ゴールド・ナゲッツ
「ゴールド・ナゲッツ」
OSHO /スワミ・アナンド・チダカッシュ 1994/06 和尚エンタープライズジャパン 単行本 219p
Vol.2 No.682★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
いつの頃からか、Oshoの本をあまり買わなくなってしまった。Oshoが肉体を離れる前あたりまでは、ほとんど新刊で購入するか、発行前に手元にあることが多かった。まとめて仕入れて瞑想センターで販売する手前、いち早く入手することが多かったのである。
ところが、90年代に入り、さらに95年以降のインターネットの時代になると、どこかOshoの本からだんだん離れていく自分を感じていた。一冊にまとまった単行本になるまえに、ニューズレターのような形で読むことも多くなり、また、本の形になる前に、ビディオで見ることも多くなった。そして21世紀になると、興味の範囲も拡散してしまい、あえて「Oshoの本」に集中することがすくなくなった。
正確に数えたことはないが、100冊以上になるだろうと思われるOsho邦訳本も、最近でた本はあまり購入しないことが多くなった。もともとOshoの本は、私にとっては、さっさと読み捨てるような本でもなく、いちど読み始めると、なかなか読み終わらないことが多い。読む、ということ自体が、他の本とはちょっと違うスタイルになってしまいがちなのである。
さらには、Osho本が図書館にはいる確率も高くなってきた。わざわざ自分でそろえなくても、図書館から借りてOsho本を読めるというのは、ある種の快感だ。すくなくとも、私がリクエストしたのではなく、他の誰かがOsho本をリクエストした、という事実が、私にはうれしい。現在のところ、全国の図書館でOshoの本が入っていないところのほうが少ないのではないだろうか。
というわけで、五月雨式にOsho本を図書館にリクエストしていたら、何冊もたまってしまった。いざ手元にたくさんOsho本がたまると、これまた、一気に読むということはできないので、困ってしまうのだが、しかし、たまってしまった、ということを口実にして、ざっと目を通していくのもわるくないかな、と思い直した。この本も英語本を持っていたので、日本語を読むチャンスを逃していた。
この本は、Oshoのワールドツアー中の「神秘家の道」など5つの講話録から選ばれた言葉で構成されている。あの大事件のあとの渦中にあって、しかもまるでジプシーのような生活の中で語られた講話録なのに、この一冊から一切そのようなドラマ性は排除されている。
科学がただひとつしかないとしたら
宗教もただひとつしかあり得ない
客観的世界を探求するのにひとつの科学で充分なら
人間の内面世界を探求するのもひとつの宗教で充分だ
そして、そのただひとつの宗教には
キリスト教的、ヒンドゥー教的、道教的といった
いかなる形容詞も必要ない
まさに科学がたんに科学であるように
宗教はたんに宗教だ
実際、私によれば
ふたつの次元を持ったひとつの科学が存在するだけだ
ひとつの次元が外面に働きかけ
もうひとつの次元が内面に働きかける
私たちは「宗教」ということばさえ排除することができる
できるだけ少数の仮説を用いるというのが科学の原則だ
それなら、なぜふたつのことばを用いる?
ひとつのことばで充分だ
そして「科学」ということばは素晴らしい
それは「知ること」w意味する
他者を知るのがひとつの局面であり
自己を知るのがもうひとつの局面だ
だが「知ること」はその両方に当てはまる p198
.
| 固定リンク
« 六祖檀経 | トップページ | 夜眠る前に贈る言葉 »
「48)意識とは何か」カテゴリの記事
- This Is It<2> & The Supreme Doctrine <2>(2009.08.23)
- 論理哲学論考(2009.08.14)
- The Supreme Doctrine <1>(2009.08.13)
- This Is It <1>(2009.08.13)
- Maxims for Revolutionaries(2009.08.12)


コメント