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2009/06/25

アウローラ

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「アウローラ」明け初める東天の紅 (ドイツ神秘主義叢書8)
ヤーコブ・ベーメ 薗田 坦 2000/02 創文社 単行本: 440p
Vol.2 No.681★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 ヘルマン・ヘッセは「ヤーコブ・ベーメの召命」としてこれらの一連のベーメに触れている。この本では「明け初める東天の紅」とサブタイトルがついているが、別な本では「黎明」となっている。まさにほのぼのとした東雲を思い浮かべさせる。

 ベーメを読んでいると、その清廉さはスピノザ「エチカ」を連想するし、西洋における神秘主義といえば、スエデンボルグの「天界と地獄」をさえ連想する。しかし、ベーメはベーメの簡明さと率直さと清廉さを併せ持っている。清貧主義ともいえる。Oshoは、この清貧主義には手厳しい。

 ベーメもひどく貧しかった。賢くあるためには、人は貧しくなければならないようだ。これまでの場合はそうだった。だが私以後はそうではない。私以後は、光明を得るためには、豊かでなければならない。もう一度言おう。光明を得るためには、人は豊かでなければならない。金持ちは神の王国に入ることはできないとイエスは言う・・・・イエスは旧式な言い方をしていた。私は断固として、最も富める者だけが神の王国に入ると言う。いいかね、私が言っていることは、イエスが言っていることと同じだ。それは背反していない。イエスの言う「貧しい」と、私の言う「富める」は、まったく同じことを意味している。イエスは自分自身を、自我(エゴ)をなくした人間のことを貧しいと呼んでいる。それが私の言うところの豊かな人だ。エゴが少なければ少ないほど、人は豊かだ。だが過去においては、ベーメのような人間が豊かな家庭に生まれることは、特に西洋では滅多になかった。Osho「私が愛した本」p127

 それでもなお、スピノザもスエデンボルグも登場しないこの本に、Oshoはヤーコブ・ベーメを登場させる。

 「星々の誕生と第4日目の創造について」

 今やここで天空の誕生の記述が始められ、また本書の最初の表題、すなわち明け初める東天の紅が意味するところが注目されよう。というのも、ここにおいてまったく純朴な者ですらも神の本質を見、かつ把握することができるであろうからである。
 ただ読者は、その不信仰や把握可能性への固執によって自らを盲目にしないようにしてほしい。なぜなら、私はここで全自然をそのすべての子供ともども、証言者そして証明としてもちだすからである。あなたがそこで理性的であれるなら、あなたの廻りを見回し、またあなた自身をよく見つめ、正しく熟考するように。そうすればあなたは、私がいかなる種類の霊から書くかをただちに見出すであろう。
p338

 清廉な純朴さ、ということで言えば「アッシジの聖フランシス」なども連想するが、その清廉さというニュアンスには違いがあるようだ。

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