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2009/06/29

論語

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「論語」中国の思想 X I  第3版
久米旺生 1996/03 徳間書店 単行本 308p
Vol.2 No.689★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆

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 今年一年は「天台沙門・染筆」カレンダーと一緒に日々を過ごしている。今月6月の一筆は、「巧言令色すくなし仁」。論語からの一語である。この語とともに一カ月過ごしたことになったが、この言葉、決して嫌いじゃないが、なんとなく落ち着かない一カ月だった。

 2番目。孔子の「論語」だ。私は孔子はまったく好きになれない。また好きでないことに何のやましさも感じない。今このことが記録されてほっとしている。孔子と老子は同時代人だった。老子の法がすこし年上だった。孔子は老子に会いにいったこともある。そして根底まで震撼されて、恐れおののき、汗をかいて帰ってきた。Osho「私が愛した本」p153

 朝は「論語」を読み、夜は「老子」を読む、という人もいるそうだ。なかなかいいバランスのようにも思うが、Oshoの評価はかなり偏っている。であるなら、なぜにOshoはここで「論語」を入れたのだろう。たしかに老子や荘子や列子などを読んでいくと、ひとつの反面教師のように孔子が登場してくる。キャラが立っているだけに、無視するのはもったいない、ということか。

 しかし、ただ公平を期して、私は孔子の最も有名な著書の一冊を入れておこうと思う。「論語」は一番重要な彼の著書だ。私に言わせれば、これはまさに、醜悪ではあるが絶対に必要な---いわゆる必要悪と呼ばれる---樹木の根のようなものだ。「論語」とは、必要悪だ。その中で孔子は、世間と世間的なことがら、政治とあらゆることについて語っている。Osho「私が愛した本」p154

 断片的には、私達の日常生活に孔子の思想や言葉はしっかりと浸透している。お隣の韓国などは儒教が広がっていたために、キリスト教が入りやすかったなどというレポートもある。

 私は彼を哀れむ。彼はいい男だった。ああ、彼は最も偉大な人間のひとりである老子にあれほど近づきながら、しかも逃した。彼のためには涙を流すことしかできない。Osho「私が愛した本」p154

 私は、孔子というと、なぜか、マキャベリを連想する。アントニオ・ネグリを読んでいると、肯定的にマキャベリを評価している部分に多く出くわす。なんでかなぁ、といつも思う。私自身は、ひとつのカテゴライズされたマキャベリ像を持っているだけで、実際にはよく研究したことがないので、真実のマキャベリを知らないのかもしれない。それと同じことは孔子についても言えるかもしれない。

 論語が”ひからびた修身教科書”として印象づけられていることも、事実である。実は、これは、論語そのものの責任ではない。後世の儒家が、自派の経典として神聖化して、固定化したためであり、さらに時の権力が封建制度の精神的支柱として権威化した結果なのである。「論語」p10 「解説」

 巻頭からこのようなエクスキューズを出してくる本もめずらしい。このような態度こそ、いかにも孔子的だ。巧言令色すくなし仁。いいじゃないか、うまく言えなくたって、かっこ悪くたって、ありのままがいいんじゃないか。孔子も儒家も、ここは腹を据えて、ヒールに徹してもらいたい。

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