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2009/06/19

ヒンドゥー教巡礼

ヒンドゥー教巡礼
「ヒンドゥー教巡礼」
立川武蔵 2005/02 出版社 集英社 新書 206p
Vol.2 No.669★★☆☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆

 「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」 などを読み進めていくと、すでに亡くなった人々はともかくとして、現在活躍中の関係者、たとえば正木晃、田中公明、森雅秀などの名前が目につく。そしてこの人々の先輩格として、いつも立川武蔵という名前が見え隠れする。当ブログにおいても、「西蔵仏教宗義研究」 などの貴重な資料においても、この人の先駆的な仕事にはお世話になっている。

 しかるに、いつもこの方の名前を聞くと、どうもマイナスな気分になるのは、「インド・アメリカ思索行」(1978)において、当ブログとしては聞き捨てならない長文を記述していることが忘れられないからだ。この侮辱的な記述は、最近発見した「まじめ領事の泣き笑い事件帖」と双璧をなすような内容となっている。

 当ブログは、まったく気ままに図書館の一般開架コーナーから借りてきた本たちをめくっているにすぎない。とはいうものの、それぞれの本が成り立つまでは様々な経緯があり、一様なものではない。だから一元的に並べて、勝手きままなコメントをつけ続けていることには、根本的な欠陥もあり、当然のごとく最初から限界がつきまとう。

 この「ヒンドゥー教巡礼」というタイトルからして、どうも気にくわない、と感じてしまうのは、何も著者の落ち度ではなく、読み手である私の個人的な趣味的な嗜好性ゆえであろうと思う。ただ、いつもはハードカバーが多いこの著者において、新書であることがちょっと目新しく、つい手にとりめくってみることにした。

 そもそもこの方は、なぜに「ヒンドゥー教」を「巡礼」するのだろう。この方はヒンドゥーの神々を崇拝しているのだろうか。純粋に「巡礼」というほどの純粋な内面的な旅路なのだろうか。もしそうだとするなら、巻末の20数冊の「参考文献」のリストなど必要なのだろうか。

 なんだか、自分のやり方が、言いがかりをつけて喧嘩を売っているチンピラに思えてきた(笑)。もっとすっきりと言ったほうがいいのだろう。一人ひとりの人間において、自らの精神性を求める旅路は、個的であり、なおかつ重要な部分はさらに秘められたものであろうと思う。にも関わらず、この方は、「ヒンドゥー教」や「巡礼」という言葉を簡単に使いすぎると思う。

 宗教社会学者やら、社会宗教学者やら、いろいろな学問領域があり、この方も専門としているだろう宗教学などの分野の書物は、必ずしも関わっておられる本人たちの本音が述懐されていることが少ない。事象を研究対象として客観的に見ている傾向があり、その点が、私は好きになれない。いつもそんなイメージを抱えてイライラしていた。

 でもこの本は、ちょっと違っていた。

 1977年の夏、二度目のインド旅行の際、体調を崩してしまった。急激に白髪が増え、洗髪のときには不気味なほど、多くの毛髪が抜け落ちた。そのとき、体調や精神状態が自分の意識や意志とは別のものによって支配されていることを思い知らされた。自分が自分として生きているのは、生まれて以来の、あるいは生まれる以前の太古の時代から意識より一層深いところに積み重ねられてきたものによって突き動かされていることがよく納得できた。p57

 なるほど、1977年の夏とは、まさに、「インド・アメリカ思索行」のなかでプネーのアシュラムを訪問したあたりのことである。

 ノイローゼ状態に陥っていたある日、わたしは、自分の意識の奥にそれまで見ることのなかった何ものかが存在していることに気がついた。と同時に、わたしの意識そのものが、それまでにないほど明晰になっていることにも気がついた。p58

 ノイローゼ状態、とはどういうことを指すのかは一慨には言えないだろうが、御本人がそのようにおっしゃっている限りにおいて、一読者がそれ以上のことについて口を挟むのは、いよいよ礼に失している。これ以上言及するのはよそう。ただ、すくなくとも、1977年夏の当時、この方は自称「ノイローゼ」だったのだ、と、割り引いて考えていくことにする。

 この方の留学先がプネー大学だったので、よくプネーのことが話題にでてくる。この本においても、第3章「ヨーガと供養祭」と第4章「インド哲学とコンピューター」において、大きくプネーという都市について記述している。

 1998年夏、またプネー(プーナ)を訪れることができた。そしてプネー大学のサンスクリット学科長の家で、南インドのチェンナイ(マドラス)からきた数人のバラモン僧に会う機会があった。彼ら全員が長く白い衣を着け、ヴィシュヌ教徒である証のU字形の印を額に描いていた。わたしは、彼らがヴィシュヌ教系の修行者団であろうと思った。だが彼らはヴィシュヌ教徒ではあるが、チェンナイの研究所に勤めるコンピューター・プログラマーだった。p74

 この30年間のインドの人口はほぼ倍になり10億を超えた(p74)という。インドは急変している。BRIcSなどと言われ、中国の経済成長と肩を並べるような社会変革を着手しているようにみえる。しかし本当のところはどうなのだろうか。

 インド人の考え方は神秘的であるとしばしばいわれる。彼らはどこかの時点で言葉、論理を超えて一種の直感の中に自分を投げ入れようとする。それに関してはヒンドゥー教も仏教もかわりはない。そのような意味ではインド人が神秘的直観を重視するということはいえるであろう。p82

 一口にインド人といっても10億の民である。そう簡単にひとつの概念に収まってくれるわけではないだろうが、私たちがイメージするインド人はまさにそういう傾向にある。

 しかしながら、それはインド人が論理をはやばやと放棄してしまうということを意味するわけではない。彼らはその著作はもちろん会話の内容も実に論理的であり、言葉(ロゴス)の世界を整合的に作り上げようと努めている。人間の知の極限まで、その論理整合性を求める努力が行われているのである。わたしはそのような知のあり方を美しいと思ってきた。わたしのヒンドゥー教巡礼はインド人が作り上げた論理の世界の中を探検することでもあった。p82

 この本は、いままで頑なになっていた私の姿勢を軟化させるに十分な一冊であったが、であるならば、と、ふと思う。そこまで地上に降りてくるとしたら、これまでの「立川武蔵」という飛翔は一体なんであったのだろうか。東西のありとあらゆる英知とシンボルを使いながら、与えられた恵まれた環境のなかで、この研究者が40年の年月をかけて熟成したものは一体何だったのだろうか。

 当ブログにおいてはヒンドゥー教やナニナニ地域ということに重きを置かないで、地球人スピリットという大きなくくりで21世紀を生きることを考えている。この方の研究は先駆的で示唆に富む部分も多かったが、どこか最先端を指し示してくれていない不満は依然として残る。

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