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2009/07/30

私が愛した本<36> 「ディオニシウス」

<35>からつづく

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「私が愛した本」 <36>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p

「ディオニシウス」

 4番目。4番目の名前はディオニシウスだ。彼の言明(ことば)、弟子によって書き記されたその断片について、私は話したことがある。だが彼について話したのは、ディオニシウスのような人々を忘れるべきでないことを、ただ世間に知らせるためだった。彼らこそほんものの人々だ。

 ほんものの人々は指で数えられるほどしかいない。ほんものの人間とは、実在に出会った人のことだ。外側から対象としての実在に出会ったのではなく、自分自身の主体としてのそれに出会った人だ。ディオニシウスは、覚者たちの大いなる世界に属している。今一度、彼のそのわずかしかない言明に触れておこう。あれは本とは呼べない。本と呼ばれるには、単なる断片以上のものであることが必要だ。Osho「私が愛した本」p111

<37>へつづく

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