シャンカラの哲学
「シャンカラの哲学」 〈上〉―ブラフマ・スートラ釈論の全訳
金倉 円照 1980/10 542p 春秋社
Vol.2 No.646★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★★☆
この本、手元に3週間あったが、読み込むことができなかった。捲土重来を期す。今回はこの本が身近に存在しており、希望すればいつでも読めるのだ、ということを確認することにとどまった。もっともこのような本は、ひとめくりで理解するような本でもなく、読んでいることを話題にできるような本でもない。じっくり一生をかけて読まれなくてはならないような一冊であろう。
「ブラーマ・スートラ」・・・・。ブラーマは神として知られており、またそう理解されているが、そうではない。ブラーマは、キリスト教の神の概念、イエス・キリストの4400年前に世界を創造したというあの神の概念とは何の関係もない。こう言って、これを聞いたら、もしかしたらバーダラーヤナでさえあの深刻さを忘れて笑い出すかもしれない、と私は思った。ブラーマとは神の意味ではない。ブラーマとは<神性>を、全存在に・・・・全体に・・・・全体という全きものにあまねくいきわたる<神性なるもの>を意味している。
スートラとは、単に足跡という意味だ。<神性(ブラーマ)>について多くを語ることはできない。それについて何を言おうと、それはほんの足跡、ヒントにすぎない。だがヒントは橋になりうる。足跡は橋になることができる。そしてバーダラーヤナは、そのスートラの中に橋を創った。
バーダラーヤナの深刻さにもかかわらず、私はこの本を愛している。「バーダラヤーナの深刻さにもかかわらず」と言わなければならないほど、私は深刻さが大嫌いだ。それでも、この世で最も意味深い本のひとつを書いたということで、私は彼を愛している。「バイブル」の類などバーダラヤーナの「スートラ」にははるかに及ばない。その足下にも及ばないだろう。Osho「私が愛した本」p54 前半部略
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