神の慰めの書
「神の慰めの書」
マイスター・エックハルト /相原信作 1985/06 講談社 文庫 350p
Vol.2 No.672★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
マイスター・エックハルトは13~14世紀のドイツのキリスト教の神学者だった。この本を読んでいて、自分はエックハルトと同時代人でなくてよかったな、思った。もし同時代人としてこの本を読んだら、トンデモ本の一冊として嘲笑するか、とことこん巻き込まれてしまうか、どちらかだったに違いない。
人間や、その精神を取り巻く環境は、21世紀の現在、ほとんど想像もつかないようなギャップが存在するはずだ。いまでこそ一定の距離を持って眺めることができるけれど、この本はとてつもない磁力を持っている。異端として禁書になってしまったことに、なるほど、と納得さえしてしまう。
エックハルトは教育を受けなかった。多くの神秘家が無教育だったというのは不思議だ。教育はどこか間違っているに違いない。そして人が神秘家になるのを妨げている。確かに、教育は破壊する。幼稚園から大学院まで、25年間というもの、教育は人間の中の美しいもの、美的なものを破壊し続ける。蓮の華は学問によって押し潰される。薔薇はいわゆる教授、教師、総長というような人間たちに殺される・・・・なんともまた素晴らしい名前を自ら名乗るものかね。
真の教育はまだ始まっていない。それは始まらければならない。それは頭の教育ではなく、心(ハート)の教育になる。男性的なものではなく、女性的なるものの教育だ。p124
Oshoは、エックハルトは、東洋で生まれるとよかっただろうに、と残念がる。
この本をめくってしまえば、当ブログ「私が愛した本」「神秘主義」編の15冊を読了したことになる。振り返ってみれば、ほとんどがグルジェフと神智学系のものであり、エックハルトをこのジャンルに入れたことは、ちょっと間違っていたかもしれない。そもそも、東洋においては「神秘主義」なんてことをことさら強調しなかった。人生そのものが神秘だった。西洋におけるキリスト教の影響がやたらと聖書を中心とした体系を強調していたので、直感を大事にしたエックハルトは、西洋の異端になってしまった。。本来は、キリスト教そのものを変革するエネルギーになるべきだったのだ。
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