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2009/07/23

ガンジー自伝<2>

<1>よりつづく 

ガンジー自伝改版
「ガンジー自伝」  <2>
マハトマ・ガンディー /蝋山芳郎 2004/02 中央公論新社 文庫 512p

 その兄弟はまた、エドウィン・アーノルドの著した「アジアの光」をすすめた。わたしはそれまで、アーノルドは「天来の歌」を訳したにすぎぬと思っていた。それでわたしは、「バガヴァッド・ギーター」のときよりも、大きい興味を寄せながら、それを読んだ。読みだすと、私は巻をおくことができなかった。

 彼らはまた、わたしを、あるときブラヴァッキー・ロッジへ連れていった。そしてわたしをマダム・ブラバッキーとベサント夫人に引き合わせた。ベサント夫人はちょうどそのとき、接神協会に入ったばかりだった。そこでわたしは、彼女の改宗問題をめぐっての議論を、大きな関心をもって聞いた。友人たちは、わたしにその協会に入るようにすすめた。しかし、わたしは丁重な言葉で断りながら言った。

 「わたしはまだわたしの宗教についても未熟なのですから、どの宗教団体にも属したくありません」

 わたしは兄弟がたってというので、マダム・ブラバッキーの「接神術の案内」を読んだことを覚えている。この本は、わたしに、ヒンドゥ教を論じた本を読む気持を起こさせた。また、ヒンドゥ主義は迷信だらけだという、キリスト教会の宣教師たちに言いふらされた見解のまちがいを、晴らしてくれた。p100

 「アジアの光」Osho「私が愛した本」の中にも登場するので、読んでみたいと思っているが、現在のところ英文「The Light of Asia」を大学図書館に見つけたところだ。ガンジーのこの本は、ガンジー自身が書いた自叙伝ということになっているが、必ずしも、彼の全人生をダイジェストしたものでもないので、読み方を充分研究しなくてはいけない。政治的な側面はさておき、当ブログ独自の分類ではあるが、「東洋哲学(インド)」編の中で、他の本とともに再読される必要を感じる。

 この文章はガンジーの「イギリス滞在2年目の終り」以降ということになる。ガンジー20才前後、1890年頃のことか。

 ここで語られている接神術、接神協会とは、いわゆる神智学、神智学協会と同類、同等のものと考えていいだろう。すくなくとも、ブラバッキーとガンジーはここで接触していることが分かった。

 ガンジーの尊称、マハトマ、とは、タゴールが名付けたとも、アニー・ベサントが付けたとも言われている。

 接神論(セオソフィー)は、イギリス人のヘレナ・P・ブラヴァッキー夫人が創始した、超自然的な霊体を信仰する一種の神秘主義。インドの中産階級にその信者が多く、またインドの独立運動とも密接な関係を持った。ネルー家も、一時この影響を受けたことがあった。ネルーは、そのときのことを「自叙伝」のなかで書いている。「わたしは、霊体を夢み、広漠たる空間を飛んでいる自分を空想した。空中高く飛翔する(器械を用いないで)という、このわたしの夢は、わたしの生涯を通じてしばしば浮かびでてくる夢であった。それは時としては、生き生きした現実的なものとなり、大きなパノラマとなって、いなかの景色が、わたしの足下に横たわっているように思われたこともあった。近代的な夢の解釈者であるフロイトは、この夢をいったいどのように解釈するであろうか」p463 「訳注」

 ブラバッキーについて思いを馳せるのは、当ブログとしては、あまり気がすすまないのだが、次第に避けては通れない道筋になってきたようだ。

 アニー・ベサント(1847~1933)。アイルランド生まれ。無神論から接神論にうつり、接神論者としてインド民族の独立運動にとび込んだ。自分でインド自治連盟を組織し、とくに第一次大戦の1917年には、会議派の議長をつとめるなど、指導的な役割を果たしたことがある。現在のベナレス大学の創始者の一人。p464「訳注」

 あまりに煩雑になるので、歴史的、政治的背景は割愛しようと思っていたのだが、ネット上のブログという限界性を感じつつも、すこしはその辺も当ブログなりにきちんと把握しておかないと、多くのことを見落としてしまうことになりそうだ。

 接神論者(セオソフィスト)の友人たちは、わたしを彼らの協会に引き入れようと企てた。しかし、それはヒンドゥ教のわたしから、何か教えられるものがありはしないか、と考えたからであった。接神論の文献は、ヒンドゥ教の感化を多分にうけていた。それで、これらの友人たちは、わたしが彼らにとって助けになるにちがいないと予想した。わたしは、わたしのサンスクリット研究は、研究したといえるほどのものではないこと、わたしはまだヒンドゥの聖典を原語で読んだことがないこと、さらにその翻訳にさえ、なじみは少ないこと、などを説明した。しかし、前生の縁(サムスカラ)や再生(プナル・ヤンマ)を信じている彼らは、ともかくわたしに手伝いをしてもらえると思った。p220「ギーターの研究」

 当ブログにおいて、次第に仮説として見えてきているのは、古代から延々と流れているenlightenmentの系譜があるのではないか、ということ。それは語る人によっては、仮説でも仮想でもなく、それは事実であり、それしかない、ということになる。ブッダからダルマ、そして禅へとつながる系譜。ブッダからナーガルジュナ、タントラ、チベット密教へとつながる系譜。あるいは、キリストにまつわる話、グノーシスの系譜。スーフィー、ハシディズム、ヒンドゥーの中に隠されたもの。そして、エジプトやタオや他の系譜など、表面的にはどのようなネーミングになろうとも、確実にenlightenmentの系譜は連綿と続いてきたのではないか。

 自己実現は人生の第4の段階、すなわちサニヤース(自己否定)で初めて可能である、という迷信を、わたしはよく知っている。しかし、この貴重きわまりない経験への準備を、人生の最終段階まで引きのばした者がついに得たものは、自己実現ではなくて、この世の重荷として生活する哀れな第二の子供時代ともいわれる老齢である、ということは常識になっていることである。p258「自己抑制をめざして」

 この本はいろいろな読み方ができる。一様な結論はでない。「怠け者のための光明への案内人であり、また非光明への案内人」でもあるOsho、あるいはそのサニヤスを受けた門弟たちは、この本をどう読むだろうか。

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コメント

suganokei さん

アンベードカルの生涯 http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200611030001/

男一代菩薩道
http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200810230000

この辺を一緒に読んでみると、ここにも何かの系譜が隠されているように思います。

投稿: Bhavesh | 2009/07/24 19:54

「enlightenmentの系譜」ってあるんでしょうね。微妙につながっていたり、微妙につながってなかったり、いろいろな気がしますけど。

ガンジーさんはあんまり知らないので、この本、今度読んでみます。

投稿: suganokei | 2009/07/24 15:19

小森さん

貴重な情報ありがとうございます。

亜細亜の光輝 / エドウィン・アーノルド著 ; 中川太郎訳 ; 第1巻. - 京都 : 興教書院 , 1890.4

大聖釋尊 / エドウヰン・アーノルド著 ; 佛教圖書出版協會編. - 東京 : 佛教圖書出版協會 , 1908

基督抹殺論 / 幸徳 秋水/著; 東京: 岩波書店.2004

それぞれ目をとおすことができそうなので、ちかぢか手にとってみたいと思います。

投稿: Bhavesh | 2009/07/23 12:22

そういえば、追加情報としはて漏らしていたかもしれませんが、
エドウィン・アーノルド『亜細亜の光』は戦前に岩波文庫から訳本が出てますね。あまりにいかめしい翻訳だったので、味読するには英語の方がいいと思いますが。
岩波文庫から出ている幸徳秋水『基督の抹殺』が、アニー・ベサント論がおさめられていて、幸徳秋水が神智学と関わりがあったことがわかりますね。

投稿: 小森 | 2009/07/23 10:39

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