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2009/07/16

多読術<2>

<1>よりつづく

多読術
「多読術」 <2>
松岡正剛 2009/04 筑摩書房 新書 205p

 先日立ち読みした一応の感想は書いておいたが、今回は図書館の新着本コーナーでこの本を見つけたので、また読みなおすことにした。いろいろ状況を変えて読みなおしてみることも、多読術のひとつだろう。

 読書感覚をずうっと維持する必要がある。またそれと関連してもうひとつ、自分で決めたことは、だからといって読書三昧の日々にはしないで、断乎として仕事は続けるということです。それも仲間とともに進める。一人ではなくてね。そして、仕事でいかに時間が取られようと、それでも読書をはずさないと決めた。そうやって、どんなときも、愉快なときも悲しときも、調子のいいときも悪いときも本を読むというふうにしてきたわけです。p162

 考えようによっては、この本はセイゴー流「私が愛した本」だ。たくさんの本がさりげなく紹介されているので、この本をキーブックとして自分の読書ワールドを広げていくことは可能だ。「千夜千冊」を全部読んでやろう、という野望は、もう当ブログとしては捨てたが、「ちょっと本気な千夜千冊虎の巻」くらいはそのうち再読しようと思っている。しかし、「虎の巻」よりも、こちらの本のほうがさらに親しみやすいかもしれない。

 そこで浮上してくるのが、やっぱりITですね。コンピュータ・ネットワーク上のテクノロジーとコンテンツをいかに読書行為や読書編集と適合させていくかということは、パソコンからユーチューブまで、ケータイからアーカイブまで、その使い勝手がこれこらの大きな課題になるでしょう。p183

 漆原直行「ネットじゃできない情報収集術」みたいな若年寄りのご忠言より、本物不良ジジィの述懐のほうがためになる。

 こんなに多くの知識が高速に引っぱりだせるということは、十数年前まではまったく考えられてもいなかったことですね。だいいち、場所もとりません。本棚も必要がない。しかも入力機と出力機はいまはほとんど一体になっていますから、ノートパソコン一台あれば、どんなに長いブログでも書けるということになってきた。p184

 我が意を得たり。なんせ「場所もとりません、本棚も必要がない」、というところが分かってるー、という気がする。でも、もっとも当ブログはその間に図書館ネットワークがどうしても必要になる。久慈力「図書館利用の達人 インタ-ネット時代を勝ち抜く」を組み合わせないといけない。

 こちらはオンリー1人、むこうはオール世界。それをキータッチひとつでなんとでもしてみせる。そういう感覚です。では、ここには懸念が問題がないのかといえば、そこはまだまだそうはいきません。 p184

 こちらはオンリー1人という感覚は、たしかにブログのスタート地点では味わった感覚だが、数年経過してみて、この感覚はだいぶ変わってきた。まず、ごく少数だが同行の仲間がいることが確認できるようになってきた。書き込み、トラックバックだけではなく、アクセスアナリティクスで毎回来てくれる存在も分かってきたし、ググられるにしても、どのキーワードで自分がググられたのもわかってきた。もちろんRSSなどで、同じ傾向の他の人々のブログなどの発信情報もつかめるようになってきた。

 また「むこうはオール世界」という感覚もだいぶ変わった。いや、それは幻想だ。すくなくとも当ブログはその幻想にごまかされてはいけない。「オール世界」は人間界の無意識が醸し出す虚構だ。人間はオール1人なのだ。

 ぼくは「読書」とは、すべての編集技術を駆使することであって、それゆえ、どんなメディアにおける「読書」もパラレルで、重層的になりうるべきだと思っているわけです。ですから、多読術もそのような様相を呈せざるをえない。そういう見方からすると、読書方法は他のメディアとの関連で考えたほうがおもしろいということになります。p187

 最近は、図書館は「瞑想空間」なのだ、と気がつき始めた。「私が愛した本」を語った時、Oshoはすでに「読書をやめて」いた。セイゴー親分は生涯読書をつづける、と言っているが、はて、当ブログは、というと、いずれはブログもやめ、読書もやめるだろうと思う。読書を離れる時があっていい。すくなくとも「死」は、私と読書との間に割り込んでくる。

 コンテナ→コンテンツで止まってしまっているから、「クオリア再構築」の島田雅彦のような中途半端な精神的な彷徨がはじまってしまう。さらなる→の向こうに、コンシャスネスを据えないと、人間全体が見えてこない。文字化されたもの、情報化されたもの、クオリア化されたものには、すべて限界がある。最終形態ではない。

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コメント

ENIさん

多読という意味では、久慈力という人は生涯50万冊を豪語していますが、冊数が多ければいいというものでもないと思います。(^-^;
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/--95ea.html

でも、やっぱり松岡親分の「千夜千冊」は、一度は全部ページだけでもめくってみたいですね。
http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200802140001/

すでに30年ほどまえに星川淳が、松岡編集の「遊」に「地球感覚」を連載していたのだから、松岡は少なくともこの時点からOshoの存在は知っているとは思いますが、直接Oshoに触れた文章はまだ読んではいません。
http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200811290001/
 
 読書はなにものにも代えがたい楽しみだとは思いますが、雄弁は銀、沈黙は金、というアフォリズムがあるとすれば、知るは銀、知らぬは金、という境地も、どこかに存在するようにも思います。

投稿: Bhavesh | 2009/07/19 00:26

Bhaveshさん、こんばんは!

いやぁ、この方もある意味Oshoですよね。
読書量がハンパではない気がします。
それにOshoと同じで禅がお好きなようです。
あそこのサイトを全部読みは、たしかに無理かもです。

読書をやめる時は何かがある時でしょうね。

投稿: ENI | 2009/07/18 22:48

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