私が愛した本<34> ポール・レップス「禅肉、禅骨」
「私が愛した本」 <34>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p
ポール・レップス「禅肉、禅骨」
8番目。ポール・レップスの「禅肉、禅骨」だ。本人の創作ではないという意味で、それは原典(オリジナル)ではないのだが、オリジナルではなくても単なる翻訳というにはあまりにも重要だ。これ自体、一流の本だ。ある意味ではそれは創作(オリジナル)であり、別な意味では翻訳だ。それは古い禅の逸話の翻訳と創作からなる。私は、禅について書かれた本はほとんどすべて目を通しているので分かるのだが、このポール・レップスの著作に比較できるものはない。彼は一瞥を得ている。彼には芭蕉や臨済と同じ香りがある。
この人はカリフォルニアのどこかでまだ生きている。彼はこの小さな本の中に、禅の逸話だけでなく、「ビギャーナ・バイラヴァ・タントラ」----シヴァが愛人のパルヴァーテに与えた112の経文----も収めている。これは、シヴァが、ありうるすべての鍵について語ったものだ。私には瞑想において、このビギャーナ・バイラヴァ・タントラ」以上のものがあるとは思えない。112の鍵は十全だ。あれだけで充分のようだ・・・・113では正しい数のようには見えないだろう。112という数は、本当に秘教的で美しく見える。
この本はごく小さい。ポケットに入れて持ち歩ける。それは懐中本だ。だがコイヌールもポケットに入れて持ち歩くlことができる・・・・もっともコイヌールは、イギリスの王冠に象嵌されていて、ポケットに入れて歩くわけにはいかないが。だがポール・レップスの最もすばらしいところは、彼が一語たりとも自分の言葉を付け加えていないことだ・・・・これは信じられない。彼は単純に翻訳しただけ、ただ翻訳しただけだ----ところがただ翻訳しただけではなく、彼は禅の華を英語にもたらした。この花は禅に関する他のどの英語の著述家の中にも見当らない。鈴木大拙でさえそれはできなかった。それは彼が日本人だったからだ。光明を得ていながらも、彼は自分の光明の香りをその英文著作に持ち込むことはできなかった。鈴木の英語は美しいが、まったく光がない。多分電気は入っているのだろうが、明かりはまったくついていない。
ポール・レップスは、ほとんど不可能な仕事を成し遂げた。アメリカ人でありながら、しかも、くり返そう、しかもなお、禅のあらゆる香りを手に入れている。しかもそれは自分のために手を入れているだけではなく、それを「禅肉、禅骨」の中にももたらしている。全世界のためにだ。世界は永久に彼に感謝すべきだ。もっとも彼は光明を得てはいない。だからこそ私は、彼はほとんど不可能な仕事を成し遂げたと言う。 Osho「私が愛した本」 p222
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コメント
Zen Flesh, Zen Bones
この後、入手して、コメントを加えておきました。
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/zen-flesh-zen-b.html
必ずしも時機を得た読書とは言いにくかったが、確認の上、メモしておくのも一興と思いました。
投稿: Bhavesh | 2018/08/03 10:26