私の愛するインド 輝ける黄金の断章<1>
「私の愛するインド」 輝ける黄金の断章<1>
OSHO /スワミ・プレム・グンジャ 1999/11 市民出版社 単行本 257p
Vol.2 No.678★★★★☆ ★★★★★ ★★★★★
100冊以上の本の抜粋からなるコメンタリティー。
神秘家とは、全く異なる種の人間だ。彼は天才ではない。単に偉大な画家なのでも、偉大なる詩人でもない。神秘家とは神を媒介する者、あなたを刺激し、神へと誘う者だ。神が入ってくるための扉を開く者だ。そして何千年もの間、無数の人々がこの国の空気を満たそうと、神のための扉を開いてきた。私にとってはその空気こそが本物のインドだ。しかしそれを知るためには、特定のマインドの状態でなくてはならない。p4
「India my love」という言葉自体がすでに美しい。
学問はもう充分だ。学問というのはまったくもって二流だ。学問は現代科学と神秘主義の橋渡しにはなれない。必要なのはブッダについて知る人々ではなく、覚者だ。私達は瞑想者を、愛の人を、体験者を必要としている。
そして気が熟し、時が訪れ、科学と宗教が出会い、合わさることができた時、二つのものは統合される。そしてその日こそ、人類史上かつてない最も素晴らしい一日となる。喜びに溢れた、比類なき、唯一偉大な一日となる。なぜならその日を境に、精神分裂病や分割された人間性は、世界からなくなるからだ。すると二つのもの、科学と宗教は必要なくなる。一つのもので足りるようになる。
外側の世界では科学的な方法論が用いられ、内側の世界では宗教的な方法論が用いられている。神秘主義という言葉は美しい。その言葉は一つの科学、または一つの宗教に用いられる。どちらで好き好きだ。
神秘主義は美しい呼名となるだろう。すると、科学は外側の神秘を探し、宗教は内側の神秘を探すようになる。それらは神秘主義の二つの翼となる。神秘主義は両方を表す言葉となり、神秘主義は二つの統合体となる。
そしてこの統合体により、さらに多くの統合体が自然発生する。たとえば、科学と宗教が神秘主義の中で出会えたら、東洋と西洋、男と女、詩と散文、理論と愛の出会いが可能となる。出会いが幾多もの層に広がって、起こり続ける。もし一度これが起これば、人類はさらに完全な人間を、より完全でバランスのとれた人間を得ることだろう。p122
カビール、ファりッド、アテーシャ、登場するひとりひとりが美しい。
そして私にとって、インドとは瞑想を学ぶことの象徴に他ならない。インドは瞑想の大学だ。それは今日に限ったことではなく、何世紀も瞑想の大学であり続けている。p249
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