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2009/06/18

回想のグルジェフ

回想のグルジェフ
「回想のグルジェフ」 ある弟子の手記
チャ-ルズ・スタンリ・ノット /古川順弘 2002/01  コスモス・ライブラリ- /星雲社 単行本 398p
No.665★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★★

 当ブログがあらかじめ想定していたグルジェフ&ウスペンスキー関連本リスト」20数冊の最後を締めくくる一冊にふさわしい、読み応えのある一冊であった。このほかにも関連本のいくつかは残っているだろうが、各書巻末のリストを見る限り、主要なものはほとんど手にしたことになる。

 この本、見かけはお手軽な本だが、頁をめくってもめくってもなかなか減らない。変だなぁ、まるでグルジェフ・ワークだなぁ、なんて一人で冗談を言っていた。よくよく見ると、この本が使っている紙質が薄くて丈夫な紙なのである。だから、見かけよりずっと頁数が多い。ざっと見る限り220~230頁程度に思っていたのだが、なんと実際は、400頁を超えなんとする大冊なのであった。

 これでも、第3章の一割を削ったというし、原書にはあった「あとがき」も割愛したというのだから、もともとはもっと濃い~一冊のようだ。しかも、著者のノットはこの本(1961)の8年後に続編ともいうべき一冊「Further Teaching of Gurdjeff」をものしているということだ。こちらも機会があれば目をとおしてみたいものだ。

 私は世界中を旅したが、プリオーレの夕食ほどおいしい食事は他になかっただろう。---食材は世界中から集められていた。スープ、スパイスの効いた肉、鶏肉、魚、とりどりの野菜、最高のサラダ(私たちはそれを野菜ジュースにして飲んだ)、プディング、パイ、豊富な果物、東洋の珍味、香ばしいハーブ、生の玉ねぎ、セロリ。年長者はカルヴァドスを飲み、若者や子供たちはワインを飲んだ。圧巻は肉料理の後の羊の頭で、コーカサス風に調理され、すばらしい味だった。グルジェフは、東洋では羊の目玉は一番おいしい部分とされているとよく客に話し、羊の目玉を分けてその客を持てなした。---もっとも、ほとんどの人は断ったが。食料や調理はすべてグルジェフによって監督され、彼のレシピは無尽蔵にあるように思えた。彼自身が優れたコックであり、何百もの東洋風料理が調理できた。しかし彼自身は決してそうたくさんは食べなかった。私は、これが理想のディナーなのだと、よく思った。夢中になったり無関心になったりすることもなく、食事を味わい、楽しむことができた。p114

 1887年生まれのノットは1923年にグルジェフを知り、その後5年間をグルジェフの門弟として過ごした。その後はグルジェフに距離をおいて、第二次大戦後、自らの出版社も起こしたりしたようだ。

 第3章「オレイジによる『ベルゼバブの孫への話』へのコメンタリー」もなかなか興味深い。当ブログでは「奇蹟を求めて」などで少しだけ触れただけだが、オレイジは、グルジェフの門弟にあって、ウスペンスキーと並び称される人物である。彼自身の著書がすくないので、このようなまとまった文章はめずらしいという。

 さて、当ブログの走り読みによるG関連本リストの中では、当然のことながら、G本人の「ベルゼバブの孫への話」などの「森羅万象」シリーズの再読が必要となるだろうし、ウスペンスキーの「奇蹟を求めて」「新しい宇宙像」「ターシャム・オルガヌム」なども、精読する価値があるだろうと思われる。

 しかし、もっと広い分野の走り読みを続けている当ブログにおいては、なかなか再読や精読の機会がめぐってくるまでにはそれなりの時間がかかりそうだ。ましてや、必ずしもグルジェフ・ワークに参画しようという探究者でもない限り、ここでこのようなかたちでG関連本に関わり続けることは、多少バランスの悪さを感じる。むしろ、当ブログは当ブログとして、これらG関連本の中に足がかりを作っておこう。

 「人間に可能な進化の心理学」
 Oshoが「この小さな本は、サニヤシンすべてにとっての必須の研究対象にならなければならない」と述べており、当ブログにおける「OSHOのお薦め本ベスト10(私家版)」のNo2に位置している限り、この本の再読は必須だ。イントロに比して、後半部分については、かなりの違和感が存在するが、その違和感がどこからやってきているのかを確認しておく必要を感じる。

 の残影」
 当ブログにおける主テーマになってしまっているOshoの「私が愛した本」。その紹介者のひとりである小森健太朗一連の著書の一冊として、この本を読んでみることは興味深い。100年前のGの実像を掘り出すというより、100年後の21世紀の地球人たちが、Gワークを自分たちのこととして、どのように取り組むことができるのか、ということを考える上での、とらえなおしの一冊といえるだろう。 

 「覚醒の舞踏」
 Gワークに直接参入しないまでも、Oshoがあれだけの紹介しているのだから、実際にどれだけの実態があるものなのか常に気になる。この本においては、OshoサイドからGワークへの接近が感じられ、また現在生きているワークの実態をも推測できそうな気分になる。この本の後半部分は十分に読み込んでいないので、もうすこし強く読み込む必要があろう。

 この「回想のグルジェフ」をもって、一連のG関連本の読了としておく。いずれ再スタートする時があるとすれば、この3冊から始まるだろう。

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