんてことをことさら強調しなかった。人生そのものが神秘だった。西洋におけるキリスト教の影響がやたらと聖書を中心とした体系を強調していたので、直感を大事にしたエックハルトは、西洋の異端になってしまった。。本来は、キリスト教そのものを変革するエネルギーになるべきだったのだ。

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ヤーコブ・ベーメの召命

ヘルマン・ヘッセ全集(第11巻)
「ヘルマン・ヘッセ全集」第11巻 <1> ヤーコブ・ベーメの召命
ヘルマン・ヘッセ /日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会 2006/04 臨川書店 全集・双書 346p
Vol.2 No.671★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★★

全16巻の全集で、昨年「第44回日本翻訳出版文化賞」を受賞した。造本もしっかりしており、白と緑を基調としたデザインも、清楚なヘッセによく似あう。ゆっくりヘッセの世界に遊ぶには最適な新刊。今回はOsho「私が愛した本」のなかの「ヤコブ・ベーメ」を探していてこの本と出会った。もともとは1922年にヘッセが「新チューリッヒ新聞」に発表した記事で、3頁ほどの小さなコメントだ。

 中世末以来、その人生において精神的な召命が、昔の聖者の時代の伝説のようにわかりやすく美しい比喩的な言葉で述べられている人たちについての記録はもう非常にまれにしか見られない。それでわれわれは、日常生活の事柄が変容した新たな輝かしい意味を持って蘇るような、あるすばらしい物語に耳を傾けようと思う。その珍しい例とはドイツの哲学者、ゲルリッツの靴職人ヤーコブ・ベーメの召命であり、アブラハム・フォン・フランケンベルクの手記によって伝えられているものである。p326

 Oshoは、ベーメについてやはり3頁にわたって述べている。

 ベーメが言っていることはわずかだ。ほんの少しだ。彼にはたくさんのことは言えなかった。だが恐れることはない。私が言及しておきたいひとつは、「ハートこそ神の寺院」ということだ。ベーメ、その通りだ。それはハートだ、頭ではない。「私が愛した本」p126

 ヤコブ・ベーメが37歳のときに初めて書いた本で、しかも代表作と目される本は「黎明(アウロラ)」という一冊になっている。

 35歳になってはじめて、神の光に触れられたこの体験が、彼の心の中で非常に強く蘇ったので、このことを決して忘れないために、最初の啓示の光の内容を、本に書き記しはじめた。そして1612年に最初の本が完成した。彼はそれを「黎明」と名付けた。p328

 当ブログではベーメを「神秘主義」ジャンルに分けたが、「キリスト教」ジャンルに入るべき一冊かも知れない。

<2>につづく

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脳とコンピュータはどう違うか

脳とコンピュータはどう違うか
「脳とコンピュータはどう違うか」 究極のコンピュータは意識をもつか
茂木健一郎 /田谷文彦 2003/05 講談社 新書 207p
Vol.2 No.670★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 当ブログは表題のようなテーマに強い関心を抱いている。「脳とコンピュータはどう違うのか」「究極のコンピュータは意識をもつか」というテーマに関心を持たない人はいないだろう。だが、そのテーマにズバリ答えてくれている本は少ないし、またそのことを明確に理解することも難しい。

 「未来のアトム」を読んだときに、一定程度の結論を得たような気がした。結論はNO。人工頭脳がどれだけ進んでも、身体性を獲得しなければ、人口頭脳は意識を持てない。そして、その身体性を作り出すことはほとんど不可能に近い。

 この「脳とコンピュータはどう違うか」もうすでに6年前にでた本だが、むしろ、茂木健一郎の本はこの時代のほうが本質的で面白そうだ。現在は「意識とはなにか」を読み込み中だが、巻末のリストもなかなか興味深い。

 脳のことをいくら調べても、その素子であるニューロンの振る舞いをいくら調べても、どう考えてもそこに私たちの心という不思議なものが宿るとは思えない。同様に、コンピュータをいくら複雑にしていったとしても、そこに心が宿るとはとても思えない。しかし、それはあくまでも私たちが頭の中で作った「コンピュータ」という理論モデルの中に、心を生み出すような要素がないというだけの話であって、見つは私たちがコンピュータと呼んでいる「モノ自体」が何者なのか、私たちは全く知らないままなのである。(茂木)p77

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2009/06/19

ヒンドゥー教巡礼

ヒンドゥー教巡礼
「ヒンドゥー教巡礼」
立川武蔵 2005/02 出版社 集英社 新書 206p
Vol.2 No.669★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆

 「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」 などを読み進めていくと、すでに亡くなった人々はともかくとして、現在活躍中の関係者、たとえば正木晃、田中公明、森雅秀などの名前が目につく。そしてこの人々の先輩格として、いつも立川武蔵という名前が見え隠れする。当ブログにおいても、「西蔵仏教宗義研究」 などの貴重な資料においても、この人の先駆的な仕事にはお世話になっている。

 しかるに、いつもこの方の名前を聞くと、どうもマイナスな気分になるのは、「インド・アメリカ思索行」(1978)において、当ブログとしては聞き捨てならない長文を記述していることが忘れられないからだ。この侮辱的な記述は、最近発見した「まじめ領事の泣き笑い事件帖」と双璧をなすような内容となっている。

 当ブログは、まったく気ままに図書館の一般開架コーナーから借りてきた本たちをめくっているにすぎない。とはいうものの、それぞれの本が成り立つまでは様々な経緯があり、一様なものではない。だから一元的に並べて、勝手きままなコメントをつけ続けていることには、根本的な欠陥もあり、当然のごとく最初から限界がつきまとう。

 この「ヒンドゥー教巡礼」というタイトルからして、どうも気にくわない、と感じてしまうのは、何も著者の落ち度ではなく、読み手である私の個人的な趣味的な嗜好性ゆえであろうと思う。ただ、いつもはハードカバーが多いこの著者において、新書であることがちょっと目新しく、つい手にとりめくってみることにした。

 そもそもこの方は、なぜに「ヒンドゥー教」を「巡礼」するのだろう。この方はヒンドゥーの神々を崇拝しているのだろうか。純粋に「巡礼」というほどの純粋な内面的な旅路なのだろうか。もしそうだとするなら、巻末の20数冊の「参考文献」のリストなど必要なのだろうか。

 なんだか、自分のやり方が、言いがかりをつけて喧嘩を売っているチンピラに思えてきた(笑)。もっとすっきりと言ったほうがいいのだろう。一人ひとりの人間において、自らの精神性を求める旅路は、個的であり、なおかつ重要な部分はさらに秘められたものであろうと思う。にも関わらず、この方は、「ヒンドゥー教」や「巡礼」という言葉を簡単に使いすぎると思う。

 宗教社会学者やら、社会宗教学者やら、いろいろな学問領域があり、この方も専門としているだろう宗教学などの分野の書物は、必ずしも関わっておられる本人たちの本音が述懐されていることが少ない。事象を研究対象として客観的に見ている傾向があり、その点が、私は好きになれない。いつもそんなイメージを抱えてイライラしていた。

 でもこの本は、ちょっと違っていた。

 1977年の夏、二度目のインド旅行の際、体調を崩してしまった。急激に白髪が増え、洗髪のときには不気味なほど、多くの毛髪が抜け落ちた。そのとき、体調や精神状態が自分の意識や意志とは別のものによって支配されていることを思い知らされた。自分が自分として生きているのは、生まれて以来の、あるいは生まれる以前の太古の時代から意識より一層深いところに積み重ねられてきたものによって突き動かされていることがよく納得できた。p57

 なるほど、1977年の夏とは、まさに、「インド・アメリカ思索行」のなかでプネーのアシュラムを訪問したあたりのことである。

 ノイローゼ状態に陥っていたある日、わたしは、自分の意識の奥にそれまで見ることのなかった何ものかが存在していることに気がついた。と同時に、わたしの意識そのものが、それまでにないほど明晰になっていることにも気がついた。p58

 ノイローゼ状態、とはどういうことを指すのかは一慨には言えないだろうが、御本人がそのようにおっしゃっている限りにおいて、一読者がそれ以上のことについて口を挟むのは、いよいよ礼に失している。これ以上言及するのはよそう。ただ、すくなくとも、1977年夏の当時、この方は自称「ノイローゼ」だったのだ、と、割り引いて考えていくことにする。

 この方の留学先がプネー大学だったので、よくプネーのことが話題にでてくる。この本においても、第3章「ヨーガと供養祭」と第4章「インド哲学とコンピューター」において、大きくプネーという都市について記述している。

 1998年夏、またプネー(プーナ)を訪れることができた。そしてプネー大学のサンスクリット学科長の家で、南インドのチェンナイ(マドラス)からきた数人のバラモン僧に会う機会があった。彼ら全員が長く白い衣を着け、ヴィシュヌ教徒である証のU字形の印を額に描いていた。わたしは、彼らがヴィシュヌ教系の修行者団であろうと思った。だが彼らはヴィシュヌ教徒ではあるが、チェンナイの研究所に勤めるコンピューター・プログラマーだった。p74

 この30年間のインドの人口はほぼ倍になり10億を超えた(p74)という。インドは急変している。BRIcSなどと言われ、中国の経済成長と肩を並べるような社会変革を着手しているようにみえる。しかし本当のところはどうなのだろうか。

 インド人の考え方は神秘的であるとしばしばいわれる。彼らはどこかの時点で言葉、論理を超えて一種の直感の中に自分を投げ入れようとする。それに関してはヒンドゥー教も仏教もかわりはない。そのような意味ではインド人が神秘的直観を重視するということはいえるであろう。p82

 一口にインド人といっても10億の民である。そう簡単にひとつの概念に収まってくれるわけではないだろうが、私たちがイメージするインド人はまさにそういう傾向にある。

 しかしながら、それはインド人が論理をはやばやと放棄してしまうということを意味するわけではない。彼らはその著作はもちろん会話の内容も実に論理的であり、言葉(ロゴス)の世界を整合的に作り上げようと努めている。人間の知の極限まで、その論理整合性を求める努力が行われているのである。わたしはそのような知のあり方を美しいと思ってきた。わたしのヒンドゥー教巡礼はインド人が作り上げた論理の世界の中を探検することでもあった。p82

 この本は、いままで頑なになっていた私の姿勢を軟化させるに十分な一冊であったが、であるならば、と、ふと思う。そこまで地上に降りてくるとしたら、これまでの「立川武蔵」という飛翔は一体なんであったのだろうか。東西のありとあらゆる英知とシンボルを使いながら、与えられた恵まれた環境のなかで、この研究者が40年の年月をかけて熟成したものは一体何だったのだろうか。

 当ブログにおいてはヒンドゥー教やナニナニ地域ということに重きを置かないで、地球人スピリットという大きなくくりで21世紀を生きることを考えている。この方の研究は先駆的で示唆に富む部分も多かったが、どこか最先端を指し示してくれていない不満は依然として残る。

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新潮文庫20世紀の100冊<1>

新潮文庫20世紀の100冊
「新潮文庫20世紀の100冊」 <1>
関川夏央 2009/04 新潮社 新書 213p
Vol.2 No.668★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

(* 緑色表示は近日めくる予定)

1901(明治34年)「みだれ髪」与謝野晶子

1902「クオーレ」E・デ・アミーチス

1903「トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す」トーマスマン

1904「桜の園・三人姉妹」チェーホフ

1905「吾輩は猫である」夏目漱石

1906「車輪の下」ヘルマン・ヘッセ

1907「婦系図」泉鏡花

1908「あめりか物語」永井荷風

1909「ヰタ・セクスアリス」森鴎外

1910「刺青・秘密」谷崎純一郎

1911「お目出たき人」武者小路実篤

1912「一握の砂・悲しき玩具」石川啄木

1913(大正2年)「赤光」斎藤茂吉

1914「高村光太郎詩集」

1915「あらくれ」徳田秋声

1916「精神分析入門」フロイト

1917「和解」志賀直哉

1918「田園の憂鬱」佐藤春夫

1919「月と六ペンス」モーム

1920「惜しみなく愛は奪う」有島武郎

1921「小川未明童話集」

1922「マンスフィールド短編集」

1923「山椒魚」井伏鱒二

1924「注文の多い料理店」

1925「檸檬」梶井基次郎

1926「日はまた昇る」ヘミングウェイ

1927(昭和2年)「河童・或阿呆の一生」芥川龍之介

1928「放浪記」林芙美子

1929「夜明け前」島崎藤村

1930「三好達治詩集」河盛好蔵・編

1931「夜間飛行」サン=テクジュペリ

1932「八月の光」フォークナー

1933「人生劇場 青春篇」尾崎志郎

1934「中原中也詩集」吉田熙生・編

1935「雪国」川端康成

1936「風と共に去りぬ」ミッチェル

1937「若い人」石坂洋次郎

1938「土と兵隊・麦と兵隊」火野葦平

1939「怒りの葡萄」スタインべック

1940「夫婦善哉」織田作之助

1941「人生論ノート」三木清

1942「モオツァルト・無常という事」小林秀雄

1943「李稜・山月記」中島敦

1944「津軽」太宰治

1945「夏の花・心願の国」原民喜

1946「堕落論」坂口安吾

1947「ビルマの竪琴」竹山道夫

1948「俘虜記」大岡昇平

1949「てんやわんや」獅子文六

1950「完訳 チャタレイ夫人の恋人」ロレンス

1951「異邦人」カミュ

1952「二十四の瞳」壺井栄

1953「幽霊」北杜夫

1954「樅の木は残った」山本周五郎

1955「太陽の季節」石原慎太郎

1956「楢山節考」深沢七郎

1957「死者の奢り・飼育」大江健三郎

1958「点と線」松本清張

1959「海辺の光景」安岡章太郎

1960「忍ぶ川」三浦哲郎

1961「フラニーとゾーイー」サリンジャー

1962「砂の女」安部公房

1963「飢餓海峡」水上勉

1964「沈黙の春」レイチェル・カーソン

1965「国盗り物語」司馬遼太郎

1966「沈黙」遠藤周作

1967「火垂るの墓」野坂昭如

1968「輝ける闇」開高健

1969「孤高の人」新田次郎

1970「春の海」三島由紀夫

1971「未来いそっぷ」星新一

1972「恍惚の人」有吉佐和子

1973「剣客商売」池波正太郎

1974「おれに関する噂」筒井康隆

1975「火宅の人」壇一雄

1976「戒厳令の夜」五木寛之

1977「蛍川・泥の河」宮本輝

1978「ガーブの世界」ジョン・アーヴィング

1979「さらば国分寺書店のオババ」椎名誠

1980「二つの祖国」山崎豊子

1981「吉里吉里人」井上ひさし

1982「スタンド・バイ・ミー」スティーヴン・キング

1983「破獄」吉村昭

1984「愛のごとく」渡辺淳一

1985「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹

1986「深夜特急1」沢木耕太郎

1987「本所しぐれ町物語」藤沢周平

1988「ひざまずいて足をお舐め」山田詠美

1989(平成元年)「孔子」井上靖

1990「黄金を抱いて翔べ」高村薫

1991「きらきらひかる」江国香織

1992「火車」宮部みゆき

1993「とかげ」吉本ばなな

1994「晏子」宮城谷昌光 

1995「黄落」佐江衆一

1996「複雑系」M・ミッチェル・ワールドロップ

1997「海峡の光」辻仁成

1998「宿命」高沢皓司

1999「安楽病棟」帚木蓬生

2000(平成12年)「朗読者」ベルンハルト・シュリンク

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2009/06/18

男はつらいよ 推敲の謎<1>

男はつらいよ推敲の謎
「男はつらいよ 推敲の謎」 <1>
杉下元明 2009/05 新典社 新書 159p
No.667★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

第01作「男はつらいよ」1969/08
第02作「続・男はつらいよ」1969/12
第03作「フーテンの寅」1970/01
第04作「新・男はつらいよ」1970/02
第05作「男はつらいよ・望郷篇」1970/08
第06作「男はつらいよ・純情篇」1971/01
第07作「男はつらいよ・奮闘編」1971/04
第08作「寅次郎恋歌」1971/12
第09作「柴又慕情」1972/08
第10作「寅次郎夢枕」1972/12
第11作「寅次郎忘れな草」1973/08
第12作「私の寅さん」1973/12
第13作「寅次郎恋やつれ」1974/08
第14作「寅次郎子守唄」1974/12
第15作「寅次郎相合い傘」1975/08
第16作「葛飾立志篇」1975/12
第17作「寅次郎夕焼け小焼け」1976/07
第18作「寅次郎純情詩集」1976/12
第19作「寅次郎と殿様」1977/08
第20作「寅次郎頑張れ!」1977/12
第21作「寅次郎わが道をゆく」1978/08
第22作「噂の寅次郎」1978/12
第23作「翔んでる寅次郎」1979/08
第24作「寅次郎春の夢」1979/12
第25作「寅次郎ハイビスカスの花」1980/08
第26作「寅次郎かもめ歌」1980/12
第27作「浪花の恋の寅次郎」1981/08
第28作「寅次郎紙風船」1981/12
第29作「寅次郎あじさいの恋」1982/08
第30作「花も嵐も寅次郎」1982/12
第31作「旅と女と寅次郎」1983/08
第32作「口笛を吹く寅次郎」1983/12
第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」1984/08
第34作「寅次郎真実一路」1984/12
第35作「寅次郎恋愛塾」1985/08
第36作「柴又より愛をこめて」1985/12
第37作「幸福の青い鳥」1986/12
第38作「知床慕情」1987/08
第39作「寅次郎物語」1987/12
第40作「寅次郎サラダ記念日」1988/12
第41作「寅次郎心の旅路」1989/08
第42作「ぼくの伯父さん」1989/12
第43作「寅次郎の休日」1990/12
第44作「寅次郎の告白」1991/12
第45作「寅次郎の青春」1992/12
第46作「寅次郎の縁談」1993/12
第47作「拝啓寅次郎様」1994/12
第48作「寅次郎紅の花」1995/12     p3 目次・他 参照

<2>につづく

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「平成宗教20年史」島田裕巳

平成宗教20年史
「平成宗教20年史」 
島田裕巳 2008/11 幻冬舎 新書 237p
No.666★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★☆☆☆☆

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島田裕巳関連リスト(2011/12/09追記)

「世界神秘学事典」 荒俣宏編 1981/11 平河出版社

「宗教の時代とは何だったのか」 1997/3 講談社

「『オウム』 なぜ宗教はテロリズムを生んだのか」 2001/7 トランスビュー

「日本人の神はどこにいるか」2002/6 ちくま新書

「創価学会」 2004/6 新潮新書

「人を信じるということ」 2004/9 晶文社

「不安を生きる」 2005/4 ちくま新書

「宗教としてのバブル」 2006/3 ソフトバンク新書

「オウムと9.11」 日本と世界を変えたテロの悲劇 メディア・ポート 2006/7

「創価学会の実力」2006/8 朝日新聞社

「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」 2007/4 亜紀書房

「日本の10大新宗教」2007/10幻冬舎

「平成宗教20年史」2008/11幻冬舎

「スマホが神になる」 宗教を圧倒する「情報革命」の力 2016/10 KADOKAWA

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 図書館の新着コーナーから3冊の本を借りてきた。偶然といえば偶然だが、この3冊は、それぞれに時代を振り返る新書本となっていた。

 新潮文庫 20世紀の100冊」 このタイトルもなかなかそそられるものがある。1901年から2000年までの新潮文庫の中から、各年に一冊づつを取り出して紹介しようという試みであり、これから文学やら「小説」やらという分野に、ちょっぴり足を踏み込んでやろうという野心を抱えている当ブログには、渡りに船の一冊か、とも思える。しかし、これまでもいくつもリストを作りながら、まだ読了していないものが多数あるので、このリストを読み込んでいくのは、ずっと後のことになるだろう。

 「男はつらいよ 推敲の謎」 こちらもなかなか興味深い。映画「男はつらいよ」は1969年に第1作が封切られてから、第48作が作られる1995年までを、一作一作時代背景を考えながら見直してみよう、という内容である。実はこの映画のシリーズはすべてDVDで手元に保存している。単にテレビ番組をすべて録画しておいたものだが、さすがに大好きなシリーズであっても、一気に48作を振り返ることは難しいだろう。だがいつかはやってみたいものだと思っていた。

 「20世紀の100冊」」における1984年は、渡辺淳一「愛のごとく」が紹介されているが、1985年は村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が紹介されている。なるほど、今話題の新作「1Q84」との関連で読んでみれば、この時代にこの一冊がでていたことは、なにか意味があるかもしれないと、この文庫本をちらちらと読み始めたところである。

 「男はつらいよ」の1984年は8月に第33作「夜霧にむせぶ寅次郎」、12月に34作「寅次郎真実一路」が封切られている。タイトルを聞いただけでは内容を思い出さないのが、根っからのファンでないことの証明でしかないが、それでも、ダイジェストを読めば、ああ、あの映画か、とわかる。あの映画が一般に上映されていたのが、あの1984年という時代であった。

 この2冊。分量といい内容と言い、ちょうどお手頃で、当ブログがネタ切れになったら、このリストを活用させてもらえば、当面の話題には困らないが、今すぐにこの話題に移ってしまったら、当ブログの趣旨がなにがなんだかわからないようになってしまいかねない。とくに「新潮文庫」のほうなどは、一年に一冊の「新潮文庫」という偏りが、良くも悪くも、ブログの可能性を限定してしまうだろう。でも100年間を俯瞰する、という魅力には耐え難い。

 「男はつらいよ」にしたところで、1969~1995年、という「おいしい」年代を俯瞰することになる。勘ぐってみれば、「過激派」から「オウム」までの27年間である。ここを俯瞰してなにもでてこないはずがない。車寅次郎から見た20世紀後半はどのようなものだったのか、いちどは振り返ってみる価値がある。

 さて、こちらの島田裕巳センセイの「平成宗教20年史」も、たくまずして一年ごとに時代を振り返ってみる企画の一冊であった。こちらは平成の20年間を振り返る。1988年から2008年までである。キーワードは「宗教」だ。各団体名が踊り続けるが、あえて言うなら、これは個人史だ。「平成宗教20年<個人>史」というタイトルをつけたほうがよかったのではないだろうか。ましてやその<宗教>とやらは、外面的な、いわゆる<社会学的>な側面ばかりを並べたもので、いわゆる内面的な<意識>や<覚醒>が主テーマになることがないまま、ただただ20年が経過する。

 島田センセイのオン著書は、目についた時には積極的にハイ読することにしている。当ブログ<1>の「人名検索」<し>の欄において10数冊リストアップしておいたが、まだ独立したリストを作るまで至っていない。他に近著もあるようなので、機会があれば、いずれは単独リストに格上げしようと思っている。

 本来、この新書本は立ち読みでめくるにとどめ、ブログにメモする予定はなかった。しかし、最後の最後「おわりに」に至って、これは簡単にメモをしておくことにしようと思い立った。

 あるいは、インドのグルたちも、先進国の信者を集めている。本文のなかで述べたサイババのそうだが、1981年(昭和56年)にアメリカにわたり、オレゴン州で宗教コミューンを建設したオショウ・ラジニーシ(最初は、バグワン・シュリ・ラジニーシと名乗っていた)も、その代表的な人物の一人である。p231

 ドメステッィクな宗教学者が「平成」を語りながら、1981年を昭和56年とまで言いかえながら、インドやアメリカにまで言及しなければならないチグハグさには、相変わらず失笑してしまう。ここがまたこのガク者の持ち味なのだが、この文章に更に続くOshoに関する一文がまた相変わらず一面的な皮相な表記に終始しているのが情けない。せめて「アメリカへの道」でも読みなおして、もっと新たなる視点からの展開がほしい。自ら研究者を名乗るなら、もっと本格的な研究をなさればいいのに、と、陰ながらいつも応援しているのだが、この程度だ。この本、当ブログにおける読書ナンバーVol.2における666冊に当たってしまったのも、何かの縁があるのだろうか。

 今回もやっぱり、この方にはこの歌をプレゼントしたい。 →「ヒロミ」

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回想のグルジェフ

回想のグルジェフ
「回想のグルジェフ」 ある弟子の手記
チャ-ルズ・スタンリ・ノット /古川順弘 2002/01  コスモス・ライブラリ- /星雲社 単行本 398p
No.665★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★★

 当ブログがあらかじめ想定していたグルジェフ&ウスペンスキー関連本リスト」20数冊の最後を締めくくる一冊にふさわしい、読み応えのある一冊であった。このほかにも関連本のいくつかは残っているだろうが、各書巻末のリストを見る限り、主要なものはほとんど手にしたことになる。

 この本、見かけはお手軽な本だが、頁をめくってもめくってもなかなか減らない。変だなぁ、まるでグルジェフ・ワークだなぁ、なんて一人で冗談を言っていた。よくよく見ると、この本が使っている紙質が薄くて丈夫な紙なのである。だから、見かけよりずっと頁数が多い。ざっと見る限り220~230頁程度に思っていたのだが、なんと実際は、400頁を超えなんとする大冊なのであった。

 これでも、第3章の一割を削ったというし、原書にはあった「あとがき」も割愛したというのだから、もともとはもっと濃い~一冊のようだ。しかも、著者のノットはこの本(1961)の8年後に続編ともいうべき一冊「Further Teaching of Gurdjeff」をものしているということだ。こちらも機会があれば目をとおしてみたいものだ。

 私は世界中を旅したが、プリオーレの夕食ほどおいしい食事は他になかっただろう。---食材は世界中から集められていた。スープ、スパイスの効いた肉、鶏肉、魚、とりどりの野菜、最高のサラダ(私たちはそれを野菜ジュースにして飲んだ)、プディング、パイ、豊富な果物、東洋の珍味、香ばしいハーブ、生の玉ねぎ、セロリ。年長者はカルヴァドスを飲み、若者や子供たちはワインを飲んだ。圧巻は肉料理の後の羊の頭で、コーカサス風に調理され、すばらしい味だった。グルジェフは、東洋では羊の目玉は一番おいしい部分とされているとよく客に話し、羊の目玉を分けてその客を持てなした。---もっとも、ほとんどの人は断ったが。食料や調理はすべてグルジェフによって監督され、彼のレシピは無尽蔵にあるように思えた。彼自身が優れたコックであり、何百もの東洋風料理が調理できた。しかし彼自身は決してそうたくさんは食べなかった。私は、これが理想のディナーなのだと、よく思った。夢中になったり無関心になったりすることもなく、食事を味わい、楽しむことができた。p114

 1887年生まれのノットは1923年にグルジェフを知り、その後5年間をグルジェフの門弟として過ごした。その後はグルジェフに距離をおいて、第二次大戦後、自らの出版社も起こしたりしたようだ。

 第3章「オレイジによる『ベルゼバブの孫への話』へのコメンタリー」もなかなか興味深い。当ブログでは「奇蹟を求めて」などで少しだけ触れただけだが、オレイジは、グルジェフの門弟にあって、ウスペンスキーと並び称される人物である。彼自身の著書がすくないので、このようなまとまった文章はめずらしいという。

 さて、当ブログの走り読みによるG関連本リストの中では、当然のことながら、G本人の「ベルゼバブの孫への話」などの「森羅万象」シリーズの再読が必要となるだろうし、ウスペンスキーの「奇蹟を求めて」「新しい宇宙像」「ターシャム・オルガヌム」なども、精読する価値があるだろうと思われる。

 しかし、もっと広い分野の走り読みを続けている当ブログにおいては、なかなか再読や精読の機会がめぐってくるまでにはそれなりの時間がかかりそうだ。ましてや、必ずしもグルジェフ・ワークに参画しようという探究者でもない限り、ここでこのようなかたちでG関連本に関わり続けることは、多少バランスの悪さを感じる。むしろ、当ブログは当ブログとして、これらG関連本の中に足がかりを作っておこう。

 「人間に可能な進化の心理学」
 Oshoが「この小さな本は、サニヤシンすべてにとっての必須の研究対象にならなければならない」と述べており、当ブログにおける「OSHOのお薦め本ベスト10(私家版)」のNo2に位置している限り、この本の再読は必須だ。イントロに比して、後半部分については、かなりの違和感が存在するが、その違和感がどこからやってきているのかを確認しておく必要を感じる。

 の残影」
 当ブログにおける主テーマになってしまっているOshoの「私が愛した本」。その紹介者のひとりである小森健太朗一連の著書の一冊として、この本を読んでみることは興味深い。100年前のGの実像を掘り出すというより、100年後の21世紀の地球人たちが、Gワークを自分たちのこととして、どのように取り組むことができるのか、ということを考える上での、とらえなおしの一冊といえるだろう。 

 「覚醒の舞踏」
 Gワークに直接参入しないまでも、Oshoがあれだけの紹介しているのだから、実際にどれだけの実態があるものなのか常に気になる。この本においては、OshoサイドからGワークへの接近が感じられ、また現在生きているワークの実態をも推測できそうな気分になる。この本の後半部分は十分に読み込んでいないので、もうすこし強く読み込む必要があろう。

 この「回想のグルジェフ」をもって、一連のG関連本の読了としておく。いずれ再スタートする時があるとすれば、この3冊から始まるだろう。

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2009/06/17

グルジェフを求めて

グルジェフを求めて
「グルジェフを求めて」 〈第四の道〉をめぐる狂騒 
ウィリアム・パトリック・パタ-ソン /古川順弘 2003/02 コスモス・ライブラリ- /星雲社 単行本 185p
No.664★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆

 この本もそうだが、今回届いた3冊とも、2000年代初頭の発行である。日本におけるグルジェフ・ブーム(?)は、1980年代初頭にはじまって、90年代に熟成されつつ、2000年代になって、ようやく本格化してきたのだろうか、とさえ思う。 

 著者については4~50歳代のアメリカのジャーナリストというだけで、詳細は知らない。原書が1998年にでているので、欧米においても、さかんにこのようなグルジェフ関連の書物が出版され続けているのだろう。日本においては、大野純一率いるコスモス・ライブラリーという出版社がこの手の本の流通に大きな貢献をしているようだ。

 本書は、サブタイトルの「狂騒」から類推できるように、グルジェフ、あるいはグルジェフ的なものを巡っての、真贋論争である。

第1章 エニアグラムはいかにして市場に現れたか
第2章 <しおり>の人々
第3章 ムラヴィエフ<現象> 
目次より

 本書は大きくこの3つのターマで終結している。第1章のエニアグラムの性格論については「グルジェフ・ワークの実際」「エニアグラム(基礎編)」などもめくってみたが、いまいち納得感がない。エニアグラムを市場に「流通」させようとする潮流には、欧米の軽薄な神秘遊戯趣味が一役買っているようだ。

 そのしおりには、<グルジェフ・ウスペンスキー・センター>の電話番号とともに、グルジェフとウスペンスキーの肖像が神秘的に描かれていた。弟子たちは定期的に書店や図書館を廻り、このしおりを<第4の道>関連のあらゆる書物に挟み込むように指示された。---かくて、「<しおり>の人々」という名称が生じたのだ。何も知らない読者なら、当然、このしおりと、それが挟んであった書物との間に、何らかのつながりがあると思うはずだ。この策略にはまって、8000人もの探究者が、広告の電話番号に掛けることによって、<教え>を「見つけ出した」わけだ。p59

 第2章では、ロバート・アール・バートンによって設立された<友愛団>を、<しおり>の人々、として著者は激しく糾弾するわけだが、もっともという気もする。さまざまなグループが、さまさまな仲間集め方法を編み出すものだが、この手のやり方はありそうだ。

 第3章においては、性格論や<しおり>とはまた次元が違う形で、ボリス・ムラヴィエフを論じている。ムラヴィエフはグルジェフとも出会っているが、その教えには従わず、ウスペンスキーの友人という立場で、その出版活動を助けながら、つねにグルジェフには批判的な立場を保ったようだ。当ブログにおいては、いままでの読書の中でも、この名前に出会ったのかもしれないが、各論的なゴシップなどにはあまり注視しないできた。

 この本を最初に読む人はいないだろうが、いくつかの主要な書物を読んだあとなら、この本の価値もでてくるだろう。本来のグルジェフ・ワークに立ち帰れ、という主張はもっともであろう。しかしながら、インターネットの普及したこの21世紀の現代に生きる「探究者」であるならば、100年前のグルジェフの足跡を有難がって復古することよりも、もっと別な角度でもって、軌道修正する方法があるのではないだろうか、といぶかしくなる。

 著者はもともと、こういう議論における、このような立場がお好きな人物なのであろう。

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グルジェフから40年

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「グルジェフから40年」 ワーク実践のためのガイド
ジョン・フックス /槇野康史訳  浅井 雅志監修 2002/08 アトリエHB 単行本 144p
No.663★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 当ブログとしては、すでに「グルジェフとウスペンスキーの関連本リスト」の20数冊をもって、一連の本は読了としておいたのだが、まだ3冊が未読だった。近隣の図書館にない、というだけではなく、残り3冊は、どこかマイナーであり、各論的なところがある。深追いはしない、という当ブログの姿勢により、もう読まなくてもいいだろう、と決断しかかっていた。

 しかし、この世に存在するのに手にとっていない、というのも何とも不安定なものだから、とりあえず、この3冊の所在を確かめるためのリクエストを図書館にしておいた。すでに数カ月前のことであったので、忘れかけていた。

 にもかかわらず、この「グルジェフから40年」とともに、「グルジェフを求めて」「回想のグルジェフ」の3冊が一挙に届いたのである。驚くやら、有難いやら、うれしいの一言につきる。いつもながら、図書館のスタッフとそのネットワークに対する感謝の念でいっぱいだ。とくに今回は、1000キロも離れた図書館から一挙にまとめて転送されてきた。この地域においては、グルジェフのファンが充実した読書活動を行っているのだろうか。あらためて認識した。

 3冊の中では、この「グルジェフから40年」が一番マイナーな造本の1冊となっている。イーデン・ウェスト・キョウトを主宰し、「グルジェフ伝」の翻訳者でもある浅井雅志が監修をしているが、発行元はアトリエHBというところ。造本もいたって簡素で、質素というべきか。

 章立ても23章にわたっており、「内面の変容」から最終章の「瞑想」まで、それぞれのテーマについて簡潔なコメントがついており、本書の外観は極めてわかりやすい。わかりやすいがゆえに、もともと深遠なイメージのあるグルジェフ&ウスペンスキーの世界が、すこし薄められている感がしないでもない。しかし、本当は濃厚な内容だ。

 もともとは、グルジェフ・ワークを深く学ぶ人々のためのサブテキスト的な存在なのであろうから、具体的なエクササイズやワークなしに、この本1冊を取り出して評価すべきものではないようだ。

 原書についての記述がないのでいつ発行されたものであるのか明確ではないが、著者によるコメントが1988年まで続いているので、この直後に発行されたものであると考えられる。タイトルの「グルジェフから40年」というベタなコピーは、決しておしゃれとは言えないが、実際にワークにかかわった人々においては、深く感動的な意味合いが込められていることだろう。

 第21章 怠惰
 かつてグループの一人ひとりに、「あなたにはどんな弱点があるだろう?」と尋ねてみたことがある。大多数が口にしたのが怠惰だった。ある者はそれを自分の主要な特徴と認めたが、実はこれは私たちすべての生に見られる一つの要因なのだ。私は怠惰とはいったい何なのかじっくり調べたいと思った。その源はどこにあるのだろう? どんな風に現れるのだろう? どう対処できるのだろう?
 p115

 「怠惰」の語源がどのようなものかわからないが、広い世間のどこかには、自らを「怠惰」な者のための存在だ、と主張してやまないマスターも存在している(笑)。 意識をたぐりよせるワークにはさまざまなメソッドがあれど、あちこちごちゃまぜにしてしまうと大変危険なことも多い。自らの道を選び取るうえで、大変重要で難しい問題点である。

 原液に近いゆえに、「混ぜるな危険」の表示をしておく必要がある一冊。

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2009/06/16

1Q84<2>

<1>よりつづく

【重版予約】 1Q84 book 1 【重版予約】 1Q84 book 2
「1Q84 」book 1  book 2  <2>
村上春樹 2009/05 新潮社 単行本 554p 501p
No.661~662★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 ロードサイドのちょっと大きめの書店に、文房具を買うために入ったら、「1Q84」1,2があった。ほう、増刷が完了して出回っているのかな、と、あまり気にしなかったのだが、近所の同じような書店入ったら、こちらは「品切れです」との回答。これはと思い、さきほどの書店に戻って、この2冊を手に取った。

 ようやく(笑)手にした話題本であるだけに、さっそく購入しようと思ったが、そこからは普段の賢明(爆)な消費者マインドに戻った。1890円*2の価値を、私はこの2冊の中に見つけることができるだろうか。すでに図書館にはリクエスト済みだ。あと数カ月は待たされるだろうけれど、いつかは読める。それまで待ってもいいのではないか。

 私が買えば、奥さんも読むことになるので、費用は半減化する。値段はまぁまぁだ。しかし、読み終わったあと、これほどのハードカバー本を保存しておくのも、ちょっと億劫なことだ。BookOffにでも売ればいいのだろうが、そういう文化に我が家は慣れていない。購入した本は長く保存することになるだろう。

 そんなこんなを考えながら、書店の店頭で立ち読みすることになった。小説を立ち読みしてもしかたないのだが、今はそれしかない。うろうろしているうちに、大事な仕事の用件を1件すっぽかしてしまっていた。ありゃぁ、失敗したなぁ、とタジタジだったが、私は私なりに考えた、ということにしておこう。

 立ち読みをしてしまえば、後からゆっくり読むときの邪魔になるのではないだろうか、と思いつつ、どうせ、私の読み方では精読などしないのだから、これでいいじゃないか、という気持ちがないまぜになる。とにかくパラパラとめくり続ける。

 ちらちらと目を通しているうちに、やっぱり主人公の一人天吾は1954年生まれであることを確認した。そして時代は1984年。30歳。この時代、私は私なりのストーリーを持っている。1949年生まれの当時35歳の村上春樹にごちゃごちゃ言われたくないな、などと、変なタイマン張っている自分がいることを発見し、ひとりで失笑した。

 Vijayの日記をみると、1を読了してから、2を読了するまで10日ほどかかっている。これだけの大作である、それは当然であろう。そしてまた、そんなに急いで読んでしまっては、楽しみが減るというものである。それなりにゆっくり楽しむのが小説というものであろう。

 文中に「カラマゾーフの兄弟」のことがでてきた。実は、この小説を今読んでいる。また別なところでは「不思議の国アリス」(鏡の国だったかな)もでてきた。そのほか、リンクさせようと思えば、あの団体、あの事件、あの人物、限りなく出て来て、時代を意識する作家・村上ハルキの姿とオーバーラップする部分も限りなくある。しかし、それらが必ずしも快適とは言えない。

 ある集団の中で育った存在にリトル・ピープルというネーミングがついているようだが、どうも私には事実は小説より奇なりということがあたっているように思う。私にとっては、おなじような存在ならMy Life in Orageのティム・ゲストのほうが、ずっとリアリティがある。

 巻末に、文中では1984年になかった言葉が使われています、という内容のことわり書きがあった。時代の記録人の一人としてなら、この作家を認めざるをえないのだろうが、その時代を生きた一人の人間としては、どうしても他人の口を借りて表現してもらうことを、私はよしとはできない。拙くても、結果的に失敗であっても、ほとんど独り言であったとしても、結局は、自分の口で語りたい。お手軽に消費されるエンタテイメントでは、満足できない。

 などと思いつつ、明日になれば、さっそくあの書店に行って2冊とも買ってくるかもしれない。まだ残っていれば、だが・・・・。

<3>につづく

 

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2009/06/14

死のアート<3>

<2>よりつづく 

死のアート
「死のアート」 <3>
OSHO /スワミ・ボーディ・マニッシュ 2001/04 市民出版社 単行本 401p

 いったん、一人の師を愛したら、その許に留まりなさい。その人に幻滅しても留まれと言っているのではない。幻滅したら、もうその人はあなたの師ではない。そのときには、そこにいても仕方がない。別の師を探しなさい。
 だが、決して心の中に同時に二人の師を置いてはならない。どちらかはっきりさせなくてはならない。これは普通の決断ではなく、極めて重大な決断だからだ。それはあなたの全存在、その質、未来を決定づける。
p148

 いろいろな本が存在している限り、いろいろな読み方があっていいのだが、この人の本は、私にとっては一筋縄ではいかない。読書、という範疇から、するりするりと逃げていく。

 現代人にとっての最大の災いは、入手が可能となった莫大な知識であることは明白だ。以前は手に入らなかった。ヒンドゥー教はヒンドゥー経典とともに、イスラム教徒はイスラム経典とともに、キリスト教徒は聖書とともに生きるのが常だった。人々は隔離され、他の世界の知識に触れるものなどいなかった。物事ははっきりしていて、重なりあうことはなかった。
 今日では、あらゆるものが重なり合い、莫大な知識が手に入るようになった。私たちは、「知識爆発」の時代に生きている。この爆発の中でなら、情報を集め、いとも簡単に、いとも手軽に大学者になれる。けれども、あなたには何の変容ももたらさない。
p188

 これは、30年以上も前の講話であるが、インターネットが当たり前のインフラとなった現在において、まさに「知識爆発」を体験している21世紀の人間社会であるが、ひとりひとりが「大学者」になったとしても、ひとりひとりの「意識」に変容が起こっているわけではない。

 実存の世界は、唯一本物の、真実の世界だ。だから、それと出会わない限り、あなたは異国の地をさ迷い続ける。決して家には辿りつけない。家に辿りつくのは、あなたが実存の最奥の核に入ったときに限られる。それは可能だ。難しいが不可能ではない。骨は折れるが不可能ではない。確かに難しい。だがそれは起こった。私に起こった、だからあなたにも起こり得る。p203

 この本はさっさと読了としてしまいたかった。だが、なかなかそうはいかない。なんどもこの本に戻ってこざるを得ない。

 私はここに、極めてなじみのない奇妙な世界にいる。私はあなたたちに多くのものを与えたいと思っているのだが、あんたたち自身の抵抗に遭って与えることができない。あなたたちの実存にある多くのものを気づかせたいのだが、あなたたちは私に反対するだろう。私はとてもゆっくり、大きく迂回して進まなければならず、直接には事を成し得ない。p216

 マインドのトリックには限りない。

 私がここにいなくなったら、この共同体はさほど楽しいものではなくなるだろう。楽しいものにはなり得ない。だが、そうなって当然だ。私の言葉がそこに残り、人々はそれを繰り返す、そして信心深く私の言葉に従うだろう。だが、それには努力が伴う。たった今、努力はない。あなたたちは私とともに流れいるだけだ。たた今、それは愛の営みだが、後にはある種の達成すべき義務となるだろう。あなたたちは義務感を覚えるだろう。
 あなたたちは私を覚えていて、同じように生きたいと思うだろう。だが、生き生きとした何かが、命が欠けている。マスターがいなくなって残るのは、決まって、死体となったその教えだけだ。
229p

 生きてマスターとあることは稀有なことだ。

 インドでは、人間の意識を4つの段階に分ける。その第1の段階を、通常の覚めた意識という。p256

 この本は決して単層な本ではない。いくつも輻輳したテーマが流れている。なんど読み返しても何度も新しい発見がある。

 私はここに、肉体にいなくなるかもしれない。だがそれは、私の近くにいない人たち、私と一緒にいる勇気のない人たちにとっていなくなる、ということに過ぎない。私が肉体を離れても、あなたが本当の弟子なら私がいなくなることはない。ゲームは続く。私は手の届くところにいる、あなたも手の届くところにいる。それはハートの、意識の問題だ。意識は時間のない状態を知っている、意識は時間を超えている、意識に時間はない。p293

 そうと決めたからには、なにも揺らぐものなどないのだが、それでも道行きは、簡単なものではない。

 フロイトとフロイト派の学者は、人間を意識と無意識で終わりと考えた。人間は、意識と無意識だけではない。超意識の部分もある、。そちらの方がより真実に近い。p306

 いくつも逃げ道がある。話題をそらしてしまうことも可能だし、忘れてしまうことも可能だ。さっさと勝手に終わらせることもできる。

 あなたが客体の世界にいるなら、私は、「主体を探しなさい。そこに神がいる」と言う。あなたが主体の世界にいるなら、「さぁ、超えなさい。神は主体の世界にいない、神は超越している」と言う。やがて人は、捨て続けねばならなくなる。落とし続けねばならなくなる。主体も客体もないとき、物も思考もないとき、この世もあの世もなとき、神がいる。p344

 読むことも、書くことも、忘れることも、覚えていることも、すべてが可能で、すべてが無効だ。

 東洋の聖典と西洋の聖典を調べ、何らかの折衷を見出せなどと言うつもりはない。そうではなく、あなたに実存の内奥に入ってほしいのだ。客体を超えれば西洋を超える。主体を超えれば東洋を超える。すると超越が起こり、そこに総合が生まれる。あなたの内部で総合が起こったら、それを外部に広げることができる。総合は、本や論文や哲学の博士論文ではなく、人間の内部で為されなけばならない。有機的な統一は、有機的な方法でしか為し得ない。p358

 手も足もでない、窮地に落とされる。

 世の古い宗教は、みな抑圧的だった。新しい未来の宗教は、自己表現的なものになる。私は新しい宗教を教える。表現を、生の最も基本的なルールの一つとしなさい。表現したがために苦しむ羽目になったとしても、苦しむがいい。決して敗者にはならない。あなたはその苦しみによって、次第に生を楽しめるように、生の喜びを味わえるようになる。p375

 表現とはなにか。当ブログも「表現」となっているのだろうか。

 涅槃は最後の悪夢だ。あなたは戻れない。 p380

 誰かが私を殺したとしても、すでに死んでいる、ずっと死んでいる肉体を殺すに過ぎない。肉体は大地の一部だ。塵から塵になるだけだ。私は殺せない。生まれる前にも私は存在した。死が起こっても私は存在する。だから、私に何をしたというのだろう? 深刻なものなど何もない、取りたてて重要なものなど何もない。p385

<4>につづく

 

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2009/06/13

意識とはなにか<3>

<2>よりつづく

意識とはなにか
「意識とはなにか」 〈私〉を生成する脳 <3>
茂木健一郎 出版社: 筑摩書房 サイズ: 新書 ページ数: 222p 発行年月: 2003年10月

 今夜は、旅のホテルからブログを書いている。例のETC1000円の旅に誘われて、特に用事のない道を走り、特に思ってもみなかった神社を参拝し、そのご神体となっている山を仰ぎ見る。特に縁もなさそうだったホテルに泊り、ひょんなことで近くのレストランでインド料理を食べる。部屋に戻れば、特にすることもないので、備え付けの雑誌のクロスワードを解いたり、窓からの夜景を見たりする。

 業務用で使っているパソコンは、最近の物騒な世の中でもあり、セキュリティの問題もあるので、持ち出せない。そこで、すでに使っていない古いノートパソコンを持ち出してきて、ホテルの部屋のLANコードにつなぐ。久しぶりの使用なので、いろいろと不都合があり、余計なファイルを削除したり、通信状況を整えたり、する。なんとかアクセスできるようになれば、あとは、やっぱりブログになにかをメモしておこうと思う。

 出掛けに、なにか本を持っていこう、ということになり、読むかどうかわからないが、どこかで時間があいたらと、二冊の本を持ってきた。一冊の新書、と一冊の文庫本。文庫本のほうは「かもめのジョナサン」。最近、なんだかこの本が気になる。新書のほうは「意識とはなにか」。こちらは、現在読みかけで、巻末の文献リストが気になっている。

 近年の脳科学に対する関心の高まり、そして脳科学のさまざまな「成果」を耳にしている人々は、脳科学が、実は深刻な方法論上の限界に直面していると聞いたら、驚くかもしれない。しかし、脳を理解するという人類の試みは、実際絶望的と言ってもよいほどの壁にぶつかっているのであり、その壁が存在すること、それを乗りこえることがきわめて困難であるという事実を、世界中の心ある研究者は理解しているのである。p010

 この本の導入部であり、また、この本のなかにあってもっとも好きな部分と言っていいかもしれない。このようなフレーズをさらっと言ってしまえるところに、茂木健一郎という人の魅力がある。

 旅の途中で思いもよらなかった、ひなびた湯治場のかけ流し温泉に浸かる。近所の爺さんたちが、ちょっと熱めの湯に浸かり、湯船のわきに横になって湯治している。いっしょに真似して横になってみると、これが実にいい。う~ん、極楽極楽。現代の脳科学は壁にぶつかってしまったかもしれないが、田舎の爺ちゃんたちは、昔からこうして温泉に浸かってきた。まもなく往ってしまうだろうが、あんまり難しそうなことも言わずに、じっと湯に浸かり、湯船の脇に横になって、目を閉じている。

 であるなら、私は「かもめのジョナサン」のどこが好きなのだろうか。前半部が好きなことは確かだ。後半は、すこし作られすぎているのではないか。短い小説であるが、この寓話にかぶせて考えてみれば、いろいろ言いにくいことも言えてしまいそうに思う。今日は、どうもそこのところが面白くない。きょうめくっていて、おっと思ったのは、白黒ではさまれているかもめの写真の何枚か。

 いや別にこれがジョナサン本人の画像であるはずがない。ジョナサンはかもめを具人化した小説にすぎないが、写真は本物のかもめだ。かもめはただ飛んでいるに過ぎない。現実のかもめの世界に、ジョナサンなんかいるものか。いるわけがないと知っていたはずなのに、いつの間にか、ジョナサンは、ひとりの探求者となって、立ち現れてきた。かもめの画像を見ていると、「かもめのジョナサン」は実話ではないか、なんて思い始めたりするから、不思議だ。

 明日もどうやら晴れそうだ。入梅のニュースにちょっと気後れしたものの、雨にはあわないですみそうだ。

<4>につづく

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2009/06/12

草の葉<2>

<1>からつづく

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「草の葉」(中)   (下)
ウォルト・ホイットマン /酒本雅之 1998/02~3 岩波書店 文庫 439p 448p
No.659~660★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

鳴らせ、打ち鳴らせ、太鼓(ドラム)よ---吹き鳴らせ、らっぱよ、吹き渡れ、
窓を突きぬけ---ドアを貫き---情け知らずの軍隊さながらなだれこめ、
厳かなる教会のなかへ、そして会衆を追い散らせ、
学者が研究に励む学校のなかへ、
花婿だとて目こぼしするな---今は花嫁相手に幸福になってはいけないときだ、
のどかに暮らす農夫にも、畑を耕し穀物を取りいれるのどかさなんか許してはならぬ、
いざ君ら太鼓(ドラム)を激しく高鳴れ響き渡れ---いざ君ららっぱたちよ耳をつんざき鳴り響け。
(中)254p

 中巻の前半は、ぼく、後半は、わたし、の一人称が混在している。36歳のときに初版が出されたが、改訂が重ねられて72歳まで出版された。まるで、この一冊がホイットマンの人生そのもののようだ。

 決して恵まれた家庭環境とはいえず、農夫や大工をしていた父親から早く自立し、法律事務所の下働きや、まったく無名のジャーナリストとして働いた。政治的な活動を経て、30代半ばにして異例の詩人への転身を図った。同時代人の「森の生活」ソローや、エマーソンなどとの絡みが気になるところだ。

もう限界だ、これ以上は待てない、
わたしたちも船に乗ろう、さあ、魂よ、
わたしたちも嬉嬉として道なき海に乗り出して、
大胆不敵に、未知の岸辺をめざしつつ、恍惚の波を走り行こう、
吹き寄せる風のなかで、(あなたがわたしを、わたしがあなたを、強く抱きしめ、おお魂よ)、
喜びの歌を自在に歌い、自己流で神の賛歌を歌いつつ、
愉快な探検を讃える歌を思うがままに口ずさみつつ。
(下)114

 詩人や哲学者にはよくありがちな男色の噂がホイットマンにもある。兄弟たちも決して幸福な人生だったとは思えない節がある。その中からスキャンダルのひとつやふたつを探し出すことはそれほど難しくはなさそうだ。しかし、詩人は詩人として言葉を残す。生きた人生の記憶を残す。

人は幾らでもいるけれど、君に伝えたいことがあって、わたしは君を選び出す、
君はやがて死なねばならぬ---他人は君に何と言おうと、わたしはごまかしが言えない質(たち)だ、
歯に衣着せず容赦もしないが、やっぱり君が大好きだ---いいかい、君には逃げ道がない。
 (下)p380「ほどなく死んでいく人に」

「さようなら」わたしの「空想」、
ごきげんよう、いとしい仲間、いとしい恋びと、
いよいよこれでお別れだ、行先がどこなのか、
どんな定めに出会うのか、君に再会できるのか、何一つわたしにも分からないが、
ともかくこれで「さようなら」わたしの「空想」。
(下)399p

<3>につづく

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2009/06/11

易経

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新釈漢文大系 63 「易経」 下
今井 宇三郎著 堀池 信夫著 間嶋 潤一著 2008.11 明治書院 1886p
No.656~8★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★★

 図書館の新着本コーナーに「易経」があった。ちょうど、Osho「私が愛した本」の中の易経のことを考えていた時だから、グッドタイミングと思って手にとってみた。しかし、下巻しかないので、上と中はどこですか、と聞いたところ、すでに閉架書庫にしまわれているという。なんと上は1987年、中は1993年にでている。出版されるだけでも20年以上の開きがあり、それ以上のかなりの長期間にわたって準備された本だ。

 なんとも頭の下がる思いだ。これだけの易経の決定版的な本なのに、一度も貸し出されたような痕跡がないのは、ちょっと寂しい。かと言って、私だって、こんな分厚い本、容易に読めるわけではないが、関係者のその努力に敬意を表して、図書館から借りてきて我が家に2週間滞在していただくことにした。

 易経はけっこう好きで読んだことがある。もっとも文庫本だったが、それよりさらにお手軽な宝島出版からでた、秋山さと子解説の「易経」のほうがさらに好きだった。そしてもっと好きだったのは、77年にインドに行ったとき、MGロードで買った、英語版「I-Ching」で、これには占い用の専用のコインが3個ついていた。このコインで結構、易を立てたものである。

 易の原理は、陰と陽、2*2*2=8で八卦とし、ふたつの八卦で8*8=64のシンボルで宇宙観を完結させる。お父さんと三人の息子を陽とし、お母さんと三人の娘を陰として、それぞれの役割を与えている。ただ、むやみに占っても答えはでない。問題の絞り込みが大切だ。

 1980年代の初め、瞑想センターの仲間と易を立てたことがある(というか3個のコインを投げて占ったのだが)。テーマはOsho。1931年生まれのOsho、2001年にはちょうど70歳になる。その時、Oshoはどうなっているだろう、というのが目下のテーマだった。その時でた卦は「革」revolution。新しい酒は、新しい革袋にいれなさいという意味である。

 携帯コンピュータ4級資格者として、唯一私が作ったことのあるプログラムは、易にかかわるもので、これがなかなかコーフンものだった。わが愛機「アレクサンドリア」は、電卓に毛が生えたようなポケコンでしかなかったが、いっぱい夢をくれた。それもこれも、中国5千年の歴史「易」とつながっている、という思いがあったからだろう。

 Oshoは「13番目の本は、中国の神秘の書、『易経』だ。」「私が愛した本」p194としかコメントしていない。

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読まずに済ます村上春樹「1Q84」

Q84
「『1Q84』バカ売れ 読まずに済ます村上春樹」 
「サンデー毎日」2008/06/21 毎日新聞社
No.655★★★★☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 銀行の待合室というのは、なんであれほど週刊誌が魅力的に見えるのだろうか。コンビニや書店で週刊誌なんか立ち読みする気には全然なれない。気に入った週刊誌があれば、すぐ購入して、あとでゆっくり読んだほうが面白い。だが、めったにそういうことはない。それと書店には週刊誌のバックナンバーはないけれど、銀行の待合室には、各誌、過去一ヶ月くらいのバックナンバーが揃っているところが魅力的ではある。

 歯医者に行っても週刊誌があるのだが、なぜか魅力的ではない。品揃えとしては同じようなものなのだが、緊張感が違う。歯医者の待合室にいるのは高齢者が多く、どこか空気がよどんでいる。その点、銀行は、近所の会社の事務員さんがいたり、ネクタイ組もいたり、どこかよそよそしい。その中で、わずかな時間を見つけて読む週刊誌が、なんとも魅力的なのだ。

 私が、一番、自分は悟っている(笑)のではないか、と思う瞬間。それは、仕事にひと段落ついて、まとまった郵便物を、表の郵便局のポストに投函しにいく時。書類をつくるのは私の仕事だが、書類をつくっただけでは私の仕事は完了したことにはならない。通常はファックスやネット送信でほとんどが済んでしまうのだが、郵送の書類も多く、重要度も高い。

 ポストに投函するまでがそうとうに気をつかう時間帯である。間違いなく、雨にぬれたりしないように、落とさないように、キチンと投函しなくてはならない。時には集配時間をチェックして、一番はやく送付できる時間帯を選択しなくてはならない。そのようないくつかの条件をクリアして、郵便物を投函するまでは、私の目的意識はかなり明確なのだが、投函したあとは、結局ふらふらと事務所にもどるだけだから、ほっと一息ということになる。

 ちょうどこの一息、という頃合いに、大通りにでる。そのとおりが実にまっすぐで、遠近法のお手本のような状態になっている。車道があり、歩道があり、両側に商店街がある。そして街路樹が並んでいる。いつもの風景なのだが、小学校の図画の時間に習ったような、まるで遠近法を絵に描いたような風景が、忽然と現れる。そのとき、私はいつも、ふと、足元の地球から、自分の体が浮き上がっているような体験をする。

 すくなくとも、私はこんなに身長が高いのだろうか、と、視点がいつもより高いように思う。地表より、こんなに視点が離れていて、いいのだろうか。目の前に現れる風景は、まるで、曼荼羅図のようだ。バニシングポイントになっている。仕事を終えたという解放感と、あの風景が、あの茫漠とした恍惚感を生み出すのだろう。

 銀行の週刊誌が面白いと思うのは、この郵便局へのポスト出しのあとの解放感とつながっているかもしれない。銀行にいくまでは、それぞれの書類を作ってそろえなければならないので、けっこうな緊張感がともなう。カードで済ますことができるものはたいした仕事ではないが、待ち時間があるような要件は、やはり緊張がともなう。

 銀行についてしまえば、あとは私の番がくるまでは、他にやることがない。なんの憂いもなく、「なにかの」作業ができる。待合室のソファーの上では、週刊誌をめくる以外にほかの作業はなにもないのだ。だから、あの解放感のなかの週刊誌がやたらと面白く感じることができるのかもしれない。

 そして、いつ自分の番がきたり、名前を呼ばれるか分からないちょっとした張りつめた状態。いつその読みかけの記事を止めなくてはならなくなるか分からない、という、ひとつのルシアン・ルーレットのような偶然性。ちょっとした時間に面白い記事ひとつにでもあたればもうけものだ。

 「読まずに済ます村上春樹『1Q84』」。いいなぁ、このコピー。なんだか、こちらの気持ちの図星を突かれているような気分になる。見開き2ページに書かれたダイジェスト。どこまで書かれているのか、本当はこれを読まない方がいいのか、ちょっと不安な気持ちになりながらも、やっぱり読みたい。数千円と数日(以上)をかけてひとつの小説を読むよりも、銀行の待ち時間に週刊誌見開きでそのダイジェストを分かってしまったほうが、めんどうくさくない。

 だけど、今日のテレビのワイドショーの紹介のしかたといい、この週刊誌での取り上げ方といい、当然のことだけど、違いがいくつかある。かたやお茶の間、かたや通勤途上のアダルト層を狙った週刊誌。違いがあって当然だ。であるなら、やはり、お茶の間テレビ派でもなければ、通勤週刊誌派でもない私には、私なりの読み方があっていいはずだ。

 ということで、やっぱり、「読まずに済ます」のは、ますます難しくなってきた「1Q84」である。

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螢・納屋を焼く・その他の短編

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「螢・納屋を焼く・その他の短編」
村上 春樹 1987/09 新潮社 文庫: 189p
No.654 ★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★☆☆☆

 これも子供たちが残していった文庫本なのだが、アレレ・・・という現象が。

 昔々、といってもたかだか14・5年前のことなのだけれど、僕はある学生寮に住んでいた。僕はその頃18で、大学に入ったばかりだった。東京の地理にはまったくといいくらい不案内だったし、おまけにそれまで一人暮しの経験もなかったので、親が心配してその寮をみつけてくれた。p9

 と、出だしがあれば、あれ~、これじゃぁ、「ノルウェイの森」じゃん・・と、?マークで私の脳みそが満杯になった。

 昔々、といってもせいぜい20年ぐらい前のことなのだけれど、僕はある学生寮に住んでいた。僕は18で、大学に入ったばかりだった。東京のことなんて何ひとつ知らなかったし、一人暮らしをするのも初めてだったので、親が心配してその寮をみつけてきてくれた。「ノルウェイの森」第二章

 これって、別人の作品ならもちろん盗作とか贋作ということになってしまうのだろうが、ひとりの作家の短編と長編の一部ということなのだから、これもありかな、と思うが、出版社としては、1粒で2個おいしい、ということか・・・? ふむ~・・・。まさか英語で書いて、別々の翻訳家が日本語に訳した、ということもでもないんだろうがなぁ。

 出版年に合わせて、14・5年前、というところを20年前ぐらい、としたりして、下心見え見えで、アンチ小説ファン(笑)としては、なんだかな~、というちょっと白けた気分。せっかく村上作品を読みすすめてみようと思ったのに、またまた試練が待っていた。これじゃぁ、まともに対応しようとしている自分がアホらしく見えてくる。

 で、今日もテレビのワイドショーで「1Q84」ネタばらしをやっていた。主なる登場人物は4人。天吾という塾講師(実はゴーストライター)と青豆(天吾の10代からの友だちの女性だが、実は暗殺者)、そして10代のアイドル(だったかな? 変な言葉使いをする)と、富豪老夫人(暗殺の依頼者)の4人。二つのストーリーが別々に進行し、やがてシンクロすることによって、新たなストーリーが展開するという。そして、そこに登場するのが謎のカルト教団の教祖だとか。

 ふむ~、ここまでテレビでネタばらししてしまっていいのかな、と思うが、テレビ出演者たちですでに「1Q84」を読んでしまった人物たちは、「大丈夫、大丈夫」と言っていたから、全体としては、この程度のさわりからは想像できないような展開を見せているのだろう。まずはそう願いたい。

 で、彼らのコメントのなかで気になったのは、「現在55歳の主人公はどうなっているのでしょうか?」 などというつぶやきだった。おいおい、それはそれは私の年代ではないか。1Q84を1984年と読み替えることができるとすれば、たしかにあの年代、私にも見おぼえのあるストーリーがある。やはり、これは早めにチェックして、世の中の流れに乗っていかなければならないかな。とにかく、世の中の100万人はすでに読んでいるんだから。

 と、図書館リクエストの順番を見てみると、先日よりは少し減ったが、それでもまだあと345人ほどが前に並んでいる。ああ、これでは、私の番にくるのはいつになるかわかったものではない。書店に行って買い求めようとも思ったが、すでに1巻は売り切れとか。2巻から読むのも変な話だが、当ブログのスタイルではありかな?

 などなど、核ミサイルやパンデミックの話題よりも、小説をみんなでワイワイ読んでいるほうが平和だとは思うがな~。でも、小説を読んだからと言って、核ミサイルもパンデミックもなくならないわけだから、痛し痒しじゃ。

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2009/06/10

死のアート<2>

<1>よりつづく

死のアート
「死のアート」 <2>
OSHO /スワミ・ボーディ・マニッシュ 2001/04 市民出版社 単行本 401p

 またまた操作ミスにより、アップ寸前の記事が一瞬で消えてしまった。一度ならず、二度までもこのような現象がおきると、うん? これは何かあるかな? と思わずにいられない。いや、操作ミスというわけではなくて、実はLANコードのコネクタの爪が折れてしまったために、接続が悪くなっていただけなのだが、しかし、よりによって、この本のアップ寸前で2度までも同じ現象が起こるかなぁ・・・・。

 ということで、気を取り直して、別なLANコードと取り換えて、すこしスローダウンしてこの本を読んでいくことにした。さっさと通り過ぎようとするこちらの下心が、いらぬミスを呼んだかもしれない。

 私が「死ぬ」と言う場合、真の眼目は「強烈に生きる」ということにある。本当に言いたいのは、情熱的に生きなさいということだ。生を全うしてもいないのに、死ねるはずがない。完全な生の中にこそ、死はある。そしてその死は美しい。情熱的に、強烈に、強烈に生きれば、死は自ずとやって来る---沈黙として、深甚なる至福として。私が「死ぬ」と言う場合、生に反することは一切意図されていない。あなたが死を恐れているとすれば、実のところ、生も恐れている。それが、質問者に起こっていることだ。 p75

 「死を学べ、されば汝は生きることを学ぶだろう」というのが「チベットの死者の書」のメッセージだった。当ブログでの進行中の「死」へのアプローチもまさにその意であり、また「私」や「意識」へのアプローチである。

 生は死に反しない。死は生に含まれる---ここが一番大事なところ。もし、正しく生きたかったら、正しい死に方を学ばなくてはならない。生と死のバランスをとり、ちょうどその真ん中にいなければならない。真ん中にいるということは、静止しているということではない。あることを達成すればそれで終わり、すべきことは何もない、というわけにはいかない。それは馬鹿げている。人は、永遠のバランスには達しえない。何度も何度もバランスを取り戻さなければならない。 p92

 たしかに、なにかに「到達」するために、当ブログはちょっと急ぎ過ぎているところがある。はやくこの本を読んでしまおう、このリストを修了させよう、このジャンルを制覇だ、となにか急ぎ過ぎている。すでに「到達」なんてないんだ、ということを認めなければならない。

 一度瞑想に達すればそれ以上必要ない、瞑想の中に留まる、とあなたは考える。あなたは間違っている。瞑想は固定したものではない、それはバランスだ。何度も何度も瞑想に達しなければならない。次第に、瞑想に達するのは容易になっていくが、手中の物のように、ずっと残るわけではない。一瞬一瞬、求めなければならない。そうしてはじめて、瞑想はあなたのものになる。あなたは休めない。「私は瞑想した。もう何もする必要がないとわかった。私は休める」とは言えない。生は休息を信奉しない。それは、完全から更なる完全へと絶えず動いていく。
 いいかね、完全から更なる完全と言ったが、生は決して不完全ではなく、常に完全なのだ。だが、常にもっと完全になり得る。論理的には、こういう言い方は不合理だが。
92p

 この本を引用しはじめたら、この本を丸まんまここに転記せざるを得ないような状態になる。あるいは、この本を本当に「読んだ」ら、読書ブログとしての当ブログは停止するような事態になるかもしれない。Oshoを読むことは、私にとっては、決して単なる「読書」とは言い難い。もし、いつか当ブログが停止するようなことがあったとしても、それは私が「読書」をやめた、とうことにはならない。すくなくとも、この本を読むことだけは、個人的レベルで、もっと微細な内的レベルで、粛々と進んでいくだろう。

<3>につづく

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2009/06/09

ノルウェイの森<1>

【重版予約】 ノルウェイの森(上) 【重版予約】 ノルウェイの森(下)
「ノルウェイの森」(上)  (下)  <1>
村上春樹 2004/09 講談社 文庫 302p 293p
No.652~3★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 この小説を読みはじめる前に、このタイトルになったビートルズの曲を思い出し、当ブログにおいて、ちょうど一年前に「Youtubeで視る聴くビートルズ全15枚」というページを作っていたことを思い出した。当時はすべてYoutubeで聴けたのだが、現在までのところ約3分の2ほどの動画が削除されてしまっている。

 著作権があるものだから、しかたない。あらためてハイパーリンクを貼り直そうかな、とも思ったが、どうせイタチごっこになってしまうので、それはしないことにした。逆にいえば、まだ残っているリンクもあるのだから、それを楽しむことにしよう。

 「ノルウェイの森」は1965年にリリースされた「Beatles / Rubber Soulの2曲目に入っている。残念ながら昨年貼り付けたYoutubeのリンクはすでに削除されているが、あらたに探してみれば、まだまだ動画は別なリンクでアップされていた。いつまで視聴できるか不明だが、貼り付けておこう。

 この小説、私はまったく読んではいないが、すでに我が家は村上春樹におかされていることはうすうす感じていた。文庫本だが1998年に発行された28版というものが存在した。なぜにこの本があったかを奥さんに尋ねると、ちょうどその頃、高校に入学の決まった娘に対して、学校が入学式までの間に読んでみるのもいいだろうという「お勧め本」リストの中の一冊だったというのだ。

 この小説15歳の少女が読むべき本なのかどうかは、現在の私には判断しかねる。当時の奥さんも、机の上に載っていたからついでに読んでみたというが、やはり「子どもにこんな本を読ませていいのかな」と思ったという。どんな本なの?と聞くと「変な本よ」というだけだ。「村上春樹の世界」ってどんな世界?って聞いても、「う~ん、変な世界ね」としか言わない。言えないのかな。それともネタばれしないように配慮してくれているのだろうか。

 同じ年齢の友人宅に遊びにいったとき、友人不在の席でその夫人が言うには、「彼は村上春樹が大好きで、全部本棚にあるわよ」ということだった。彼はそれこそ、この小説の舞台になっている1969年からの付き合いだから、なるほど、ああいう人物の好みがこういう小説で、ひょっとすると、こういう人物のことをハルキニストと呼ぶのかな、と思った。

 この小説を読むには、1969年という時代設定と、それを書いたという1987年という年周り、そして、この小説が読まれるこの2009年という時代の巡りがひとつの舞台装置になってくれるだろう。

 村上春樹は1949年生まれで、小説の主人公ワタナベは1969年当時18歳だから、ほとんど私小説ともいうべきほどの時代体験を反映していることになる。神戸の町を離れ、東京の大学にでてきたものの、時代は1969年である。35年後には「昔、革命的だったお父さんたちへ」などと揶揄される団塊の世代だが、やはり、当時の大学や、社会をとりまく状況は、現在では想像もつかないほど特異なものではあった。いや、この現象は決して日本だけではなく、世界的なものであった。

 もし、村上春樹の世界が、世界にアピールしているとしたら、この同時代性がベースにあるのではないだろうか。ひとくちに「ろっぱち、ろっきゅう」と言われるこの1968~69年、そして70年安保の「敗北感」は、必ずしも日本独自のものではない。第二次世界大戦後のベビーブーマーが世界中で起こした新しいうねりは、たしかに未知の可能性を秘めたものである、と思われていた。

 私は団塊の世代の弟分だから、1969年に高校受験の準備をしながら、赤軍の浅間山荘事件をテレビで見ていた。こたつに当たりながらミカンを食べていたまだ中学三年生の自分は、高校入学後、自分をどのような状況を待っているかなど、気づきもしなかった。その辺のことは、いままですこし書いたことがある。

 村上春樹の小説は「僕」で書かれている。この小説を書いた時37歳。ウォルト・ホイットマンが「草の葉」をやはり37歳当時「ぼく」という一人称で詩に書いている。1987年当時、私は、二人の子供と奥さんを連れてインドに4か月滞在した。当時、この小説がでたことなど、私のまわりでは話題になった記憶もないし、私自身もぜんぜん興味がわかなかっただろう。

 もし自分が15歳でこの小説を読むことになったら、どんな体験をするのだろう。15歳の私が「浅間山荘」をテレビで見るような、「体験」をするのだろうか。中学図書館の司書をしている奥さんもけっして中学生向きのお薦め本としてはみていないようだ。

 ウィキペディアは言う。

 確固たる証言は無いものの、「I was knowing she would」(オレは彼女がそうすると(俗的に言えば「ヤらせてくれる」と)知って(思って)いた)という言葉を早く言った場合に「Norwegian Wood」の発音と似ているためではないか、という説も古くから言われている。

 私はハルキニストでもなければ、小説読みでもないので、その「感想文」をどのように書きとめておけばよいのか、よくわかっていない。「ネタばれ」とやらになってしまってもいけないのでよけいなことは書かないでおくが、たしかに村上春樹の小説は一旦読みだせば、一気に読んでしまいたくなる魔力を持っている。いわゆる「癖になる」という奴か。

1969年、1987年、2009年、と言う象徴的な年代は、青年期、中年期、老年期の象徴でもあろう。18歳というものは青年期のへのイニシエーションの年代であり、37歳も中年期へのイニシエーションの年代だ。そして現在60歳の村上春樹は、三つ目の年代、老年期へのイニシエーションの真っただ中にあると言っていいだろう。

 小説というものが世代に愛されて、村上春樹という現象を一緒に生きてきた世代があるとするなら、まさにその世代は老年期に入ろうとしているのだろう。日本のみならず、同時代のベビーブーマーたちが、ひとつの村上春樹というプラットフォームを使いながら、自らの人生の仕上げをしようとしているのだろうか。

 この小説、映画化が決定したという。私はその映画をみるだろうか。実際にその時になってみないと分からないが、たぶん見ないだろう。すくなくとも封切り館に並んで見に行くということはなさそうだ。その時点での中学三年生でも見にいけばいいのではないだろうか。そういう社会現象が一巡したあと、さも社会学的な視点でもちらつかせながら、ひとくされ言い、自分でも覗いてみたあとに、そしてやっぱり「この映画は別に見なくてもよかったな」と、つぶやくに違いない。

<2>につづく

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2009/06/08

草の葉<1>

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「草の葉」(上) ウォルト・ホイットマン /酒本雅之 1998/01 岩波書店 文庫 411p
No.651★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 若者よ君が今しているのはどんなことだ、
 文学か、科学か、芸術か、恋愛か、
 それともこれらうわべばかりの現実とやらに、政治に、成績に、
 ともかく君の夢や仕事に、真剣にとりくみ、打ちこんでいるのか。

 それも結構---ひとことだって異論はない、何しろぼくはうわべも歌う詩人なのだ、
 だけど、いいかい、うわべなんてあっというまにに衰えてしまう、いわば宗教のために燃やされる薪のようなもの、
 物質がすべて熱を起こすための燃料で、心の焔、地球に宿る根源のいのちを燃やす燃料なら、
 これらうわべのことだって、りっぱに宗教の燃料になる。
p88

 ウォルト・ホイットマン。ぼく、という一人称がよく似合う。英語では「 I 」だろうから、私でも儂でもオイラでも、なんとでも翻訳しようがあろうが、やっぱり、ホイットマンには、ぼく、がよく似合う。

 わたしを締め出したりするのはやめたまえ奢れる図書館たちよ、
 ぎっしり詰まった君たちの書架のどこにもなくて、しかも何よりも必要とされる本を、ぼくがとどけてやるのだ、
 戦争をぶじにくぐりぬけて、一冊の本をわたしは書いた、
 しるされた言葉は取るに足りぬ、言葉のめざす思いこそすべて、
 ほかの本とは絆を結べぬ孤独なやつで、頭でっかちには分かるまいが、
 しかし君たちなら、君ら言葉にならぬ胸底の思いよ、この本のすべてのページに心をときめかせてくれるはずだ。
p74

 わたし、という一人称を使うと、ちょっとフォーマルな感じになる。「アメリカをアメリカたらしめている根源的な作品といわれる、アメリカ文学を代表する傑作」を書いたホイットマン。どこか、150年以上の年月を超えて、オバマ大統領にさえ、その系譜がつながっているかに思えてくる。

 片親がインディアンの混血児が競走に出て競い合おうと軽快なブーツの皮ひもを結ぶ、
 西部名物の七面鳥撃ちには老いも若きも魅了される、
p137

 アメリカといえば、最近はネイティブアメリカンの視点からの歴史見直しがムーブメントになっている。当ブログも十分ではないが、ネイティブ追っかけをしている。たぶん、今後ある地点から鋭角的にそのポイントに入っていって、さらに数百冊を読みこむ必要がでてこよう。大変な作業だがとても大事な作業だ。それでもやっぱり、このホイットマンの詩も忘れてはいけない。

 ぼくは「からだ」の詩人、そして「魂」の詩人、
 天国の愉楽はぼくとともにあり、地獄の業苦もぼくとともにあり、
 前者をぼくはぼく自身に接木して増殖し、後者を新しい言語に翻訳する。
p152

 この詩集の初版は1855年、ホイットマン36歳。実にさわやかな青年像が浮かび上がってくる。

 11番目。これは、光明を得てもいなければ、導師(マスター)でもなく、弟子でもない人間によって書かれた本だ。ウォルトホイットマンの「草の葉」だ。だが何かが、彼の中の詩人を貫いて、通り過ぎた。詩人は竹笛として機能した。その調べは笛のものではない。それは竹に属してはいない。ウォルト・ホイットマンはアメリカ製の笛にすぎない。だが「草の葉」はこの上もなく美しい。神から溢れ出た何かが、この詩人によって捕らえられた。私が知る限り、ウォルト・ホイットマン以外は、ひとりのアメリカ人もそれに触れていないようだ---ほんの一部にすら。他のどのアメリカン人も、それほど賢くはなかった。Osho「私が愛した本」p24

<2>につづく

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2009/06/07

グルジェフ・ワークの実際

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「グルジェフ・ワークの実際」―性格に対するスピリチュアル・アプローチ
セリム・エセル, 小林 真行  2008/12 コスモスライブラリー 単行本: 394p
No.650★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 英語本のタイトルは「The New Spiritual Psychology」で、原書は同じ意味のフランス語である。1995/8~1997/2あたりに、著者が直接回りに集まってきた人たちにティ-チングした内容が編集され一冊になったものである。原書のニュアンスから日本語訳のこのタイトルになるのは、はてどうなのかな、と疑問が残る。グルジェフ性格論に堕して(?)しまうことに危惧も感じるが、高踏に堕してしまって、誰にも手が届かないところに秘蔵されてしまうよりはいいのかなぁ、と思いなおす。

 だから、このような形で「実際」的に一般人に手が届くような形に「翻案」されることも悪くはないのだろうが、その精度は、それこそ実際に試験的に慎重に検証されないと、容易には信頼できない。そのへんのところは誰かのレポートを待つ以外にないだろう。グルジェフ+ウスペンスキーの追っかけをしてはいるが、私にはこの性格論には深く入り込むモチベーションがない。

 翻訳者が著者の経歴について、フランス北東部のアルザス地方にある心理人類学スクールに問い合わせたところ、次のような会話の抜粋が提供されたという。

 質問:「スティーヴン・スチュアートがあなたの特徴を次のように描写していますが、それに対してどうお考えですか? ”セリム・エセルとはヒンドゥー的な情緒を除いたオーロビンドであり、神智学的ながらくたを除いたシュタイナーであり、また覚醒という真実の道を行くための方法論を備えたクリシュナムルティである。これはクリシュナムルティには欠けていたもので、グルジェフが備えていた。”」

 エセル:「こういった言明は、彼がそう述べているというだけです。しかし同時に、彼は私の教え(ティーティング)に関する完璧な知識を持っており、また、私としても、彼が言及している人物のそれぞれが自分の師(マスター)の一人であると見なすことができます。」 p393

 「あなたは苦味のないコーヒーのようなものであり、香りのしないチーズのようなものだ。またトゲのある蓮の花のようなものであり、そのトゲは薔薇にはあった」などと評価されたら、どのような気分になるだろう。そのような評価はどこか嘘臭い。

 「それぞれが私の師(マスター)の一人であった」、という言及も、真実味にかける。それぞれの著書を読んで参考にしました、程度のことなら分かるが、師という言葉を使い、マスターという単語を使うなら、この三者に対して特別密接な関係性を持っていたということになるが、私にはそれは信じられない。真実味がうすい。

 本書においてはスピリチュアリティを「精神性/霊性」と翻訳していて、そのものズバリというよりは、マルチ・ミーニングに逃げてしまい、いまいち切れ味が悪い。寿司もパスタも中華もありますよ、と言われているようで、おいここはドリンクバー付きファミレスか?という疑問も残る。いえいえ、そういうお客様には特別メニューのスペシャル・ルームがあります、みたいな、リスクマネジメント用「言い訳マニュアル」も徹底している感じで、いまいち納得感がない。

 易経にしてもタロットや占星術においても、いわゆる「性格論」はつきものだが、そこからさらに飛翔するアートがある。だから性格論そのものはべつに小馬鹿にしてはいけないが、ここでグルジェフのエニアグラムから新しいいくつかのパターンの性格を生み出して、類型的に判断するのはどうかな、と思う。そのペルソナを打ち破る、というのが目下の課題ではあるのだろうが、意外と人間は自分のつくったワナに自分ではまってしまうことが多い。なにもここで新たなる仮面を作ることもないだろうにな。

 この本、本質的な部分ではないが、属性的な部分において、個人的な特別の意味合いがあるのだが、今回はここには明記しないでおく。いつかどこかに、ひも付きではない形で書くことにする。

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ムラ・ナスルディン物語<3>

<2>よりつづく 
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「ナスレッディン・ホジャ物語」<3>―トルコの知恵ばなし
護 雅夫 (翻訳) 1965/03 平凡社 文庫: 310p

 この本、見かけは小さいし、ジョークの小話集だから、一息で読めるものと勘違いしていた。ところがどっこい、そう簡単には読みこめない。きちんと数えたわけではないが、500以上の小話が収録されているのではないだろうか。「世界の日本人ジョーク集」のように自虐的なジョークに苦笑いして終わるような一冊ではない。宮本常一の「忘れられた日本人」を読んだ時のような、ホッとした小さな笑いとともに、深い余韻がズンズンと残る。

 このナスルディン・ホジャ、または、コーカサス・トルコ人の間でモルラ・ナスレッディンといわれる人物は、その名前のもとに集められた数多くの滑稽・頓智ばなし、奇矯な行状記、逸話の主人公、いわば「トルコのオイレンシュピゲール」、「トルコの一休禅師」である。p1

 この本の中では全編よびかけは「ホジャ」になっている。いままで「ムラ」になじんできたOsho本読者としては、やや違和感を感じ続けることになってしまう。「モルラ・ナスレッディン」と呼ばれているのは、コーカサス・トルコ人の間、ということだから、Oshoの引用の仕方は、グルジェフ経由のムラ・ナスルディン理解ということになるだろうか。

 10番目。そしてとうとう最後だ。ちょっと心配だね---だから言おうか言うまいかとすこし躊躇していたのだが---ムラ・ナスルディンだ! この男は架空の人物ではない。彼はスーフィーだった。そしてその墓もまだ残っている。だが彼は、墓の中からさえ冗談を言わずにはいられないような男だった。彼は遺言した・・自分の墓石は、錠のかかった扉だけにするように、そしてその鍵は、海に投げ込んでしまうように、というのだ。

 これは変わっている・・・・。その墓参りに行った人は、そこに壁がないものだから、その扉の周りをぐるぐる回ることになる。そこに立っているのは扉だけで、全然壁がないんだからね! しかもその扉は錠がかかっている。ムラ・ナスルディンという男はその墓の中で笑っているに違いない。

 このナスルディンほど私が愛した者はいない。彼は宗教と笑いはいつも背中合わせだ。ナスルディンは、この両者を、古くからの敵意を捨てて仲直りさせた。そして宗教と笑いが出会うとき、瞑想が笑い、笑いが瞑想するとき、奇跡が起こる・・・・奇跡の中の奇跡だ。

 2分だけもらいたい。

 私はいつでも、ものごとがその絶頂で止まることを愛している。
Osho「私が愛した本」p120

 この本は、予想以上に一気に読めない。いや、工夫すれば、いろいろな読み方ができるということだ。ジョーク集として読むこともできるし、民俗学的にも読むことができるだろうし、イスラム教文献のひとつとしても読むことができるだろう。あるいはひとつひとつのしきたりの教科書にさえなるかもしれない。あるいは項目別に並べて、生活百科のようにさえ使えるかも知れない。少なくとも、一人の人間が残した奇行集だけとはとても思えない。

 ホジャの遺言

 故ホジャが、死期の近づいたのを感じると、友人連中を枕元に呼んで、

 おい皆。人間、死ばかりゃ何とも出来ん。若し神のお召しがあったら、儂(わし)を真逆様(まっさかさま)に埋めとくれ。

とたのんだげな。理由を訊いたげな。

 こうしてくれたらば、この世がひっくり返るそのときにゃ、儂ゃ真直ぐに立てるでの。

と答えたげな。 p275

<4>につづく

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2009/06/06

疾走する精神

疾走する精神
「疾走する精神」 「今、ここ」から始まる思想
茂木健一郎 2009/05 中央公論新社 新書 201p

No.649★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 精神やら思想やら意識やら脳科学やらクオリアやらと、なかなか忙しそうな八面六臂の大活躍だが、こちらは「中央公論」に2007/1月号~2008/8月号に「新・森の生活 多様性を科学する」として連載されたエッセイ集がまとめられたもの。著者の著書一覧を見ると、実によくまぁ、書きまくっているものだ、と呆れるほどの多筆ぶりだ。

 ひとつひとつが連載エッセイだから、ニーチェ、ソロー、タゴール、ダーウィン、マルクス、などなど、さまざまな気になる人々の言節を引っ張り出してきては、著者の思惑を展開している。面白いと言えば面白いが、呆れると言えば呆れる。結局、この人、何を言いたいのやら。

 書店にいくと、最近の私なら、勝間和代とこの人の新刊がやたらと多いことが気になる。勝間にしても、本当は、この人に言ってもらわなくても、別に他のソースから分かっているはずなのだが、あえて、この時期、この人に言ってもらいたい、というマーケットのニーズがあるのだろう。

 こちらの茂木ブーム(と敢えて言っておこう)も、本当は茂木健一郎に言われなくても、すでに分かっていることでも、この時期、敢えて茂木に言わせようという風潮があるのではないだろうか。これは出版界の陰謀でもあり、読書人の怠慢でもある。それを知って、うまくその神輿に乗っている御本人も、どこまでしたたかなのか、うぶなのか。

 100年に一度とか言われる不況の日本にあって、出版マーケットでは茂木健一郎というクオリアが商品化されて、節操もなく消費され続けている。せめて粗悪品ではないことを願う。

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2009/06/05

ウェブはバカと暇人のもの

ウェブはバカと暇人のもの
「ウェブはバカと暇人のもの」 現場からのネット敗北宣言
中川淳一郎 2009/04 光文社 新書 245p
No.648★★★☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆

 いろいろなデータから推測するに、もっともネット空間のヘビーユーザーが多いのは、30歳を頂点とする世代であろう。20歳前後はよりケータイへの依存度が高いだろうし、50歳以上の世代は、ネット空間では一把ひとからげにされ、よりテレビや新聞文化になじんでいるはずだ。そのなかにあって、これら1970年代生まれの世代が、ひろゆきといい、こちらの著者といい、自虐的な結果論をまとめざるを得ないというのは、ちょっと皮肉であるな、と思う。

 ネット空間についてはさまざまな意見があり、結果としてこのような形の結論に達してしまうだけではなく、最初っから批判的な動きがさまざまある。だから、ひとりふたりがこのような結論に達してしまったとしても、別に驚かないが、なぜに著者がこのような結論になってしまったのか、ということには関心がある。

 で、著者は、暗にトフラーの「第3の波」を引用する形で、第1の農業革命、第2の産業革命、そして第3の情報革命を引っ張り出してきて、批判的にとらえているわけだが、それは、どっかで勘違いしてしまっている部分があるように思う。

 農業革命において、人類が地域に定着した生活を送るようになったからと言って、決して弥生文明が縄文文明より優れている、というわけではない。また産業革命が都市の集中した生活空間をつくり出したとしてもアーミッシュの人々のように、積極的にそれを拒否して、旧来の生活を守ろうとしている人々が遅れている、とは決して断言できないのだ。

 いわゆる情報革命以前の「あなろぐ」な生活を愛することは何も悪いことではないが、当ブログは、著者のような「あつものに懲りて、ナマスを吹く」ような気分には決してならない。著者は「情報革命」そのものになにかの理想を見つけようとしているようだが、当ブログは、その上に「意識革命」という、もうひとつの概念を持っている。

 農業革命において、人びとの意識はどのように変化したか。産業革命において、人びとの意識はどのように変化したか。そして、このインターネットを中心とした情報革命のなかで、人びとの意識はどう変わっていくのか、どう変わっていくべきなのか、というところに視点を見つける必要がある。そうしないと、著者のような偏屈な「ウェブはバカと暇人のもの」というような結論に達してしまう。「インタ-ネットは貧者の味方!」などという程度なら看過できるが、他人をバカや暇人呼ばわりする前に、まずはご自分の人生の生き方のセンスのなさを痛感されるがよかろう。

 コンテナとしてクラウド化し、コンテンツとしてアーカイブ化するウェブ・インターネット社会に、更なるコンシャスネスとしての新たなる目標を見いだせなければ、著者のような結論に達してしまうことは容易に推測できる。それは、ネット社会とかウェブとか悪いのではなくて、人間そのもの、生き方そのものに、なにか欠点があるのだ。この人は、農業革命のさなかにあっても、同じような愚痴をこぼしただろうし、産業革命の波にさえ、乗れなかっただろう。

 本質は、意識革命の波をつかまえられるかどうかにある。

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僕が2ちゃんねるを捨てた理由

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「僕が2ちゃんねるを捨てた理由」 
西村博之 2009/06 扶桑社 新書 243p Vol.2
No.648
★★★☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 私自身は、2chを拾ってもいないので、捨てることもできない。したがってその「理由」はなにもないが、店頭でこのタイトルが目につけば、一応はパラパラとめくっておこうかな、という気分になる。「2ちゃんねる宣言」とか「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」とか、2chネタ本も何冊か目を通してみたが、世代的に言っても、目的から言っても、この動きとはほとんど当ブログとクロスするところがないのではないだろうか。

 この本で言っていることはよくわからないのだが、なにやら著者ヒロユキが本年1月にその権利をシンガポールとかの会社に売却したとかしないとかのネタのようだが、ほとんどそういう話には関心がない。「理由」もあんまり詳しく書かれてはいないのではないかな。

 銀行の窓口に行って自分の順番がまわってくるまで、備え付けの週刊誌をよく読むのだが、2chなんか徘徊しているより、よっぽど面白いと思う。もちろんプロが書いているわけだし、誇張のしかたがお上手であることは間違いない。ましてや、銀行なんてお堅い空間の中でゴシップを読むのは、なんともその逆説的なギャップが面白いのである。週刊誌数種がおいてあり、バックナンバーが備え付けてあったりすると、あ~、もっと自分の順番が後でもいいなぁ、と思う時さえある。

 銀行の次に歯医者に行ったりすると、また待合室に週刊誌がある。またまた続きを読み始めるのだが、だんだん飽きてくる。週刊誌の存在自体が、銀行の待ち時間と、歯医者の待合室では意味あいが違ってくるのだろうか。とたんに面白くなくなる。それで、しかたがないので、カバンから自分の読みかけの新書を出して読んだりするのである。

 だから2chも、読む空間が違ったり、アクセスする角度が違ってくれば、また別な楽しみ方があるのだろうが、ついぞ、私は2chを面白いと思ったことはなかった。数か月の間、なんとか「慣れよう」と書き込みしたこともあったが、もうそれもすでに忘却の彼方に消えつつある。ただ、いくら匿名とは言いながら、あの自分の書き込みがいつまであのようにネット空間に残ってしまうのだろうか、とすこし気にはなる。

 当ブログ<1>も、こちら<2>に引っ越してからすでに2か月が経過し、ほとんどなんの更新もないのにも関わらず、ずっと定着したアクセス数が続いている。実にあきれる。もし、このまま私が死んでしまって、誰も更新しないままになっても、道端に忘れられたお地蔵さんのように、通りかかる人の何人かは、ネット空間のお地蔵さんにわずかなお賽銭がわりのアフェリエイト・ポイントを与え続けていくのではないだろうか。

 もし2chが売却されただけではなく、倒産あるいは消滅したとして、はて、あの膨大な掲示板の情報はどうなってしまうのだろうか。突然ネット空間から消えるのだろうか。それとも、自然劣化するのを待つのだろうか。自然劣化と言っても雨風にさらされるわけでもないので、サーバーが配給を提供しつづければ永遠と続くのであろうが、突然だれかがぜんぶ削除してしまったら、世の中大変な騒ぎになるかもな、なんて思ったりする。いずれにせよ、2chの騒動には、あまり関心がない。

 まぁしかし、ネット空間のひとつのテストパターンではあっただろうと思う。まったくの無関心とか、「反」2chでもないこともメモはしておかなくてはならない。ネット空間の使い方が違うということくらいだろうか。

  

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死のアート<1>

死のアート
「死のアート」 <1>
OSHO /スワミ・ボーディ・マニッシュ 2001/04 市民出版社 単行本 401p
Vol.2 No.647★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 最近でこそ、一ヶ月に50冊くらいの本を手にしているが、このブログを始める前の10年間ほどは、ほとんど本を読まなかった。読むとしたら、ほとんどがパソコンの技術的な本で、ひたすらインターネットの成長に付き合わされたような10年間だった。1995年の例の事件がひと段落して以来、ほとんど本など読む気がなくなっていたのだ。

 それがひょんなことでパソコンを通じて、「ウェブ進化論」という本に出会い、またまた読書の世界に戻ってきたのだった。私の人生の中での読書生活というものには、そうとうなムラがあって、時には、仕事柄、ちゃんと予算がつけられて、キチンと読むなら、いくら図書を購入してもよい、という境遇にあったこともある。もちろん、だからと言って無限に読めるわけでもなく、限界はあったが、それでも、必死に読み続けていたことも、時にはある。

 実はこの「死のアート」という本が2001年にでていたなんてことは、今回図書館の検索をいじっていて初めて気がついたような状態で、自分なりにちょっと恥ずかしいな、と思った。出ていることさえ気づかなかったのだが、気づいたとしても読まなかったに違いない。本には読むチャンスというものがある。

 今回この「死のアート」も、実はすこし違和感があった。本のタイトルがいまいち納得がいかなかったからだ。もともとは英語で1978年に出た本だが、タイトルは「The Art of Dying  Talk on Hasidsm」だ。講話が行われたのは、「オショウの講話タイトル:年代順」によれば、76年の10月の10日間ということになっている。この英語本は1978年にインドにいた時から初版本を持っていて、タイトルとか、なかなかお気に入りの一冊だったのである。

 すでにこの本を読んでいて、自分なりのイメージを持っていたものだから、この日本語の直訳とも言うべき「死のアート」というタイトルが、どうもいまいち気に入らなかった。原書は「The Art of Dying」だ。だから決してはずしているとは思えないのだが、どうもこの「Dying」を「死」と訳されてしまったことが違和感があった。Deathなら「死」とされてもしかたないが、むしろここは「死ぬこと」とか「死に行くこと」くらいのニュアンスにしてほしかったな、と思う。

 「死」では、本当に死んでしまう。固定的なもう枯れてしまった無生物を連想してしまう。本書のあるところでは「The art of living」p207という単語も使われているが、ここも翻訳では「生のアート」となっている。ひとりの読者のわがままとしては、ここは「生きること」と訳して欲しかった。Lifeだったら「生」と訳されてもしかたないかも知れないが、それではOshoが言わんとしている生き生きした雰囲気が消されてしまっているように思える。

 私は、あなたが成長のアートと呼んでほしがっているのを知っている。そう呼べば、あなたの自我はすこぶる心地よく思うだろう---「それは成長の問題だ。だから、ここに留まって成長しよう」自我は常にそうしたがる。
 私は、意図的に死のアートと呼んでいる。瞑想が死のアートなら、あなたの自我にはショックだろう。
 また、死のアートと呼ぶ方が、より正しいという面もある。自我が育たず、瞑想の中で死んでいくことになるからだ。二つの可能性しかあり得ない---自我が成長し続け、どんどん強くなっていくか、あるいは消えていくか。自我が成長し続け強くなっていけば、あなたは一層泥沼にはまる。さらなる足かせをはめられ、どんどん自我の束縛の中に落ちていく。あなたは窒息するだろう、あなたの生全体が地獄となるだろう。
 自我の成長は癌の増殖だ。癌のようにあなたを殺す。瞑想は、自我の成長ではなく自我の死だ。
p74

 ここでのアートという単語の翻訳され方も、私はあまり好みではない。Artをアートと訳して何が悪いのか、ということになるが、では、なぜ、ここで芸術としなかったのだろうか、と思う。「死の芸術」では、やっぱり重くなりすぎる。そしてその重さだけではなくて、何かが表現されていないように思う。Artという言葉の中に「技術」というニュアンスがあったと思うが、私はこのニュアンスが一番あっていると思う。だから、翻訳には門外漢な一読者ではあるが、無邪気に言わせてもらえば、やはりここは「死ぬことの技術」と翻訳して欲しかった。「アート」では、なんとも軽く、ハイカラな美しさだけが、イメージとして残る。

ーーーーーーーーー

 とここまで書いて、素晴らしい名文(笑)で、さらにどんどん驚異的な展開が続いたのに、パソコンの操作ミスで、ぜ~んぶ消えてしまった。

。゜゜(´□`。)°゜。

 しかたがないので、再現は次回として、今日はここまで。

<2>につづく

 

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2009/06/04

意識とはなにか<2>

<1>よりつづく 

意識とはなにか
「意識とはなにか」 〈私〉を生成する脳 <2>
茂木健一郎 2003/10月筑摩書房  新書 222p

<より詳しく知りたい人のためのブック・ガイド>p219

「物理学とはなんだろうか」(上)(下)朝永振一郎1979岩波新書

「物理法則はいかにして発見されたか」R・P・ファインマン2001岩波現代文庫

「物理学はいかに創られたか」(上)(下)A・アインシュタイン他1986岩波新書

「量子力学」P・ディラック1992岩波新書

Principles of newral scienceE.R.Kandel etc 2000 McGraw-Hill

「From newron to brainJ・G・Nartin etc 2001Sinar Associates 

「心を生み出す脳のシステム」茂木健一郎2001NHKブックス

「言語の脳科学」酒井邦嘉2002中公新書

「脳のなかの幽霊」V・S・ラマチャンドラン他1999角川書店

「世界の名著62ブレンターノ/フッサール」1980中公バックス

「志向性--心の哲学」J・R・サール1997誠信書房

「解明される意識」D・C・デネット1998青土社

「意識する心--脳と精神の根本理念を求めて」D・J・チャーマーズ2001白揚社

「<私>の存在の比類なさ」永井均1998勁草書房

「論理哲学論考」L・ヴィトゲンシュタイン(1982法政大学出版局)

「蘇るチューリング---コンピュータ科学に残された夢」星野力2002NHK出版

Alan Turning:the EnigmaA.Hodes1992Vintage

A new kind of scienceS. Wolfram2002Wolfram Media Inc.

<3>につづく

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2009/06/03

1Q84 <1>

【重版予約】 1Q84(イチ・キュウ・ハチ・ヨン)(book 1(4月ー6月))  1Q84(book 2(7月ー9月))
「1Q84」book 1(4月ー6月)  book 2(7月ー9月) <1>
村上春樹 2009/05月 新潮社 単行本 554p

 テレビのワイドショーなども取り上げているので、関心が湧かないわけではないが、小説嫌いを標榜する当ブログとしては、別に飛びついて読まなくてはならないような本ではない。もともと村上春樹と村瀬春樹違いも、ほんの数年前まで気がつかなかったくらいだから、5年ぶりの新刊とか言われても、あまり食指は動かない。

 でも、当ブログ<1>が「村上春樹にご用心」で終わっている以上、いつかはじっくり読みこみ作業に入ろうと、そのチャンスを狙っているのは事実である。イスラエル賞での受賞の弁もなかなか感動的ではあった。次はノーベル賞、の呼び声も高いが、はてさて、それがどうした、と割と醒めて見ていることは確かだ。少なくとも、私はハルキニストではない。

 ところで、今回のこの小説「テーマはカルト教団とセックス・・・」とかいう中途半端なコピーが流れていると、はてさて、どんな内容なのだろうと、「心配」になるのは事実である。「1984」は、ジョージ・オーウエルが1948年当時に書いた小説で、4と8をひっくり返した年号を使って未来SF小説とした。今回の村上作品は、この「1984」をひとつの伏線にしているのだろうが、9をQとしただけであって、それはどうやら21世紀の現代小説ではなくて、20世紀以前の物語なのだろうか、と思う。いや、これは明らかに1984年と読んでおいていいのだろう。

 はてさて、1984年の「カルト教団とセックス・・・・」云々などと書かれると、気になってしまうのは、仕方ない。いまさら何をおっしゃるかとも思うが、どこからわが身に火の子が降ってくるか分かったものではない。オレゴンのコミューン「OSHO:アメリカへの道」などと、変なひも付きがなければいいな、と願ったりする。

 村上春樹は、1995年の例の事件において、「アンダーグラウンド」「約束された場所で」などの作品をものしているが、これらは小説というより、ノンフィクションというジャンルであろうと思われる。当ブログとしては、あの事件は一小説家の想像力をはるかに凌駕していたのだが、同時代の小説家としては沈黙を守ることを良しとせず、多くのスタッフの手を借りたノンフィクションにまとめた、と解釈している。しかもそれは、事件の核心というよりは、やや視点を外側にずらしたものであったと記憶する。

 大本教事件などについては、 高橋 和巳 「邪宗門」や出口和明「大地の母 」などで知っている程度だが、これらが小説仕立てになっていたことは興味深い。史実と小説がどれだけ誠実にリンクしているものか分からないが、これらの作品に対して大きな批判が湧いていないので、小説として読む限り、大意において、真意をはずしていないのだろうと判断できる。

 さて、そんな視点からネットをググってみると、まずアマゾンのカスタマーレビューは、まずまずそれなりに参考になる。別に文体は嫌いじゃないが、ハルキニストではない私は別に慌てて読むほどではないと判断した。しかし内容がよくわからない。そこでVijay氏のブログ記事「1Q84上巻読了(ネタバレあり) (1) 」を読んで、ようやく少しづつ具体的なイメージが湧いてきたというところだ。実際は、この記事に対するコメントを書こうとしたのだが、長くなりそうだったので、ここに書いてトラックバックにすることにした。

 >今のところ読む限り、何万人になるかもしれない読者が、「コミューン」という言葉や、「瞑想」という言葉に、悪い印象を持つだろうと思うと、暗澹たる気持ちなる。(略)教のおかげて「瞑想」という言葉が、すっかりやばいもののようになっていたあの頃をやっと脱して、スピリチュアル・ブームなんてものもやって来た時代に、だからこそ書いたのだろうけれど、「瞑想」が悪者になるのは、村上春樹じゃないけれど、やれやれ。だ。Vilay

 特定の名称を使うと、変なところからのアクセスが多くなるので、(略)にさせてもらいました。ごめんなさい。「ネタバレあり」とのタイトルだが、小説的推理力のない私としては、内容についてはいまいちわからないが、信頼すべきブロガーのこの感想には、多いに留意しておくべきだと思う。下巻(2)についての感想も気になる。

 それ以降の記事を読んでも、私が危惧するような状況への史実的リンクは少なそうだが、村上春樹的視点が、ハルキニストなる読者層とともに、現代社会に蠢いていくとすると、ちょっと時代に逆行しているのかな、との感想を持った。史実から離れたところで、一小説家のイマジネーションの世界に遊ぶ、というのなら、一読者としては、もっと他に楽しいことがあるので、なかなか村上ワールドまで足が伸びない、というのが本音だったりする。

 また、もうひとつも気になる「池田信夫 blog」であるが、こちらもネタバレなどとの批判的コメントがついているが、私なぞは、ネタバレどころか、全然わからない。いっそ最初から数ページにダイジェストしてくれたら、小説なんぞ(笑)読まなくてもいいのに、と思ったりもする。「ウェブは資本主義を超える」などを手にする限り、著者と当ブログの視点にはそれなりの隔たりがあるが、多面的かつ大量の記事が掲載されており、手ごたえのある信頼すべきブログとして注目している。

 >68万部という空前の売れ行きだが、中身を見ないで買うのはおすすめできない。「池田信夫 blog」

 というご宣託だから、慌ててネット注文などする気はないが、まさか、ここまでブログ記事を書いてしまって、読まないで済ますわけにはいかない。さっそく、うちの奥さんが図書館にリクエストしたので、それに便乗させてもらって1、2とも読んでみるつもりだ。もっとも、すでに予約数は350人に達しており、私たちが読めるようになるまでは数か月かかりそうだ。この本は続刊が出る可能性もあるので、その展開も注視しておく必要があるだろう。

<2>につづく 

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2009/06/02

シャンカラの哲学

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「シャンカラの哲学」 〉―ブラフマ・スートラ釈論の全訳
金倉 円照 1980/10 542p 春秋社
Vol.2 No.646★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★★☆

 この本、手元に3週間あったが、読み込むことができなかった。捲土重来を期す。今回はこの本が身近に存在しており、希望すればいつでも読めるのだ、ということを確認することにとどまった。もっともこのような本は、ひとめくりで理解するような本でもなく、読んでいることを話題にできるような本でもない。じっくり一生をかけて読まれなくてはならないような一冊であろう。

 「ブラーマ・スートラ」・・・・。ブラーマは神として知られており、またそう理解されているが、そうではない。ブラーマは、キリスト教の神の概念、イエス・キリストの4400年前に世界を創造したというあの神の概念とは何の関係もない。こう言って、これを聞いたら、もしかしたらバーダラーヤナでさえあの深刻さを忘れて笑い出すかもしれない、と私は思った。ブラーマとは神の意味ではない。ブラーマとは<神性>を、全存在に・・・・全体に・・・・全体という全きものにあまねくいきわたる<神性なるもの>を意味している。

 スートラとは、単に足跡という意味だ。<神性(ブラーマ)>について多くを語ることはできない。それについて何を言おうと、それはほんの足跡、ヒントにすぎない。だがヒントは橋になりうる。足跡は橋になることができる。そしてバーダラーヤナは、そのスートラの中に橋を創った。

 バーダラーヤナの深刻さにもかかわらず、私はこの本を愛している。「バーダラヤーナの深刻さにもかかわらず」と言わなければならないほど、私は深刻さが大嫌いだ。それでも、この世で最も意味深い本のひとつを書いたということで、私は彼を愛している。「バイブル」の類などバーダラヤーナの「スートラ」にははるかに及ばない。その足下にも及ばないだろう。Osho「私が愛した本」p54 前半部略

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意識とはなにか<1>

意識とはなにか
「意識とはなにか」 〈私〉を生成する脳
茂木健一郎 2003/10月筑摩書房  新書 222p
Vol.2 No.645★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 久しぶりに「シッダールタ」を読んだせいか、いきなりヘルマン・ヘッセ・モードになってしまい、ひたすら小説を読み始めてしまった。小説モードになればなったで面白い世界が展開されており、ひたすらその世界に没頭することになる。なにも途中経過をブログに書きつけることなどなくなる。自らのなから言葉を引っ張り出してくることさえ、面倒くさくなる。とくにヘッセなどを読んでいると、ズブズブとその世界に埋没していく。

 いやいや、これじゃぁ、いかん。小説の楽しみは楽しみとして存在しているが、現在のところ、当ブログの存続も大事なことである。中途半端であれ、暫定的であれ、独断であれ、時に拙速のそしりは免れないとしても、ブログにはブログの用途がある。せめて、1日に1エントリーは書きこめる程度の密度で、ネット社会と付き合っていきたいと思っている。

 やはり当ブログにとっては新書本クラスのターゲットが一番扱いやすい。量的にも適当、書かれているスタイルもまた読みやすい。店頭に並んでいるものなら今日的な時事性にも富んでいる。特に最近話題になっている執筆者などは、当ブログのオカズにはぴったりだ。

 そんなわけで、この「意識とはなにか」をだいぶ前に図書館にリクエストしていたのだが、なかなか私に順番がまわってこなかった。最近でた新刊本だと勘違いし、気長に待っていたが、全然私の番がこないので、変だなぁ、と思って店頭に行って奥付けをみた。そうしたら、なんと、店頭に並んでいる本は第13刷で2009年4月発行になっていた。初版は2003年10月。すでに5年以上も前の本だった。

 この本、きっと人気があるに違いない。このところの茂木健一郎ブームである。広い読者層を獲得しているのだろう。この13刷の帯には次のようなコピーがついていた。

 「新書って、読み捨てるものと思っていた。けど気がついたら、もう5年も本棚に並べて、何回も読み返している新書がある。
 10年後のあなたにも効きます。 ちくま新書<新しい名著>フェア  」
 表紙帯

 新書本は新刊のうちに味わうのが旬でいいのだろうが、たしかに古くても何回も読み返してしまう新書が多数ある。この「意識とはなにか」も5年以上も経過しているので、決して旬とは言えないが、13刷も重ねてしまうほどの人気の理由がきっとどこかにあるはずだ。

 「意識」(consciousness)と「心」(mind)は、しばしばほとんど同義の言葉として使われる。しかし両者は、厳密にいえばすこしニュアンスが異なる。「意識」が、<私>によってハッキリと把握されるさまざまな表象の世界を指すのに対して、「心」は、無意識をも含めた精神の働きを指す。本書では、ときに「意識」と同義の言葉として「心」を用いるが、その際には「心」の指す精神の働きのうち、特に「意識」される部分を表すものとする。p021

 当ブログにおいては、意識と心を混同されたのでは、たまったものではない。道路と車、空と雲、金魚鉢と金魚が、ハードディスクやCPUに対するプログラムやソフトウェアなどが、一緒くたにされているようなもので、それでは、わざわざ「意識」(consciousness)という言葉を使っていく意味がなくなる。ここは厳密に分けていかなくてはならない。

 コンシャスネスやマインドという用語は、英語やサンスクリット語、その他のインド語、あるいは科学や哲学用語として乱立しており、それがさらに日本語に翻訳されるに至っては、実に混乱の極みと言っていいほど混乱している。各書物を読みながら、それらをすべて統一して読み進めることなどできない状態だ。当ブログとしては、そのことに十分注意しながらも、あえて、混乱は混乱のまま読みすすめている。大事なことは、究極か、それ以外か、という区分けであろう。

 クオリア(qualia)とは、もともとは「質」を表すラテン語で、1990年代の半ば頃から、私たちが心の中で感じるさまざまな質感を表す言葉として定着してきた。太陽を見上げた時のまぶしい感じ、チョコレートが舌の上で溶けて広がっていく時のなめらかな甘さ、チョークを握りしめて黒板に文字を書いた時の感触。これらの感覚は、これまで科学が対象としてきた質量や、電荷、運動量といった客観的な物質の性質のように数量化したり、方程式で記述したりすることがむずかしい。p025

 ここで新たな用語を使う必要があったのは、著者が「脳科学」という「科学」にこだわるからであって、ここで語られている質感や感性についての所感がなにもないのであったら、小説や文学や絵画や演劇や哲学や芸術や宗教など、一切が最初から存在していないことになる。

 朝起きて飲む一杯のコーヒーの香り。バターをたっぷりつけたトーストの歯触り。洗面所で顔を洗う時の、水のひんやりした感触。顔の筋肉が引き締まる感覚。服に袖を通した時の、布地が皮膚をマッサージする感触。風がほほをなでる感覚。こずえでさえずる鳥の鳴き声。これら、私たちの意識的体験をつくり出しているものたちは、それぞれとてもユニークなクオリアとして意識の中で感じられている。
p026

 ここで著者がわざわざクオリアという用語を多用するに至った経緯は分かるとしても、なんとかの一つ覚えのように、この用語ひとつですべてを切りひらこうとするのは無理である。なにごとかを一元化したいという衝動はわかるが、その試み自体が、最初から間違っているのではないか。

 そして、そのようなクオリアのすべてを感じ取っている<私>という存在がいる。眠っている間の意識がない状態から、クオリアに満ちた意識体験への変化はあまりに劇的である。 p026

 当ブログにおいては、眠っている無意識の状態を含めた大きな概念として「意識」(consciousness)という言葉を用いている。睡眠と覚醒を両方含んでいるのが意識である。とすれば、ここで茂木が言っているのは、意識の中のの一部だけのことになってしまう。

 およそ、意識されるものはすべてクオリアである。たとえば「Aさんがこの時は家にいることを知っている」心の状態と「Aさんがこの時間に家にいることを信じている」心の状態は、それが意識の中で把握される時には、それぞれが異なるクオリアを持つ。私たちの意識の中で、ある状態が他の状態と異なるユニークな<あるもの>として把握されるのは、その状態に固有のクオリアによるのである。p026

  高速道路が帰省ラッシュで麻痺しているからと言って、自動車の固まりを高速道路とは言わないように、どれだけマインドやクオリアで満杯になっても、それを意識とは呼ばない。どんなに黒雲がどんよりと立ち込めたとしてもそれを空とは呼ばない。ひとかけらの雲がなくても空は空として、依然として存在しているのであり、クオリアなど何もなくても、意識は意識として、元のありのままに存在している。

 タクシーに乗って、運転手と会話を交わす。そのような時、私たちは、当たり障りのない話題を選ぶ。今年のプロ野球はどうだとか、最近景気はどうですかとか、誰でもある程度興味を持つような、そしてあまりプライベートなことにかかわないような話題について、いつ止めてもいいような形で会話を交わす。p120

 この本、突っ込みどころ満載で、逆説的な意味で、なかなかの好著であると思う。当ブログの在り方は、たまたまタクシーに乗りあわせた時の運転手との10分間程度の会話レベルであってもよいと思っている。むしろ、こんなところで深いプライバシーの開示など延々とできるものではない。

 このような時、多くの人にとって、タクシーという、見知らぬ他人がいきなり密室の中で一緒になって5分や10分の時間を過ごさなくてはならないという状況でしか生まれないような「モード」あるいは「パーソナリティ」が現れる。だからこそ、私たちは、タクシーを降りた時に、「今まで快活な会話を交わしていたあの私は何なのだろうか?」という疑問とともに、ふーっと「我に返る」ような感覚を持つ。p120

 当ブログへの訪問者のかなりの数の人々は、「トップページ」の次に、まず「プロフィール」を見に行く。どんな人物が書いているのか。男性か女性か。青年か熟年か。来訪者のそのような関心に気づいたので、当ブログのプロフィールは、以前よりはすこし多めに書くようにしたし、たまにちょっとづつ書き変えている。しかし、そのような「一見」さんには、当ブログを書いている、この本当の「私」は見えないだろう。タクシーの中でのちょっとした会話に似て、ある「ふり」をしているからだ。逆に私が訪問するブログの書き手についての私の理解なども、真実のほんの一部に違いない。いや実は、私にとっても本当の「私」はわからないのだ。

 私たちの日常の行動を観察してみると、実はそのような意図的な場合以外にも、あらゆる場面において普遍的に「ふり」が成立していることがわかる。p121

 著者は茂木健一郎という脳科学者の「ふり」をしているのだろう。それはパーソナリティ、ペルソナ、仮面だ。「私」という「意識」へたどりつくには、タクシーの中での会話レベルでは無理だ。あるいは、タクシーの中においても、「ふり」をしないことが必要だ。自分が自分である時間をすこしづつ長くキープする必要がある。それでも「ふり」の仮面をはがしてみると、またそこに新たな「ふり」の仮面を見つけるような、玉ねぎの皮をむき続けるような作業がつづく。

 この本、巻末に「より詳しく知りたい人のブック・ガイド」として20冊弱の本が紹介されている。英語本も含んでいるので、実際に読めるのはごく少数だが、この本から「意識」を考えていくのも一興だろうと思う。

<2>につづく 

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