意識とはなにか<3>
「意識とはなにか」 〈私〉を生成する脳 <3>
茂木健一郎 出版社: 筑摩書房 サイズ: 新書 ページ数: 222p 発行年月: 2003年10月
今夜は、旅のホテルからブログを書いている。例のETC1000円の旅に誘われて、特に用事のない道を走り、特に思ってもみなかった神社を参拝し、そのご神体となっている山を仰ぎ見る。特に縁もなさそうだったホテルに泊り、ひょんなことで近くのレストランでインド料理を食べる。部屋に戻れば、特にすることもないので、備え付けの雑誌のクロスワードを解いたり、窓からの夜景を見たりする。
業務用で使っているパソコンは、最近の物騒な世の中でもあり、セキュリティの問題もあるので、持ち出せない。そこで、すでに使っていない古いノートパソコンを持ち出してきて、ホテルの部屋のLANコードにつなぐ。久しぶりの使用なので、いろいろと不都合があり、余計なファイルを削除したり、通信状況を整えたり、する。なんとかアクセスできるようになれば、あとは、やっぱりブログになにかをメモしておこうと思う。
出掛けに、なにか本を持っていこう、ということになり、読むかどうかわからないが、どこかで時間があいたらと、二冊の本を持ってきた。一冊の新書、と一冊の文庫本。文庫本のほうは「かもめのジョナサン」。最近、なんだかこの本が気になる。新書のほうは「意識とはなにか」。こちらは、現在読みかけで、巻末の文献リストが気になっている。
近年の脳科学に対する関心の高まり、そして脳科学のさまざまな「成果」を耳にしている人々は、脳科学が、実は深刻な方法論上の限界に直面していると聞いたら、驚くかもしれない。しかし、脳を理解するという人類の試みは、実際絶望的と言ってもよいほどの壁にぶつかっているのであり、その壁が存在すること、それを乗りこえることがきわめて困難であるという事実を、世界中の心ある研究者は理解しているのである。p010
この本の導入部であり、また、この本のなかにあってもっとも好きな部分と言っていいかもしれない。このようなフレーズをさらっと言ってしまえるところに、茂木健一郎という人の魅力がある。
旅の途中で思いもよらなかった、ひなびた湯治場のかけ流し温泉に浸かる。近所の爺さんたちが、ちょっと熱めの湯に浸かり、湯船のわきに横になって湯治している。いっしょに真似して横になってみると、これが実にいい。う~ん、極楽極楽。現代の脳科学は壁にぶつかってしまったかもしれないが、田舎の爺ちゃんたちは、昔からこうして温泉に浸かってきた。まもなく往ってしまうだろうが、あんまり難しそうなことも言わずに、じっと湯に浸かり、湯船の脇に横になって、目を閉じている。
であるなら、私は「かもめのジョナサン」のどこが好きなのだろうか。前半部が好きなことは確かだ。後半は、すこし作られすぎているのではないか。短い小説であるが、この寓話にかぶせて考えてみれば、いろいろ言いにくいことも言えてしまいそうに思う。今日は、どうもそこのところが面白くない。きょうめくっていて、おっと思ったのは、白黒ではさまれているかもめの写真の何枚か。
いや別にこれがジョナサン本人の画像であるはずがない。ジョナサンはかもめを具人化した小説にすぎないが、写真は本物のかもめだ。かもめはただ飛んでいるに過ぎない。現実のかもめの世界に、ジョナサンなんかいるものか。いるわけがないと知っていたはずなのに、いつの間にか、ジョナサンは、ひとりの探求者となって、立ち現れてきた。かもめの画像を見ていると、「かもめのジョナサン」は実話ではないか、なんて思い始めたりするから、不思議だ。
明日もどうやら晴れそうだ。入梅のニュースにちょっと気後れしたものの、雨にはあわないですみそうだ。
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