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2009/06/29

イーシャ・ウパニシャッド<1>

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「ウパニシャッド」
佐保田 鶴治 1979/01 平河出版社 単行本: 385p
Vol.2 No.688★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「イーシャ・ウパニシャッド」<1>

 Osho「イーシャ・ウパニシャッド(存在の鼓動)を読み進めようと、だいぶ前から手元においてはあるのだが、もっと取り組みやすいお手軽本が次から次とみつかるので、ついつい、後回しになってしまっている。そのような自分の動向にちょっと関心が向いた。

 Osho「イーシャ・ウパニシャッド(存在の鼓動)」は、本文に明記はされていないようだが、1960年代のインドの山中で行われた初期瞑想キャンプにおける講話録のようである。当然、参加者はインド人が中心だっただろう。

 まず、この辺の事情が呑み込めないことに、私の読書が進まない理由のひとつがある。自分がOshoに関心を持ち始めたのは、1975年のこと。その前年にボンベイからプーナに住まいを移したOshoは、いままでのインド人向けの講話から、もっと欧米の若者向けに講話することにチャンネルを変えた。だから、よくもわるくもここに、Osho講話の質的意味にひとつの断層が存在する。

 私は、ドメステッィクなOshoのインド人グル的な振る舞いより、当然のように、その後のOshoの、60年代の世界的なカウンターカルチャー的風土を継承する形で行われた講話の方がなじみがある。この辺の経緯については、「エスリンとアメリカの覚醒」の中にも書いたし、明らかにOshoも意識していた可能性が高い。

 この変遷については、逆に言えば、Oshoを「われらがグル」と見ていたインド人の取り巻きたちには、不満もあっただろうと推測される。離れていった人々もいたかに聞く。どこまでを事実として把握するかはともかくとして、ここでは、60年代のインド人向けの講話はそれなりに考えられたOsho独特なものであっただろう、ということを押さえておけばいいだろう。

 小森健太郎は、1990年に個人的に発行した文献でつぎのような記述をしている。

 和尚の本名は、チャンドラ・モハン・ラジニーシだが、彼の称号はアチャリャ、バグワン、和尚と三回変わった。その三つの称号の時期が、彼のワークの三段階を表していると思う。今出版されている彼の本は、バグワンという過去の称号を全て落として和尚という表記に統一されるようになっているが、私はむしろ各講話はその時期に呼ばれていた彼の名前をそのまま残すべきだと思う。そう思ったので「バグワン」となっているところは、皆そのままにした。小森「和尚講話・ニーチェ」1990/03  p60

 微妙な話題ではあるが、発行された時期が、Oshoが肉体を離れた直後でもあり、現在の彼がどのように考えているかは不明だが、本質的に私はこの話題の根っこはよく理解できる。Oshoのワークを「三段階」に分けるかどうかはともかくとして、アトランダムに発行されるOshoの講話録は、新刊として店頭に並ぶ限り一般的な読者は、発行時期が新しければ、発言された時期も新しい時期であるかのような錯覚をしかねないことになる。せめて講話された時期や状況を類推できるように、記しておく必要があるのではないか。

 このような状況があるものだから、玉川信明の「和尚ガイドブック・シリーズ」なるものが登場してくる理由もわかる。玉川は「和尚、聖典を語る」のなかで、「梵我一如の世界が存在してきた」という表題のもと、Oshoの「イーシャ・ウパニシャッド(存在の鼓動)」(全461頁)を要約して約30頁ほどにまとめてくれている。Oshoの講話をダイジェストとして読むことも可能は可能なのだが、はて、それって何? と疑問が湧いてこないわけではない。

 さて、ここまで話が進むと、話題とすべきテーマはいくつかでてきて錯綜してしまうので、いくつかの点だけを押さえておくことにする。

1)インド語→英語→日本語、という作業には大変感謝しているが、翻訳や編集の手が入りすぎると、生のOshoの声がどの辺にあったのか不明になりやすくなる。

2)90年代後半~21世紀初頭において、このインド語からの翻訳・編集本が多く発行されたが、これは読者層のリクエストというより、出版社による意図的なリードがあったのではないか。

3)つまり、バランスをとるためには、「OSHO:アメリカへの道」「ZENシリーズ」などの出版ももっと力を入れてもっと早期に出版されるべきだったのではないか。

 自らの一読者という立場も顧みず、ちょっと突っ込んだ意見を言っておけば、そういうことになる。過ぎ去った時間は取り戻すことはできない。すくなくとも、私は一読書子としては、このような個人的な思いがさまざまに作用して、なかなかこの「イーシャ・ウパニシャッド(存在の鼓動)」の読書が進まないのではないか、と自己分析している。

 8番目。8番目は「イーシア・ウパニシャッド」だ。私がどうしてこれを忘れたかは容易に理解できる。私はこれを飲み干してしまった。それは私の血と骨になってしまった。それは私だ。私は、これについて何百回となく話したことがある。それは実に小さなウパニシャッドだ。108のウパニシャッドがあるが、「イーシア」はその中で一番小さい。それは葉書の、しかも片面に印刷できる。しかし、これは残りの107のすべてを含んでいるから、他のものについて言及する必要はない。種子は「イーシア」のなかにある。

 「イーシア」という言葉は神聖を意味する。インドではキリストのことを「キリスト」とは呼ばないと言えば、みんなは驚くかも知れない。私たちは彼のことを「イーシア」と呼ぶ。「イーシア」、これは元はアラビア語の「イェシュア」にずっと近い。英語では「ヨシュア」だ。両親は彼のことを「イェシュ」と呼んだに違いない。「イェシュ」では長すぎる。その名はインドに旅してきて「イェシュ」から「イスゥ」になった。インドはその「イスゥ」が、神を意味する「イーシア」にあまりにも近いことにすぐ気がついた。つまり彼のことを「イーシア」と呼ぶ方がいいだろうというわけだ。

 「イーシア・ウパニシャッド」は、瞑想してきた者たちの最大の創造物のひとつだ。 Osho「私が愛した本」p21

 「イーシアはその中で一番小さい。それは葉書の、しかも片面に印刷できる」と言われて、「私が愛した本」巻末リストに紹介されている佐保田鶴治「ウパニシャッド」をみてみれば、わずかに4頁にまばらに18の言葉が書いてあるだけだった。そのすべてをこの小さなブログのなかに転記することさえできる。

 主への献身、祭祈、自我の観照、中庸の道、臨終祈念。文字は簡潔だが、それは一冊一冊の全集のタイトルであるかのように重い。文字だけ転記しても、なにも分かったことにならない。

 今日のところは、Oshoが「存在の鼓動」で461頁にわたって展開し、それを玉川は「聖典を語る」で30頁にまとめたが、そもそもそれの原典は、ほんのわずか4頁の「イーシア・ウパニシャッド」であった、と記しておくことにとどめよう。

<2>につづく 

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