菩提達磨無心論<1>
「禅語録」 世界の名著 18 <1>
1978/08 中央公論新社588p
Vol.2 No.680★★☆☆☆ ★★★★★ ★★★★★
「菩提達磨無心論」(無心に関する対話)<1>
「私が愛した本」の中でOshoが「菩提達磨の弟子達の記録」として語ったであろう部分として、「達磨二入四行論」と並び称されているが、この「菩提達磨無心論」であるが、見つけてみれば、ほんの数ページのコンパクトな文章でしかない。
弟子は先生にたずねる、「心は有るのですか、無いのですか」
答え、「無心だ」
問い、「無心なら誰が見たり聞いたり記憶したり判断したりするのです。誰が無心だと判断します」
答え、「やはり無心が見・見・聞・覚・知する。無心が無心だと判断する」 p84 「菩提達磨無心論」
ぜひとも茂木健一郎あたりに読んでもらいたい部分だが、脳科学とやらの世界では、このようないわゆる禅問答では解決にはならないのかも知れない。しかし、脳科学者ならぬ、一介の瞑想者であってみれば、このワンセンテンスで解決することもすくなくない。
これまでは、あやまって心が有ると思い込んだが、
今悟ってみると無心でよろしい。
無心といっても、ちゃんと認識し作用していて、
認識し作用しつつ、いつもひっそりと元のままだ。 p88「菩提達磨無心論」
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「菩提達磨無心論」<2>につづく 2010/07/24
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