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2009/06/11

読まずに済ます村上春樹「1Q84」

Q84
「『1Q84』バカ売れ 読まずに済ます村上春樹」 
「サンデー毎日」2008/06/21 毎日新聞社
No.655★★★★☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 銀行の待合室というのは、なんであれほど週刊誌が魅力的に見えるのだろうか。コンビニや書店で週刊誌なんか立ち読みする気には全然なれない。気に入った週刊誌があれば、すぐ購入して、あとでゆっくり読んだほうが面白い。だが、めったにそういうことはない。それと書店には週刊誌のバックナンバーはないけれど、銀行の待合室には、各誌、過去一ヶ月くらいのバックナンバーが揃っているところが魅力的ではある。

 歯医者に行っても週刊誌があるのだが、なぜか魅力的ではない。品揃えとしては同じようなものなのだが、緊張感が違う。歯医者の待合室にいるのは高齢者が多く、どこか空気がよどんでいる。その点、銀行は、近所の会社の事務員さんがいたり、ネクタイ組もいたり、どこかよそよそしい。その中で、わずかな時間を見つけて読む週刊誌が、なんとも魅力的なのだ。

 私が、一番、自分は悟っている(笑)のではないか、と思う瞬間。それは、仕事にひと段落ついて、まとまった郵便物を、表の郵便局のポストに投函しにいく時。書類をつくるのは私の仕事だが、書類をつくっただけでは私の仕事は完了したことにはならない。通常はファックスやネット送信でほとんどが済んでしまうのだが、郵送の書類も多く、重要度も高い。

 ポストに投函するまでがそうとうに気をつかう時間帯である。間違いなく、雨にぬれたりしないように、落とさないように、キチンと投函しなくてはならない。時には集配時間をチェックして、一番はやく送付できる時間帯を選択しなくてはならない。そのようないくつかの条件をクリアして、郵便物を投函するまでは、私の目的意識はかなり明確なのだが、投函したあとは、結局ふらふらと事務所にもどるだけだから、ほっと一息ということになる。

 ちょうどこの一息、という頃合いに、大通りにでる。そのとおりが実にまっすぐで、遠近法のお手本のような状態になっている。車道があり、歩道があり、両側に商店街がある。そして街路樹が並んでいる。いつもの風景なのだが、小学校の図画の時間に習ったような、まるで遠近法を絵に描いたような風景が、忽然と現れる。そのとき、私はいつも、ふと、足元の地球から、自分の体が浮き上がっているような体験をする。

 すくなくとも、私はこんなに身長が高いのだろうか、と、視点がいつもより高いように思う。地表より、こんなに視点が離れていて、いいのだろうか。目の前に現れる風景は、まるで、曼荼羅図のようだ。バニシングポイントになっている。仕事を終えたという解放感と、あの風景が、あの茫漠とした恍惚感を生み出すのだろう。

 銀行の週刊誌が面白いと思うのは、この郵便局へのポスト出しのあとの解放感とつながっているかもしれない。銀行にいくまでは、それぞれの書類を作ってそろえなければならないので、けっこうな緊張感がともなう。カードで済ますことができるものはたいした仕事ではないが、待ち時間があるような要件は、やはり緊張がともなう。

 銀行についてしまえば、あとは私の番がくるまでは、他にやることがない。なんの憂いもなく、「なにかの」作業ができる。待合室のソファーの上では、週刊誌をめくる以外にほかの作業はなにもないのだ。だから、あの解放感のなかの週刊誌がやたらと面白く感じることができるのかもしれない。

 そして、いつ自分の番がきたり、名前を呼ばれるか分からないちょっとした張りつめた状態。いつその読みかけの記事を止めなくてはならなくなるか分からない、という、ひとつのルシアン・ルーレットのような偶然性。ちょっとした時間に面白い記事ひとつにでもあたればもうけものだ。

 「読まずに済ます村上春樹『1Q84』」。いいなぁ、このコピー。なんだか、こちらの気持ちの図星を突かれているような気分になる。見開き2ページに書かれたダイジェスト。どこまで書かれているのか、本当はこれを読まない方がいいのか、ちょっと不安な気持ちになりながらも、やっぱり読みたい。数千円と数日(以上)をかけてひとつの小説を読むよりも、銀行の待ち時間に週刊誌見開きでそのダイジェストを分かってしまったほうが、めんどうくさくない。

 だけど、今日のテレビのワイドショーの紹介のしかたといい、この週刊誌での取り上げ方といい、当然のことだけど、違いがいくつかある。かたやお茶の間、かたや通勤途上のアダルト層を狙った週刊誌。違いがあって当然だ。であるなら、やはり、お茶の間テレビ派でもなければ、通勤週刊誌派でもない私には、私なりの読み方があっていいはずだ。

 ということで、やっぱり、「読まずに済ます」のは、ますます難しくなってきた「1Q84」である。

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47)表現からアートへ」カテゴリの記事

コメント

梅田氏は、2005年に、はてなの取締役に就任してますね。
はてなの社長も、デジタル・ネイティブの一人として注目されているようです。http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200902150000/

投稿: Bhavesh | 2009/06/17 12:32

あっ、梅田望夫さん、そうなんですか。
amazon のアフィリエートと google analytics をちょっと試してる程度なので、ぼくにははてなで充分です。

投稿: suganokei | 2009/06/16 11:21

suganokei さん

はてなは、梅田望夫も関わっている会社だから、ちょっと気になりますね。

当ブログの今回のひっこしの時、はてなも検討したのだけど、はてなの無料サービスだと、アフェリとかアクセス解析が自由でないのかな、というイメージがありました。

他については、Youtubeとかデザイン性、記事のインポートやエクスポートに対するサポートは優れていると思いました。

投稿: Bhavesh | 2009/06/12 17:04

はてなの方、読んでいただき、どうも。
ほかのサービスはあまり使ってないのでよくは分りませんが、はてなは細かいところがそれなりにいじれるので気にいってます。
ほいではまた。

投稿: suganokei | 2009/06/12 16:19

suganokei さん

「天井の模様」はありますね、確かに。今のは木目がプリントされているけれど、昔は自然木の木目だったから、なんだか、川面の動きを見つめているようで、変化自在に動いていました。

最近はプールでウォーキングしたあとに、目を閉じて横になったりしていると、完全に「意識」のなかに入っています、15分くらい。

ところで、suganokei さんのブログもなかなか興味深いですね。はてな、の使い勝手はどうなのかな・・?

投稿: Bhavesh | 2009/06/11 20:29

歯医者での週刊誌、郵便を出した後の悟り体験、おもしろいですね。

ぼくの場合、自分の部屋で寝っころがって天井の模様見てるときとか、職場のトイレで用を足しながら壁紙の模様見てるときとかに、意識が別の次元に入ってくような感じがあって楽しいです。

投稿: suganokei | 2009/06/11 16:07

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