グルジェフ・ワークの実際
「グルジェフ・ワークの実際」―性格に対するスピリチュアル・アプローチ
セリム・エセル, 小林 真行 2008/12 コスモスライブラリー 単行本: 394p
No.650★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆
英語本のタイトルは「The New Spiritual Psychology」で、原書は同じ意味のフランス語である。1995/8~1997/2あたりに、著者が直接回りに集まってきた人たちにティ-チングした内容が編集され一冊になったものである。原書のニュアンスから日本語訳のこのタイトルになるのは、はてどうなのかな、と疑問が残る。グルジェフ性格論に堕して(?)しまうことに危惧も感じるが、高踏に堕してしまって、誰にも手が届かないところに秘蔵されてしまうよりはいいのかなぁ、と思いなおす。
だから、このような形で「実際」的に一般人に手が届くような形に「翻案」されることも悪くはないのだろうが、その精度は、それこそ実際に試験的に慎重に検証されないと、容易には信頼できない。そのへんのところは誰かのレポートを待つ以外にないだろう。グルジェフ+ウスペンスキーの追っかけをしてはいるが、私にはこの性格論には深く入り込むモチベーションがない。
翻訳者が著者の経歴について、フランス北東部のアルザス地方にある心理人類学スクールに問い合わせたところ、次のような会話の抜粋が提供されたという。
質問:「スティーヴン・スチュアートがあなたの特徴を次のように描写していますが、それに対してどうお考えですか? ”セリム・エセルとはヒンドゥー的な情緒を除いたオーロビンドであり、神智学的ながらくたを除いたシュタイナーであり、また覚醒という真実の道を行くための方法論を備えたクリシュナムルティである。これはクリシュナムルティには欠けていたもので、グルジェフが備えていた。”」
エセル:「こういった言明は、彼がそう述べているというだけです。しかし同時に、彼は私の教え(ティーティング)に関する完璧な知識を持っており、また、私としても、彼が言及している人物のそれぞれが自分の師(マスター)の一人であると見なすことができます。」 p393
「あなたは苦味のないコーヒーのようなものであり、香りのしないチーズのようなものだ。またトゲのある蓮の花のようなものであり、そのトゲは薔薇にはあった」などと評価されたら、どのような気分になるだろう。そのような評価はどこか嘘臭い。
「それぞれが私の師(マスター)の一人であった」、という言及も、真実味にかける。それぞれの著書を読んで参考にしました、程度のことなら分かるが、師という言葉を使い、マスターという単語を使うなら、この三者に対して特別密接な関係性を持っていたということになるが、私にはそれは信じられない。真実味がうすい。
本書においてはスピリチュアリティを「精神性/霊性」と翻訳していて、そのものズバリというよりは、マルチ・ミーニングに逃げてしまい、いまいち切れ味が悪い。寿司もパスタも中華もありますよ、と言われているようで、おいここはドリンクバー付きファミレスか?という疑問も残る。いえいえ、そういうお客様には特別メニューのスペシャル・ルームがあります、みたいな、リスクマネジメント用「言い訳マニュアル」も徹底している感じで、いまいち納得感がない。
易経にしてもタロットや占星術においても、いわゆる「性格論」はつきものだが、そこからさらに飛翔するアートがある。だから性格論そのものはべつに小馬鹿にしてはいけないが、ここでグルジェフのエニアグラムから新しいいくつかのパターンの性格を生み出して、類型的に判断するのはどうかな、と思う。そのペルソナを打ち破る、というのが目下の課題ではあるのだろうが、意外と人間は自分のつくったワナに自分ではまってしまうことが多い。なにもここで新たなる仮面を作ることもないだろうにな。
この本、本質的な部分ではないが、属性的な部分において、個人的な特別の意味合いがあるのだが、今回はここには明記しないでおく。いつかどこかに、ひも付きではない形で書くことにする。
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