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2009/06/23

イソップ寓話集

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「イソップ寓話集」19のおはなしとイソップにまつわる伝説と歴史
バーバラ・ベイダー 文 アーサー・ガイサート 絵 いずみちほこ 訳 1994/12 セーラー出版 ハードカバー p64
Vol.2 No.676
★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「ウサギとカメ」、「肉をくわえた犬」、「キツネとブドウ」、「北風と太陽」、「オオカミがきた!」、「ネコのくびに鈴」、「アリとキリギリス」などなど、考えてみればすでにその出典がイソップ物語であったかどうかすら忘れてしまったような、実に一般生活に同化してしまっているイソップ寓話はたくさんある。

 研究者たちはごく最近まで、イソップ寓話の源はふたつあると考えてきました。ひとつはギリシャの民間伝承、もうひとつは「パンチャタントラ」というインドの説話集です。これはイギリスの民俗学者ジョゼフ・ジャイコブズの説でした。けれども1950年代にシュメール人についての新しい発見があり、この考えは訂正されました。
 その発見とは、紀元前1800年以前にくさび形文字がかかれたもののなかに、イソップとよく似た形式の、ときには内容まで同じ寓話があったということです。古代シュメールの人々は、世界最古の法典を持つ、教養のある都市民でした。イソップの生きた紀元前6世紀のギリシア人たちは、そのシュメール人の流れをくむものです。
p7

 ふだんなにげなく話の端々に織り込まれるこれらの寓話にも、これだけの歴史が隠れていたのかと思うと、ちょっと背筋が伸びる思いがする。Oshoはまた別な視点から指摘している。

 8番目。「イソップ寓話集」。さてイソップというのは実は歴史上の人物ではない。そういう人間は存在しなかった。これらの寓話はみんな、仏陀が説教の中で用いたものだ。アレキサンダーがインドに来てそれらの寓話が西洋にもたらされた。もちろん多くの点が変更された。仏陀という名前までだ。
 仏陀は「菩薩(ボーディサットヴァ)」と呼ばれていた。仏陀は覚者には2種類あると言った。一つは「阿羅漢(アラハット)」。自らのブッダフッドを達成して、他の誰のことも気にしない者のことだ。そしてボーディサットヴァ。ブッダフッドを達成し、道を求めている他の者を懸命に助けようとする者だ。「ボーディサットヴァ」こそ、アレキサンダーによってボーディサットとして伝えられた言葉だ。それからその言葉は「ヨセフス」となった。その後「ヨセフス」から「イソップ」になる。イソップは歴史上の人物ではない。だがその寓話は途方もなく意味深い。これが私の教の8番目の本だ。
Osho「私が愛した本」p49

 検索してみれば「イソップ寓話集」の紹介本はいろいろあるようだ。また、上にあげた代表的な誰でも知っているイソップ物語だけではなく、もっともっと多くの物語が集められている。1982年に小学館からでた「イソップ寓話集」には350を超える物語が集められている。

 インドには、大多数が動物寓話からなる教訓物語「パンチャタントラ」(後3~4世紀ころ成立)があり、古来約60種もの言語に翻訳されて世界文学のひとつに数えられています。
 この「パンチャタントラ」を研究した著書の中で、その成立は前2~後4世紀と考えました。いっぽう完全な形で残る最古のギリシャの寓話は、ヘシオドス(前700年ころのギリシアの叙事詩人)の著した「仕事と日々」の中で、ヘシオドトス自身が裁判官である王たちにむかって語る、「タカとウグイス」だとされています。
「イソップ寓話集」1982小学館版p243

 Oshoのイソップ=ボーディサットヴァ説もなかなか興味深いが、いざ調べようとすると、間口は広いが、奥はかぎりなく深いのイソップの世界のようだ。イソップはそれだけで一つの大きな研究対象になってしまう。このような世界は、中東やコーカサスのイスラム圏に広がる「ナスレッディン・ホジャ物語」と同じように、急いで速読する類のものではないだろう。また精読する、というのも当たらない。

 折にふれて、ひとつひとつの小話を味わい、自分の中で熟成したものをまた自分なりに組み立てなおし、味わい直していく、という類の物語であろう。

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