ウェブはバカと暇人のもの
「ウェブはバカと暇人のもの」 現場からのネット敗北宣言
中川淳一郎 2009/04 光文社 新書 245p
No.648★★★☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆
いろいろなデータから推測するに、もっともネット空間のヘビーユーザーが多いのは、30歳を頂点とする世代であろう。20歳前後はよりケータイへの依存度が高いだろうし、50歳以上の世代は、ネット空間では一把ひとからげにされ、よりテレビや新聞文化になじんでいるはずだ。そのなかにあって、これら1970年代生まれの世代が、ひろゆきといい、こちらの著者といい、自虐的な結果論をまとめざるを得ないというのは、ちょっと皮肉であるな、と思う。
ネット空間についてはさまざまな意見があり、結果としてこのような形の結論に達してしまうだけではなく、最初っから批判的な動きがさまざまある。だから、ひとりふたりがこのような結論に達してしまったとしても、別に驚かないが、なぜに著者がこのような結論になってしまったのか、ということには関心がある。
で、著者は、暗にトフラーの「第3の波」を引用する形で、第1の農業革命、第2の産業革命、そして第3の情報革命を引っ張り出してきて、批判的にとらえているわけだが、それは、どっかで勘違いしてしまっている部分があるように思う。
農業革命において、人類が地域に定着した生活を送るようになったからと言って、決して弥生文明が縄文文明より優れている、というわけではない。また産業革命が都市の集中した生活空間をつくり出したとしてもアーミッシュの人々のように、積極的にそれを拒否して、旧来の生活を守ろうとしている人々が遅れている、とは決して断言できないのだ。
いわゆる情報革命以前の「あなろぐ」な生活を愛することは何も悪いことではないが、当ブログは、著者のような「あつものに懲りて、ナマスを吹く」ような気分には決してならない。著者は「情報革命」そのものになにかの理想を見つけようとしているようだが、当ブログは、その上に「意識革命」という、もうひとつの概念を持っている。
農業革命において、人びとの意識はどのように変化したか。産業革命において、人びとの意識はどのように変化したか。そして、このインターネットを中心とした情報革命のなかで、人びとの意識はどう変わっていくのか、どう変わっていくべきなのか、というところに視点を見つける必要がある。そうしないと、著者のような偏屈な「ウェブはバカと暇人のもの」というような結論に達してしまう。「インタ-ネットは貧者の味方!」などという程度なら看過できるが、他人をバカや暇人呼ばわりする前に、まずはご自分の人生の生き方のセンスのなさを痛感されるがよかろう。
コンテナとしてクラウド化し、コンテンツとしてアーカイブ化するウェブ・インターネット社会に、更なるコンシャスネスとしての新たなる目標を見いだせなければ、著者のような結論に達してしまうことは容易に推測できる。それは、ネット社会とかウェブとか悪いのではなくて、人間そのもの、生き方そのものに、なにか欠点があるのだ。この人は、農業革命のさなかにあっても、同じような愚痴をこぼしただろうし、産業革命の波にさえ、乗れなかっただろう。
本質は、意識革命の波をつかまえられるかどうかにある。
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