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2009年7月の81件の記事

2009/07/31

不死鳥<1>

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「不死鳥」(フェニックス) (上) <1>
D.H.ロレンス (著), 吉村 宏一 (翻訳) 1984/01 山口書店 単行本 602p
Vol.2 No741★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 8番目。D.H.ロレンス。いつも彼の本について話したかったのだが、自分の発音が正しいのかどうか心配だった。どうかそれについては笑わないでほしい。綴りがそうなっているから、私はこれまでずっと、それを「フェニックス」と呼んできた。つい今朝がたのことだが、私はグディアに、「ちょっと教えてくれないか・・・・・」と頼んだ-----こういうことは滅多にない・・・・・! 「この言葉はどう発音するんだね?」
 「フィーニクスです!」と彼女は言った。
 私は言った。「何だって! フィーにクスかね? ところが私は、これまでずっとフェニックスと読んでいた始末だ・・・・・」これが私8番目の本だ、「フィーニクス」。オーケー、少なくとも英語らしく聞こえるように、自分の発音を変えることにしよう。
 「不死鳥(フィーニクス)」・・・・これはすばらしい本だ。こういうものはめったに書かれることがない・・・・何十年に一度、あるいは何世紀に一度しか書かれない・・・・。
Osho「私が愛した本」p191

 とOshoはベタボメだが「こういうものはめったに書かれることがない・・・・何十年に一度、あるいは何世紀に一度しか書かれない」などという、ちょっとオーバーな表現も、そろそろ食傷気味だ。「Osho、ちょっとそれは違うと思います」と言いたくなる。

 しかしまぁ、「うちの父ちゃんは日本一だ」とか、「君は世界で一番美しい」とか、「こんなおいしいもの、今まで食べたことがない」などという表現が存在している限り、そしてことが「愛」に関する限り、Oshoが「愛した本」について表現するかぎり、その類として聞いておくことにしよう。別にオリンピックの記録を論議しているわけでもなく、ミス・ユニバースの審査をしているわけでもない。

 9番目。D.H.ロレンスのもう一冊の本だ。「不死鳥」は、偉大な素晴らしい本だが、私の究極の選択ではない。私が彼の本で一冊だけ選ぶとすれば「精神分析と無意識」だ。この本はめったに読まれることがない。さて、こんな本を誰が読むだろう? 小説を読む人たちはこれを読みはしないし・・・・精神分析を読む人たちもこれを読むことはないだろう。彼らはロレンスを精神分析家とは考えないからだ。だが私は読んだ。わしは小説家のファンでもなければ、精神分析に夢中でもない。私はどちらからも自由だ。絶対的に自由だ。私はこの本が大好きだ。
 私の目は露を溜め始めている・・・・どうか邪魔しないでもらいたい。
 「精神分析と無意識」は、これまで、そしてこれからも私が最も愛し、大切にする本の一冊になるだろう。
Osho「私が愛した本」p192

 「精神神分析と無意識」は一度目を通している。168冊の本になんとか足がかりをつけようと「OSHOのお薦め本ベスト10(私家版)」を作成して、その中で、この本を、とりあえOshoがここまで言うのだからと、特別ランクしておいた。だけど、まぁ、それだけの価値を見つけることはできなかった。

 もう私は本を読んでいないが、もし私が再び本を読むことがあったら、これが、私が読む最初の本になるだろう。ヴェーダでもなければ、バイブルでもない、「精神分析と無意識」だ・・・・しかも知っているかね? この本は精神分析に反対している。

 D.H.ロレンスは、本物の革命家だった、反逆者だ。彼はジークムント・フロイトよりはるかに革命的だった。ジークムント・フロイトは中級だ。何もそれ以上言うつもりはない。だから待たなくていい。
 「中級」という言葉で、私はあらゆる凡庸なもののことを言った。それこそが中級の意味だ。まさに真ん中だ。ジークムント・フロイトは、本当の意味での反逆者ではない。が、ロレンスはそうだ。
 よろしい。私やこの涙について心配することはない。時たま涙するのもいいものだ。それにもう長いこと泣いていないからね。
Osho「私が愛した本」p192

 D.H.ロレンスの「不死鳥(フィーニクス)」。日本語では「フェニックス」と発音しても、誰も笑う人はいない。いや、これが正解だろう。この本も、いざ手にとってみれば、かなり分厚い。しかも上下二冊本だ。

<2>つづく

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『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する<1>

『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する
『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する <1>
亀山郁夫 2007/09 光文社 新書 277p
Vol.2 No740★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

Osho「私が愛した本」の私家版「小説(文学)」編に突入してしまい、小説を不得手とする当ブログは、このジャンルをどう乗り越えていけばいいのか、検討中。不得手と言え、読み始めてみれば、これがなかなか面白い。読む速度、寄り道の仕方、コメントの付け方など、ブログの中の一環として読むとすると、難しいことも多いが、その努力はまったく報われないものでもなさそうだ。

 なにはともあれ、世界文学の最高峰とされるドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読もうと意気込んでみた。ブログに張り付けた新書3冊のデザインは最近改版されたものだが、私の枕元にあるのは、30年前の古いヴァージョンだ。ずっと自分の手元にあったものだから、これを読むのは一番お手軽なのだが、最近は、亀山訳の「カラマーゾフの兄弟」がでていたようだ。

 もとは同じ作品なのだから、それほど翻訳の内容も違うまいと思うが、新訳がでているのであれば、そちらを読むのもよいのかもしれない。「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」という本がでていた。よくあるオチョクリ本なのかな、と思って手にとってみたら、これが、翻訳家本人のまじめな本であった。

 旧版は3冊であったが、こちらの新訳は全5巻。この小説、人生のなかでそんなに何回も読みなおす機会もあるまい。ここは、新訳で読んでみるのが正しいのではないか、と作戦を練り直し中。ましてやこの「続編」を考える旅と一緒に読んだら、なお面白いかもしれない。

<2>につづく

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中世思想原典集成3 ディオニュシオス・アレオパギテス<1>

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「中世思想原典集成3 」後期ギリシア教父・ビザンティン思想
上智大学中世思想研究所 1994/08 平凡社 単行本 975p
Vol.2 No739★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「ディオニュシオス・アレオパギテス」

 Osho「私が愛した本」の中の「キリスト教編」の6冊の一冊として「ディオニシオス」があり、そのディオニュシオスについてOshoが講話したのがTheologia Mysticaであることまでわかった。そして、そのディオニシウスの文献が「キリスト教神秘主義著作集1ギリシア教父の神秘主義」(教文館)と、この「中世思想原典集成3後期ギリシア教父・ビザンティン思想」(平凡社)にあることを、教えてもらった。

 思いもよらぬ展開で、さっそく、その2冊を検索してみると、最寄りの2つの図書館に別々に入っていることが分かった。なんともすごい展開だ。このような形で収録されていることは、通常の通りがかりの立場ではなかなか発見できない。感謝。

 さて、実際この本を手にとってみると、その分厚さに驚く。内容もなかなか難しそう。編集も「上智大学中世思想研究所」となっている。生半可なことなことを語っていたら、ひどい反撃を食いそうだ(笑)。ここは心して歩をすすめなくてはならない。

 それでも、目指すディオニュシオス・アレオパギテスの「天上位階論」、「神秘神学」、「書簡集」についての訳は、全部で180ページほどで、それほど長文ではない。章立てもそれほど長くもなく、読んで読めないこともなさそうだ。

 しかし、その意味は・・・・・。まずはともあれ、ページをめくってみることにしよう。

<2>につづく

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2009/07/30

Theologia Mystica<1>

Theologia_mystica
「Theologia Mystica」 Discourses on the Treatise of St. Dionysius <1>
Osho 1983/07 Rajneesh Foundation Internatinol 368p 言語 英語,
Vol.2 No738★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 Osho「私が愛した本」の中で、当ブログが「キリスト教」編に振り分けてみたのが、168冊のうちのわずかに6冊。他の小説などで登場するキリスト教は「小説」に振り分けてしまったせいもあるが、それにしても少ない。その中で、もっとも「本」として探し出すのが難しいのが「ディオニシウス」だ。

 検索の仕方にも問題があるのだろうが、ほとんど、どの図書館にも、この文書の片鱗を見つけることはまだできないでいる。わずかにアラン・ワッツがディオニシウスについて本を書いている(あるいは翻訳している)ようなのだが、希少本となっている。

 本として出ている限り、いずれかの方法によればこの手にとって見ることはできるだろうが、今はまだそれほどに煮詰まってはいない。そこまで深く追っかけをする気はないが、それにしても気になる。 

 この本さえ読めば、一応は「キリスト教」編も卒業できるのだし、アラン・ワッツOshoとの接点もいよいよ明らかになる。グノーシス的キリスト教理解や、神智学への繋がりなど、いくつかのクロスロードの重要なポイントとして、この本が立っているのではないか、という予感がある。

 そんなことを考えていたとき、自分の本棚に25年以上も「積んで」あるこの「Theologia Mystica」にようやく気がついた。なるほど、この本は、こういう局面で立ちあがってくる本であったか。

 この本は、1980年8月11日~25日の間に、インドのプネ1において行われたOshoの15の講話と問答集をまとめたものだ。「私が愛した本」の歯科椅子シリーズの直前と言えるだろう。

 現在、当ブログは、小説(文学)編に突入しており、長編の文学大作につきあわされそうになっている。なかなか輻輳的で散漫になりがちな当ブログの姿勢だが、決して、これらのOshoの一連のシリーズを忘れているわけではない。

 なにも急ぎの旅ではないし、時がくるのを待っていれば、正しい時に正しいことが起こることになるだろう。なにはともあれ、自分の本だなにこの本をようやく発見したことをメモしておく。

<2>につづく

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私が愛した本<36> 「ディオニシウス」

<35>からつづく

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「私が愛した本」 <36>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p

「ディオニシウス」

 4番目。4番目の名前はディオニシウスだ。彼の言明(ことば)、弟子によって書き記されたその断片について、私は話したことがある。だが彼について話したのは、ディオニシウスのような人々を忘れるべきでないことを、ただ世間に知らせるためだった。彼らこそほんものの人々だ。

 ほんものの人々は指で数えられるほどしかいない。ほんものの人間とは、実在に出会った人のことだ。外側から対象としての実在に出会ったのではなく、自分自身の主体としてのそれに出会った人だ。ディオニシウスは、覚者たちの大いなる世界に属している。今一度、彼のそのわずかしかない言明に触れておこう。あれは本とは呼べない。本と呼ばれるには、単なる断片以上のものであることが必要だ。Osho「私が愛した本」p111

<37>へつづく

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カラマーゾフの兄弟<1>

カラマーゾフの兄弟(上巻)改版  カラマーゾフの兄弟(中巻)47刷改版  カラマーゾフの兄弟(下巻)48刷改版
「カラマーゾフの兄弟」   (上) (中) (下)  <1>
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー /原卓也 初版1978/07 新潮社 文庫 667p 615p 682p 改版2004/
Vol.2 No735~7★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
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「カラマーゾフの兄弟」が2番目だ。Osho「私が愛した本」p12

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<2>につづく

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2009/07/29

脳と仮想

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「脳と仮想」
茂木健一郎 2004/09 新潮社 単行本 222p
Vol.2 No734★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 茂木健一郎は、この本で第4回「小林秀雄賞」を受賞した。冒頭から小林秀雄をかなり持ち上げているから、もともと賞狙いの本だったのかも知れないし、そもそも一読者としては、小林秀雄についてはあまり知らないので、それもありかしらん、と淡々と読む。

 余談だが、白州次郎&正子の孫である白洲信哉は小林秀雄の孫でもあるという。

 茂木健一郎は、子供たちが好んでみていたNHK番組の司会などをやっていたので、知った程度だが、梅田望夫との対談を読んで、ちょっと気が抜けているなぁ、と感じた程度だった。

 当ブログでは、いつの頃からか、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネスの三本柱を意識するようになり、コンシャスネス=「意識」、がひとつのキーワードになった。「意識は科学で解き明かせるか」を読んで、お、これはいけるかな、と思い、すこしづつ追っかけをするようになった。

 小説としては初めての作品だという「プロセス・アイ」は面白く読んだが、その後に読んだ一連の著書を、冊数から考えてみた場合、その成果はあまり芳しいとは言えない。現在は「意識とはなにか」とその巻末にある参考文献リストを手掛かりとして、新しい追っかけプロジェクトをはじめようと思ったりもするのだが、いまだに重い腰が上がらない。

 クオリアや意識、あるいは脳、というキーワードが意図的に使われすぎて、ちょっと食傷気味になっている。最近濫造されている著者の本も、あちこちの雑誌に書き散らかされた文章がまとめら得たエッセイ集であり、必ずしも、当ブログとしては読書リストの優先順位が高くならない。

 この本においても、なにかの「解答」のような求めるこちら側が悪いのだろうが、「では、一体なに?」、という、開き直った問いには、ズバリと答えてくるものはない。

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大聖釋尊

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「大聖釋尊」
エドウヰン・アーノルド著 1908(明治41年)/10 佛教圖書出版協會編. - 東京 : 佛教圖書出版協會
Vol.2 No733★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「亜細亜の光輝」は第2篇までしか訳出されていないが、こちらは残りの第8篇まで完訳されている。

六春秋の末遂に
仏成道の大光明、
放ち玉ひし聖地をば
探らん人は底樋なき
恒河につゞく千花園
その西北に位して
緑したゝる群峯の
麓に歩行運ぶべし
尼連禅、莫波那、二條の
渓流こゝに湧き出でつ
広葉のそよぐマハー樹や
奇奔珍木の生ひ茂る
谷間を廻り野辺に来て
落合ふ河はファルガなり。
河岸の岩根に瀬を緩め
夕日に赤き般荼婆山、
山の裾野を潤ほしつ
伽耶の城下に澱むなり。
p385 「第六篇」

 全編がこの調子なので、現代人としては、ざっと読み下すことはできないが、じっくり読めば、これがまた味わい深い。どこまでが英語の原典にあり、どこからが、当時の邦訳のプロセスにおいて付加されたイメージなのかは定かではないが、単なる人物伝でも、プロフィールでもない。

 東洋人とて、現代人とて、ゴータマ・シッダルダの生涯をどれほど知っているかというと、心もとなくなってしまうことがある。ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」にしたところで、それはヘッセのひとつの小説に過ぎない。

 実にこのようにして、東西文化の交流が起こり、東洋が西洋理解をすすめたように、西洋もまた東洋理解を徐々に推し進めたのだった。21世紀においては、地球人としてのひとつのヒューマニティを語ることができるけれども、ここまで来るに至ったプロセスには、たくさんのステップがあったことがわかる。そして、それはそれほど昔からではなく、ごく最近になって、ようやくその速度を始めたこともわかる。

 少なくともここに書かれているゴータマ・シッダルタは、かなり美化されてはいるけれども、神格化されて、視線を上げるのもはばかれるというほど聖人化されてはいない。神々しくはあるけれど、人間ブッダがかいま見える。

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炎の人ゴッホ<2>

<1>よりつづく

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「炎の人ゴッホ」 <2>
アーヴィング・ストーン /新庄哲夫 1990/07  中央公論新社 文庫 831p

 読者のみなさんはさだめし疑問を抱かれたことであろう。「この物語は果たしてどこまでが事実だろうか」と。p819

 たしかに、滑り出しが上々で、最初の最初からこの疑問には付きまとわれた。伝道師を目指して炭鉱に赴くあたり、そして炭鉱で働く人々の生活風景や、炭鉱の中に降りていくあたりなどは、当時の炭鉱の生活そのものに対する興味もともなって、ぐいぐいと物語に引きづり込まれていった。

 だが、その伝道師になるという道も断たれ、憔悴しているところを、弟セオが訪問するあたりになって、その口調が私の周囲にはない調子なので、なんとなく違和感を感じ始めた。

 技法上の自由を許していただいたほかは、この物語はすべて事実である。p819

 何をもって事実とするかはさまざまな考え方があれど、この姿勢こそが、この伝記小説を読ませる力でもあるし、また伝記小説という地位にとどまっている理由でもある。ジャーナリズム的な意味では「事実」であっても、存在論的には、すでに一つの体験を再現されている、という意味では、すべてにおいて「事実」ではありえないことになる。

 ただこの伝記小説が出たのは1934年であり、アメリカにおいてまだ無名だったゴッホをこのような形で紹介したのは、とても大きな業績であろう。3年ちょっと前にこのブログでも、ゴーギャンを描いた「月と六ペンス」を読んだ。

 人生に失望し、愛を失い、ゴーギャンに出会う。そして別れる。

映画「Lust for Life」 (1956)

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 ゴッホの遺作「鴉(からす)のいる麦畑」。

<3>につづく

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2009/07/28

自分を活かす色、癒す色

自分を活かす色、癒す色
「自分を活かす色、癒す色」 至福の色彩学
末永蒼生 1998/11 東洋経済新報社 単行本 213p
Vol.2 No732★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 60年代の終わりを締めくくったのが「サイケデリックブーム」だ。「サイケデリック」とは、直訳すれば「意識の拡張」といった意味。当時のアーティストたちが試みたドラッグや瞑想によって生じる幻覚状態や感覚体験をサイケデリックと呼び、そのときに知覚できるという極彩色や蛍光色の抽象模様を、ポスターやレコードジャケット、Tシャツなどの図案に用いる若者の風俗をひっくるめて、「サイケ調」、「サイケ族」などと呼んだ。p79

 思えば、当ブログ、昨年の今頃は「サイケデリック・シンドローム」を読んでいた。どうやら夏になって、むしむししてくると、サイケが恋しくなるらしい。

 学生運動が激化する中で、現実の秩序への反発と逃避、デモの熱狂と混沌など、さまざまなエレメントが引き金となって、目眩にも似たサイケ調の色彩文化が求められたのだろう。
 90年代以降、再び60~70年代の流行が復活しつつある。若者たちにとってそれは新しいファッションかもしれないが、当時を知る者にとってはスタイルの模倣だけが目につき、色彩はまったく冴えない。あの、ドキドキ、わくわくさせる、ハレーションを起こしそうな色彩のインパクトがないのである。やはりあの色は、ホットな時代だからこそ生まれてきた、あのときだけの眩惑の色だったのかもしれない。
p79

 わたしも、心の中では「あの、ドキドキ、わくわくさせる、ハレーションを起こしそうな」時代を忘れることができない。そして、その時代と著者を重ね合わせて、考えているところがある。だから「心を元気にする」などというコピーでは、どうも納得できないのである。

 この本、1998年発行である。当時のカラー・コーディネイトなどのブームもあったのだろうが、例の忌まわしい事件の直後であるのに、この本は頑張っていると思う。いや、あの時代だからこそ、直接的な「カゲキ」な方向性よりも、ソフトでデリカシーを必要とする色彩学が時代の渇きをいやしたのだろう。

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自分力を高める色彩心理レッスン

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「自分力を高める色彩心理レッスン」―心を元気にし、仕事や人間関係をグレードアップ
末永 蒼生 2005/04  ナツメ社 単行本 223ページ
Vol.2 No731★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 10代の頃に、著者の「ウルトラトリップ」を読み、20歳前後で「生きのびるためのコミューン」(1973/03 三一書房)を読んだ立場としては、どうもいまひとつ、この色彩やカラーについての、あれやこれやのエピソードがいっぱい詰まった著者の活動は、すんなりと納得できないところがある。納得できないのはなぜなのか、その理由はいまだによく自分でも分からない。

 直感的にいえば、グルジェフのエニヤグラムが性格判断のような用いられ方をされていて、忘れさられてしまうよりはいいかな、と思いつつも、ちょっと発展方向が違うな、という違和感を持っているのと、やや似ているようにも思う。

 アメリカにおいて、エサレンなどで、たとえばアラン・ワッツらがZenやセラピーに辿りつき、何事か発展させようとしていた時代と、著者が60年代から繰り返してきたイベントなどは、時代的にも、意味的にも、重ならないわけではない。その後、エサレンの活動が、どのような展開になったのか、少なくとも当ブログから見て好ましい発展を遂げたのかどうかは、まだ確認していない。そのような観点から、日本における一つの可能性が、時代を超えて、市民社会に根付いた動きの一つとして、著者のカラー&セラピーの動きはちょっと気になるところではある。

 著者の関わっていた色彩心理研究に多いに啓発されるところがあり、20歳前後の時に、私達のグループでは盛んに「お絵かき」が行われた。いわゆる色と形の意味について、一通り学んだ。しかし、その「学んだ」ことが、よかったのかどうか、をソーカツすると、吉凶あいなかばすると、私は思う。

 この本は2005年にでているので、著者の本の中では、比較的最近の本ということになる。自分力・・・ですか。このような若いコピーライターが宣伝文でも使うような言葉が氾濫して、イメージだけが先行していく。「色彩心理の世界」でもそうだったが、この本においても、キャッチコピーとして「心を元気にする」というキーワードが使われている。

 厳密に言えば、「心」が「元気」になる、なんていう用語は、ほとんどつかみようのない曖昧模糊としたイメージでしかない。心理学的には「ガンバロー」なんて激励の言葉は禁句とされているが、心が元気であることに反論はないが、色を使って、心を元気にする、というその行為自体、どうも腑におちない不安定さを感じる。それもレッスンまでして・・・・。

 著者の活動を支持する勢力があり、具体的な成功例として、著者が歩み続けているのは御同慶に堪えないが、しかし、著者は、もともとこの地点にたどりつくために、あの旅を始めたのだっただろうか、と、ちょっと不可思議な気分になる。

 それだけ厳しく見るなら、まず自分自身を見てみないさいよ、という声は私の内にも確かにある。ここまでもってきた著者の活動は並々ならぬものがある。だから、認めよう、という気持ちと、だからこそ、なにかが違うぞ、とひとこと言っておきたい気分とないまぜになっている。

 チベット密教についての著書の多い正木晃なども、別な角度から色の世界に突入しており、末永と同じく「塗り絵」帳なども複数出版しているので、いつか、それらを比較検討してみるのも面白かろう、と思う。

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2009/07/27

色彩心理の世界

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「色彩心理の世界」心を元気にする色のはなし
末永蒼生 1998/11 PHP研究所 単行本 229p
Vol.2 No730★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 

 
光が強ければ、それが生み出す闇も深く鋭い。その闇からはい上がるようににして黄色の光を求めてつづけた画家ゴッホ。しかしその短い生涯は、愛に破れゴーギャンとの友情も破綻し、画家としての成功を見ることもなかった。ゴッホにとって、”黄色い部屋”の絵は、ついに得ることのなかった人との幸せを、イメージの中で”静止画像”として永遠に刻んだ作品だったのではないだろうか。p04

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 ここに張り付けようと思って検索してみたが、ゴッホの「寝室」でも、いくつものヴァージョンがあるようだ。あるいは転写される時にさまざまな影響を受けるのか、単に「黄色い部屋」と一言では片付けられないヴァリエーションがある。実際には現物を観賞する以外にないのだろうが、ひとつひとつ見比べていくのも面白い。

 ただいま「炎の人ゴッホ」読書中。いつも駄弁ばっかり弄している当ブログだが、一旦言葉を失うと、ふたたび、おしゃべりな自分まで戻ってくるまで時間がかかる。

 黄色といえば、この色を生涯にわたって求めた画家、「ひまわり」の絵で有名なヴァン・ゴッホが思い出される。その黄色は人生の終盤になるほど強いタッチで描かれるようになっていった。p49「黄色の求道者、ゴッホ」

 末永蒼生ワールドでゴッホを見ると、これはこれでまた味わい深いものがある。

 黄色の求道者といっていいような画家であったゴッホ。若い頃に描いた風景画や貧しい炭鉱の人々をモチーフにしたくすんだ色調の作品においても、すでに黄色が闇の中で輝くランプのように仄かな光を放っている。p050

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ミケランジェロの生涯―苦悩と歓喜

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「ミケランジェロの生涯」―苦悩と歓喜
アーヴィング・ストーン (著), 新庄 哲夫 (翻訳) 1966/02 二見書房 486ページ 
Vol.2 No729★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 今日の私の2番目の本の本もアーヴィング・ストーンによるものだ。私がそれを2番目に挙げるのは、それが二番手だからだ。「生への渇望」ほどの質はない。それは「苦悩と歓喜(邦題「ミケランジェロの生涯」)だ。同じようにまた、もうひとりの人の生涯にもとづいたものだ。おそらくストーンは、もうひとつの「生への渇望」を生み出すことができると思ったのだろうが、彼は失敗した。失敗にも関わらず、この本は第2位だ---他のどの本でもなく、彼自身の本に次いで。芸術家や、詩人や、画家の生涯について書かれた何百という小説があるが、そのうちの1冊も、1番目の本に言うに及ばず、この2番目の本の高みにすら達しているものはない。両方ともすばらしいが、最初の本には超越的な美がある。

 2番目の本は若干低くなる。だがそれはアーヴィング・ストーンの咎ではない。「生への渇望」のような本を書いたとなれば、普通の人間なら、本能的に、同じ程度のものを書くために、自分で自分を模倣したくなる。だが模倣した瞬間、それはもう同じものではありえない。「渇望」を書いた時には、彼は模倣していなかった。彼は処女地にいた。「苦悩と歓喜」を書いた時には、彼は自分自身を模倣した。これこそは最悪の模倣だ。浴室では、鏡を眺めながら誰もがそれをやる・・・・彼の2番目の本を読んで感じられるのはこれだ。だがたとえ鏡に映った姿にすぎないものであっても、それは何がしかの真実を映し出していると言おう。だからこの本を挙げておく。(略)

 ミケランジェロ? 偉大な生涯だ・・・・・それならストーンの見逃しているものは大きい。ゴーギャンならまああれでもよかっただろうが、ミケランジェロとなると、残念だが、私でもストーンを許すわけにはいかない。しかしすばらしく書いている。彼の散文は詩のようだ。2番目の本が「生への渇望」と同じような質の本ではないとしても、それがそうでありえない理由は簡単だ。ヴィンセント・ファン・ゴッホのような人間がいなかったからだ・・・・・このオランダ人はまさに無類だった! 彼は独り立っている。満点の星の下に、彼はひとり離れて、彼だけの独特のやりかたで輝いている。この男についてなら偉大な本を書くことは容易だ。そしてミケランジェロについてもそうだったはずだが、ストーンは自分を模倣しようとした。だから失敗した。決して模倣者になってはいけない。、後ろについてはいけない・・・・・たとえ自分自身の後ろでも。 Osho「私が愛した本」p182

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炎の人ゴッホ<1>

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「炎の人ゴッホ」 <1>
アーヴィング・ストーン /新庄哲夫 1990/07  中央公論新社 文庫 831p
Vol.2 No729★★★★☆ ★★★★★ ★★★★★

 今日最初の本は、アーヴィング・ストーンの「生への渇望」(邦題「炎の人ゴッホ」)だ。これはヴィンセント・ファン・ゴッホの生涯にもとづいた小説だ。ストーンは途方もない仕事をした。私の記憶する限り、他に誰も同じことをした者はいない。あたかも自分自身の実存から書いているかのように、これほど親密に他人の生涯を書いた者はいない。

 「生への渇望」は、単なる小説ではない。これは霊的な書物だ。それは私の言う意味で霊的だ。なぜなら私にとっては、<生>のあらゆる次元は、ただひとつのジンテーゼに統合されなければならず、それで初めて人は霊的になるからだ。この本は実にすばらしく書かれており、アーヴィング・ストーンにさえ、それを超えられる可能性はありそうにない。Osho「私が愛した本」p182

<2>につづく

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2009/07/26

亜細亜の光輝

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「亜細亜の光輝」 第1巻
エドウィン・アーノルド著 ; 中川太郎訳 ;1890(明治23年)/04  京都 : 興教書院 和綴じ 83頁
Vol.2 No728★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★★

 当ブログが読み込んだ本、約1800冊のなかで、書籍そのものの出版年が1890年ということは、最も古書に属する書物であろう。こちらは1~2編の合本であるが、 佛教圖書出版協會編.「大聖釋尊」(1908)は、1~8編までの完本となっている。

 10番目。アーノルドの「アジアの光」だ・・・・・。私はあと2冊について語らなければならない、それに喩え死んでも自分の講話は終えるつもりだ。Osho「私が愛した本」p193

 13日目の10冊目にでてきたこの本、168冊のうちの133番目だ。Oshoのコメントは短い。ほとんど何も言っていない。それはしかし、初日の10冊についてもそうであったように、コメントが短いからと言って、Oshoがこの本を軽視しているということにはならない。いや、その存在の大きさには、圧倒されるような毅然たるものがある。

 亜細亜の光とは、ゴータマ・ブッダのこと。そのストーリーが、麗しい詩文として、美文体で語られる。第一編は、その生誕と誕生のストーリー。第二編は、29歳となったシッダルダが出家する前の逡巡する胸のうちが語られる。

 著者のエドウィン・アーノルドは1832年、英国に生まれ、長じてプーナ大学の総長なども務めたようだ。文学者にして詩人。

 思えば、仏教の祖たるゴータマ・ブッタの人生も、2400年の間、ほとんど西欧に知られることなく、アーノルドなどの紹介によってようやくその存在が知られるようになったのだった。ガンジーも自伝でアーノルドに触れている。

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トマスによる福音書 荒井献

トマスによる福音書
「トマスによる福音書」
荒井献 1994/11 講談社 文庫 335p
Vol.2 No727★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 Osho「私が愛した本」の168冊の中、当ブログ独自で選んだ「キリスト教」編の6冊のうち、聖書からの出典が2つ。やや古びた教義先行のキリスト教に対して、常にOshoは厳しいまなざしを向け続けているが、他の文献は、むしろキリスト教としては傍系にあたるものばかりだ。いや、むしろ、現行キリスト教の根幹を揺るがすような文献が敢えて抽出されていると言っても過言ではない。

 その中の一冊「トマスによる福音書」は、その道の徒ならざるものにとって他の福音書とどのような違いがあるのか、そもそも福音書とはなにか、さまざまな疑問の源泉に成り得る。当ブログが前回読んだ「聖書の世界」シリーズの中の一冊として、また、その中の一章として、おざなりにめくってみたからと言って、その意味はよくつかめない。

 この「聖書の世界」シリーズの中で「トマスによる福音書」を担当していたのが荒井献。その後、「隠されたイエス---トマスによる福音書」(1984)においてその論旨はさらに展開されてたようだ。この「隠されたイエス」というタイトルは、Oshoが「トマスによる福音書」について語った「愛の錬金術」(1981)上下巻のサブタイトル「隠されたきたキリスト」に通じるものがある。

 ついでに言っておけば、古書店めぐりをすると、私は比較的この「愛の錬金術」を目にすることが多い。他のOshoの書物がわりと早く足がついてなくなっているのに、この本だけは古書店に複数並んで残っていることが多いようなのだ。私はいままでその理由をあまり深く考えたことはなかったのだが、これは、日本におけるキリスト教があまり普及していないからではないか、と考えるようになった。

 つまり聖書を中心としたキリスト教社会における、この「トマスによる福音書」の意味合いと、日本社会における意味合いでは、かなり違ったものがあるに違いないのだ。つまり、日本においてはOshoの「愛の錬金術」は、本当の意味で、まだ読まれていない可能性がある。いや、私自身はそうだ。この本と30年近くいながら、所詮、Oshoがキリスト教にも「おべんちゃら」しているのではないか、などと軽く考えてしまっていた。いや、違う。これは、キリスト教という乾ききった導火線に、Oshoがしかけた爆弾でもあったかも知れない。

 荒井献(ささぐ、と読む)の「隠されたイエス」はその10年後、さらにヴァージョンアップして、改訂・増補のうえ、1994年に再刊された。

 1945年、エジプトで写本が発見され、「新発見の福音書」として世界にセンセーションをまきおこした。<トマスによる福音書>----異端として排斥されたグノーシス派の立場から編まれた114のイエスの語録集である。新約聖書学・グノーシス主義研究の世界的権威がその語録を精緻に注解し、独自の福音を明らかにした本書は、従来の「正典福音書」のイエス像を一変させることを迫る衝撃の書である。裏表紙 紹介コピー

 幸徳秋水は1911年に獄中に消えたわけだから、1945年にエジプトで発見された「トマスによる福音書」を読むことはなかった。しかし、もし彼の手にこの書が渡っていれば、編纂された教義に塗り固められてしまったイエス・キリスト像は、彼の手によって、確実に抹殺されていたかもしれない。しかし、幸徳秋水の基督「教」抹殺論は、新たに、「真」基督蘇生論として立ち現れる必要があったろう。

 ムハマンド・アリーは、ジャバル・アッターリフからの落石と思われる巨大な石の周りを掘って、サバッハの採集に熱中していた。その最中に、鍬の先にカチリと当たるものがある。彼は慎重にその周囲を掘り下げてみると、何と、四つの把手のついた、高さ1メートルほどもある大きな素焼きの壺が現れた。この壺は密封されていたので、彼はその中に「ジン」(エジプトの民間で災いをもたらすと信じられている精霊)が封じ込めれているのではないかと恐れ、しばしこれを開けるのをためらっていた。

 ---しかし待てよ、あるいは金(きん)が入っているかもしれないぞと思い直し、思い切って鍬で一気に壺を打ち砕いた。ところが、中からでてきたものは、羊の皮でカバーされた13冊のコプト語(古代末期のエジプト語)パピルス古写本(コーデックス)であった。これが、いわゆる「ナグ・ハマディ写本」発見の経緯である。p13

 1945年の12月、ナイル河から約1000キロ河沿いに南下し、そこからさらに北方へ80キロ河を下ったところにある小さな町ナグ・ハマディでの出来事であるとされる。いわゆるトンデモ本とか偽書の類の登場には、うってつけの舞台装置だが、いままでのところ、この書は「ホンモノ」とされている。

 「正典」とは、正統的教会によって結集された----新約聖書についていえば----現行聖書に収録されている27文書のことである。これに対して各個教会において聖文書とみなされていたが、正統的教会による聖書の結集により、「正典」から外された諸文書のことを一括して「外典」という。p88

 以上のように、キリスト教の「正統」は右の三基本信条を教義(ドグマ)として成り立ち、これに違反する部分を「異端」としたのであるから、「正統」確立以来の時代(1世紀後半----4世紀)におけるキリスト教の歴史に「正統」「異端」の概念を適用する際しては、当然のことながら慎重でなければならない。p90

 これら異端的分派の最古最大のものがグノーシス派である。ただ、同じ「グノーシス派」といっても、それ自体の中に多数の分派があり、それぞれの立場やそれに基づく神話論にはかなりの相違がある。p93

 「外典」を「正典」と共に、あるいは後者を超える聖文書として奉じた「異端」は、グノーシス派に限られるわけではない。この他にも、マルキオン派やエピオン派あるいはナザレ派などが存在した。p94

 当ブログにおける「トマスによる福音書」は、Oshoの「私が愛した本」168冊の中のひとつとして読み進められる限り、Oshoの「愛の錬金術」とともに読み進められてなくてはならない。そして、当ブログにおける重要なポイントは、それの経典が正・外いずれか、という判断よりは、真実を生きるとはどういうことか、という「私」自身の内なる探究である。

 この「御国」あるいは「父の園」の概念は、共観福音書の「神の国」あるいは「天国」に平行するだけに、これを「正典」とした正統的教会の終末思想と批判的にかかわることになる。このことは、すでに「神の国」「の国」が「父の国」「御国」に言い換えられているところから推察されるのであるが、決してそれにとどまるものではない。

 トマス福音書のイエスによれば、それは「待望のうちに来る」ものではない。「ここにある」「あそこにある」といわれるごとき肉眼で見られる存在でもない。----「そうではなくて、父の国は地上に広がっている。そして、人々は(心眼で)それを見ない」だけなのである(113)。あるいは、「あなたがたが待っているもの(死人の安息)は(すでに)来た。しかし、あなたがたはそれを知らない」だけなのである(51)。それなら、「御国」はどこに見出されるのか。p304

 そして、バチカンの出した「ニューエイジについてのキリスト教的考察」なども念頭に入れて、この「トマスによる福音書」は再考察される必要があろう。巻末の数十冊に及ぶ詳細な参考文献リストも興味深い。

 

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基督抹殺論

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「基督抹殺論」
Vol.2 No726★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 中庸なる穏健派を持って任ずる当ブログの読書としてはやや過激なタイトルを持つこの書籍ではあるが、明治42(1910)年前後に天皇暗殺計画を企てた首謀者として検挙された幸徳秋水、処刑前の獄中最後の書となれば、この鬼気迫る雰囲気もやや理解できないこともない。

 ポイントは、その年代からして、当時イギリスやインドで活動していたブラバッキー夫人やアニー・ベサント等の神智学運動と、日本における反体制運動、とりわけ社会主義者・無政府主義者、その中にあった幸徳秋水になんらかの通信、あるいは影響関係があったのか、どうか、という点である。

 とはいうものの、本書は、出版当時の表現方法を最大限尊重されており、この文庫本に収容された1954年当時においてさえもやや古色蒼然たる印刷物だったと想像される。したがって、この文体とこの旧漢字を多く含むこの表現方法を、読み進めるのもなかなか困難で、なおかつ、転記することなど、怖れ多いので、試みないほうがいいようでもある。

 この書がかなり長い期間にわたる相当周到な準備と研究に基づいたものであることは、右に述べたところからも、また、この書に引用あるは参照されている幾つかの著書や幾人かの著者によって知ることができる。徳川時代以来日本では少なからぬキリスト教批判の書----それは破邪書と呼ばれている----が出版されたが、それらは多くは儒教や仏教の側からキリスト教の教義を批判したものであり、西欧における科学的な聖書批評の上に立って著されたものではなかった。

 これに対して秋水は、アンニイ・ベサント等その依拠したものには科学的という点で多少問題があるが、兎も角西欧における研究の成果の上に立って、キリスト教を批判し、キリストの存在を抹殺しようとしたのである。この点においては、日本の社会主義者の書いた聖書批判としては最も科学的なものといえよう。もっともイエスというユダヤ人にとってありふれた名を、何か特殊なもののごとく考えて、これを古代神話と結び付けたりする幼稚な誤謬に陥ったりしてはいるが。p188「解題」林、隅谷

 とはいうものの、生来の記憶力の弱さをカバーするためには、そして、のちのちの正確性をともかく確保するためにも、最小限の転記は許してもらおうと思う。

 21世紀の現代において、一連のアニー・ベサントの著書等を「科学」の側に引き寄せて考える姿勢は皆無に等しいと思うが、それでもなお、当時の日本の思想界における根底には、長く続いた幕政以来の固定的な観念が渦まいており、西洋文化の流入とともに、その姿勢を「科学」的と判断することもやむを得ないことでもあっただろう。

 アンニー・ベサントは曰く「吾人は印度、埃及、西蔵、日本等に於て、十字が常に生々の力の象徴たることを見る。其は婦人少女が護符として着けたる者にして、殊に寺院神殿に奉仕する婦人少女が、彼等に取て其宗教心喚起の源たるべき者の記号として着けたるが如し。然り。十字の記号は男根の醇化(レッワイン)せる者に過ぎずして、基督教が之を有するは、偶ま以て其起源の異教に在るを示す者のみ。其は実に何れの基督教徒が之を拝し之を彫り之を着けしよりも、遥かに以前の昔しに於て、太陽崇拝者及び自然崇拝者の為めに、神聖なる記号として神殿に祀られ、飾られ、帯びられたる者なり。羅馬加特立教会および英克蘭(イングランド)教会に於いて十字の前に拝跪せる群衆は、惟だ古代異教の殿堂に於て其前に礼拝の群衆の再来のみ。現時其を身に帯ぶるのは少女は、----毫も其真意義を悟ることなきも----正に古代の印度埃及の模倣のみ」と。p72

 この書の後半において高島米峰が「幸徳秋水と僕」p157で書いていることには、大逆事件での逮捕前の秋水から、キリスト教を調べているが、これなら発売禁止にもならないだろうから、インド神話を書いた書物があれば送って欲しい旨、連絡があったという。さっそくその求めに応じて送ったというが、そのリストの中にアニー・ベサントの書も入っていたのだろうか。

 アンニー・ベサントは又た曰く、「基督(Christ)耶蘇なる語は、アノインテド即ち塗膏せる救世主を意味し(其王者及び高僧に神聖の膏油を塗るは希伯人の故事也)クレストス(Chirestos)耶蘇は善なる救主を意味す。倶にナザレの耶蘇なる者の特有の姓名にあらず。而して吾人は又たHesus, Jesouse, Yes及びIes等の語を見る。此最後のイエスIesはバッカスの尊号の一にして、語尾にusを加ふるのみにして耶蘇(Jesus)と成るべし。羅甸のI.H.S.なる神聖の符号は之より来る者にして実は希蠟語のIESなり。希蠟のH字は羅甸字の大字なるを、誤りて其儘に羅甸字のとして用いたる者也。斯して古代バッカスの異名は、耶蘇の符号と転化せるを見る、而して此文字両者孰れの場合に於ても、常に日の神の表号なる光線を以て囲繞さる」と。 p117

 この辺あたりの考証を科学的文献学と呼ぶかどうかはともかくとして、秋水はベサント等の神智学的文献を、自らの論旨に積極的に取り入れ、あるいは自らの論旨の傍証の大きな柱にしたようである。しかし、これを持って、当ブログで暫定的に用いたenlightenmentの系譜のひとつ、と呼ぶのは躊躇する。

 ここでは、19世紀後半から20世紀前半における神智学運動の波及が、イギリスやアメリカなど欧米やインドにまで及び、日本にもおいてもかなり明瞭な形で波及していた。その事実を示す一つとして、捉えておけばいいだろう。

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2009/07/25

ゴーリキー 母

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「母」 世界の名作文学 23
マクシム・ゴーリキー/石山正三  1975/02 岩崎書店 判型 B6 p312
Vol.2 No725★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 この本、小中学生にも読めるように、ルビが振ってある。いや別にルビまで振ってもらわなくてもいいのだが、他の部分も読みやすく訳出されているようだ。なるほど、苦手な分野は、このような弱年層向けの書籍を狙う手もあるなぁ、と納得。白黒とは言え、豊富な挿絵が読む者の理解を助ける。文字の大きさや行間も、なかなかやさしくできております。

 しかし、内容は社会主義運動にかかわる人々のストーリーだから、必ずしもやさしくない。ロシアにおける労働運動についてのあれやこれやは、21世紀の現在、直線的に評価することはできない。ただ、この本のポイントは、その運動を見つめる一人の母親に焦点をあてているところだろう。

 ロシアにおける労働者の置かれていた状況や、社会主義運動、革命運動については、晩酌をいっぱいやったあとにいい加減なことを書いたのでは、大変なことになるので、あまり触れないでおこう。

 当ブログでは、「Gの残影」のなかで、ウスペンスキーがロシア革命の動きの中でどのような影響を受けたのか、とか、「新左翼とは何だったのか」をはじめとする荒岱介の一連の著書や、「昔、革命的だったお父さんたちへ」で、日本におけるサヨク的な動きをちょっとおっかけてみたにすぎない。あるいは、ネグリ&ハートのマルチチュード的な動きにもアプローチしてみたが、さしたる成果が上がったわけではない。

 6番目。どうやら今日はロシア人に取り囲まれているようだ。6番目は、マクシム・ゴーリキーの「母」だ。私はゴーリキーが好きではない。彼は共産主義者だし、私は共産主義者が嫌いだ。嫌うときは、私はただ嫌う。だが「母」は、たとえマクシム・ゴーリキーによって書かれたものであっても、大好きだ。私はあの本を生涯愛してきた。私があまり何冊も持っていたので、父はよくこう言ったものだ。

 「お前はどうかしているんじゃないか? 一冊あれば充分じゃないか、何冊も注文し続けるなんて! 何度も何度も小包を見るけど、マクシム・ゴーリキーの「母」ばかり買っているじゃないか。お前は気でも違ったんじゃないか?」

 私は父に言った。「うん、ゴーリキーの『母』については僕は気違いだ。完全な気違いだよ」

 自分の母を見ると、私はゴーリキーを思い出す。ゴーリキーは全世界で最高の芸術家として数えられなければならない。特に「母」において、彼は書くという技の最高の高みに達している・・・・古今未曾有だ・・・・彼はまさにヒマラヤの頂きだ。「母」は繰り返し繰り返し学ぶべき本だ。そうして始めて、それはゆっくりと人に浸透する。そうすればゆっくりゆっくりと人はそれを感じ始める・・・・・そうだ、この言葉だ。感じるのだ、考えるのではない、読むのではない、感じるのだ。それに触れ始める。それがこちらに触れ始める。それが生命を帯びる。そうなれば、あれはもう本ではなく人だ・・・・ひとりの人間だ。Osho「私が愛した本」p189

 中沢新一も著書の何処かで、自分が幼い時代に、親や叔父が党活動をする姿を見ていて、彼なりの感想を書いていた。OshoにはBeware of socialismがある。当ブログにおいては、この辺の顛末については、全然煮詰めていない。読書ブログというスタイルが、それに適していない、ということもあり、自らの能力の限界を感じるためでもある。

 ただ、ここでは、ただひたすら「母」に焦点を当てることにしよう。そしてゴーリキーの筆さばきの妙技に共感することにとどめよう。

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地下室の手記

地下室の手記
「地下室の手記」 
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー /安岡治子 2007/05 光文社 サイズ: 文庫 285p
Vol.2 No725★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★☆☆☆

 世間から軽蔑され虫けらのように扱われた男は、自分を笑った世界を笑い返すため、自意識という「地下室」に潜る。世の中を怒り、憎み、攻撃し、そして後悔の念からもがき苦しむ、中年の元小官吏のモノローグ。
 終りのない絶望と戦う人間の姿が、ここにある。
裏表紙 紹介コピー

 ロシアの小説というと、やたらと言い回しが長ったらしいし、ストーリーが長すぎる。物語の展開を追うどころか、登場人物の名前が覚えきれずに、いつも挫折するのだが、この小説は打って代わって、読むだけなら、極めて読みやすい。

 1.5世紀前の小説だが、ごくごく最近、日本語に翻訳しなおされているから、実に今日的感覚で読める。一人称も、「シーシュポスの神話」は「ぼく」だったが、こちらは「俺」である。鋭意的な新訳のおかげで、私でもロシア小説が読める。

 現在、日がな一日パソコンの前に座って、インターネットだけで世界と繋がっているオタクや引きこもりの数は増える一方だという。そういう人たちも、地下室の住人と同様、本当は生身の人間と繋がりたいと、「生きた生活」を渇望しているに違いない。そういう時代であるからこそ、「地下室の手記」のアクチュアリティは一層増していると思われる。p284「役者あとがき」

 「パジャマのままパソコンの前に座るブログ・ジャーナリスト」を標榜する当ブログとしては、ちょっと気になる評論ではあるが、別に当ブログは「引きこもって」いるわけでもないし、「地下室」にこもってばかりいるわけでもないので、ここは速やかにスルーしよう。┐( ̄ヘ ̄)┌

 しかしまぁ、ここまで引きこもると、現代人としては、ちょっとおちょくってみたくなるものだが、やはりすでにウッデイ・アレンが「肥満質の手記」というパロディを書いているらしい。それを動画化したものでもないかなと検索したが無かった。

 6番目・・・・。私はいつもこの本について話したかったのだが、時間がなくてこの本は見逃すことになるだろうと思っていた。計画はしなかった。いつもの通り、私は無計画で行く。私は50冊だけ話すつもりでいた。だがその補遺がやってきて、それが延々と続き・・・・またもや50冊になった。だがそれもでもまだたくさんのすばらしい本が残っていて、補遺の補遺をはじめなければならなかった。そういうわけで、今度はこの本について話すことができる。それは、ドストエフスキーの「地下室の手記」だ。

 これは、その作家と同じくらいに、実に不思議な本だ。ただの手記にすぎず、デヴァギートのノートのようなもので、断片的なものだ-----表面的には何の関連もなにいのだが、生き生きとした底流では深く関連しあっている。これは瞑想すべき本だ。私にはこれ以上は言えない。

 これは最も無視された偉大な芸術作品のひとつだ。これが手記----それも、瞑想的でない者には関係もなさそうな----に過ぎず、小説ではないという単純な理由で、これに注目する者はいないようだ。だが私の弟子たちにとっては、それは大変な意味を持ちうる。その中に隠された宝が見つかるだろう。Osho「私が愛した本」p205

 後半の女性との絡みがなかなかドラマチックでもあるが、どこにでもあるありふれた話のようであり、これに瞑想しようと思っても、はて、と戸惑うことも本当だ。まずはドストエフスキーの一連の作品のなかから、見直してみる必要もあろう。

 本書とは直接関係ないが、ウッデイ・アレンのパロディでも張り付けて、バランスととっておく。 

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2009/07/24

シーシュポスの神話

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「シーシュポスの神話」
アルベール・カミュ /清水徹 新潮社 文庫 257p 改版2006年09月 1997年51刷を読んだ
Vol.2 No724★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 この本最近改版されたようだが、カミュと言えば、こちらのこの表紙のほうが長いこと馴染みがある。1969年発行、当時高校一年の時から、ずっとこの表紙だった。

 「シーシュポスの神話」は古い神話だ。マルセルがそれを自分の本に使った。みんなにそれを聞かせよう。

 シーシュポスは神なのだが、最高神に従わなかったため地獄に落とされ罪を受けた。その罰というのはこうだ。シーシュポスは大きな岩を谷から山頂まで運ばなければならないのだが、大きな岩を持ってやっと辿り着きそれを下ろそうとすると、頂上があまりに狭いため、岩はまた谷底に落ちてしまう。シーシュポスは慨嘆し、息を切らし、汗みどろになりながら谷底まで下りてもう一度その岩を運ぶ・・・・無意味な仕事だ・・・・それがまた滑り落ちることは完全に分かっている。だがどうしようもない。

 これこそが人間の物語のすべてだ。だからこそ深く掘り下げればここに純粋な宗教があると私は言う。これこそが人間の状況だ。これまでもそうだった。お前たちは何をしているのか?-----他のみんなは一体何をしているのか? 岩をある場所まで持って行くこと、それは毎回毎回、同じ谷底まで滑り落ちる。おそらく毎回、少しづつ深くなって行くだろう。そしてまた翌朝も、もちろん朝飯前というわけにはいかないが、それを再び運ぶ。しかも、運びながらも、それがどうなってなるか知っている。それはまた滑り落ちる。 

 この神話はすばらしい。マルセルはそれをもう一度紹介した。彼は非常に宗教的な人間だった。実際、ジャン・ポール・サルトルではなく、彼こそ本物の実存主義者だった。だが彼は宣伝屋ではなかったから、決して前面に出て来ることはなかった。彼は沈黙したままだった。黙って書き、黙って死んだ。世の中の多くの人々は、この人がもういないことを知らない。彼は実に静かな人だった。だが彼が書いたもの、「シーシュポスの神話」は、非常に雄弁だ。「シーシュポスの神話」は、かつて生み出された最大の芸術作品のひとつだ。Osho「私が愛した本」p176

 マルセル・カミュは「黒いオルフェ」などのある映画監督だから、ここでOshoの言っているMarselとはノーベル文学賞作家アルベール・カミュのことであろう。それとも同じフランス人実存主義者ガブリエル・マルセルのことであろうか。

 アルベール・カミュの兄の娘の息子が、日本でタレント活動しているセイン・カミュということになる。セイン・カミュからは、アルベール・カミュの不条理なものは何も感じないが、彼は大叔父さんを背景として持っているだけで、大きな財産を相続したようなものだ。

 世間の人びとのだれもが、まるで<死を知らぬ>ようにして生きていることには、いくら驚いても驚きたらぬだろう。これはじつは、死の経験というものがないからだ。本来、現実に生き、意識したものしか経験でありえないのだが、この死という場合、せいぜいのところ、他人の死についての経験を語ることしかできない。p27

 高校時代や10代の頃は、身の回りにはカミュ信奉者はいっぱいいた。ミニコミ紙のタイトルに、「異邦人」の主人公ムルソーの名前を借りてきたり、アルベール・カミュから自分のペン・ネームをつくり、有部髪之(あるべ・かみゆき)と名乗る者が現れたりした。「不条理ゆえに我信ず」をスローガンにする者もいた。

 翻訳の一人称が、「ぼく」となっているので、それで親近感を強く持ったのだろうか、あるいは思春期の感傷がそうさせたのか、カミュ・ファンは多かった。その後、彼らの人生はどうだったであろうか。団塊世代の弟分にあたる我々の世代も、次第に思秋期を迎えつつある。

 真なるものを探求するとは、願わしいものを探求することではないのだ。「人生とは、いったい、なんだろう」というあの苦悶の底から発せられた問いから逃げるためには、驢馬のように、幻の薔薇を食べて生きなければならぬならば、不条理な精神は、諦めて虚偽に身を委ねるよりは、むしろ、怖れることなくキルケゴールの答え「絶望」を採るほうを選ぶ。すべてを充分に考えたとき、断乎たる魂は、つねに、「絶望」という答えを受け入れるであろう。p62

 時代は、70年安保、あるいはその後の「敗北感」のただなかにあった。

 自殺は反抗につづいて起こるとひとは思うかもしれない。だがそれは誤りだ。自殺は反抗の論理的到達点をなすものではないからである。自殺は不条理への同意を前提とするという点で、まだに反抗とは正反対である。自殺とは、飛躍がそうであるように、ぎりぎりの限界点を受入れることだ。いっさいが消尽されつくしたとき、人間はその本質的歴史へと還る。自己の未来、唯一の怖ろしい未来を彼はみわけ、そのなかへと身を投じてゆくのだ。自殺はそれなりに不条理の解決となる。p78

 自殺、という単語を口にするものも多かった。その方法が語られ、リスト・カッターがいないわけでもなかった。焼身という方法を用いた者もいることはいた。

 自殺は不条理を同じひとつの死のなかへ引きずりこむ。だがぼくは知っている、不条理が維持されるからといって、不条理が解決されるということはありえないのだということを。不条理とは死を意識しつつ同時に死を拒否することだというかぎりにおいて、不条理は自殺の手から逃れて出てしまうのだ。p80 

 アルベール・カミュは1960年、交通事故で亡くなった。享年46歳。小説を読んだあとで、カミュが交通事故で亡くなったことを知った時、私の中では、ジェームス・ディーン赤木圭一郎と同じように、神格化されてしまった。それ以上動かないプロマイド写真のようなものだ。

 意識的でありつづけ、反抗をつらぬく、---こうした拒否は自己放棄とは正反対のものだ。人間の心のなかに不撓不屈の情熱的なもののすべてが、拒否をかきたてて人生に歯向わせるのだ。重要なのは和解することなく死ぬことであり、すすんで死ぬことではない。自殺とは認識の不足である。不条理な人間のなしうることは、いっさいを汲みつくし、そして自己を汲みつくす、ただそれだけだ。p80

 巻末に「フランツ・カフカの作品における希望と不条理」という文章が付録としてついている。

 「変身」もたしかに明徹さの倫理の慄然たる具体像をあらわしているとはいえよう。しかしこれもまた、人間が自分はやすやすと動物になってしまうと感じたときに味わうあの途方もない驚きの産物なのだ。こうした根本的な両義性のなかにこそ、カフカの秘密がある。p180

 10代の私は、「異邦人」のムルソーより、「変身」のグレゴール・ザムザのほうにシンパシーを感じていた。きょうママンが死んだ。ただ、ただ太陽がまぶしかったから、という不条理さより、朝目がさめると、天井をのたうちまわっている自分を発見するほうが、よりリアリティを持って感じることができた。

 

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2009/07/23

ガンジー自伝<2>

<1>よりつづく 

ガンジー自伝改版
「ガンジー自伝」  <2>
マハトマ・ガンディー /蝋山芳郎 2004/02 中央公論新社 文庫 512p

 その兄弟はまた、エドウィン・アーノルドの著した「アジアの光」をすすめた。わたしはそれまで、アーノルドは「天来の歌」を訳したにすぎぬと思っていた。それでわたしは、「バガヴァッド・ギーター」のときよりも、大きい興味を寄せながら、それを読んだ。読みだすと、私は巻をおくことができなかった。

 彼らはまた、わたしを、あるときブラヴァッキー・ロッジへ連れていった。そしてわたしをマダム・ブラバッキーとベサント夫人に引き合わせた。ベサント夫人はちょうどそのとき、接神協会に入ったばかりだった。そこでわたしは、彼女の改宗問題をめぐっての議論を、大きな関心をもって聞いた。友人たちは、わたしにその協会に入るようにすすめた。しかし、わたしは丁重な言葉で断りながら言った。

 「わたしはまだわたしの宗教についても未熟なのですから、どの宗教団体にも属したくありません」

 わたしは兄弟がたってというので、マダム・ブラバッキーの「接神術の案内」を読んだことを覚えている。この本は、わたしに、ヒンドゥ教を論じた本を読む気持を起こさせた。また、ヒンドゥ主義は迷信だらけだという、キリスト教会の宣教師たちに言いふらされた見解のまちがいを、晴らしてくれた。p100

 「アジアの光」Osho「私が愛した本」の中にも登場するので、読んでみたいと思っているが、現在のところ英文「The Light of Asia」を大学図書館に見つけたところだ。ガンジーのこの本は、ガンジー自身が書いた自叙伝ということになっているが、必ずしも、彼の全人生をダイジェストしたものでもないので、読み方を充分研究しなくてはいけない。政治的な側面はさておき、当ブログ独自の分類ではあるが、「東洋哲学(インド)」編の中で、他の本とともに再読される必要を感じる。

 この文章はガンジーの「イギリス滞在2年目の終り」以降ということになる。ガンジー20才前後、1890年頃のことか。

 ここで語られている接神術、接神協会とは、いわゆる神智学、神智学協会と同類、同等のものと考えていいだろう。すくなくとも、ブラバッキーとガンジーはここで接触していることが分かった。

 ガンジーの尊称、マハトマ、とは、タゴールが名付けたとも、アニー・ベサントが付けたとも言われている。

 接神論(セオソフィー)は、イギリス人のヘレナ・P・ブラヴァッキー夫人が創始した、超自然的な霊体を信仰する一種の神秘主義。インドの中産階級にその信者が多く、またインドの独立運動とも密接な関係を持った。ネルー家も、一時この影響を受けたことがあった。ネルーは、そのときのことを「自叙伝」のなかで書いている。「わたしは、霊体を夢み、広漠たる空間を飛んでいる自分を空想した。空中高く飛翔する(器械を用いないで)という、このわたしの夢は、わたしの生涯を通じてしばしば浮かびでてくる夢であった。それは時としては、生き生きした現実的なものとなり、大きなパノラマとなって、いなかの景色が、わたしの足下に横たわっているように思われたこともあった。近代的な夢の解釈者であるフロイトは、この夢をいったいどのように解釈するであろうか」p463 「訳注」

 ブラバッキーについて思いを馳せるのは、当ブログとしては、あまり気がすすまないのだが、次第に避けては通れない道筋になってきたようだ。

 アニー・ベサント(1847~1933)。アイルランド生まれ。無神論から接神論にうつり、接神論者としてインド民族の独立運動にとび込んだ。自分でインド自治連盟を組織し、とくに第一次大戦の1917年には、会議派の議長をつとめるなど、指導的な役割を果たしたことがある。現在のベナレス大学の創始者の一人。p464「訳注」

 あまりに煩雑になるので、歴史的、政治的背景は割愛しようと思っていたのだが、ネット上のブログという限界性を感じつつも、すこしはその辺も当ブログなりにきちんと把握しておかないと、多くのことを見落としてしまうことになりそうだ。

 接神論者(セオソフィスト)の友人たちは、わたしを彼らの協会に引き入れようと企てた。しかし、それはヒンドゥ教のわたしから、何か教えられるものがありはしないか、と考えたからであった。接神論の文献は、ヒンドゥ教の感化を多分にうけていた。それで、これらの友人たちは、わたしが彼らにとって助けになるにちがいないと予想した。わたしは、わたしのサンスクリット研究は、研究したといえるほどのものではないこと、わたしはまだヒンドゥの聖典を原語で読んだことがないこと、さらにその翻訳にさえ、なじみは少ないこと、などを説明した。しかし、前生の縁(サムスカラ)や再生(プナル・ヤンマ)を信じている彼らは、ともかくわたしに手伝いをしてもらえると思った。p220「ギーターの研究」

 当ブログにおいて、次第に仮説として見えてきているのは、古代から延々と流れているenlightenmentの系譜があるのではないか、ということ。それは語る人によっては、仮説でも仮想でもなく、それは事実であり、それしかない、ということになる。ブッダからダルマ、そして禅へとつながる系譜。ブッダからナーガルジュナ、タントラ、チベット密教へとつながる系譜。あるいは、キリストにまつわる話、グノーシスの系譜。スーフィー、ハシディズム、ヒンドゥーの中に隠されたもの。そして、エジプトやタオや他の系譜など、表面的にはどのようなネーミングになろうとも、確実にenlightenmentの系譜は連綿と続いてきたのではないか。

 自己実現は人生の第4の段階、すなわちサニヤース(自己否定)で初めて可能である、という迷信を、わたしはよく知っている。しかし、この貴重きわまりない経験への準備を、人生の最終段階まで引きのばした者がついに得たものは、自己実現ではなくて、この世の重荷として生活する哀れな第二の子供時代ともいわれる老齢である、ということは常識になっていることである。p258「自己抑制をめざして」

 この本はいろいろな読み方ができる。一様な結論はでない。「怠け者のための光明への案内人であり、また非光明への案内人」でもあるOsho、あるいはそのサニヤスを受けた門弟たちは、この本をどう読むだろうか。

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2009/07/22

ガンジー自伝<1>

ガンジー自伝改版
「ガンジー自伝」
マハトマ・ガンディー /蝋山芳郎 2004/02 中央公論新社 文庫 512p
Vol.2 No723★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「私が愛した本」において、Oshoは相変わらずマハトマ・ガンジーについては厳しい。政治的な功績というより、その覚醒そのものへの姿勢についてがメインになっているだけに、しかたないことか。

 この本は、ガンジーの「自叙伝」と「南アフリカにおける非服従運動」の二冊が再編集されているだけに、500ページを超える大作だ。Oshoはその中でも「我が真理の実験」と名づけられた「自叙伝」の部分について言及していると思われる。

 「アンベードカルの生涯」などと併せ読めば、また違った意味がでてくるが、なにはともあれ、ガンジーなしには、現代インドは語れない。巻末では、なぜか松岡正剛が解説を書いている。

 インド・プネーの町にはMGロードがある。マハトマ・ガンジーのイニシャルを取って、その功績を顕彰している。何度も買い物にも行った。プネーの繁華街だ。ガンジーはこの町にも縁があった。

 映画「Gandhi」もある。

<2>へつづく

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村上春樹『1Q84』をどう読むか<1>

村上春樹『1Q84』をどう読むか
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」 <1>
河出書房新社 島田裕巳 内田樹 森達也他 2009/07  単行本 222p
Vol.2 No723★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「1Q84」効果はなるほど結構大きい。ある人のブログにトラックバックを張ったら、そこから当ブログにやってきた人は約100人。その人のブログのメディア性の大きさを称賛すればいいのか、村上春樹人気を評価すればいいのか。ただ、そういう形でやってきた人は、ただそれだけの繋がりなので、リピーターになってくれるようなことはないようだ。

 私はごくごく最近まで、村上春樹と村瀬春樹の違いさえ分からなかったのだから、特段、村上ワールドに関心があるわけではない。むしろ、二人の春樹を並べてみるだけなら、私は村「瀬」春樹のほうが好きかもしれない。なんせ、姿をくらませながら、ソフト・ポルノ小説(時にはそういう風に読める)みたいなのを書き続けている村「上」春樹より、奥さんの、ゆみこ・ながい・むらせ、と仲良くやっていそうな、村「瀬」春樹のほうが好意的にイメージしやすい。

 店頭には「1Q84」ばかりではなく、その周辺の書籍もだいぶ目立つようになってきた。小説そのものは、店頭で「立ち読み」しただけで、あとは図書館の順番待ちだが、あと250人ほど、私の前にいる。ゆっくり読めるようになるのは、だいぶ後のことになるだろうが、ひょっとすると、私は、「ゆっくり」は読まないかもしれない。

 この本、約30人ほどの「著名」人たちの短いコメントを集めて一冊にしたものである。この人々が「著名」なのかどうかは知らないが、私の目にはまず島田裕巳の文字が飛び込んでくる。たしか10ページほどのコメントになっていたが、最後は(談)で締めくくられていたから、電話インタビューででも答えたものだろうか。それにしても、最後はきちんと校正して、加筆しているであろう。だが、談であるだけに、割と軽く語られている。

 ヤマギシ会についてのコメントが長く、新島淳良などについてもかなり語っている。内部の人間しか知らない新島の秘密の部分を、村上はどうして知っているのだろう、と疑問視している元「内部」の人間、島田ヒロミ先生の語りが冴える。小説家なら、誰だっていろいろ調べて書くだろうに。ヤマギシ会の「秘密」は、自分しか知らないみたいな口ぶりが可愛い。

 森達也は、麻原集団を扱った「A」という作品で、物議をかもしだしたが「ご臨終メディア」のような作品より、私は同じ森達也ならグレート東郷について書いた「悪役レスラーは笑う」のような作品のほうが好きだ。森は例の一連の出来事について独特の視点を持っているが、この一連のできごとのソーカツとしては、私は佐木隆三の「慟哭」以上のソーカツを知らない。

 この本において、森もまた(談)として締めくくられていたので、充分に推敲されたコメントではないかも知れないが、それでもやっぱり、ちょっと言葉尻の割り切りかたがすっきりしない。私はあの集団については、チベットのマントラを混同されることさえ気にいらないので、当ブログでは極力、集団名は書かないようにしている。

 内田樹の文章は彼のブログからの転載ということだから、同じ文章をいまだにネット上で読めるかもしれない。しかし、複数のコメントがあるが、どの文章なのかはまだ確認していない。自分もブログを書いていて思うのだが、ブログに書くにはブログに書くスタイルがあるので、もし内田がまた書物として書くとするなら、また別な角度からのコメントになるのではないか。

 よく考えてみれば、あの事件のあとも「『オウム事件』をどう読むか」なんて本もあったくらいだが、よくよくみなさん、「どう読むか」がお好きなようだ。この本でも他のいろいろな人々が、思い思いの感想をお述べになって、おられる。

 しかしまぁ、それはあくまで「たかが」小説ではないか。村上春樹はノーベル文学賞をとるかとらないか、なんてことが、話題になっているが、サルトルのようにノーベル賞を拒否した作家たちも過去にいるし、ノーベル賞をなにか最後の「上がり」のように見てしまうのはまちがいでしょう。大江健三郎もノーベル賞後の文化勲章を拒否したのだった。

 いろいろな読み方があっていいのだろうが、なにかに故事つけて考えてばかりいないで、少しは内なる世界への旅のひとつとして読みたいものだとは私は思う。

<2>につづく

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私が愛した本<35>「ガンジー自伝」

<34>からつづく

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「私が愛した本」 <35>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p

「ガンジー自伝」

 オーケー、私がこの追々補で最初に話そうと思っている本は、まさか私がそれについて話そうとは、誰も思いもよらないような本だ。それはマハトマ・ガンジーの自叙伝「我が真理の実験」(邦題「ガンジー自伝」)だ。真理に対する彼の実験について話すのは実にすばらしい。今こそそのときだろう。

 アシュ、お前はどんどん続けなさい。さもなければ私はマハトマ・ガンジーを批判し始める。このかわいそうな男に私がやさしくなれるように、どんどん続けなさい。これまで私はこの男にやさしかったことがない。たぶんお前なら、私がマハトマ・ガンジーにさえ少しはやさしくなれるように手伝えるかもしれない・・・・・もっともそれはほとんど不可能だとは分かっているが。

 だが私は確かに2,3すばらしいことを言うこともできる。ひとつは、誰もこれほどの誠実さを持って、これほどの真実をこめて自叙伝を書いたものはいないということだ。これはかつて書かれた最も真摯な自叙伝のひとつだ。

 自叙伝というのは非常に奇妙なものだ。自分自身について書いている。自慢し始めるか、もしくは謙遜しすぎになり始める。これは単に自慢のもうひとつのやり方にすぎない・・・・私は2番目の本でそのことについて話すつもりだ。だがマハトマ・ガンジーは、このふたつのどちらでもない。彼は単純だ。ただ事実を述べるだけだ。まさに科学者に似ている・・・・それが自分の自叙伝であることになどまったく無関心だ。彼は、人が他人には隠したがるようなことを何もかも言う。だがタイトルそのものは間違っている。人は、真理に対して実験はできない。人はそれを知ることができるし、知らないでいることもできる。だがそれを相手に実験はできない。

 この「実験」という言葉そのものが、自然科学の世界に属している。人は、主観を相手に実験はできない。そしてそれが真理というものだ。そう記録しておきなさい。主体性とは、実験や観察のいかなる対象にもなりえない、と。

 主体性とは、存在の中で最も神秘的な現象であり、その神秘とは、それが常に後ろへ後ろへと後退することだ。どんなものであれ観察できるものは「それ」ではない・・・・それは主体性ではない。主体性とは、常に観察者であり、決して観察されることはない。真理を実験対象にできないのは、実験というのが物、対象物に対してしか可能ではなく、意識に対しては不可能だからだ。

 マハトマ・ガンジーは心からいい人間だったが、瞑想者ではなかった。そして人は瞑想者でなければ、どんな善人であったところで、それは役に立たない。彼は一生実験をしたが、何ひとつ達成したものはなかった。同じように無知なままで死んだ。

 これは不運だ。というのは、あれほど高潔で、誠実で、正直な、しかも真実を知りたいというあれほど強い願望を持った人間は、めったに見つかるものではないからだ。だがその願望そのものが障害物になる。

 真理は私のような、そんなことを気にもかけていない、真理そのものにも無関心な人間によって知られる。たとえ神がやって来て私の扉を叩いたとしても、私は戸を明けるつもりなどない。神の方がその扉の開け方を見つけなければならない。真理はそういう怠け者の人間のところにやって来る。だから私は自分のことを「怠け者のための光明への案内人」と読んできた。今やそれが完全になるようにもうひとつ付け加えてもいい・・・・私は怠け者のための光明への案内人であり、また非光明への案内人でもあると! それは光明を超えていく。

 私はガンジーが気の毒だ。もっとも私は常に彼の政治を、その社会学を、そして時間の車輪を後に戻そうとするその馬鹿げた考えをすべて批判してきたのだが。それを、車輪を回すこと、と言ってもいい・・・・彼は人間が再び原始人になることを望んだ。彼はあらゆる技術に反対だった。罪のない鉄道や、電報や、郵便機構にさえ反対していた。科学がなくては人間はマントヒヒになる。ヒヒは非常に強いかも知れないが・・・・ヒヒはヒヒにすぎない。人間は前進しなければならない。

 私はこの本のタイトルにさえ異議をとなえる。なぜならこれは単なるタイトルではなく、ガンジーの全生涯を要約しているからだ。イギリスで教育を受けた彼は、自分を完璧なインド風イギリス人だと思っていた・・・・・完全なヴィクトリア朝の人間だと。あれこそが地獄へ行く人間だ、あのヴィクトリア朝の宮廷人たちこそ! 彼にはエチケットやら、礼儀やら、あらゆる種類のイギリス式たわごとが詰まっていた・・・・・。さぁ、チェタナが傷ついているに違いない・・・・チェタナ、すまないね。お前がここにいるのは偶然だ。それにお前も知ってのとおり----私は身近にいる人を叩くためにいつも何かを見つける。

 だがチェタナは幸運だ。彼女は英国式淑女ではない。ラジニーシ・フリークだ! それに彼女はイギリスの貧しい家の出だ。それは非常にいい。彼女の父親は漁師だった、素朴な人だ。彼女は気どってはいない・・・・そうでないと、イギリス婦人というのは、紳士連中よりももっと、いつもツンとすまして、まるでいつでも星をみていますと言わんばかりだ。あの連中はまったく鼻につく、気どりが臭ってくる。

 マハトマ・ガンジーは、イギリスで教育を受けた。多分それで混乱したのだろう。おそらく無教育だったらもっとましだっただろう。そうすれば真理について実験などしなかっただろうし、真理を経験していたことだろう。真理を実験する? 馬鹿げている! 滑稽だ! 真理について知りたければ、それを体験しなければならない。Osho「私が愛した本」p212

<36>へつづく

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2009/07/21

The Way of Zen<2>

<1>よりつづく

The_way_of_zen
「The Way of Zen」 <2>
Alan W. Watts (Author) 1999/06 Publisher: Vintage  256p Language: English  1967年Panthoeon Books発行の第7版を読んだ。

 ネット上を検索してみれば、Alan W. Wattsの情報はたくさん出てくる。著書も多くあり、動画も、専門のホームページもでてくる。これではなにも図書館通いして、本からワッツ追っかけをしなくてもいいのではないか、とさえ思う。

 「The Way of Zen」、これは1957年にでているので、1915年生まれとされるワッツ、42歳の時の著書ということになる。

 アラン・ワッツは、1915年1月6日、イギリス・ケント州に生まれた。7歳の時から寄宿舎生活を送り、10代なかばには中国や日本の文化に本格的な関心を寄せはじめた。17歳で社会に出、19歳で最初の著書「The Spirit of Zen」を書き上げた。三度結婚し、7人の子供をもうけた。アメリカに渡ると生計を得るための手段として監督教会(エピスコーバル・チャーチ)の聖職者となり、6年間ノースゥエスト大学の礼拝堂付きの牧師としての務めを果たした。聖職から完全に退いたのちはサンフランシスコに移り、アジア研究院アメリカン・アカデミーのスタッフとして、ひいては理事長として、数年にわたり旺盛な活動を行った。42歳でアカデミーから身をひき、以後はフリーランスのライター、講師、ブロードキャスター、哲学者、そして「哲学的エンターテナー」としての道を歩みはじめる。広範な知識と深い洞察、巧みな話術を合わせもった彼は、60年代のカウンター・カルチャーにおいて、若者たちのカリスマ的リーダーとしてあがめられた。組織に属することを拒み、快楽を愛し、酒を飲み、LSDで神秘体験を味わった。そして1973年11付き16日、58歳で亡くなった。「タ ブーの書」p225

 この経歴からわかるように、ちょうど変化の時期に、この本も書かれたようだ。「The Spirit of Zen」も近日中にめくるリストに入っているが、なんと19歳で書いた本とは驚き。アラン・ワッツ4期説でいえば、1期にはキリスト教者としてスタートしたようなイメージがあるが、ワッツそのものの関心は、中国や日本の文化に最初から向いていた、ということになろう。

 この本は、ワッツ本人のキャラクターを思い浮かべて読めば、それなりに個性的でリアリティが湧いてくるが、基本的には、英語圏に禅文化を紹介する、というスタイルととっており、21世紀に日本人が読めば、類似の他書と同じように、まどろっこしいところが多々あるのはやむをえない。

 R.H.Blyth's Zen in English Literature and Oriental Clasics is one of the best introductions available, but it is published only in Japan and, again, lacks the background information. As a series of rambling and marvelously perceptive observations, it makes no attempt to give an orderly presentation of the subject.

My own Spirit of Zen is a popularization of Suzuki's earlier works, and besides being very unscholarly it is in many respects out of date and misleading, whatever merits it may have in the way of lucidity and simplicity.

Christmas Humpherys' Zen Buddism, published only in England, is likewise a popularization of Suzuki and, once more,does not really begin to put Zen in its cultural context.   pxi

 禅についての英語文献も、鈴木大拙やクリスマス・ハンフリーなどさまざまな形のものがあるようだが、それぞれに一長一短があり、そこにアラン・ワッツが新たな意図を持って、この本を書いたと思われる。

 しかしそれは、必ずしもワッツ自らの体験に基づくものだけではなく、さまざま文献の再編集という意味合いが相当に強かっただろう。それでもなおこの本の魅力は、その書き手であるワッツのキャラクターが、その論理にリアリティを添えているところだろう。

 検索してみると、ワッツの様々な画像も見ることができる。髭もはやしていない若い時のものと思われる画像や動画もたくさんある。

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Let go!<5>

<4>よりつづく 

Let_go
「Let go!」 Theory and practice of detachment according Translated to zen. <5>
Hubert Benoit (著) 1977/02 ペーパーバック 出版社: Red Wheel/Weiser  277p 言語 英語

 THE ILLUSORY "ENIGMA" OF DEATH

We are going to examine now the structure of the human being in its totality and we will help ourselves in doing so by certain reflections on  the illusory 'enigma' of death.p154

 さぁ、この三連休を使って、図書館でゆっくり涼むぞ、という目論見は、見事にはずれた。なんと、夏休みの子供たちで机もイスも占領されていた。アチチ、そこまで計算していなかった。子供ばかりか、大人も結構いる。

 ユーベル・ブノアの「Let Go !」も結構あちこちペラペラめくってみて、その感触はつかめた。まぁ、この程度だろう。そろそろ目先を変えてもいいかもしれない。

 同時期に読んだThree Pillars of ZenZen Buddhism、あるいはThe Way of ZenZen Flesh, Zen Bonesと一緒においてみると、この「Let Go !」は、それなりに独特だ。他の本が、日本の文化や、禅の一般的な歴史、あるいは東洋史の一般的な流れを西欧人に分かりやすい形で紹介するというスタイルに対して、この本は、もっと思索的で内省的だ。ただしい表現ではないだろうが、より哲学的、ということもできる。

 ユーベル・ブノアについては、前著「The supreme doctrine : psychological studies in Zen thought」は未読である。リクエストはしているが、いつ読めるようになるかはいまだ未定。この本を読まないうちは即断できないが、やはり西欧禅の理解の中では一種独特な高潔な雰囲気を持っているような気がする。それにしてもD.T.Suzukiの存在感は大きく、もし西欧的禅を理解するなら、鈴木大拙の一連の仕事もいずれ概観しなくてはならない。

 当ブログの読書漫遊も、「私が愛した本」その1乙のリストで言えば、残すところ3冊となった。3冊とも重要な本ではあるが、入手に時間がかかりそうなので、そろそろ、次のページに移ろうと思う。

 しかし、せっかくZenシリーズに戻ってきたのだから、Osho最後の講話録・ZENシリーズ(未確認版)」を再読することも必要かな、と思い始めた。順序よく最初から読むのもよし、いつものさみだれ式に読むのもよし、いずれは読みなおさなければならないシリーズだ。

 「私が愛した本」は1981年の段階のOshoだが、 Zenシリーズは88~89年のOshoだ。部分的に読み比べてみても、大きな違いがすぐ見つかる。ましてや、さまざまな局面を見せたOshoのこと、後からのもののほうがより直接的な言及になっていることが多い。

 なにはともあれ、一筋縄ではいかなかった「Let Go!」だが、それでもなおここは一言で終わっておこう。

Let Go !

 

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2009/07/20

池田晶子『死とは何か』 さて死んだのは誰なのか <1>

死とは何か
「死とは何か」 さて死んだのは誰なのか<1>
池田晶子 /わたくし、つまりNobody 2009/04 毎日新聞社 単行本 254p
Vol.2 No722★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 「私とは何か」「魂とは何か」と来て、「死とは何か」と来た。三部作の遺作集を編集するにあたり、当事者たちは、この語呂のよさでWhat is でまとめたものの、生前の著者の言葉ではなかったのではないか、と思う。しかし、かと言って、こうまとめられたことについて、ことさらご本人も不本意ではないだろう。

 当ブログにおいて、それは「私は誰か」、「魂は何処にあるか」、「いかに死ぬか」という問いに直されなければならない、と提案した。少なくとも、統一感を持たせるためにだけ「~とは何か」で括ってしまうことには共感できない。

 茂木健一郎が、いいところまでいくのだが、結局「科学者」であろうとし、末永蒼生が、いいところまでいくのに、「芸術家」であるところに逃げようとするのに似て、池田晶子は、いいところまでいくのだが、結局は「哲学者」であろうとする。そこのところに、限界が生まれる。

 死ぬということはどういうことなのか。これが精神にとっての最大の謎である。
 それは、有史以前、人類以前の宇宙それ自身の謎として、精神を惹きつけてやまない謎である。だからこそ、我々は、いついかなる時、いかなる場所においても、それについて思考し、思索し、可能な限りの遠くまで、想像力を巡らせてきたのである。
p10

 「死とは何か」と哲学的に問われる限り、答えはでない。問い自体が間違っているのである。死は厳然として、ひとりにひとつづつ付与されているかぎり、人はそれを体験するしかない。あとは、「いかに死ぬか」を問うことしかない。いかに死ぬか、を実行できるとすれば、それは死の体験の後ではなく、死の前に問うしかないのだから、「いかに死ぬか」の答えは「いかに生きるか」の答えでしかない。

 ヴィトゲンシュタインという哲学者は、「月に行ったことがないとは断言できない」ことを思い悩んだ断章を遺しているが、こういった、あやうく、また、ある種厳しい感覚は、ひとり考えて日を移ろうことの多い私にもまた親しいものである。 p14

 この本もまた、著者が亡くなったあとに、1992年から亡くなる直前の2007年1月までの、各種メディアに発表されたものを中心として、未発表原稿をはさんで、アトランダムにまとめられたアンソロジーである。そうである限り、論調が一定しないし、深みがかならずしも著者の求めたレベルまで降りていっていない嫌いはある。

 「死」とは何か。まず、それを考える必要があります。死体は存在しますが、死は言葉としてしか存在しません。誰ひとりとして、死を見たことがない。死体から「死」を取り出すことはできません。誰にも死とは何かが分からないのに、分からないものについて法制化することには、最初から無理がありました。p24

 「死」の前に、「私」が問われ直される必要がある。「私」は誰か、が問われたあとに、いかに「死」ぬか、が問われなくてはならない。「私とは何か」、「死とは何か」、というテーマでは、答えは一切出ないだろう。

 「生きている」ということは、当然「死んでいる」ということの反対です。死がなければ生はないのだから、生とは何かを知るためには、死とは何かを知らなければならない。しかし、現に生きている私たちに、どうして死を知ることができるでしょう。死とは何かがわからないのに、どうして生とは、生きているとはどういうことか、わかっていると言えるでしょうか。生きているとは、人生とは、いったい何なのでしょうか。p28

 たいへん失礼な言いかたながら、彼女はお転婆とも、ジャジャ馬とも表現できそうな、自由闊達な性格をお持ちだったようで、また、それを周囲も愛してきた気配がある。しかし、本当に、自由だっただろうか。まったく、͡個となって、ひとり存在しただろうか。すくなくとも彼女は、「哲学者」であることをよしとした。自由の境地に遊んでいるようでいて、実は、「哲学」という手のひらの中を飛び回っているにすぎなかったのではないか。

 生き方がわからない、死に方がわからないと思い悩む人々よ、あなたは生きることの何を、死ぬことの何を、あらかじめ信じていたというのか。生きるに甲斐あり、死ぬに甲斐ある、そのように求められる行き死にの形とはしかし、そのように求められるそのことにおいて、充分に凡庸なものではないのか。 p30

 これは第三者に対する問いかけではなく、彼女が彼女自身に問いかけた問いであったはずである。

 何事も執着しないことが、何事も楽しむおそらく最後の秘訣です。禅の達人は、一切がただ可笑しくて、月を見ても呵々大笑するというではないですか。p45

 ここで、あえて「禅の達人」の喩えをださなくてもよい。すくなくとも、池田晶子、あなたは「呵々大笑」していただろうか。翻って、それは、それを問うている、私自身への問いとなる。

 ちょっと考えてみれば気がつくことですが、私たちは、「私は生きている」と普通に言いますが、この「生きている」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。「生きている」と言うからには、「やがて死ぬ」とも思っているわけですが、それなら、この「死ぬ」ということは、どういうことなのか。誰ひとりとして死んだ経験はないはずなのに、どうして皆それを知っていることであるかのように思っているのでしょうか。p84

 この問いもまた、彼女が彼女自身に問いかけた問いでなくてはならない。「私たち」が生き、「私たち」が死ぬことなどない。生き、死ぬ、のは「私」だけだ。

 外界の拡張、外界への欲望は、いいかげん、もういいのではなかろうか。人類はそろそろ、そのことの無意味と、内面の意味に、気づいていいのではなかろうか。p109

 彼女は、内面への旅について、人類誕生以来続いてきた系譜を知らない。それは誰にも手が届くところに置かれているが、それは誰にでも手が届く、というものではない。彼女が「哲学」という枠組みを、さらに一歩踏み出して、勇気を持って一人になることができたら、彼女自身がそれに気付いていたはずだ。

 アフリカの小国の不便な暮らしと私は言ったが、じつを言うと、私はそういう暮らしを不便とはちっとも思わないのだ。薪割り、水汲み、飯炊きで終わる一日、しかし、精神の自由は完全に確保されているからである。頭がある限り、その間、頭でものを考えることができるからである。p110

 薪割り、水汲み、飯炊き、これらの体験が彼女にあったなら、もっとこの言葉はリアリティを持って聞くことができたであろう。薪割り、水汲みは、小中学生時代の私の手伝いの日課だった。たしかに、彼女の言うとおり、これらの作業のなかで、意識がクリアになるのは本当だ。でも、割るべき薪もなく、汲むべき水もなく、炊くべき飯もない人々もこの世にはいる。

 死とは、何か。
 じつはこれこそが、人間の「哲学」の最初の問いなのだ。そして、死とは何かを「考える」ためには、とく「哲学」を学ぶ必要はない。誰もが自分で考えられるし、また考えるべきことである。
 そしてまた、この問いに対して考えらえるのも「哲学」だけなのだ。科学には決して答えられない。死とは何かを考え捉えようとして、捉え損ねているのが、あの「死の判定基準」なる苦肉の策であるのを、私たちは見ている。
 p117

 この問いには、科学でも答えることができなければ、哲学にも答えられないことは、彼女は、自らの体験を通じて知ったことだろう。

 考えてもみてください。「私とは何か」と悩むとき、その<私>とは、では何ですか。自分の名前や肉体以外でそれを示せますか。あるいは、「なぜ生きているのか」「どうせ死ぬのに」と悩むとき、<生死>はそれほど確実ですか。死が無なら、無いものを恐れて生きていることになりませんか。p158

 これもまた、彼女が彼女自身に向けて放った問いであろう。実は、この問答ついて、すでにひとつの系譜として、人類は正解しつづけてきている。答えはある。

 「役に立たない」学問の筆頭は、言うまでもなく哲学である。「生きなければならない」と人々が思い込んでいるところ、「何のために生きるのか」と問うからだ。p166

 もちろん、ここは彼女がフェイントを狙った反語である。本当は、もっとも「役に立つ」、もっとも「必要」なのは、哲学である、と思っている。しかし、彼女が本当にこの言葉を自分のものにしていたら、enlightenmentしていたに違いない。

 この「さて死んだのは誰なのか」シリーズの三冊目、「死とは何か」の最後の章は、「死とは何か----現象と論理のはざまで」という10数ページの文で終わっている。語り下ろされたのは2007年1月だから、ほぼ亡くなる一カ月前のベットの上だったのではないか、と勝手に想像する。

 すでに彼女は「死につつ」あった。そして「生きて」いた。この本の中で、池田晶子は、ますます生きている。この最後の文章にも、あちこち、いろいろコメントをつけようとすればできないことではないが、あえてここではそれをすまい。

 この最後の文章は、行間を読まれるべき文章だろう。どうのこうのと、一読書子がブログに書いたとて、どうなる次元でもない。

 読書ブログ、それも、彼女が苦手、あるいは嫌いとまでいったインターネットが大好きな私の目下のテーマは「死」だ。パソコンが嫌いだった彼女が天国から、当ブログを読むことはないだろうが、彼女の三部作を読んで、いろいろ考えたこと、そして、彼女の哲学の存在を知り得たことを感謝している、その念がせめて、天国の彼女にとどきますように。

合掌

<2>につづく

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青の時代へ

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「青の時代へ」 色と心のコスモロジー
末永蒼生 1991/04  ブロンズ新社 単行本 237p
Vol.2 No721★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 末永蒼生の本がゴソッとあったので、借りてきた。ゴソッと言ってもわずか4冊だが、検索してみれば、彼の著書は現在28冊以上あることになっているようだ。ふ~・・・。しかも、彼の処女作ともいうべき1970年代初頭の「ウルトラトリップ」とか「生きのびるためのコミューン」とかが入っていない。当ブログでも何冊か読んではみたが、いまいち追っかけするほどもなさそうなので、そのうち、と思っていた。だが、なんとこれほどの冊数に増殖しているとは知らなかった。近年、かなりのペースで出版が進んだのだろう。

 この「青の時代」は1991年にでている。当時私は「国際環境心理学シンポジウム」の企画に参加していて奔走しており、あわただしい日々の中で、たくさんの資料といっしょにこの本を手にした記憶がある。当時日本は高度成長、バブル景気の絶頂期にあり、すでに足元から崩れ始まってはいたのだが、人々はまだ、あそこからこれほど長期の不景気の時代が続くとは誰も思っていなかった。

 僕の20代、30代はわれながら呆れるほど大きく振れ動いた時期だった。とくに30代は比較的穏やかだったのは子育てに懸命だった5,6年だけ。その後は離婚やそれと前後した恋愛とで気持ちが引きさかれ、同時に息子が交通事故に遭ったり、母親が思い病気で倒れるなど嵐の中に身をおくような日々の連続。それまでの人間関係をやっと断って孤りの生活に立ちもどったものの、疲労困憊していた僕自身をさらに襲った身体の不調。その結果の経済的な逼迫。そして40代に入ったとたん、どどめをさすかのように訪れた母の死・・・・・。 p018

 かなりのブランクのあとに1冊、2冊と出され始まった彼の本は、まだまだ、手さぐりをもとめて、ゆっくりゆっくり歩を進めているような状態を感じさせた。この本もまた「一年がかりのワープロとのつきあい」p237の中から生まれた。

 今後さみだれ式に彼の本は読み進めてみることになるだろうから、リストを作っておく。

 末永蒼生関連リスト

「ウルトラ・トリップ」長髪世代の証言! 1971大陸書房

「生きのびるためのコミューン」幻覚宇宙そして生活革命 1973 三一書房  

「色彩自由自在」 1988/07 晶文社 

「青の時代へ」 1991/04 ブロンズ新社

「色彩心理の世界」 1998/11 PHP研究所

「自分を活かす色、癒す色」 1998/11 東洋経済新聞社

「精神分析学がわかる。」AERA Mook 43 共著 1998/11  朝日新聞社

「心を元気にする色彩セラピー」 2001/01 PHP研究所

「色彩記憶」 2002/05 PHP研究所

「自分力を高める色彩心理レッスン」 2005/05 ナツメ社

「クレヨン先生と子どもたち」 2006/9 ソフトバンククリエイティブ

「絵が伝える子どもの心とSOS」 2010/02 講談社

 

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2009/07/19

Zen Buddhism<3>

<2>よりつづく

Zb   
「Zen Buddhism」 <3>
Christmas Humphries 1999/01 Pilgrims Publishing,India ハードカバー 241p 言語 英語 初版1949年 1961年George Allen & Unwin, London発行の版を読んだ

 当ブログは、速読でもなければ多読でもなく、また精読でもない。たまたま手に取った本の存在を確認し、自分の中から湧いてきた何事かのメモを残しているに過ぎない。ブログを始めて、いつの頃からか、読書ブログになってしまったが、思えば、それまで長いこと読書も休んでいたので、読むべき本は山と積まれていた。

 だから、いざ読もうとすれば、勢い多読にならざるを得ず、遅れを取り戻そうとすると、そそっかしい速読にならざるを得ない。しかし、一辺では理解できず、あるいは、かなり面白くて、自分なりに精読しようと思い立つ本もある。忘れた頃にその重要性に気づいて再読ということもある。再々読、再々々読、という本も少なからずある。

 そのうち、座右の書、ともいうべき本も何冊かはでてきたが、多くはない。非常に乱脈な読書スタイルだが、今のところ、大きなマイナス要素はなさそうなので、このまま続けていこうと思う。

 この「Zen Buddism」は、英語本なので、私の得手とするところではない。ましてや、行きがかり上、速読気味になっているので、意味の取り違えなどの前に、大体何が書いてあるのか、という概略がつかめればそれでいい、という読み方をしている。だから、総体的な評価などできるわけはないのだが、それでもなお、ひととおり目を通したかぎり、今回なりのイメージをメモしておく。

 もともと1949年にロンドンで出た本だから、時代がかっている。日本の書籍だって、昭和24年発行の本を読むとすれば、それなりに覚悟しなければならない。その上、テーマは禅である。中国、韓国、日本の仏教を、特に禅を中心として英語圏に紹介しようという本だから、日本人の私が読むと、ひとつひとつの紹介の部分が、ややまどろっこしいものに思えてくるのは仕方ないことだ。そして、また、新たなる何かをここから学ぼうというより、もっと、客観的な事実を覚めて見ているようなところがあるので、やや本としては面白みに欠けてしまう。

 それでもなお、日本の文化として、その幾分かは身にしみて知っている禅・仏教について、英語で表現すればこういう形になるのか、ということを知る面白さは充分にある。ましてや、Oshoなどは、ダイレクトに日本語で禅を理解しているわけではなく、このような形で英語で紹介された文献から禅を引用していることもあるだろうから、その意味では、Oshoの言葉使いの、一般性と個性とが、すこし客観的に見えるような気もする。

 エンライトメントとか禅マスター、あるいは瞑想、などの基本的な言葉使いは、それぞれ、著者や本の性格によって違っているが、そのブレの中にあっても、結局はOshoが採用したスタイルが、どういう位置にあるのか、などという確認も、なかなか面白い。

 この本を今後、再読するチャンスがあるとすれば、それらの違いの中から、クリスマス・ハンフリーならどう表現していたか、という点が気になる時だろう。もっとも、彼は鈴木大拙の門下にあったわけで、生涯その道にあったとすれば、個性を出すと言っても限定されたものだったろう。

 正直言って、この本に精神的に啓発されるところは少ないが、その西洋からエキゾチックな東洋を見る視線自体が、こちら東洋側から見れば、それもまたエキゾチックだ、ということができる。すでに半世紀以上の時間が経過して、西洋&東洋という対比もすっかり変わりつつあるが、それでもなお、時間軸の中から、現代人として、この半世紀前の古書のエキゾチズムを楽しむことはできると思う。

 こういう本が、いろいろあったんだな、ということは確認した。

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涙の理由

涙の理由
「涙の理由」 人はなぜ涙を流すのか
重松清 /茂木健一郎 2009/02 宝島社 単行本 253p
Vol.2 No720★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 涙の理由、と言えば、私には一つのシステムが思い出される。瞑想中に、ふいに咳がでそうになった時、咳が出ないように押さえていると、次第にその「エネルギー」は上昇してきて、涙腺が刺激され、じんわりと涙がでる。すると、喉につかえた咳はリリースされる。このシステムが医学的に当たり前のことなのか、誰にもおこることなのか知らないが、私にとっては、この無感情な涙が一番象徴的に思い出される。

 茂木: 梅田望夫さんと「フューチャリスト宣言」という本を書いた頃に、僕はインターネット礼賛の気分でした。僕は、今でも「Google」や「YouTube」のヘビーでもありますが、最近、インターネットに対する対抗軸を作らないとまずいことになるという直感を持ち始めています。インターネットを捨てるわけではありませんが、インターネットの反対軸に全く違うものを持っていないと、個人の生が浸食されて、人類文明全体が非常にまずい方向にいくのではないかという直感がある。その対抗軸を、ずっと探していたんです。普通に考えると、身体を回復する、自然に触れる、人とのつながりが大事だとか、そういう方向に行く。しかし、この対談を通して、俺は、インターネットへの対抗軸は「自分の涙を持つことだ」と思った。p212

 この本は茂木健一郎と、作家・重松清との対談で成り立っており、対談は、2005年の暮れの段階の企画から始まり、2006年3月、4月、5月、2007年4月、そして2008年3月の断続的に続けられた。上の茂木の発言は、2008年3月のこと。「フューチャリスト宣言」が出版されたのは2006年5月。わずか一年足らずで、かなりの意見修正をおこなっているようだ。

 茂木の「インターネットへの対抗軸は自分の涙を持つことだ」、という意見には基本的に賛成だ。

 もともと小さい時から泣き虫で、いつも兄弟喧嘩で泣いてばかりいた。成長しても、映画を見ても、テレビを見ていても涙を流した。涙もろい自分がちょっと恥ずかしいことが多かった。最近は、老眼が進んでいるからというわけではないだろうが、一段と涙が流れる。大概は嬉しかったり悲しかったりするのだが、何の理由もなく涙が流れることもある。

 しかし、私にとっての意味ある涙は、文頭に書いた瞑想中の涙だ。悲しいとか、うれしいとか、感動したとかではない。5の喉のチャクラのリリースにおける涙が一番象徴的だ。

 他人の涙で、一番思い出すのは、1991年の六ヶ所村。夏にロックフェスがあり、オプショナルツアーで、核施設建築予定地を回った。その時のツアーリーダーがひげを伸ばした無骨な男性。なんとも頼もしげな猛者だった。

 彼は、その地が、縄文人たちの遺跡であることを語った。語っているうちに、彼は泣いた。オイオイと声を出して泣いた。最初なにが起きたのか分からなかった。「縄文人たちの貴重な遺跡を、核施設を作ることで壊してはならない」と、彼は泣いた。

茂木: 今日、重松さんとお話しして、インターネットに象徴される日本、現代の流通や情報化、そういうものに対する対抗軸が涙であるという、大切な発見をしました。しかも、その涙は、安易な借り物の涙ではなくて、自分の人生の一回だけの、生の奇跡の中で、命のパズルがカチッとはまった瞬間に流れる自分だけのかけがえのない涙です。それはひょっとしたら、神様の贈り物かもしれないし、神の許しかもしれない。そういう涙を流せるような、人生を生きようと心がけて、日々を過ごしていくことが、インターネットというものに象徴される、現代の流通化・平板化に対する対抗軸になることが、わかった。 p248

 重松清は「その日のまえに」という短編集を出して「泣ける小説」というジャンルの典型と見られているという。重松を前にして、茂木は持ち前のサービス精神で、上の発言をしたようにさえ勘ぐることができる。敢えて、インターネットに「対抗する」こともあるまい。しかし、涙の理由は、不明であっても、涙を受け入れる世界観でなくてはならない。

 この本で初めて、2005年茂木は「脳と仮想」で小林秀雄賞を受賞したことを知った。

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化粧する脳<2>

<1>よりつづく

化粧する脳
「化粧する脳
 <2>
茂木健一郎 2009/03  集英社 新書  189p

 この本もすでに立ち読みして、大体のイメージはつかめているが、図書館で新たに見つけたので、再読もありかな、と思って借りてきた。しかし、立ち読みしたときと読む速度はほとんど変わらず、敢えていえば、転記する余裕があるかないかの違いだけであった。

 他人が自分をどう見ているかということが、「私とは何か」という「自我」の成り立ちに重大な影響を与えざるを得ない。p3

 「私とは何か」という問いかけは、やはり「私とは誰か」という言葉に言いなおされたほうがいいと思う。そして、それを「他人がどう見ているか」という問いかけにしてしまっては、出てくる結論はまったく別次元のものになってしまうだろう。

 「何か」と問うた時には、すでに「私」は外在的な「物」化している。外在物となり果てた「私」には、どのような「化粧」がほどこされたとしても、それは「私」に到達する道からは、大きく外れていく。

 「私は誰か」と問う時、それは「他人」が問うから問うのではない。「私」が問うのである。「私」が「私は誰か」と問うのである。「私」が問うとき、「私」は「物」であるはずがない。「私」は「存在」なのである。問いかけとしては、やはり「私は誰か」が正しい。

 この最初の問いかけ自体が間違っていれば、あとは、どのように新書本一冊が「化粧」されようと、それはすべて外面だ。「私」には到達しない。一大ブームを起こし得るような健筆化にしてみれば、あとは、新書本一冊をつくることなど、お茶の子さいさいだ。私はこのような本は、曲学阿世という表現が正しいと思う。

 2007年7月から、カネボウ化粧品と共同で、脳科学的な知見から、「美の本質」や「化粧の本質」について研究をしてきた。p42

 なにをもって「研究」というのかはさだかではないが、あまり奥深いものを感じない。そもそも、その研究期間が短すぎる。「研究」とは名ばかりの、産学協同のメディア・ミックス・マーケティングの一環にすぎないのではないか。茂木側としては、経済的バックアップを受けることができるだろうし、カネボウ側としては、飛ぶ鳥を落とす勢いの茂木人気に便乗することができる。意地悪く考えれば、そういうことになろう。

 情報テクノロジーの発展によって、インターネットの網の目は地球を覆いつくし、それは隈無く個人まで接続されようとしている。Googleのストリートビューによって、自宅の目の前の画像までクリック一つで世界中のだれでも見られるようになってしまった。p122

 この本の主テーマではないところではあろうが、著者はいきおいで、とにかく読者をうなづかせようとして、無理を重ねている。インターネットの網の目は地球を覆いつくしてはいないだろう。まだだ。ストリートビューで見れないところはたくさんある。いや、その方が圧倒的に多い。日本の中心を外れた地域、閑散とした地域は見れない。中国の奥地も観れない。チベットも北朝鮮も見れない。アフリカも、南米も見れない。「科学者」の表現としては大袈裟すぎる。

 それにたとえば、私の住まいも確かにストリート・ビューで見ることはできるが、所詮、ある一日のあるヒトこまでしかない。隣の家はたしかに洗濯ものをベランダに出しているが、毎日がそうであるわけではない。たまたまグーグルのカメラ車が通った日がそうだったにすぎない。毎日、隣の家を見ている私には、ストリート・ビューが見た隣家が、普遍的な真実をもっているとは思えない。ましてや、あの画像から「個人」など見れない。

 現在、多くの女性が毎朝化粧を施している。鏡に向かって長い時間自分を見つめ、化粧を施すプロセスが、化粧をする主体においてどのような意味があるのか考えることは、非常に興味深い。141p 恩蔵絢子 「鏡や化粧を通した自己認知」

 たしかに、私にとっても、電車のなかや、運転中の車の信号待ち中で、化粧鏡を覗き込んでいる女性心理は興味深い。しかし、そこからは、私の思索は深まらない。思いなおせば、人前で鼻毛を引き抜いては、いつも奥さんにこっぴどく注意されている、私の行為と繋がるものかもしれない。だが、むずむずっときたプロセスが、さっと鼻毛を引き抜く主体においてどのような意味があるのか、を考えることには、今のところ、わたしには興味がない。

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魂とは何か さて死んだのは誰なのか<2>

<1>よりつづく 

魂とは何か
「魂とは何か」 さて死んだのは誰なのか<2>
池田晶子 /わたくし、つまりNobody 2009/02 トランスビュー  単行本 255p

 先日、ちょうど1年前にガンで余命3カ月と宣告された人とお話をした。仕事の帰り際に仲間たちとお茶を飲んだだけなのだが、それでもちょっと印象に残ったことがあった。

 一年前に余命3か月なら、通常ならこの世のひとではない。すでに昨年亡くなられたはずの方である。しかし、一旦は医師が見放したはずの彼はまだ生きていた。会社を整理し、仕事を同僚にまかせ、妻ともどもすっかりその旅じたくを調えた。

 しかし、彼は生還した。治療効果があったのか、彼の精神力がなにかを上回ったのか。団塊の世代の後半とはいえ、彼はまだまだ現役世代である。年金暮らしで悠々自適、というわけにはいかない。彼は、また仕事に復帰して、仕事環境を整えつつある。だが、それでも再発、移転も、気にはなる。いつまた同じ状況に陥るか予測はつかない。

 彼の生還は妻にとっても大変なよろこびで、妻が投書したその体験談が地元紙の夕刊に掲載された。それまで、彼の病気に気がつかなかった私にその夕刊のコピーをくれて、近況を話してくれた。そしてひとこと、「ガン保険には助けられた」と話した。

 青年時代に「余命6カ月」を宣告されてから、すでに30年近く生き延びてしまっているこちらの立場としては、「死」からの「生還」もそうそうめずらしいことではない、と思っているし、「死」が人々の「生」をいかに純化するかも、すこしは分かる。保険にも助けられた。

 しかし、「死」から生還した直後のお話として、ガン保険、のお話はいただけない。本当は「魂」の話をしたかった。「死」と身近に遭遇することによって、何がどう変わったか。なにを理解したか、そんなことを本当は聞きたかった。

 別な仕事仲間には、また別なストーリーがあった。こちらは心臓疾患だった。こちらも団塊世代の前の世代ではあるが、まだまだ生命力旺盛に見えた。しかし、彼は半年間、生死の境をさまよい、意識をもたなかった。外側から見ていただけでは、眠っているようにしか見えなかった。

 こちらの彼も半年後、目を開いた。そして、医師のメディカル・コントロール下にありながらも、以前の元気をとりもどした。「イエス・キリストは十字架の上で死にました。しかし、私は半年後に生き返りました」と、なにかの勉強会の時、みんなの前でステージから挨拶した。つづく話は、やはり仕事の話だった。「魂」の話には、つながっていかなかった。

 こちらの聞き手の体制になにか欠陥があるのかもしれない。「魂」の話をごく自然にできるような環境にないのかもしれない。すくなくとも、私自身が、すぐそのような話を聞かせてもらえるような雰囲気を持っていないのかもしれない。

 あるいは、と思う。人は「死」の体験をしたとしても、必ずしも、「魂」へ行きつくとは限らないのかも知れない、と。

 <魂>という語、これだけ取り出して聞く時の一種怪しげな響きが、おそらく馴染まないのだと思う。とはいえ、気をつけて聞いていると、わりとよく人はこの語を口にしているのだ。明らかに「死後の存在」を意味している「魂の冥福」という言い方があり、「現代の魂」「迷える魂」「魂の救済」などは、心とか感情とか、それらの総体としての人生の姿とか、そういう意味合いで使われることが多いようだ。最近はよく聞く「自分探し」「私探し」という言い方も、まずこの文脈にある。p20

 人は、いざ「死」に直面しても、「魂」と遭遇することはすくない。それには準備が必要だ。そこにこそ、「チベット死者の書」の意味がある。もし人が深く瞑想すれば、そこに「死」を体験することができ、「魂」を見つけることができる。それは必ずしも、肉体的な「私」を必要としない。もし「私」が「魂」と出会いたいと思うなら、まずは「私」の「死」を体験することだ。通常は、ここまで煮詰まった思索を、人はしない。

 「意識」の普遍性は言えるが、<私>の普遍性は言えない。そこで、<魂>の語を使ってみたいと私は考えるのだ。「社会的な<私>」から峻別された「形而上的な<私>」として、そして敢えて、その先のないどん詰まりの意、「<私>のイデア」として、<魂>というこの言葉をだ。p24

 人はどこかで手を打たなければならない。円周率を3と割り切ったからと言って、それは間違いとは言えない。「私」が割り切れるならそれでよい。必ずしも3.14が正しいともいえない。だが、そこで手を打つことができるなら、それでもいい。3.14159265・・・・とどこまでも追っかけたければ、追っかけてもいい。だけど計算上はここが終点ということはない。

 結局のところ、人はみな同じではないのだ。同じなのは見た目のこの形だけなのだ。「同じではない」というのは、「不平等」という意味ではなく、たんに<魂>が別々だということである。民主主義の悪いところは、誰も彼も同じで、またその同じというのが、ただ「人間である」というそれだけの根拠により、またそれによって求められるところも、要するに会的な生存というじつに浅薄なところにあるわけで、私はあの考え方は好きではない。人間を<魂>として見るなら、民主主義はあり得ない。天才もまた、民主主義の世の中には存在しない。「同じではない人間がいる」ということを、人々が理解しないからである。p57

 大学で哲学を専攻した彼女には、「哲学」というルーツが肌にあっていたのだろう。必ずしも「大学の中」で学んでいたのではないようだが、それでもやはり、彼女の身近なつながりは哲学にあった。彼女の「大疑団」は必ずしも哲学特有のものではない。もし、彼女がただひとり<私>として<個>であったなら、別な世界も開けただろうが、彼女は<哲学>に囲まれすぎていた。赤肉団上の無位の真人、という立場に立ち得たなら、彼女に見えたものは、もっと違っていただろう。

 今度は、父親が、がんである。
 まるで、がんに非ざれば人に非ず、といった状況である。
 どこの家でも、そんなことをやているらしく、きょうび、かんは本当に珍しくない。
p107

 上の文章は1998年10月に季刊「仏教」に発表されたものだから、この地点では、彼女は、そう遠くない時期に、自分自身である<私>が<死>に直面することになるとは、予想していなかったかもしれない。他者の<死>と、<私>自身の<死>はまったく意味は違う。

 先日、ケン・ウィルバーの大著「進化の構造」をパラパラと操っていたら、面白い一節にぶつかった。驚くと同時に、納得した。ああ、やっぱり----。 127

 ここで「進化の構造」がでてきた。

 ウィルバーは、これにプラトンの言葉、「それに関する私の論文は存在しないし、存在しえない」を等置している。これは、例の第7書簡や、対話編(「テアイテトス」、「ソフィステス」)では「語りえぬこと」について語っている有名な一節だろう。ともに、理性が存在に「降参」をつげている瞬間である。「哲学」の限界である。p127

 彼女は、とにかく、彼女の旅を続け、遠くまできた。

 ユング心理学を継承発展させたトランスパーソナル心理学も、近年とみに成果をあげているが、成長と統合の「物語」は、非常におさまりがいいぶん、自身の物語性を忘却しやすい、そんなふうにも思える。p129

 この本の中には、1992年10年から2006年9月までの彼女の文章がアトランダムに再編集されている。旧版「魂を考える」のあとの文章も収容されているので、彼女の思索の変遷と、社会的出来事のリンクを注意深くチェックしていかないと、彼女の意図したところが読み切れないところもある。ましてや、一般紙に発表されたものであれば、編集者たちの意図を抜きには、この一冊は成立していない。

 この頃、心理学の可能性について考える。裏から言えば、心理学の不可能性についてとも言える。「何が」存在しているのかという、これ自体が絶対不可能な(最後)の問いにとっては、しかし、右のような哲学的思考をも、ひとつの心理現象として見抜き包摂してゆける心理学的感受性は、なお有効ではなのではなかろうか。
 哲学的思考は、定義により、思考している「主体」、すなわちこの何ものかが、その何であるかを自ら思考することにより崩れてゆくという事態には、対応できないからである。崩壊、解体してしまった「主体」に、しかしながらなお現存する呟きようのもの、これは「誰」であるのか、もしくは「何」であるのか、問いつつ沿うて動けるのは、むしろ心理学のほうではなかろうか。
p239

 2007年2月にガンでなくなった著者にしてみれば、2006年9月に「新臨床心理学入門」に掲載された上の文は、多少のリップ・サービスがあったとしても、本音の遺言に近い述懐ではなかろうか。

 おそらくは、我々の言語アラヤ識それ自身が、自身を自覚化することで無限に生成を重ねていくように・・・・と続くのであろうか。全人類の全歴史を射程に入れて、なおその向こうを望見し、常にそこからこそ我々のこの文化、この現実にかかわろうと立つ氏の姿勢は、それを見る者に、逆に一種の壮大な眩暈のようなものを与える。アラヤ識こそが真に生成するものであると知った時、もはや「我々」とは誰のことなのであろうか。p183 2001年9月

 Whwre is Soul of Akiko Ikeda?  今、池田晶子の魂はどこにいるだろう。それは、どこか、あらぬところ、外に求めてはならないだろう。「私」のなかにこそ、それを求めていくしかないだろう。

<3>につづく

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池田晶子 『魂とは何か』 さて死んだのは誰なのか<1>

魂とは何か
「魂とは何か」 さて死んだのは誰なのか<1>
池田晶子 /わたくし、つまりNobody 2009/02 トランスビュー  単行本 255p
Vol.2 No719★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★☆

 「私とは何か」が3冊組の1冊だと分かり、しかもその1冊目に魅力を感じたとしたら、他の2冊も目を通したくなるのは当然の流れであろう。

 「私とは何か」「魂とは何か」「死とは何か」。この3つの言葉を並べてみて、なにか、ひとつの違和感がある。これらの言葉使いは、生前の池田晶子自身の言葉使いだったのだろうか。それとも、死後つくられたNPO「わたくし、つまりNobody」の関係者による編集なのであろうか。

 私は「私は誰か」という問いのほうに長く親しんできた。「私は何か」という問いは、初めてと言っていい。ラマナ・マハリシ以来、この問いは「私は誰か」と問われるのが伝統というべきものではなかろうか、なんてひとりごちる。

 Who am I なら分かるが、What is I(Me)と問うのには、すこしく時間がかかってしまいそうだ。そしてこの問いの行きつくところは、すこし(あるいはとても)違ったところに行ってしまうような気がする。5W1Hでなら、「私」を問う疑問詞は、「Who」がもっとも適当なのではないだろうか。

 とするなら、「魂」もまた「魂とは何か」と問われるべきものはないのではないか、という仮説を立てたい。Whatがだめなら、あとはWho Where Why Whenが残っているが、Whoは「私」に譲ったから、他のものにしたい。Whyも合いそうだが、これはどれにでもフィットしそうだ。あまりに哲学的すぎる。Whenもちょっと違うとすれば、あえて「魂」に似合うのはWhere、「魂とは何処か」と問うことではないか。まずは一つの仮説。

 そして、3つ目の「死」について考える。そもそも「死」とは何か、という問いかけ自体おかしいのではないか。愛とは何か、朝ごはんとは何か、歩くとは何か。「死」は相対的なものとしてあるものではない。絶対的に存在しているものだ。「死」が何なのかを理解しても、なんの役にもたたない。朝ごはんが何なのかを理解する前に、まずは、朝ごはんを食べることが先決だろう。

 「死」には、5Wは似合わない。「死」にはHowが似合いそうだ。「How to Die」。「死」に対する問いかけは、「いかに死ぬか」しかないのではないか。

 「私は誰か」、「魂は何処にあるか」、「いかに死ぬか」、と自分なりの言葉に置き換えて、その坐り具合を確かめてみる。

 <世界霊魂がただ一つ現実に存在する。これを私はとりわけ私の魂と称する。そして私が他人の魂と称するものも専らこの世界霊魂として把握するのである> ウィトゲンシュタイン「草稿1914-1916」  p8

 「ポスト・オウムの<魂>のために」と題された最初の文章の最初の引用句がヴィトゲンシュタインであった。別途、ヴィトゲンシュタインを読みたくなってきた。

 ただ、このポスト・オウム、という言葉使いはいただけない。そもそもポストする必要はないし、オウム、という単語で何事か特定の団体を連想するようなことは避けたほうがいい。当ブログでは、この言葉がオムマニパドメフムというマントラのなかに深く込められてきた意味を愛する。

 この本は旧版「魂を考える」を「大幅増補改訂」したとされるもので、改訂したのが本人でないとすれば、本人の意図しなかった方へ改悪されている可能性もなくはない。だが、そこまでは一読書子としては推理力が及ばないので、今後は、この本が現在の「池田晶子」なのだと想定して、読み進めることにする。

 わからない!
 「何が」わからないのだろうか。「わからない」と「わかる」、すなわち「無知の知の自覚」は、ソクラテスを起点とする哲学的思考の上がりであり振り出しであり、つまり絶対的な動機である。その意味では、この「わからなさ」は、私にはいまや馴染みが深い。
p9

 ここでOshoなら、ずばり「探究すべからず」と戒めるだろう。わからないのだ、ということをわかるしかない。

 苦手なのだが、なぜ、わざわざ苦手なことを考え始めようとするこの論考なのか。なぜ、<魂>なのか。
 数年前まで私はそれを、「意識」と語ることに疑いがなかった。「意識」の一語で、すべては隅なく理解されると思っていたのだ。
p10

 当ブログは目下のところ「意識」が大きなテーマの一つになっている。しかし「意識」というネーミングに最後の最後までこだわるつもりはない。コンテナ→コンテンツ→コンシャスネスという駄洒落のなかで「意識」というネーミングを使っているだけで、いきなり「魂」でも、実は問題ない。ただし、「魂」はすこし手垢がつきすぎた言葉のようにも思う。

 ある時、<魂>の語が来た。おそらく、「言葉の魂の力」によってここに来た。それは、ピタリと、ここにはまった。
 あ、納得----。 
p11

 かつて高橋克巳はウスペンスキーの「超宇宙論」を翻訳するにあたって、psychology「魂理学」と訳していた。本来であれば、通例にならって「心理学」とすべきところであっただろうが、その点ばかりではないにせよ、彼の翻訳は「誤訳」として、すこぶる不人気をかこっている。

 私は「魂理学」も悪くないと思う。そんなのは早いもん勝ちのネーミング競争なのだから、日本語ではこの言葉が定着しても悪くなかったと思う。そもそも、「哲学」という言葉だって、ギリシア語philosophiaの翻訳として正しいのかどうか、定かではない。

 ただし、ここで、池田晶子が、「意識」ではなく「魂」に行きついたことは、自然なながれとして、受け入れることができる。

 <魂>というものはない。それは脳のことをいう。
 これは科学の立場、科学が扱うものが「物質的存在」に限られる限り、これは当然である。
 しかし、意識という「非物質的存在」を脳という物質の機能であるとして、それなら<私>は、どちらに属するのだろうか。「<私>とは何か」と問うて、「<私>とは脳である」と答えているのは、<私>なのか、脳なのか。<私>を脳と同一としているところののその<私>こそが、ここで問われているその<私>なのだから、これは答えになってない。<私>とは何か。
 p13

 茂木健一郎ばかりが悪いわけでもないだろうが、世は脳ブームである。

 近年の脳科学に対する関心の高まり、そして脳科学のさまざまな「成果」を耳にしている人々は、脳科学が、実は深刻な方法論上の限界に直面していると聞いたら、驚くかもしれない。しかし、脳を理解するという人類の試みは、実際絶望的と言ってもよいほどの壁にぶつかっているのであり、その壁が存在すること、それを乗りこえることがきわめて困難であるという事実を、世界中の心ある研究者は理解しているのである。茂木健一郎「意識とは何か」p010

 池田晶子という人の本はまだ2冊目だが、なかなか読み進めることができない。読み進めない本の種類はいろいろあって、小難しいものや、意見が合わないもの、最初から高踏すぎるもの、興味がないものなどがあるが、この本はちょっと違う。読み進めていくうちに支線がたくさんありすぎて、読み手としてあちこちに脱線するのである。

 一気に読むこともなんら難しい本ではない。しかし、それではもったいない。池田晶子、入魂の3冊なら、こちらも気をしずめてじっくり味わいたい。

 最新物理学と古代叡智が手を組んで、それらの神秘が「解明された」と思うのなら、これはあべこべだろう。神秘はいよいよ認識されたのであって、解明されたのでは全然ない。認識とは、常に次なる認識への振り出しであって、決してそこで上がりではない。
 あれを上がりと思うことが、じつは少しも神秘と思っているのではない証拠であって、最近盛んなニューエイジ・ビジネス(というのですか)、あれはいかなる勘違いだろう。非常にあざといものを私は感じる。
p15

 初対面の人となら、15分もいっしょにいれば、だいたいその人のことはわかる。一緒にやっていけるか、距離をおくべきか。だが、気になるひとと意見を合わせようとしたら、1時間は必要だろう。とにかく意見を出し合い、共通の認識をベースして、当面の課題の着地点を確認しあう。

 しかし、もっともっと、なにか長期的なチームをつくる可能性のある人となら、最低でも2時間は話し込んでしまうだろう。同じところと、違うところ。そして、その人にないところを、自分が補い、自分にないところを、相手が補ってくれることを確認すれば、まずはその日のミィーティングは終わりだ。そこまでやればヘトヘトだ。次なる展開は、後日に回す、といことになる。

 「救われる」べきなのは、本当は、<魂>というこの言葉のほうなのだ。信じ込まれ、貶められ、手垢にまみれて見えなくなったこの言葉を、その正当な位置へと戻してやることなのだ。戻してやるそのことが、「救われる」という言い方で言われるべきことになるのかどうかを、私は知らない。
 だからこそ私は、それを、知りたい。
p17

 私にとって、この人の本は、10ページ読めば、ヘトヘトだ。

<2>につづく

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2009/07/18

トマスによる福音書<2>

<1>よりつづく

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「聖書の世界」 第5巻 新約 1
田川 建三ほか著 1970 講談社 全集 p330

「トマスによる福音書」<2>

 この「聖書の世界」シリーズ、他の本はあるのに、近くの公立図書館には、この第5巻だけが入っていない。それは偶然なのか、それとも意図的に省ぶかれたのか。判然とはしないが、他の図書館から転送してもられば、それを読むことは、それほど難しいことではない。

 しかし、ほんの2~30ページをめくったとしても、普段から聖書に慣れていない身として、はて、この福音書のどこがどう特別なのかは、ちょっとだけではわからない。

 「トマスによる福音書」はいわゆる新訳聖書外典のひとつである。
 新訳聖書外典とは、現在われわれが所有する、教会の規準と定められた新訳聖書「正典」の中に採用されなかった古代キリスト教諸文書の中、内容的には正典と同一の価値を持つとの要求をかかげ、形式的には正典と類似するか、あるいはそれを補足する諸文書のことである。従って、新訳聖書外典は、教会の教義(ドグマ)から見れば多少なりとも異端的内容を有するが、自らは、正典同様に使徒的であることを主張する。使徒トマスによる福音書」も同様である。
p327「解説」荒井献

 Oshoは「私が愛した本」の中で、仏教や禅ついては、20冊以上を取り上げているのに、キリスト教については6冊しか紹介していない。しかもそのうちの2冊はやや批判的に林語堂を出してきているだけであり、新約からひとつ、旧訳からひとつ、申し訳なさそうに代表的な部分を出してきているだけである。

 残る2冊のうち「ディオニシウス」については、なんせあのアラン・ワッツが書いているいわくつきの本である。当ブログとしてはまだ未読であるが、なにか風雲急を告げる可能性がある。

 そして、ここに来て外典「トマスによる福音書」である。そもそも、この福音書というネーミングが、この書にはふさわしくない。

 本文を読むと、----本書は確かに「福音書」と名付けられてはいるが----新訳聖書正典や外典のいわゆる「福音書」とは文学的性格を異にすることがわかる。本書は、実はイエスの語録であって、「福音書」に必要な物語の部分がほとんどないのである。p328 荒井献

 Oshoの「愛の錬金術」はこの「トマスによる福音書」についての講話録だ。いままでなにげなく見てきたサブタイトル「隠されてきたキリスト」のコピーがここに来て、さらに光を増してきた。

 20 弟子たちが言った、「天国は何に比べられるか、わたしたちに言ってください」。彼が彼らに言った、「それは一粒のからし種のようなものである。(それは)どんな粒よりも小さい。しかし、それが耕やされている地に落ちると、大きな枝をはり、空の鳥の隠れ場となる」。p280 「トマスによる福音書」

 Oshoは、この句から講話を始める。からし種(マスター・シード)は最も小さいのに、最も大きく成長する可能性の象徴として、この部分を引用している。日本語「愛の錬金術」の英語原書のタイトルは「The Mastard Seed」だ。講話がスタートした日は、1974年9月1日。ボンベイからプーナに移転して半年、Oshoはここで一段とシフトアップして、スピードを加速したようにさえ思える。ますますイエスとOshoが共振する。

 OshoにはChristianity, the Deadliest Poison and Zen, the Antidote to All Poisons」Jesus Crucified Again, This Time in Ronald Reagan's America」などがある。ここに来て、Oshoがキリスト、あるいは、キリスト教を、どのように見ていたのかが、より一層はっきりしてくる。あるいは、キリスト教に基づいた社会がOshoをどのように見たのかも、逆照射されてくる。

 科学には仏陀やイエスを生み出せない。が、科学には、覚者(ブッダ)の出現が不可能になるような社会を生みだすことができる。
 多くの人が私のところへやってきて訊ねる。なぜ覚者(ブッタ)たちはもう現れないのですか? なぜティルタンカール(ジャイナ教の覚者)たち、キリストたちは現れないのですか?
 それはあなたがたのせいでだ! あなたがたは単純な人間、純真な人間が存在するのがむつかしい社会を創ってきた。そしてたとえそういう人が存在しても、あなたがたは彼に気づかない。覚者(ブッダ)たちがいなくなったということではない。彼らを見るのがむつかしいだけだ。彼らはたしかにいる!
 毎日会社に行くときあなたは覚者(ブッダ)の脇を通り過ぎているかもしれない。だが、あなたは気がつかない。あなたは盲になっている。
Osho「愛の錬金術」上 p38

Photo
 p271    ”山上の垂訓”の丘

 この章を担当した荒井献には、別途、単行本としての「トマスによる福音書」(1994)がある。 

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THE RAIN OF WISDOM

Rain
「THE RAIN OF WISDOM」
Chogyam Trungpa (著) 1980/12 出版社: Shambhala  ペーパーバック: 384p 言語 英語,
Vol.2 No718★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 4番目。ティロパ、つまり弟子たちの手で後に残された彼の歌からの若干の記録だ。こういう弟子たちがいなければ、我々はどれほど多くのものを失っていたことか・・・・導師(マスター)が語ったことがなんであれ、ただ記録したこういう人たち、それが正しいか正しくないかなど考えることもなく、ただできる限り正確に文字にしようとしたこれらの人たち、しかもそれはむずかしい仕事だ。導師(マスター)は狂人だ。どんなことでも言いかねない。彼はどんなことでも歌いかねない。あるいは黙ったままかもしれない。手を使ってわずかの動作をするだけかも知れない。するとそのしぐさを理解しなければならない。メハー・ババが30年間たえずしたことがそれだった。彼は手のしぐさだけで、沈黙したままだった。Osho「私が愛した本」p46

 ティロパを追っかけて、ここまでやってきた。「私が愛した本」の巻末「ティロパ」の項には、6冊の参考資料が添付されており、一冊はOsho自身の「存在の詩」、もう一冊はヒンディー語「Sahaj Yog」。残りはこの「The Rain of Wisdom」を含む英文の4冊で、「The Life and Teaching of Naropa」と「Teachings of Tibetan Yoga」は近くの大学にある。「The Six Yogas of Naropa & Mahamudra」はまだ未発見だが、タイトルから類推できるような内容の文献なら、英文、日本文ともに、いくつかある。

 Fundamentally, the lineage of the Kagyus is not so much an organized church as a group of people who have viewed spiritual development as the most important task of human life. The origins and early development of the Kagyus reflect this orientation. Tilopa, the Indian founder of what later became the Kagyu lineage, spent much of his life wandering from place to place, studying meditation with various teachers. Finally, he built a grass hut on the banks of the Ganges and stayed there, meditating alone for several years until he finally understood mahamudra. p293

 ティロパ本人の人生そのものは、この本の主テーマではないので、多くは語られていないが、カギュー派のグルたちの歌が多くおさめられている。

 この本は、アメリカに渡った現代のカギュー派のグル、チョギャム・トゥルンパの監修のもと、そのスタッフがチベット語文献を英文に翻訳してまとめたものである。同じ監修のもと、同じ出版社から、ほぼ同時期に出版されたという意味では、The Life of Marpa the Translatorと同じシリーズの姉妹兄弟編ということになろう。

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2009/07/17

The Life of Marpa the Translator<4>

<3>よりつづく

Marpa
「The Life of Marpa the Translator」 <4>
Chogyam Trungpa (著) 1995/6/18  出版社: Shambhala; Reissue版 言語 英語, チベット語

 この本の返却期限も近付いてきた。一旦返却しなければならないが、この本は大学の図書館にはいっているので、また借りようと思えばいつでも借りられる。奥さんのジャンルである流行作家の小説などあれば、何百人待ち、なんてざらだが、私のジャンルは、どうやら閑古鳥が鳴いている。蔵書があれば、ほぼ待ちなしで借りることができる。

 最近は横着して、英文を読む時も、辞書を引き引きというスタイルでなくなってしまった。当然、判読できない単語も多くある。しかし、それはもうバリバリと、年齢とともに痛みが目立ってきた自分の歯で、塩せんべいでもかじっているように、心おきなくバリバリとやっている。

 だから、当然、仔細のこまかいところは見逃している。しかし、もうそれでいいのだ。大略がつかめればそれでよし。どうしても避けて通れなければ、その時調べればいい。それに最近は、ネット上の翻訳機能も充実してきている。多少の誤解は、理解の始まり、くらいに大きく構えて、わが英文読書はすすむのでR

 もっともこの本、チベット語の英語表記もだいぶでてくる。普段カタカナとして知っている単語も、英語になるとこのような表記になるのか、と新たな興味も湧いてくる。さいわい、この本の巻末には、チベット語についての用語集もついている。その意味も、日本語で理解するのと、英文的に理解するのとでは、なるほど、こんな違いがあるか、これまた新鮮だ。

 この本は、当然のことながらマルパについて書いてあるので、マルパについてすこし詳しくなった。いままであまり脚光をあびてこなかった(と私は思うが)マルパを、再認識することができた。生きた師をもたずに独覚した天然ヒッピー、ティロパ、大学の教授職をすてて野に下ったドロップ・アウター、ナロパ、百花繚乱に詩を謳いあげたフラワー・チルドレン、ミラレパ。これらの人々も、思えば、かなりひとりひとりのキャラがそうとうに立っている法統ではないか。

 その中にあって、巧みなスピリチュアル・マーケッターをさえイメージさせる、チベット・ビジネスマン、マルパ。どうもいまいち、食えない奴だなぁ、と思っていたのだが、いやいや、とんでもない、いまこそマルパが脚光を浴びる時ではないか、とさえ思えてきた。

 自然と人間をつないだティロパ、生と知をつないだナロパ、ブラックとホワイトをつないだミラレパ、と考えてみれば、インドとチベットをつないだマルパの仕事もそうとうに大きい。教師であり、農業者であり、ビジネスマンであり、夫であり、そして父親だったマルパ。むしろ、meditation in the marketplaceを語るなら、むしろマルパをこそ学ばなければならないのではないか。

 もとより当ブログは「読書感想文ブログ」ではない。本の読書を契機とはしているが、その読書のなかで、読み手である自分からでてくるものを書きとめているにすぎない。対象となった本そのものダイジェストになっていなくたって、多少の理解不足や誤解があったって構うものか。英文はおろか、日本文だって、最初っから、かなりいい加減に読み飛ばしている。時には、以前自分がその本を読んだことを忘れてしまっていたような本さえ存在する。しかし・・・・それでいいのだ。

 だけど、池田晶子言うところの「素直な心」だけは忘れまい。ものごとの本質は、外側にはない。本についてどれほど美しく、正しく、客観的に評価できたとしても、当ブログの到達地点とはいいにくい。ただ、もしひとつひとつのものごと(たとえば本)に立ち向かうに、素直な心で自ら立つことができ、そのプロセスで、さらなる素直な心が再生産されつづけるとしたら、その時こそ、うまく当ブログが回転している、ということになる。

 愛されるべきマルパ。大きな枠組みのなかで、さらに再読される必要がある。

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私とは何か さて死んだのは誰なのか

私とは何か
「私とは何か」 さて死んだのは誰なのか
池田晶子 /わたくし、つまりNobody 2009/04  講談社 単行本 253p
Vol.2 No717★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 図書館の新着本コーナーの背表紙に「私とは何か」とあれば、まずはこれは借りてこなければならない。借りてきて、一段落して、はて、池田晶子って誰だっけ?と、まずは原点に戻った。たしか漫画家に似たような名前の人がいたようにも思うがちょっと違う。小説家かな、と思って、奥さんに聞こうと思って奥付をみると、著作はたくさんあるが、どうも小説ではなさそうだ。

 池田晶子、って名前は、どういう名前なのだろう。失礼ながら、女性の場合は結婚すると姓が変わる場合も多い。となると、手掛かりはむしろ姓ではなくて名のほうか。晶子、まさこ? なんだか1960年の東京生まれであれば、かなりの女性の名前に「子」のつく最後の世代か。となると、「晶」だけが唯一の手掛かりか。まさこ、と読んで、その表紙のうえに「AKIKO」とあって、初めて、この人は、いけだあきこ、と読むのだとわかった。

 そういえば、知り合いのコピーライターに、この名前を使っている女性がいる。本名は知らないが、姓はごくごくありふれた(失礼)ものらしい。そのために、いかにもそれらしいペンネームを使っている。あれだけおしゃれな人が使っている名前で、しかも晶子をあきこと読んでいる。これって、けっこうおしゃれな名前なのかもしれない。

 で、この人の名前はペンネームなのだろうか。それとも本名なのだろうか。Wikipediaをみると、ご主人は伊藤實というお名前らしいから、結婚したあともペンネームとして旧姓(といういいかたも変だが)を使っていたのだろうか。などなど、日本社会なら、よくありそうなお名前をみながら、はて、あなたは誰ですか? と聞きたくなってきた。

 哲学書を読む楽しみ、たとえばヴィトゲンシュタインのそれのようなものにも、独特のコツがある。ヘーゲルを気合いで読むなら、ヴィトゲンシュタインは間合いで読むのだ。ヘーゲルが朗々たるオペラのソロなら、ヴィトゲンシュタインの呟きは、能の舞台みたいなものだ。どこにどう飛び何が出てくるか、一見予測がつかないようだが、息をひそめて聞いていると、それはそれでうそのない、生理のような論理性がある。生涯、定義について悩みぬいた彼のような人を、定義で読むのは失礼だ。p45

 彼女は、哲学者なのであった。いや、大学で教えている、という意味での哲・学者ではなかったかもしれないが、生涯を哲学したひとりの人間、という意味では、哲学・者だったのだろう、と想像する。

 生涯? そう彼女は、どうやらすでに亡くなっている。2007年2月。膵臓癌だったらしい。「私とは何か さて死んだのは誰なのか」というタイトルが、ここに来て、また一段と違った意味合いに読めてきた。

 自然と比べればこの自分とはなんともちっぽけな、というあの巷間によく聞くあの感慨も、違うと言えば違うのである。自然と自分を比較するとは、自然と自分を別物と見ているに他ならないからである。通常のエコロジー的発想に限界があるのもここである。自分なんてものはいったん死ななけりゃ、わからないことがあるのである。p71

 哲学の、というか、人間の、思索の原点、「死」そして「私」。

 核戦争で地球は粉々、人類は全壊滅、であるとして、その事態をそうとして認識している何者かの意識を想定した刹那、私は地上の「私」を超える。超えて宇宙大に爆散する、その一瞬を、私ははっきりと自覚できる。p33

 詩的な表現だが、本当に「私ははっきりと自覚できる」だろうか。

 それは「意識」だ。誰でもなく、無くなることもできず、在り--続ける普遍的な「意識」だ。これはとんでもないことであるが、事実である。神秘ではあるが、明瞭な意識の型(ロゴス)である。なぜならこころみに、「無」を意識のそこに表象してみよ。「無いもの」を考えてみよ。これは絶対に不可能である。したがって、人類がひとり残らず居なくなっても、意識は無くならないだろう。意識は、生々流転する万物をそこに浮かべて、永遠に在り続けるだろう。そして、それは、いまここに坐っている私の意識である。あなたの意識でもある。p34

 ここまでクリアな意識をもつには、さて、どうすればいいだろう。

 私の周囲には、自ら神秘主義者を名乗る友人がいないので、世の「神秘主義者」という人の考えがどのようであるのか、正確には把握できないが、オウムのようなのをその典型と思えばいいのだろうか。それなら、私は、あれとは違う。なぜなら私は、マルクスを信奉したことがないように、神もまた信仰したことがないからである。ただし、考えたことはある。いや、常に考えていると言ってもいい。神秘について考えるために、人は神秘主義者である必要はない。ただ素直な心であればいい。p170

 麻原集団事件の直後の1996年の文章であり、しかも未発表のままに終わった文章だから、割り引いて考えなければならない。しかし、ここにはなにかの萌芽がある。「神秘について考えるために、人は神秘主義者である必要はない。ただ素直な心であればいい。」 素敵なフレーズだが、ちょっと違う。「素直なこころ」という言葉で、彼女、池田晶子が意味したところを、自らの意識のなかでイメージしてみる。

 素直な心でみてみれば、本物の哲学者、思想家、宗教者は、おしなべて「神秘主義者」と言えるのではないか。釈迦もイエスも、ソクラテス、プラトンも、傲然たるままに、はたと口を噤んでいるところが必ずやどこかにある。道元、あの完璧なる論理性こそ神秘主義の真骨頂、あれほどあからさまにわからないとわかるなら、これ以上明らかな認識はないと言える。p171

 さぁ、あとは、それをみずからの内にどうみるかだ。

 以前なら、「意識」と言ったはずのところを、覚えず「魂」と言っている自分に気がついている。
 私がものを考える仕方は、誰か他の哲学者が使用した単語や用語を考えることから始めるのではなく、自分がじいっと感じ考えているそこに、そうとしかあり得ないものとして与えられる言葉を信じる、そういう仕方である。それはもうずうっとそうだったし、またその仕方で大きく誤ったことがないという少なからぬ自信もあるしで、この微妙な変化は、なにか大きな地殻変動の前触れかもしれないと、いっそう自分の感覚に耳をそばだてているこの頃である。
p176

 池田晶子は、ちょこっとプロフィールをみただけだが、いいところのお嬢さんでもあったようだ。小さな時から教育環境が整えられ、できる子だったのだろう。美人だし、コリー犬を飼っていた。そして亡くなったいまでも、こうして夫を中心とした人々によって、「わたくし、つまりNobody賞」が創設され、NPOまで作られている。幸せな家庭生活をイメージする。

 謎。
 エニグマ。
 絶対的理解不可能。

 地の縁に立ち、宇宙の暗黒、沈黙の闇に向かい耐えきれず問う、問いかける、「私とは何なのか-----」。
 問いは、ありもしない宇宙の際限に吸い込まれ消え、木霊は返らず、あるいはおそらくは、ありもしない際限であるところの私からの木霊として、それは返ってくるだろう。「私とは何なのか---」。
 p209

 巻末の著作一覧を見ると、すでに30冊以上の単行本がでているようだ。奥さんに聞いてみたところ、彼女の中学校にも「14歳からの哲学」が入っているようだ。どのような形で、種々の出版が続いているのか知らないが、この「さて 死んだのは誰なのか」シリーズは3冊組である。この「私とは何か」は講談社から、「魂とは何か」はトランスビューから、「死とは何か」は毎日新聞社からでている。

 なにか、「池田晶子」が再編集されている途上のようでもあり、彼女への愛がそうさせているようでもある。

 一番わかりやすいのは、自分が死ぬということを考えること。明日は必ず死ぬという状況になってみれば「自分の人生なんぞや」と、すこしは考えるかもしれない。p222

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2009/07/16

Let go!<4>

<3>よりつづく 

Let_go
「Let go!」 Theory and practice of detachment according Translated to zen. <4>
Hubert Benoit (著) 1977/02 ペーパーバック 出版社: Red Wheel/Weiser  277p 言語 英語

 図書館にいく道筋、自転車を踏み踏み考えた。Oshoが「近代西洋世界に出現した最上の本だ」というのはなぜだろう。そして「これは西洋に関する限り、今世紀最上の本だ」とさえ付け加える。正直言って、私にはこの本の真価はわからないし、それほどの絶賛をすることなどとてもできない。Oshoのセンスから言っても、ニーチェや、ウスペンスキーや、ヴィトゲンシュタインや、あれやこれやがあってもよさそうだ。

 でもOshoは「これはあらゆる瞑想者の本棚にあるべき本だ」とまで言う。

 今日のバックグランドは「2010年」。長らく「2001年宇宙の旅」が未来としての21世紀の象徴なような存在であったが、それもすでに通り過ぎ、2010年さえ、もうすぐというところまで来てしまった。私たちはもうすでに「未来」に住んでいるのだ。

2010

 どこからか、「ツァラトゥストラはかく語りき」が聞こえてくるようだ。

 今日もパラパラめくりながら、あらぬことを考えた。図書館で本をよむばかりではなく、瞑想をしたらどうだろうか。ビディオの前のリラックス・チェアで、できる瞑想はいろいろある。 「新瞑想法」をみればいろいろあるだろう。あるいはVBTからだって見つけることができる。

 幸い視聴覚室は、図書館ではもっとも静かなスペースだ。みんなヘッドフォンさえかけているから、こちらのことをあまり気にしない。さらによいことに、ケータイの電波が届かないようになっている。いやはや、われながら、いろいろアイディアがでてくるものだ。なにはともあれ、やってみよう。

 Let Go !

<5>につづく

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多読術<2>

<1>よりつづく

多読術
「多読術」 <2>
松岡正剛 2009/04 筑摩書房 新書 205p

 先日立ち読みした一応の感想は書いておいたが、今回は図書館の新着本コーナーでこの本を見つけたので、また読みなおすことにした。いろいろ状況を変えて読みなおしてみることも、多読術のひとつだろう。

 読書感覚をずうっと維持する必要がある。またそれと関連してもうひとつ、自分で決めたことは、だからといって読書三昧の日々にはしないで、断乎として仕事は続けるということです。それも仲間とともに進める。一人ではなくてね。そして、仕事でいかに時間が取られようと、それでも読書をはずさないと決めた。そうやって、どんなときも、愉快なときも悲しときも、調子のいいときも悪いときも本を読むというふうにしてきたわけです。p162

 考えようによっては、この本はセイゴー流「私が愛した本」だ。たくさんの本がさりげなく紹介されているので、この本をキーブックとして自分の読書ワールドを広げていくことは可能だ。「千夜千冊」を全部読んでやろう、という野望は、もう当ブログとしては捨てたが、「ちょっと本気な千夜千冊虎の巻」くらいはそのうち再読しようと思っている。しかし、「虎の巻」よりも、こちらの本のほうがさらに親しみやすいかもしれない。

 そこで浮上してくるのが、やっぱりITですね。コンピュータ・ネットワーク上のテクノロジーとコンテンツをいかに読書行為や読書編集と適合させていくかということは、パソコンからユーチューブまで、ケータイからアーカイブまで、その使い勝手がこれこらの大きな課題になるでしょう。p183

 漆原直行「ネットじゃできない情報収集術」みたいな若年寄りのご忠言より、本物不良ジジィの述懐のほうがためになる。

 こんなに多くの知識が高速に引っぱりだせるということは、十数年前まではまったく考えられてもいなかったことですね。だいいち、場所もとりません。本棚も必要がない。しかも入力機と出力機はいまはほとんど一体になっていますから、ノートパソコン一台あれば、どんなに長いブログでも書けるということになってきた。p184

 我が意を得たり。なんせ「場所もとりません、本棚も必要がない」、というところが分かってるー、という気がする。でも、もっとも当ブログはその間に図書館ネットワークがどうしても必要になる。久慈力「図書館利用の達人 インタ-ネット時代を勝ち抜く」を組み合わせないといけない。

 こちらはオンリー1人、むこうはオール世界。それをキータッチひとつでなんとでもしてみせる。そういう感覚です。では、ここには懸念が問題がないのかといえば、そこはまだまだそうはいきません。 p184

 こちらはオンリー1人という感覚は、たしかにブログのスタート地点では味わった感覚だが、数年経過してみて、この感覚はだいぶ変わってきた。まず、ごく少数だが同行の仲間がいることが確認できるようになってきた。書き込み、トラックバックだけではなく、アクセスアナリティクスで毎回来てくれる存在も分かってきたし、ググられるにしても、どのキーワードで自分がググられたのもわかってきた。もちろんRSSなどで、同じ傾向の他の人々のブログなどの発信情報もつかめるようになってきた。

 また「むこうはオール世界」という感覚もだいぶ変わった。いや、それは幻想だ。すくなくとも当ブログはその幻想にごまかされてはいけない。「オール世界」は人間界の無意識が醸し出す虚構だ。人間はオール1人なのだ。

 ぼくは「読書」とは、すべての編集技術を駆使することであって、それゆえ、どんなメディアにおける「読書」もパラレルで、重層的になりうるべきだと思っているわけです。ですから、多読術もそのような様相を呈せざるをえない。そういう見方からすると、読書方法は他のメディアとの関連で考えたほうがおもしろいということになります。p187

 最近は、図書館は「瞑想空間」なのだ、と気がつき始めた。「私が愛した本」を語った時、Oshoはすでに「読書をやめて」いた。セイゴー親分は生涯読書をつづける、と言っているが、はて、当ブログは、というと、いずれはブログもやめ、読書もやめるだろうと思う。読書を離れる時があっていい。すくなくとも「死」は、私と読書との間に割り込んでくる。

 コンテナ→コンテンツで止まってしまっているから、「クオリア再構築」の島田雅彦のような中途半端な精神的な彷徨がはじまってしまう。さらなる→の向こうに、コンシャスネスを据えないと、人間全体が見えてこない。文字化されたもの、情報化されたもの、クオリア化されたものには、すべて限界がある。最終形態ではない。

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ネットじゃできない情報収集術

ネットじゃできない情報収集術
「ネットじゃできない情報収集術」
漆原直行 毎日コミュニケーションズ 2009/03 新書 215p
Vol.2 No716★★★☆☆ ★★★☆☆ ★☆☆☆☆

 ネットじゃできない情報収集術、というキーワードで現在の当ブログの状況を考えてみると、まず、ユベール・ブノアの「至高の教義」とアラン・ワッツの「This Is It」について、どのようにして情報を集めるか、という課題が思いつく。

 ブノアの「Let Go!」は図書館に通いながら、ちらちらと眺め続けている。この本は国の中枢機関から転送されてきたものだ。現在は私が独占して読んでいるが、まもなくその期限はきれる。他の図書館にもありそうなものだが、現在のところ、私が読む方法としては、この手段が唯一の方法だ。

 ブノアの本のスタイルは私の得手なスタイルではない。ちょっと小難しいし、それに英文だ。なかなか読書はすすまない。であるなら、彼には類書はないのか、と調べてみると、ないこともないが、日本ではあまり一般的ではない。古書店回りなどもしてはみるが、そうそう簡単に犬棒式に出会うとは限らない。ネットオークションなどにもでていない。ここはまた図書館にリクエストをだして、どこからか探してもらうことになるのだろうが、とにかくネットじゃできない情報は山とある。

 アラン・ワッツについての情報収集は始めたばかりだが、それでもお目当ての「This Is It」については思わぬ苦戦をしている。これだけ有名な本なのだから、もっと簡単にでてきてもよさそうなのだが、なかなか読めない。

 ワッツの他の本なら、結構ある。手にとれる範囲のものは順次めくってみようと思っているが、それでも、本当は一体私は何を知りたいのか、というところが明確になってこないと、本当の情報収集にはならないことになる。

 でもよくよく考えてみる。読書することって、情報収集なのか? たとえばOsho「私が愛した本」のなかの「小説(文学)」編などは、一部を除いて情報が集まらないなんてことはない。本のダイジェストも溢れているし、本自体も、図書館まででかけるまでもなく、わが家の廊下に大量に横積みされているではないか。ひょいと一つまみするだけでそのものが手にはいる。

 でもなかなか気がすすまない。他人の読書文を読んでも面白くない。いや、むしろ他人に下手な影響を受けるよりは、読むのを後回しにしたほうがいい。いずれ読もう、そう思ってきたが、ついにその時が訪れず、現在まで手付かずになってしまった本が結構ある。

 さて、「東洋哲学(インド)」編などは逆に読みたいけど、そもそも情報がない、という本が多い。その本が存在しているのかどうかさえわからない。これはネットじゃできないのだ。現在のところお手上げだ。まだよくよく煮詰めて考えてはいないけれど、他の部分が進んだあとは、いずれこの部分に着手しなければならない。

 もっとも、まったく手がないわけではない。すでに、これらの本をすべて集めたという人が存在しているわけだから、それらの人たちから情報をもらえばいい。どうしても読みたければ、その人から借りればいいだろう。そういう最終的なセーフティネットは確保してある。だが、それは最後の最後の手段として、とにかく自力で進んでみようと思う。

 「ネットじゃできない情報収集術」。1972年生まれの記者さんが書いたこの新書本の意味するところは、私の連想とはちょっと違うところにあるようだ。つまりは、彼よりもさらに年下の、場合によっては「デジタル・ネイティブ」とさえ呼ばれる若い世代の、ネットありきのなかで育った青年層へ向けてのメッセージである、だろう。この本に書かれていることなど、私にとっては当たり前のことだけど、ひょっとすると、若い層には、当たり前じゃぁないのかも知れない。

 先日、浅田次郎の講演会を聞いた時、彼はこんなことを言っていた。日本語を縦書きしよう。日本の文字は縦書きするようにできている。自分の手で文字を書こう。手で書かないと書けないようになる。自分の書いたものを、声を出して読んでみよう。

 なるほどな、とは思う。しかし、現在のところ、当ブログからしてこのように横書きで、しかもキーボードをたたき続ける、というスタイルになっている。たまに葉書などを書いたりすると、本当に字が下手になっている自分にぎょっとすることがある。最近、老眼もすすみ、食事の時に、箸がぽろりとテーブルに落ちるときもあるので、単にパソコンやインターネットだけが悪いわけではなくて、他にも原因は求めることができるが、それでもやはり浅田次郎の言わんとするところもわかる。

 だが、容易なデジタルVSアナログ論争などには引きづり込まれたくない。情報収集術はまだまだ純化される必要がある。集合知とやらも、道半ばだ。もうすこしその道行を確認しないことには、結論はでない。結論はまだまだ先だけれども、結局は、当ブログにおける最終目的は、インターネット上の集合知ではないことは、最近とみにはっきりしてきている。

 「ネットじゃできない情報収集」。それはネット依存度をすこし低くしましょう、という意味であろうが、実際には、「情報収集」が外に向かっている限り、結局は、それほど大きな意味をもたない。本当は、情報収集の目を内側にむけなければならないのだ。それはもう「情報収集」とは言わないのだが、とにかくそちらにシフトしなければ、ネットそのものも生かされないことになる。

 「クオリア再構築」で島田雅彦は、「もっと素朴で、人が潜在的に持っている力を引き出してくれるような装置」が必要だと言っている。こんな持って回ったような言い方をしなくても、何が必要なのかは、すくなくとも彼には分っているはずだ。ただ、あとはやるかやらないか、だけであり、そんなことを書いたりしゃべったりして他人の視線にさらすかどうかは、別問題だ。彼らの売文稼業につきあうのもほどほどにしなければいけない。

 ということで、この本もダイレクトにわが心に響くような本ではなかったが、この世にアクセルとブレーキがあってこその自動車なのだ、ということを再確認した一冊だった。

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2009/07/15

クオリア再構築

クオリア再構築
「クオリア再構築」 常識の壁を突き抜け、遡る5つの対論 
島田雅彦 /茂木健一郎 2009/06 集英社 単行本 226p
Vol.2 No715★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 この本も結局は直近の書き下ろしとかではない。2006年5月~2008年9月に月刊誌「すばる」に掲載された対談の再掲載であり、「青春と読書」2009年6月に掲載された文章である。対談相手の島田雅彦は1961年生まれの作家にして大学教授。

 茂木健一郎という存在を一生懸命好きになろうとして、すりすりしてみるのだが、どうもいまいち私の努力は実を結んでいないところがある。たぶんこれは無理なのではないだろうか。子供たちが話題にしているロック歌手(という言い方からして時代がかっている)を一生懸命聞いたり、好きになろうとしても、全然だめなのと似ている。彼らが見ているマンがを好きになろうとしたり、奥さんが読んでいるような小説をボクも読んでみよう、なんて手を出しても、すぐ放り出してしまうような感覚に似ている。

 最近はなぜだか半世紀前のZen的英語文献が周りに寄ってきているが、まどこっこしいなぁ、と思いつつ、なかなか面白い。でも、こんな「古典」ばかり読んでいては時代に遅れてしまう、と早くこのZenシリーズを卒業して、2009年に戻りたいと思うのだが、あせればあせるほど、ちぐはぐな感覚がひろがりはじめる。

茂木 インターネットという怪物が野に放たれてから約10年でしょう。10年でこれくらいの技術革新。一方、鉄の技術革新には、おそらくかなり長い時間かかっているんじゃないかなという気がする。100年、200年かかって、今の形になってるんじゃないか。p62

 こんなことまで、茂木おっかけをして読まなければならないなんて、なんだか時間をすごく無駄にしている感じになる。

島田 贋金づくりや錬金術とよく似ているんですよ。学問分野における新たな人工言語の確立に匹敵する。今たまたまスピノザも、マルクスも、フロイトも、チョムスキーもユダヤ人だということもいいましたが、一方でシオニズムが成立したときにはユダヤ人も国土を持ち、ナショナリズムを発揮する主体としてのネーション・ステートを持ち、ヘブライ語という母語の中に安住の地を見出し、金融資本のバックアップを受けながらかつてのアングロサクソンのような戦略を進めている。p116

 誰がどんな意見をもつことも可能ではあるが、だからと言って、だれかれ構わずおしゃべりしまくっているのを聞いている必要もないし、なんら新しい価値が生まれるわけでもない。むしろ、今は沈黙することの価値をこそ求めるべきかもしれない。

 ティモシー・リアリーにとっての幻覚剤、ジョン・C・リリーにとってのIsolation tankに代わる何か別の物が必要だ。ドラッグやタンクのようなサイエンスでも、イデオロギーでも、宗教でも、エコロジーでも、コンピューターでもない、もっと素朴で、人が潜在的に持っている力を引き出してくれるような装置が。p208 島田

 前段で大げさなことを言っているのだから、「何か別な物」なんて言っていないで、ずばり自分がそのものを言わなければならない立場なのではないだろうか。

 茂木 僕はずっとインターネットで実験をしてたんです。メーリングリストだとかコミュニティとか、ブログも書いているしSNSもやった。その結果、ネットの特性は過剰流動性にあるということを確信した。つまり、それがネットの福音であると同時に毒なんです。p219

 みずからを濫造しているのか、メディアのおもちゃになっているのか、さもないことを多弁しすぎている。好きになろうとしている自分がなんとも可笑しい。ふー、当ブログも、そろそろ茂木「クオリア」おっかけプロジェクトをみなして、ブログ全体を「再構築」しなくっちゃ。

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The Life of Marpa the Translator<3>

<2>よりつづく 

Marpa
「The Life of Marpa the Translator」 <3>
Chogyam Trungpa (著) 1995/6/18  出版社: Shambhala; Reissue版 言語 英語, チベット語

 当ブログにおけるチベット密教(タントラ)への接近は、必ずしも一元的ではない。ネット上における読書ブログ、という性格上、偶然性と恣意性が渾然としており、当ブログが文字として加工されたものに対する私的なコメントを骨格として成立している限り、当然と言えば当然の結果である。しかしながら、チベット密教(タントラ)に言及している部分は多くあり、この「マルパ」をめくる機会を得たことにより、多少は全体を俯瞰しておく必要があるだろう。

 1)インターネット上のブログ機能ありき、から始まった当ブログは、ネタ探しを図書館のなかに求め、次第に読書ブログとして、手当たりしだい読書日記を書き始めることになった。その初期的な段階で意表を突かれたのはツルティム・ケサン&正木晃「チベット密教」という小さな本であった。この本はのちに増補版がでることになり、巻末にあった「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」を手掛かりに読書をすすめ、2.3のレア本を除いて、ほぼその書籍の存在を確認し、なにはともあれめくってみることができた。

 2)一方、NHKテレビの 「週刊ブックレビュー」で紹介していた「さよなら、サイレント・ネイビー」をきっかけに、それまで10年間以上も直視することをさけてきたともいえる麻原集団事件について、もういちど捉えなおしてみようということで、図書館の開架書庫にある程度の本は、一通り目を通してみた。その結果は「麻原集団事件」関連リストとしてまとめておいた。拙速ぎみだが、個人的な結論としては佐木隆三「慟哭 小説・林郁夫裁判」をもってそのソーカツの頂点としたい。

 3)さて、その麻原集団を追証するなかで、気になったのが中沢新一と島田裕巳のお二方。中沢はチベット密教の修行者の立場から「虹の階梯」を著し一大ブームを作りだした大きな存在だが、その一連の著書は麻原集団存在の礎となっているとさえみられているし、自らもそれを意識した節がないでもない。一連の著書を追っかけて「中沢新一関連リスト」にまとめておいたが、芸術人類学、とやらに逃げ込みつつある現在の中沢は、以前より彼の動向を注視している人びとにとっては、いまだに釈然としないものを抱えたままである。

 4)一方の島田は、宗教やチベット密教に対する深い造指はもっていないものの、宗教学者として雑誌の取材などを通じて麻原集団にたいする決定的な誤報を発したりしたものだから、社会的なバッシングを受け、時代の話題の人となった。彼の一連の著書は人名索引「し」の欄の島田裕巳リストにまとめておいた。彼の最近の特定宗教集団にたいする研究は特段当ブログの関心ではないが、近著「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」については、今後の展開や中沢からの反論ありやなしやを含め、要注目ではある。ただ問題の本質がどこに向かうかは定かではない。

 5)さて、まったく別な角度から、当ブログは「アガルタ幻想」に付きまとわれてきた。一連の読書は「アガルタ探検隊「必携本」を探せ(暫定版)」にまとめておいたが、たんにごちゃまぜの観はいなめない。このごちゃまぜをもう一段深く読み解くには、グルジェフクリシュナムルティのさらに以前のムーブメント、19~20世紀の神智学やエソテリックな流れのなかからもう一度光を当てなおさなければ、仔細は見えてこない。「オムマニマドメフム」のマントラを唱えつつ歩む必要がある。

 6)チベット密教に対する現代人の関心はまた別な角度からも強いものがあり、たとえば「チベット死者の書」などは、万人ひとしく対峙せざるを得ない死の問題に対する、東洋的ソリューションのひとつとして、近年とみに注目されている。この本にはさまざまヴァージョンがあり、当ブログとしてはまだ十分めくり切れていないが、文献的な探究よりも、自らの瞑想の進化状況と合わせながら読み進めていかなくてはならない。近年の茂木健一郎の一連の著書なども、こちら側から眺めなおせば、見るべき点もある。

 7)さて、そもそも私がOshoと出会ったのは「存在の詩」であり、 最初の最初から、チベット密教の真髄からの呼びかけが続いていたのだ、ということを再認識する必要がある。マハムドラーとか、あるいはゾクチェンなどと呼ばれるそのenlightenmentの境地は、必ずしもチベット文化を離れて存在しないものではないが、具体的な地球上の存在としての顕現がヒマラヤの山中深く存在したことを私たちは大いに喜ぶべきである。

 この他、杉山正明史観などによるモンゴル側からのチベット観などもたよりにしながら、当ブログにおけるチベット密教(タントラ)に対する探究は続いてきた。あるいは、チベット密教の象徴的存在であるダライ・ラマ17世の近況、そして「隣国」中国との切迫した政治状況もある。、これらの中にあって、ポツンと「翻訳官マルパの人生」をここで読むということは、ひとりマルパに思いを馳せればそれでよい、ということにはならない。

The Taming of Milarepa

 In Tibet, Marpa settled down to his life as teacher, farmer, businessman, husband, and father. It was during this time that he put his chief disciple Milarepa through the arduous trial of building towers in order to purify him of his previous evil deeds and make him a worthy vessel for the teacings. pxlv

 マルパとミラレパの有名なくだりだが、この時点で、マルパは教師であり、農業者であり、ビジネスマンであり、夫であり、そして父親だった。マルパの生涯をイメージする時に、どうしてもマルパの俗人性が気になるところであるが、このようなミラレパとの対比によるところが大きいであろう。少なくともここでtamingという言葉が使われているのは興味深い。十牛図の5番「牧牛」の英語的表現では Taming the Bull や Taming the OX として、taming という単語が使われている。

 巻末に用語集がついており、300弱のチベット語を中心とした単語が解釈されている。独特な発音記号などがあるので、正確には転記できないが、aの項目にあるアビシェーカは、一般に潅頂とかイニシエーションと言われているが、次のように説明されている。

abhiseka

(T: dbang-skur ; a sprinkling, anointment, empowerment, or initiation) A ceremony in which a student is ritually entered into a mandala of a particular tantric deity by his vajra master. He is thus empowered to practice the sadhana of that deity. In anuttarayogayana there are four principal abhisekas:

(1) vase abhiseka (kalasabhiseka), which includes the abhisekas of the five buddha families: water(vajra), crown(ratna), vajra(padma), bell(karma), and name(buddha);

(2) secret abhiseka(guhyabhiseka);

(3) prajnajnana-abhiseka; and

(4) fourth abhiseka(caturthabhiseka).

 An abhiseka is usuall  accompanied by a reading transmission (T; lung) and instructions(T: khrid). The lung authorized the student to read and practice the text. The tri is the mastar's oral instructions on how to practice. See also reading transmission. P211

<4>につづく

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2009/07/14

Three Pillars of Zen<5>

<4>よりつづく

Zen3
「Three Pillars of Zen」: Teaching, Practice, and Enlightenment<5>
by Roshi P. Kapleau (Author) February 7, 1980 Publisher: Anchor; Paperback 400 pages Rev. and expanded ed edition Language: English

 1965年に初版にでた本であり、日本文化を欧米に紹介するという性格の書類であれば、21世紀の日本に住む現代人が、この本をどう見るかは、自分の視点をどこに据えるか、ということによって、だいぶ違ってくる。期待は大きいが、なんでもかんでも期待しすぎてしまうと、アブハチ取らずになってしまいかねない。

 まず、この本のよいところは、日本文化をより具体的に、しかも実在する老師や求道者の名前を出して、ひとつひとつの問答集などを記録していることである。あるいは、ちょっと初歩的過ぎる嫌いはあるが、基本的な座禅の方法などをイラストいりで紹介していることで、実際に座禅まで至らない欧米人であろうと、Zenとはなにか、というイメージをたやすく描くことができるようになる。

 その長所は逆にマイナス面にも働き、本来Zenとは日本文化とは直接にはなんの繋がりをもたなくても存在し得るものだ、ということを忘れがちになる。あるいは固定的なZenのイメージが作られてしまい、場合によっては、それが足かせになってしまいかねない。ひとつのイメージができたら、そらにそれをぶち壊すことの大切さを強調することを忘れてはいけない。

 Part Oneは「Teaching and Practice」であり、Part Twoは「Enlightenment」。日本においては、Enlightenmentなどという世界は、ほとんど達成できないレアケースでしかあり得ないものであるかのように敬遠される傾向がある。だが、欧米人にとっては、それはまるでプラモデルでもつくるように、マニュアルさえあれば、お手軽に達成できるようなイメージがあるようだ。視点を逆にしてみると、日本人は、ダイレクトにEnlightenmentそのものを自由闊達に討議しあうような雰囲気を失ってしまっているようにも感じる。

 Part Threeは「Supplements」。サプリメント、補足が三本柱の一つになるわけはないから、やはり、ここはTeaching、Practice、EnlightenmentをZenの三本柱としているのだな、と察する。それが間違いではないけれど、それでも、やっぱりそれって違う、という感覚がある。つまり、頭だけの理解だけではだめだ、ということだ。

 こういうまじめな本もあってこそ、大きなZenの世界が構成されているのだな、と思う。ただ、やっぱりZenは、もっとぶちぬけている。

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Zen Flesh, Zen Bones<5>

<4>よりつづく

Zen_flesh
「Zen Flesh, Zen Bones」 : A Collection of Zen & Pre-Zen Writings<5>
by
Paul Reps (1959) 
Publisher: Charles E. Tuttle Company  Hardcover p211

 Zenの本に何でVigyan Bhairavaが書いてあるのかな、と最初は思ったけれど、もう、そういう仔細についてはあまり考える必要がなくなった。

 Here are fragments of its skin, flesh, bones, but not its marrow --- never found in wards. p13

いくら価値ある本でも、本は本。それを生きるしかない。

What Is Zen ?

TRY if you wish. But Zen comes of itself. True Zen shown in everyday living, CONCIOUSNESS in action. More than any limited awareness, it opens every inner door to our infinite nature.
Instantly maind frees. How it frees! False Zen wracks brains as a fiction concoted by priests and salesman to peddle their own wares.
Look at it this way, inside out and outside in : CONCIOUSNESS everywhere, inclusive, through you.
Then you can't help living hambly, in wonder.

"What is Zen?" p211

ここには一つの答えが書いてある。例の魚の女王が「海はどこにあるか?」という魚の子供に答えるくだりである。ヒンドゥーの小話ということになっている。

 この本も返却日が近づいてきた。なかなか良い本だった。でも、やっぱり、本は本。

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The Life of Marpa the Translator<2>

<1>よりつづく 

Marpa
「The Life of Marpa the Translator」 <2>
Chogyam Trungpa (著) 1995/6/18  出版社: Shambhala; Reissue版 言語 英語, チベット語

 Marpa was not purely a translator who translated from Sanskrit to Tibetan, but be acutally brought Buddhism to Tibet. pXV チョギャム・トウルンパ

 翻訳官という言葉の意味は、単に翻訳したということではなく、インドにおけるタントラをチベットに運び込んだ人物という意味なのであった。師をもたずに独覚したティロパ。大学の教授職を辞して野にくだって覚醒を求めたナロパ。チベットに満開の花を咲かせたミラレパ。その法灯の中にあって、マルパの位置はインドのナロパから、チベットのミラレパへのtranslateを成功させた人物、というものであろう。

 法灯を異邦人として他の地域にtranslateした人びとはさまざまある。達磨がそうであろうし、三蔵法師もそうであろうし、時には、鎌倉時代の祖師方もその位置にあるだろう。チョギャム・トゥルンパは、チベットを追われ、欧米に渡り、自ら率いる翻訳グループにこの本を翻訳出版させる時に、自らを、本当の意味での翻訳官マルパの姿に同化させようとしたのでないだろうか。この本のデザインもトゥルッパがしている。並々ならぬ意志を感じる。

 思えば、20世紀において、スーフィーを欧米社会に持ち込もうとしたグルジェフも翻訳官であっただろうし、Zenをもちこもうとした鈴木大拙や、ハシディズムを紹介したブーバーなども、いわゆる翻訳官であった、と理解すべきなのであろう。

 マルパはナロパからの法統をミラレパへとつないだし、達磨マハカーシャップ以来の法統を慧可を通じて僧燦慧能などのZenの大輪へと成長させることに成功した。さて、トゥルンパを初めとする現代の「翻訳官」たちの仕事は、今後どのような展開を見せていくのであろうか。

<3>につづく

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Zen Buddhism<2>

<1>よりつづく

Zb   
「Zen Buddhism」 <2>
Christmas Humphries 1999/01 Pilgrims Publishing,India ハードカバー 241p 言語 英語 初版1949年 1961年George Allen & Unwin, London発行の版を読んだ

 この本、実にコンパクトであり、いわゆる現代日本の新書本のような量と質を連想させるところがある。だがよくできており、この一冊あれば、なんだか、Zenが一つ「出来上がる」ようなイメージになる。まるで1/24スケールのプラモデルを作り上げるような感覚だ。これがこれと繋がっており、このパーツとこのパーツを組み合わせれば、こういう構造ができていく。Zen全体を一気に理解するには実に分かりやすい一冊と言える。

 しかし、要所にLive Zenという単語が散見されるように、Zenを新書本やプラモデルのように理解したとしても、それではZenを理解したことにはならない。Zenは生きられなければならない。それはZenをはぐくんだ、仏教や東洋思想、中国文化、日本文化を理解する、という意味でもない。Zenは、それぞれの人生を生きていくなかで花開く必要がある。Oshoに「Live Zen」という本があったことを思い出した。

 この本の最初から、D.T.Suzukiの名前とともにアラン・ワッツの名前が何度も登場する。いかにワッツが20世紀の中盤において、西洋社会のZen理解に貢献したかを、あらためて再認識させられる。

 小森健太朗によれば、アラン・ワッツは四期に分けられると言う。

 アラン・ワッツというのも、生涯転変が激しい人なので、なかなかその全体像をとらえることは困難である。著作家としてアラン・ワッツは、おおまかに次の四期に分けられるだろう。  

1、 牧師、神学者としてスタート。キリスト教学研究で活躍 

2、 キリスト教神秘主義研究に傾斜。アレオパゴスのディオニシウス等の翻訳研究や、ベーメ、エックハルト研究等。  

3、 東洋思想に開眼。禅、ヒンドゥー教などの伝道者となる。(鈴木大拙の訓導も受けたらしい)  

4、 セラピー、精神分析、人間性心理学などの心理方面を研究し、東洋の知恵との融和をさぐる。  

1と2が前期、3と4が後期に大きく分けられ、3と4は、並行しているために、著作書が必ずしも、この時期順に並ぶわけではない。
小森 アラン・ワッツ『タブーの書』の書評

 当ブログにおいては、もちろん3ないし、4の時期のワッツについて関心をもっているわけだが、1や2におけるワッツも見ておきたいと思う。あるいは、4の時期については、「エスリンとアメリカの覚醒」のなかからワッツに関する部分を勝手に「アラン・ワッツ@エサレンとして抜き書きしておいた。ワッツ全体についての理解は、膨大な著書があるので、そうたやすくはないが、進めるとしても、好意的に進む可能性がある。

 さて、クリスマス・ハンフリーのこの「禅仏教」、1949年にでた本でもあり、いかに1947年に日本にやってきた直後に書かれた本だとしても、21世紀の地球人がダイレクトに読んで、ダイレクトに必要とされる本、だとは思えない。時代背景なり、本のキャラクターを考えなくてはいけない。本物のRRファントム2をゲットできないまでも、1/24スケールのプラモデルなら、自分で作れて遊べる、という範囲の理解でしかない。探究者なら、いずれは本物が必要となり、それをゲットする努力が必要となる。

 しかし、それでもなお旅は終わらない。車を手に入れても、それを何に使うのか。その車でどこに行くのか。どこに行かないのか。

 There can be no Zen without satori. For Zen is satori, and all the talk about Zen is only about it. p108

 このへんのアプローチは実にシンプルだ。なんのてらいもなくたんたんと描写される。ものごとはそう簡単ではないのだが、シンプルに描かれれば、ことはシンプルに得られるものだと思いがちである。なにはともあれ、あとはLIVE ZENが必要とされる。

<3>につづく

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2009/07/13

よく生きる智慧

よく生きる智慧~完全新訳版『預言者』ンシンヤクバンヨゲンシャ~
「よく生きる智慧」完全新訳版『預言者』
柳澤 桂子 (著) 2008/12/2 小学館 単行本: 192p
Vol.2 No714★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 先日、「Three Pillars of Zen」を読んでから、カリール・ジブランの「預言者」が気になっていた。

あなた方はいっしょに生まれ、
これからも永久にいっしょに過ごすのだ。
死の白い翼があなた方の人生を破壊するときも、
あなた方はいっしょにいるのだ。
ああ、あなた方は主の沈黙の記憶のなかでさえもいっしょなのだ。
しかし、あなた方は二人のあいだに透き間を作っておきなさい。
そして天の風があなた方のあいだを縫って踊れるようにしておきなさい。

おたがいに愛し合いなさい。
けれども愛で動きが取れないようになってはいけない。
むしろ愛を海にしておいて、その潮があなた方の岸辺のあいだを
流れるようにしておきなさい。
おたがいのコップを満たしなさい。
 p50 「結婚について」

 この本、 カリール・ジブランの「預言者」の「完全新訳版」という触れこみだが、はて、「完全新訳」したからと言って、なにがいいのかな。いままでもさまざまな翻訳を読んできた。いままでも結構啓発されてきた。いま、あたらしい翻訳がでても、私自身は、だから? とちょっと冷やかな気分。

 ましてや、この部分の翻訳のイメージがすこし違ってきた。所詮、詩は詩なので、そのまま読んで感じれば、それでいいのだが、どうも、なんでもかんでもOk、という受け入れ態勢ができているわけではない。

 この本、柳澤桂子の本なのか、カリール・ジブランの翻訳本なのか、あるいは柳澤桂子の「自由訳」なのか、わからない。「完全新訳」とは一体何なのか、疑問が湧いてくる。所詮は、ジブランの作品である。限界がないわけではない。「完全」とか「新」とか言わないで、そこまでいうなら、いっそ、ご自分の歌を歌ったらどうだろうか。故人の作品をごちゃごちゃいじることもないんではないかな。

 おっと忘れてはいけない。つまり「禅の三本柱」を読んでいて、へんな建物だなぁ、と思ったことがきっかけであった。日本には三本柱の建物はほとんどないのではないか。三本足の鳥居は聞いたことがある。三本足の台もある。だけど、三本柱で成り立っているお寺も家もないのではないだろうか。

 そして思い出したのが、このジブランの「結婚」のところであった。二人は二つの柱のように離れて立ちなさい、という表現がとても素敵だったので、何度も思い出していたのだが、よくよく考えてみれば、二本柱の建物もない。そもそもその空間が大事なのだ。だから「禅の三本柱」においても、その柱ばかりが強調されてしまったら、可笑しなことになってしまうのは自明の理だ。ようは、そこに作られる空間こそが強調されるべきなのであった。

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意識の10の階梯

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「意識の10の階梯」―意識進化の羅針盤「エニアグラム」と「十牛図」
松村 潔 (著)  1998/08ヴォイス 単行本: 293p
Vol.2 No713★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆ ★☆☆☆☆

 エニアグラムと十牛図をいっしょくたにするのは構わないが、それをいっしょくたにするには、ご本人のenlightenmentが必要ですね。だから、この本の真価は、松村潔本人が問われることになる。

●松村 潔
 1953年生まれ。80年代から精神世界の研究会をはじめる。88年から92年までニフティ・サーブの精神世界フォーラムを作り、そのシスオペに従事。90年から、精神世界関係と、西洋占星術の需要が多く。多数の書籍と雑誌の執筆を続ける。95年から98年まで、学校法人東放学園で、精神、世界、占星術、インターネットなどに関して講師をする。また、95年より、新宿住友ビルの朝日カルチャーセンターで、エニアグラム、タロット、カバラ、十牛図、占星術などについての講座をはじめる。
 占星術も、またエニアグラム、あるいはカバラの生命の樹も、すべて、図形的な法則図であり、こうした古典的な図形を読み解き応用することに、著者の強い関心が続いている。
 p294

 こういう外面的なプロフィールなど意味はない。要は、ご本人がenlightenmentしているのかいないのか。そこだけが気にかかる。それを明確にしなければ、カレーライスをライスカレーと言ったり、五目そばを野菜ラーメンと言ったりする違い程度のことで、意味はない。wikipediaを見ると、よくもまぁ、というほど、ごちゃまぜがお好きなような人物であるが、あとは中身がどのようになっているのか、そこが知りたいところだ。

 日本社会はどこか不合理な要素が残されている。ニューエイジムーブメントのメッカとして70年代の80年代にかけて多いに盛り上がった、インドのオショー・ラジ二ーシのアシュラムでのワークでの現場では、常に「日本人はわからない」ということが繰り返し言われてきた。いかなるワークも日本人に対しては狙った効果がうまく出ないのだという。 p261「付録」

 こういう言う方は、典型的なアホの言い方で、決してenlightenmentした存在の言葉ではない。まず、Oshoアシュラムを誰がニューエイジムーブメントのメッカと決めたのか。著者にはそう映ったのか映っていなかったのか。まずそこが明確ではない。日本人とは誰か。年間数万人訪問するだろうと思われる日本人すべてを言うのか。あるいは、それを言ったのは誰か。日本人か、あるいは欧米人か、インド人か、Oshoか? そこのところがまったくわかっていない。「狙った効果がうまく出ない」ということはどういうことか。全てにおいて、アホらしい。

 私は、この著者の言葉を即座に、自分の体験から否定できる。間違っていると。

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Let go!<3>

<2>よりつづく

Let_go
「Let go!」 Theory and practice of detachment according Translated to zen. <3>
Hubert Benoit (著) 1977/02 ペーパーバック 出版社: Red Wheel/Weiser  277p 言語 英語

 ということで、今回もこの書を見るために図書館に長時間滞在。英語も分かりやすい内容の、分かりやすい英語で、しかも体調が良ければ、読書も長続きするのだが、Oshoが「これは西洋に関する限り、今世紀最上の本だ。」と言えば言うほど、一生懸命よもうとするのだが、英語が得手じゃない私には、この本の英語はなかなか入ってこない。

 今回もリクライニング・シートのために視聴覚コーナーを確保。リクエストは「マトリックス・ レボリューションズ」。この映画ももともと得意な分野じゃないが(得意なのは「男はつらいよ」笑)、このような映画も観ておかないと、いまの若い人たちについていけないよ、という妻の助言に従って、なんとかの冷や水で、前にも観たのだが、う~ん、感想を書くのはやめておこう。

 さっそくアリバイ証明のため、「Let Go!」と「マトリックス」のツーショット画像をゲット。直前の画像は電子空間のCG的表現だったのだが、いざシャッターを押してみると、ないやら、女性が大きく映っていた。「ゾルバ」の時もそうだったし、まぁ、この「Let Go!」という本、いよいよ女性が好きなようだ。今後もこのシリーズで行こう! Let Go ! てか。

 Let_go2_3

 今回のところは、文章を引用するのは割愛して、ところどころにイラストが印象的に採用されていたので、それらを引用しておこう。

075 p075

180 p180

181 p181

182 p182

187 p187

206 p206

222 p222

223 p223

280 p280

<4>につづく

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万葉恋歌 あぁ,君待つと

Photo
「万葉恋歌 あぁ,君待つと」 

小林幸子 (アーティスト, 演奏), 額田王 (その他), 磐姫皇后 (その他), 播磨娘子 (その他), 新井満 (作曲)
Vol.2 No712★★★★☆ ★★★★★ ★★★☆☆

 図書館にいくといろいろな企画のチラシが備えられている。その企画の一つに新井満の講演会があったので、予約しておいた。新井満については自由訳 老子」「自由訳 十牛図」「自由訳 般若心経」「自由訳 イマジン」などをめくってみた。もちろん、新井満と言ったら、「千の風になって」の大ヒットの生みの親ということで一躍脚光をあびるようになった存在だ。

 その新井満が新曲「万葉恋歌 あぁ,君待つと」の誕生の経過とその真実を話した。その苦労話などはここに書く必要もあるまい。あえていうなら、「千の風になって」がネイティブ・ピーポーの歌がもとになっているように、こちらは日本の古典「万葉集」がもとになっているところがキーポイントだ。

 万葉とはいうものの、約四千何百首のなかから抽出された3人の歌い手による、5首の歌からこの「万葉恋歌」はなっている。いままではわりと「自由」に訳してきた新井満だが、万葉集については、リフレインとか感嘆詞以外は、万葉言葉そのものを変えないことを原則としたという。

 万葉の言葉を「翻訳」せず、ダイレクトにその万葉のこころを現代に、21世紀に、このブローバル社会に伝えようとする試みは、おおいに賛成できる。そしてその試みは成功したのではないだろうか。新井満自身がステージで本邦初公開の「万葉恋歌 あぁ,君待つと」を披露した。その歌を聞いていて、うん、他の万葉歌も読んでみたいな、と思った。

 この歌はすで、他の歌手によってCD発売されているというし、ひょっとすると、今年の紅白歌合戦のステージで歌われることになるかもしれない。だけど、あのちょっとお化け衣装で歌われるのかと思うと、ぎょっとするところもなきにしもあらずだが。

 ついでながら、続いて「鉄道員(ぽっぽや)」の浅田次郎が講演した。こちらのステージもそれなりに興味深かったが、やや体育会系の「ふり」をする彼の論旨には賛同できかねるところもあった。だがひとつだけ、気にいったのは、「小説家は同じ文章を作品のなかに書いてはいけない。同じフレーズでさえ使ってはいけない。それは二度売りと言って、やってはいけないことだ」というところだ。

 先日、村上春樹の小説を読んでいて、 ん? と思ったばかりだったから、留飲が落ちた。ただ、浅田次郎の「講演」そのものは、自分でも言っていたが、何回も使いまわした定番ネタのオンパレードだったようだが(笑)。

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Zen Flesh, Zen Bones<4>

<3>よりつづく

Zen_flesh
「Zen Flesh, Zen Bones」 : A Collection of Zen & Pre-Zen Writings<4>
by
Paul Reps (1959) 
Publisher: Charles E. Tuttle Company  Hardcover p211

 この本においてVigyan BhairavaとしてRepsは112のスートラを紹介しているが、その英文訳は、OshoのVigyan Bhairav Tantraとほとんど99%と対応しており、一部を除いて、定冠詞や句読点の違いが若干めだつ程度で、大きな違いはない。

 ただふたつ並べてみると、その112のスートラの順番が実にバラバラで、始まりこそ一緒だが、最後の終わりまでまったく違った順番に登場してくる。Oshoのもとにおいては、これらのスートラは一枚一枚カラーカードになっており、もともとバラバラで使って構わないものだし、この中から一枚気にいった瞑想法を選んで実際に実践してみる、ということになっている。十牛図のように1から10まで順番が決まっている、というものではない。

 しかし、それにしても見事にバラバラである。Repsの本は1957年に発行されており、Oshoの講話は1972年にボンベイで行われたものだから、OshoがなぜにRepsなどの順番に講話をしなかったのか、というところにも関心が湧く。その意図は何だったのか。単に瞑想法のジャンル分けにしただけ、ということでもあるようだし、何か深い意図があるようでもある。なにはともあれ、その互いの112の瞑想法に振られた数字の対応表を作っておく。

Vigyan Bhairav Tantra ナンバリング比較

Reps----Osho    Osho----Reps

001-----001     001-----001

002-----002     002-----002

003-----003     003-----003

004-----004     004-----004

005-----070     005-----008

006-----071     006-----027

007-----037     007-----031

008-----005     008-----039

009-----013     009-----052

010-----030     010-----041

011-----014     011-----042

012-----015     012-----057

013-----090     013-----009

014-----038     014-----011

015-----039     015-----012

016-----040     016-----025

017-----041     017-----026

018-----042     018-----037

019-----102     019-----053

020-----091     020-----058

021-----092     021-----068

022-----093     022-----094

023-----094     023-----097

024-----109     024-----101

025-----016     025-----064

026-----017     026-----071

027-----006     027-----086

028-----079     028-----087

029-----080     029-----096

030-----095     030-----010

031-----007     031-----034

032-----081     032-----055

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092-----063     092-----021

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094-----022     094-----023

095-----036     095-----030

096-----029     096-----035

097-----023     097-----040

098-----065     098-----054

099-----107     099-----067

100-----066     100-----081

101-----024     101-----084

102-----086     102-----019

103-----112     103-----073

104-----078     104-----074

105-----047     105-----075

106-----087     106-----082

107-----108     107-----099

108-----067     108-----107

109-----068     109-----024

110-----069     110-----033

111-----088     111-----036

112-----089     112-----103

<5>につづく

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2009/07/12

The Way of Zen <1>

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「The Way of Zen」
Alan W. Watts (Author) 1999/06 Publisher: Vintage  256p Language: English  1967年Panthoeon Books発行の第7版を読んだ。
Vol.2 No711★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 上の表紙は、1999年に発行されたペーパーバック版のデザインだと思われるが、私が大学から借りてきた本は初版から10年経過した1967年発行のもの。当時の表紙は、これほど垢ぬけたものだったとはとても思えない。まだまだ日本文化の理解は進んでいなかったと思われる。その証拠に、私が借りてきた本の表紙には型押しがしてあるのだが、なぜか、「禅道」の文字がさかさまに押してある。

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 Zenがいかにパラドックスの道とは言え、タイトルまでさかさまに型押しする必要もないだろう。アラン・ワッツとは言え、ここまでユーモアにあふれていたとは思えない。その証拠に、内側の印刷部分はきちんと正しい方向に印刷されている。ひょっとすると乱丁本が大学に寄贈されそのまま保管されたのだろうか(笑)。大学図書館の本は、表紙カバーが外されて補完されていることが多く、表紙デザインも楽しみの一つとしている私などにとっては、ちょっとさびしいのだが、この本も、表紙カバーはついていない。

 半世紀ほど前にアメリカで発行されたこの本が、やがて現在は上のような実にすっきりとした素晴らしいデザインで流通しているのだから、まったく同慶の至りである。国旗などがこのように間違って流布したりしたら、戦争も勃発しかねないような事態に陥るが、お互いの文化を理解するにはそれなりの時間が必要だ、ということだろう。日本人サイドから考えた場合も、異文化を理解するには、まだまだ笑うに笑えない失態が数々ありそうだ。

 この本については、すでにOsho「私が愛した本」を抜粋しておいた。

 アラン・ワッツをそのすべての著書とともに含めるつもりだ。私はこの上もなくこの人を愛してきた。p129

 そのすべての著書とともに、と明言している限り、当ブログとしても、アラン・ワッツの全著書をひとまず追っかけて見なければならないようだ。

<2>につづく

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Zen Buddhism<1>

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「Zen Buddhism」 <1>
Christmas Humphries 1999/01 Pilgrims Publishing,India ハードカバー 241p 言語 英語 初版1949年 1961年George Allen & Unwin, London発行の版を読んだ
Vol.2 No710★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

私が触れようと思っている9番目の本は、クリスマス・ハンフリーズの「禅仏教」だ。もともと彼はこの本を---チェラヴェディ、チェラヴェディ、の翻訳として---「続けよ、続けよ」とか、「歩け、歩け」というタイトルにしょうとした。だが結局イギリス人はイギリス人だ。最終的にはその考えを捨て、この本を「禅仏教」と呼んだ。この本はすばらしい。だがそのタイトルは醜い。

 なぜなら禅は、仏教(ブッディズム)であれ何であれ、どんな「教(イズム)」とも関係ないからだ。「禅仏教」とは、タイトルとして正しいものではない。ただ「禅」で充分だった。ハンフリーズはその日記の中で、最初自分はそのタイトルとして「チェラヴェディ、チェラヴェディ」というのがいいと思った、だがその後で・・・・・「歩け、歩け・・・・続けよ、続けよ」では長すぎると思ったと書いている。彼はそのタイトルを変え、決めたのは「禅仏教」という醜いものだった。だがその本はすばらしい。彼は無数の西洋人に禅の世界を紹介した。この本は途方もない貢献をしている。Osho「私が愛した本」p224

 この本についてはすでにその表紙をアップしておいたが、私が手に取ったのは、1961年にロンドンの出版社から出た上記の本だった。この本の情報をもとめるためにググってみたが、ダイレクトにはこのヴァージョンについての画像は出てこず、他の情報がたくさんでてきた。表紙だけでも何種類もある。これだけ、多くの人々に愛されてきた一冊、ということになるだろう。

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 巻末には、この本についての脚注がある。

 「鈴木大拙に禅を学んだイギリスの裁判官・著作家のクリスマス・ハンフリーズによる体系的な禅思想の研究書。」「私が愛した本」p264

 Zenはどちらかというとカウンターカルチャー的な見方をされていたのかな、という思いがあったが、この著者はむしろ国家の中枢の側にいる立場であったようだ。それだけに、体制に与える影響力も大きかったのだろう。

 Zen Buddhismという用語は別にハンフリーズの独創的な言葉ではないだろうし、大拙などの著書にも多く登場してくる。ここでは、Oshoにとっては、その本の内容がすばらしいだけに、タイトルも、もうちょっとひねってほしかった、ということなのだろう。

 もともと本当はZenという用語でだって、真実は表すことはできないのだ。Buddhaismをつけてしまったことにも納得しがたい面があるし、ismそのものがZenから外れている、と捉えることもできる。

 20世紀の前半から中盤においては、やはり東洋思想を西洋世界に紹介する、という流れがあったわけだから、そのラベリングとしては「禅仏教」という呼び方は決して間違ってはいないし、それ以外になかったとさえ言える。しかし、その内容が少しづつ理解され、それを実践する人々が増えてきたとするなら、肝要な点は、その内容を生きることであり、そして、それを生きるということに注目した場合、「禅仏教」というコンセプトを脱ぎ捨てて、さらに純化された普遍性を表す言葉が求められてくる。

<2>につづく      

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2009/07/11

トマスによる福音書<1>

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「聖書の世界」 第5巻 新約 1
田川 建三ほか著 1970 講談社 全集 p330
Vol.2 No709★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「トマスによる福音書」 <1>

 「山上の垂訓」「ソロモンの歌」と来て、次は「トマスによる福音書」を探してみたが、「聖書」の中には、この書はない。

 4番目。第5福音書だ。これはバイブルの中には記録されていない。「トマスによる福音書」としてエジプトで発見されたばかりだ。私はこれについて話したことがある。何しろ、たちまちこれに惚れこんだからね。「トマスによる福音書」におけるあの素朴さを見れば、トマスが不正確ということはありえない。彼があまりにも直接的であるため、そこに彼は存在せず、ただイエスがいるだけだ。

 トマスがインドに来た最初のイエスの弟子であることを知っているかね? インドのキリスト教は世界で一番古い。バチカンよりも古い。そしてトマスの肉体は、今でもゴアに保存されている。不思議な場所だ。だが美しい。非常に美しい所だ。「ヒッピー」と呼ばれるあらゆるアウトサイダーたちがゴアに惹かれてきたのはそのためだ。他にあのような場所はない・・・・・ゴアのように純粋で美しい浜は他にない。

 トマスの肉体は今でも保存されている。そしてどうやってこれが保存されているかは奇跡だ。今なら我々は肉体の保存の仕方を知っている。冷凍すればいい。だがトマスの肉体は冷凍されていない。エジプトやチベットで用いられたある古代の技法が、ここでも用いられたのだ。どんな化学物質が用いられたか、科学者はまだそれを発見できないでいる-----あるいはそもそも科学物質が使われたのかどうかさえ分かっていない。科学者というものは大したものだ! 月に到達することができるのに、インクもれのしない万年筆を作ることもできない! 小さなことでは駄目だね。Osho「私が愛した本」p13

 巻末のこの書に関する説明はつぎのとおり。

 「エジプトで発見されたイエス・キリスト伝で、現存の聖書よりイエスの年代に近い時期に書かれたものと推定されている。この記録の著者が、12使徒の一人である疑いのトマスであるかどうかは明らかではない。」p261

「トマスによる福音書」について語ったOshoの講話録は「愛の錬金術」上下巻という名前で邦訳されている。Wikipediaによれば、グノーシス主義の福音書とされる。

 序 これは隠された言葉である。これを生けるイエスが語った。そして、デドモ・ユダ・トマスが書き記した。

1 そして彼が言った。「この言葉の解釈を見出す者は死を味わわないだろう。

2、イエスが言った、「求める者は、見出すまで求めることを止めてはならない。そして、彼が見出すとき、動揺するだろう。そして、彼が動揺したとき、驚くであろう。そして、彼は万物を支配するであろう」。 p275「トマスによる福音書」

 ゴアにもいたことがある。確かにすばらしい海岸だった。頭の上の太陽が、しだいしだいに傾いて、やがて西の海岸線に沈んでいくのを、なにもしないでずっと見ていた。

<2>につづく

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ソロモンの歌 聖書<2>

<1>よりつづく 

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「聖書」 新改訳 <2>
新改訳聖書刊行会 1970/9 日本聖書刊行会

 「ソロモンの歌」

 新約聖書の中で唯一Oshoが評価するのが「山上の垂訓」だとするなら、旧約聖書の中から選びだすのは「ソロモンの歌」。

 「ソロモンの歌」は非常に誤解されているが、それはいわゆる心理学者たち、特にフロイト主義者たち---あのくわせ者たちのせいだ。彼らは「ソロモンの歌」を最悪の方法で解釈してきた。彼らはあれを性的な歌にする。そうではない。あれは感覚的ではある。それは確かだ。きわめて感覚的ではあるが、性的ではない。それは実に生き生きとしている。だから感覚的なのだ。実にジュースに満ちている。だからこそ感覚的なのだ・・・・・だが性的ではない。性がその一部ではあるかもしれなが、人類を間違った方向に導いてはいけない。ユダヤ人までがあれを恐がるようになった。彼らはあれが何かの間違いで「旧約聖書」の中に入ったのだと思っている。実際は、この歌だけが唯一保存に値するものだ。他は全部火にくべてしまった方がいい。Osho「私が愛した本」p38

 「私は『ソロモンの歌』以外は、ユダヤの本はみんな嫌いだ」とまで言い放つOsho。ハシディズムなどにおいては、また違ったニュアンスで話してはいるが、たしかにOshoはイエス本人は評価するが、聖書やキリスト教についてはつねに辛口のコメントをつけつづけている。

 ソロモンの雅歌

 あの方が私に
 口づけしてくださったらよいのに。
 あなたの愛はぶどう酒よりも快く
 あなたの香油のかおりはかぐわしく、
 あなたの名は注がれる香油のよう。
 それで、おとめらはあなたを愛しています。

 私を引き寄せてください。
 私たちはあなたのあとから急いでまいります。
 王は私を奥の間に連れて行かれました。
 私たちはあなたによって楽しみ喜び、
 あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、
 真心からあなたを愛しています。

 エルサレムの娘たち。
 私はケダルの天幕のように、
 ソロモンの幕のように、
 黒いけれども美しい。
 私をご覧にならないでください。
 私は日に焼けて黒いのです。 
  「雅歌」1.1~1.6

 たしかにこの8・14までつづく「ソロモンの雅歌」は10ページほどの小さな歌だが、「聖書」と言った、堅ぐるしいイメージからはちょっと離れている。

<3>につづく

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山上の垂訓 聖書<1>

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「聖書」 新改訳 <1>
新改訳聖書刊行会 1970/9 日本聖書刊行会
Vol.2 No708★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 7番目は「山上の垂訓」だ。「バイブル」全体ではなくて「山上の垂訓」だけだ。「山上の垂訓」を除けば、「バイブル」はすべてまさに牛の糞(ブルシット)だ。Osho「私が愛した本」p13

 この手の講話は、何度か聞いていて、聖書のどこかにそのような項目があるものだと思っていたが、このたび、いざ聖書を広げてみると、このようなタイトルの部分がないことにようやく気がついた。私のもとにはいく冊かの聖書が集まってきているが、この新改訳聖書は、高校生の時にバブテスト教会に通った時に求めたもの。身の回りにある本の中では、もっとも長く私といる本の一冊と言える。現在は第三版だから、初版のこの聖書は古くなっているかもしれない。

 この「山上の垂訓」と言われる部分は、「マタイの福音書」のなかにある。5章~7章、特に5章3節~10節、と「私が愛した本」の巻末の記してある。

 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとにきた。
 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
 「心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人のものだからです。
 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子供と呼ばれるからです。
 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
「マタイ」5.1~5.10

 これだけ分厚い聖書の中で、この部分だけが素晴らしくて、他の部分がそうではない、という言われは、聖書全部を読んだことがない私にはわからないし、また私の言葉としては言うことができない。他の部分もだいぶ興味深く読んだことがあるからだ。

 ここに来てアラン・ワッツのことを思い出した時、キリスト教のことを考えた。ワッツは一度、キリスト教の聖職者であったことがある。生活のためにその職についた、とも言われるが、はて、それはどうか。もしそれが本当なら、その後のワッツの行動も、そのようなレベルで考えなくてはならないし、最終的にZenに辿りついたとしても、割り引いて考えなくていけなくなるからだ。

 たしかにワッツには、相当にちゃめっけがあり、あるいは生活のために、その特異なライフスタイルを維持したともみられるところがあるので、そのように距離をもって考えてみる必要があるだろう。とにかく、ワッツがその才能をキリスト教の聖職者という立場で一度開花したことを記憶しておく必要はある。

 林語堂は、中国にあり、祖父の代からキリスト教の聖職者の家系にうまれ、一度キリスト教を否定(批判?あるいは疑問視?)しながら、結局は、晩年になって、キリスト教に戻っていった。Oshoがワッツを絶賛し、林語堂を批判するそのポイントは、必ずしも人間性そのものや著した書物の質の高低によるものではないだろう。要はキリスト教に戻っていったのか、そこから離れて大きく歩み出したのか、というところにあるようだ。

 「ニューエイジについてのキリスト教的考察」において、バチカンの教皇庁は、いわゆるニューエイジと言われる精神的動向とキリスト教の距離感について考察し、その対処方法を考えている。Three Pillars of ZenLet go!あるいはZen Flesh, Zen Bonesを読んでいると、これらキリスト教圏と思われる世界でZenに対する関心が高まっていった経緯というもの背景にあるものは、一体なんであるのか、問い直すことになる。

 「僧侶と哲学者」は、チベット密教と西洋哲学、というちょっと視点が違った立場からの考察だが、いずれに西洋における精神性の見直しが近年盛んに行われたということは事実だ。だが、それはキリスト教や西洋哲学だけの限界性、ということを意味はしないだろう。チベット密教(タントラ)にせよ、伝統的な禅の世界にせよ、現代のグローバルな地球人の登場により、十全な形での精神性をカバーすることに限界性がでてきていることは間違いないのだ。

 タントラもあり、スーフィーもあり、ハシッド、Zen、Tao、そしてまた、聖書もある、というレベルで、キリスト精神も忘れずに汲み取られなければならない。

 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためにだと思ってはなりません。廃棄するためではなく、成就するために来たのです。「マタイ」5・17

<2>につづく

 

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タブーの書<2>

<1>よりつづく

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「タブーの書」 <2>
アラン・ワッツ (著), 竹渕 智子 (翻訳) 1991/01めるくまーる単行本: 231ページ

 なにやらZenなどに思いを馳せていたら、アラン・ワッツのことが思い出されてきた。ましてやOshoの「私が愛した本」がアラン・ワッツの思い出に捧げられているとすれば、一度、アラン・ワッツ全体を見直すことも必要かな、と思い始めた。彼の邦訳はすくない。当ブログが確認しているところ、わずかに2冊。あとは未訳である。

 「タブーの書」の巻末には、ワッツの一連の書物のリストがあったので、こちらに転記しておいて、そのうちチャンスがあったら、すこしづつめくってみようと思う。いずれにせよ、「私が愛した本」の「禅」編の見直しで、「禅の道」=The Way of Zen だけでも近々に読みたいと思っていた。

 アラン・ワッツ関連リスト

The Spirit of Zen : A way of Life, Work, and Art in the Far East 1935

The Legacy of Asia and Western Man : A Study of the Middle Way 1937

The Meaning of Happiness : A Quest for Freedom of Spirit in Modern Psychology and the Wisdom of the East

The Theologia Mystica of  Saint Dionysius, 1944

Behold the Spirit : A Study in the Necessity of Mystical  Religion 1947

Easter - Its Story and Meaning, 1950

The Supreme Identity, 1950

The Wisdom of Insecurity : A Message for an Age of Anxiety 1951

The Way of Zen 1957

Nature, Man and Woman, 1958

"This Is It" and Other Essays on Zen and Spiritual Experience 1960

Psycotherapy  East and West 1961

The Joyous Cosmology : Adventures in the Chemistry of Conciousness 1962

Beyond Theology : The Art of Godmanship 1964

The Book : On the Taboo Against Knowing Who You Are 1966

Myth and Ritual in Christianity,  1968

The Two Hands of God : The Myths of Polarity 1969

Does It Matter ? Essay on Man's Relation to Materiality 1970

Theologica Mystica, Sausalito Calif 1971 翻訳

In My Own Way : An Autobiography 1972

The Art of Contemplation 1972

Cloud-hidden, Whereabouts Unknown : A Mountain Journal 1973

The Essence of Alan Watts 1974

Meditation 1974

Tao : The Watercourse Way, With the collaboration of Al Chung-liang Huang 1975

<3>につづく

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2009/07/10

Let go!<2>

<1>よりつづく

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「Let go!」 Theory and practice of detachment according Translated to zen. <2>
Hubert Benoit (著) 1977/02 ペーパーバック 出版社: Red Wheel/Weiser  277p 言語 英語

 いつもは寝っ転がって本を読むことをよしとしているので、図書館で受験生たちに交じって、背筋を伸ばしながら本を読むのは私のスタイルではない。調べ物をしてメモを取るのならともかく、ただ本を読むだけならテーブルさえも邪魔だ。

 そこで一案、考えた。館内貸出を受けたあと、視聴覚コーナーに移り、ビデオを借りる。そして、スクリーンを見るような体制を造りながら、実は本を読むのである。もちろん、目的はリクライニング・シート。スペースは広くとってあり、実にリラックスできる。よく見ると、眠っている人たちさえいる。隣の席も離れているし、大体において、みんなヘッドフォンをかけているので、となりの音も気にならない。

 そこで視聴覚コーナーで、おなじみ「その男ゾルバ」を借りて、まじめ(笑)にゾルバを見ているふりをして、ふんぞり返って、「Let Go!」をめくり始めた。いやはや、聖書を読んでいるふりをしてポルノグラフィーを見ている、という話は聞いたことあるけど、今日の私は、ゾルバを見ているふりをしながら、Zen書を読む、ということにあいなってしまった。     

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 このユベール・ブノアという男---私は彼の第一作「手放し(レット・ゴー)」については触れたことがある。実際はあれは彼の二番目の著書だった。「手放し」を書く前に、彼はもう一冊「至高の教義」とよばれる本を書いていた。この本も加えておきたい。さもなければ、それに言及しなかったことで私はひどく辛い思いをするだろう。それは途方もなく美しい本だ。だが読むのはむずかしい。そして理解するのはもっとずっとむずかしい。だがブノアは、それを可能なかぎり簡明にするために最善を尽くした。Osho「私が愛した本」p96

 当ブログにおいては、ユベール・ブノアの「至高の教義」は「西洋哲学」編に振り分けておいた。このタイトルからして、どうも禅コーナーにおいておくのは不似合いだと思ったからだった。いやいや、この「Let Go!」だって、正直いうと「禅」編にいれておくものどうかと思う。1954年にフランス語で書かれ、1962に英語に翻訳されたこの本も、必ずしも、当ブログが求めているZen本とは言い難い。たしかにテーマはZenでサブタイトルにもその文字が入っている限りは、そのジャンルに紛れ込んだとしてもしかたがないが、Oshoが「近代西洋世界に出現した最上の本だ」と絶賛することには承服しかねる。

 The "fluctuation of the soul", of  which Spinoza speaks, supposes these two poles --my desire and my rehusal  to experience. p27

 突然、スピノザの文字が飛び込んできてぎょっとした。アントニオ・ネグリがやたらとスピノザを出すので、その書を手にとってみたが、周辺記事からはかなり興味を持つのだが、その「エチカ」をはじめとするスピノザの著書はどうも読み込めない。好きじゃない、と言ってしまうのはちょっと違うし、難しすぎる、と白旗を立てるには、ちょっと早すぎる。いまは手取り早く、後回し、という位置にある。この手の本には、スピノザの他に、チベット密教の中興の祖ツォンカパや、ウィトゲンシュタインがいる。彼らは面白そうなのだが、後回し。そんなことを言っているうちに読むチャンスを失うかもしれないが、当ブログの読書スタイルにはこの三者ともあまりそぐわないところがある。

 いずれにせよ、このユベール・ブノアの「The supreme doctrine : psychological encounters in Zen thought 」もめくってみないことには、このフランス人の存在の意味がわからないであろうが、どうも気が進まない。欧米人に向けての禅文化の理解、というだけなら、あえて読まないでもパスしてもいいのではないだろうか、と一人合点してしまいそうだ。

 裏でゾルバがいいことしているのに、この本を見ながら、マインドがきゅるきゅるしている自分が可笑しい。結局は、この本の結論としていわんとしていることは、Let Go!ってことでしょう。だったら、面倒くさいこと言っていないで、まずはそうやっちゃったほうが早いんではないでしょうか。

<3>につづく

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Three Pillars of Zen<4>

<3>よりつづく 

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「Three Pillars of Zen」: Teaching, Practice, and Enlightenment<4
by Roshi P. Kapleau (Author) February
7, 1980 Publisher: Anchor; Paperback 400 pages Rev. and expanded ed edition Language: English

 そもそも当ブログがOshoの「私が愛した本」に突入したのは、最初からの予定ではなかった。最初は、まずインターネットありきで、その中で積極的に関与するとすれば、ブログという機能が今日的であろうと、その利用を考えた。しかしそのブログも、個人的なプロフィール情報を書き込むだけでは、すぐにネタ不足になるし、モチベーションが維持できない。

 その時にふと思いついたのが図書館利用と読書ブログとしてのインターネット活用であった。その方針はわりとスムーズに路線に入っていったと言える。最初手当たりしだいに図書館の新着コーナーに手を出しながら、開架図書をめくっているうちに、いくつかの気になるキーワードに出会うことになった。

 その一つが「マルチチュード」だった。その概念も興味深かったし、取り上げられ方もちょっと刺激的に思えた。しかし、その流れにはどこか底が浅い部分があり、いつかは書物類の流れも途絶え始まった。その頃、マルチチュードの思想的背景にあるスピノザなどの西洋哲学などにも食指を伸ばし、ちらちら図書館から借り出しては眼を通してみた。

 その頃、Oshoも西洋哲学に言及していることを思い出し、「私が愛した本」を引用するようになった。だから当ブログ的には、最初は西洋哲学的な展開が一気に深化すると思われたが、次第に「私が愛した本」の流れに沿った動きが目立つようになってきた。もともとOshoのサニヤシンであってみれば、当然の流れであったようでもあるし、意図せずこのよう流れになったように感じる自分としては、ちょっと意外な気分でもある。

 Oshoはこの本の168冊を最初は、ニーチェの「ツァラトウストラかく語りき」から始めている。西洋哲学的には、ニーチェを最初に登場させるというのは、よく在る手の話であろうし、途中でウィトゲンシュタインを盛んに取り上げるあたり、西洋哲学の流れを意識していることは間違いない。

 しかし、Oshoはこのシリーズ三日目において、ニーチェから始めたこのシリーズのトップの位置を「信心銘」僧燦(そうさん)に譲るよう指示した。このシリーズが、168冊めのアラン・ワッツの「タブーの書」で終わり、このシリーズすべてがアラン・ワッツの思い出に捧げられることになって、ようやく全体像が見えるようになった。

 1冊目の僧燦による「信心銘」から、最後の1冊アラン・ワッツの「本」まで、時には私たちの既知の著者から、時には聞いたこともないような神秘家や詩人の珍しい贈り物を選んで、和尚は私たちを比類なき発見の旅へと連れていく。「私が愛した本」p5「前書き」スワミ・アナンド・アデャーパ

 最初この前書きを読んだ時には、すこし違和感があった。一番はニーチェの「ツァラトウストラ」であるべきだろう、というような、自分なりの期待感があった。三祖僧燦という存在がそれほど身近になかったせいもあるだろう。しかし、ここまで当ブログが読み込んできた過程において、なるほど、あの本のトップはやはり僧燦がふさわしいのだ、と思えるようになってきた。 

 In his The Way of Zen , Alan Watts even tries to prove, by citing portion of a well-known diaglogue, that the Zen masters themselves have impugned sitting. Three Pillars of Zen」p23

 ここでいきなりアラン・ワッツが登場し、「エスリンとアメリカの覚醒」で登場していたワッツといきなりリンクし始めた。当ブログでは、ワッツの本は、2冊しか読んでいないが、「タブーの書」日本語訳の巻末には、この本の他に23冊ほどの英書が紹介されている。いつかはこれらをめくってみようと思い始めた時、Oshoの「私が愛した本」のトップはやはり僧燦なのだ、と、すとんと腑に落ちた。

 マルチチュード的な展開へとつながっていくなら、ニーチェの方が収まりがいい。だがOshoはその伏線を使いながら、僧燦 → ワッツ、という一貫したZenの流れを作っていた。いや作っていたというより、自由闊達な世界に生きていれば、自然とその流れになるのは、当たり前、ということになるだろうか。

 この本「Three Pillars of Zen」は、道元や曹洞禅などを具体的な老師などを登場させながら、具体的な座禅の方法を図示する。巻末のイラストいりの座禅の方法などは、20世紀の欧米人ならずとも、日本人の初心者にとっても、必要不可欠な座禅要心記になっている。その説明が懇切丁寧であればあるほど、この本の必要性とこの本の限界性が次第に明らかになる。とくに、いきなり、「臨済録」などと並べて見たときに、ここで語られているZenとは一体なんだ、と、問い直したくなってくる。

<5>につづく

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2009/07/09

Three Pillars of Zen<3>

<2>よりつづく 

Zen3
「Three Pillars of Zen」: Teaching, Practice, and Enlightenment<3
by Roshi P. Kapleau (Author) February
7, 1980 Publisher: Anchor; Paperback 400 pages Rev. and expanded ed edition Language: English

  英語表現には、牛を表す言葉として、cow、ox、bullの3つがあるようだ。cowは乳搾りに適した牝牛、oxは去勢されて荷車を引くような雄牛のことであるとか。それに対してbullは、調教されていない野生の牛。闘牛はfighting bullと表現されるとか。

 さて、禅の話題の中で定番とされている十牛図の牛は、どのように表現されているのだろうか。いままではTen Bullsと表現されるものと勝手に思い込んでいたが、この本においては、十牛図は、「The Ten Oxherding Pictures」と名付けられている。

 それに対して、Zen Flesh, Zen Bonesでは、オーソドックスに「10Bulls」として紹介されている。なるほど、と思ってよく見ると、10枚の牛の絵がそれぞれに別の英語表現になっているところがなかなか興味深い。

Zen Flesh, Zen Bones       Three Pillars of Zen

   10Bulls         The Ten Oxherding Pictures             

B1      X1_4      

1,The Search for the Bull   1,Seeking the OX

B22_2     X2

2,Discovering the Footprints  2,Finding the Tracks

B33     X3

3,Perceiving the Bull    3,First Gimpse of the OX

B4     X4

4,Catching the Bull     4,Catching the OX

B55     X5

5,Taming the Bull      5,Taming the OX

B6     X6

6,Riding the Bull Home    6, Riding the OX home

B7777     X7

7,The Bull Transcended  7,OX forgotten, Self alone

B8     X8

8,Both Bull & Self Transcended  8,Both OX and Self forgotten

B9     X9

9,Reaching the Source   9,Returning to the Source

B10     X10

10, In the World    10,Entering the Marketplace with Helping Hands

 見比べてみると、いずれも味わい深い。英語表現も、両方面白い。でもこの差が、二つの書のキャラクターの違いを表しているようでもある。でも、去勢されたOXよりは、野生のBullのほうが十牛図の訳語としてはフィットしているかな。

<4>につづく

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臨済録

<2>よりつづく

Photo_2
「禅語録」 世界の名著 18 <3>
1978/08 中央公論新社588p

「臨済録」臨済のことば

 臨済・・・・・中国語の呼び方ではリン・チー、日本語では臨済(リンザイ)だ。私は日本語の臨済を選ぶ。臨済の方がより美しく、美的だ。「臨済録」こそはダイナマイトだ。たとえば彼は、「馬鹿者、仏陀を信ずる者よ、仏陀など捨ててしまえ! そんなもの捨てない限り、仏陀に会うことはない」と言う。臨済は仏陀を愛しているからこそ、こう言っている。彼はこうも言った。「ゴータマ・ブッダ」という名を使う前に、その名前が実在でないということを思い出せ。仏塔(パゴダ)の中にいる外側の仏陀は、本当の仏陀ではない。仏陀はお前の中にいる。その仏陀にお前はまったく気付いていない。その仏陀のことをお前は耳にしたこともない。それこそが真の仏陀だ。お前が内側に入れるように、外側の仏陀を捨てよ」と。臨済は、「仏教などない、仏説などない、仏陀などいない・・・・」と言う。しかもいいかね、臨済は仏陀の敵だったわけではない。仏陀の道を歩む者、仏陀の弟子だったのだ。

 禅の花を中国から日本にもたらしたのは臨済だ。臨済が禅の精神を日本語の世界に移した。言語だけではない、生け花、陶器、庭、そのほか何やかや、日本文化そのものに移した。ひとりの男、たったひとりの人間が、一国の生活を変容した。 Osho「私が愛した本」p130

 Oshoには別途、臨済を題材にした講話「臨済録」がある。Oshoの表現には、日本人の私からしてみたら、それはちょっとオーバーな、という部分も無きにしもあらずだが、Oshoの講話はこのようにメリハリが効いたトーンが続くので、歴史の学問でもなく、論理学的整合性でもなく、ひたすらOsho講話として拝聴するに限る。

 「臨済録」はこちらの「禅語録」にも、あちらの「禅家語録1」にも入っているのだが、100ページほどの決して重い読み物ではないが、より現代文風の軽さをもっているこちらの「禅語録」に収録されている方を読んでみた。

 三人の修行僧

 先生はある修行僧にたずねられた。
「どこから来たか」
 僧はすぐにどなる。先生は会釈して坐らせる。僧は何か答えようとする。先生は相手をなぐりつける。
 先生は、修行僧がくるのを見ると、払子をつったてた。
僧はおじぎをする。先生はたちまちなぐりつける。
 また、僧がやってくるのを見て、先生は今度も払子をたてる。僧は目もくれぬ。先生はやっぱりなぐりつける。
 p199 臨済録

 なんとまぁ、忙しいもんだ。なぐる、ける、どなる、ひっぱたく、まるで暴力教室だ。あるいはプロレスリングかK1かと思わせるほどのシーンがつづく。これが臨済禅と言われるもので、取り方を間違えば、精神性とはまったく違う解釈さえしかねない。これらの方法が、現代でも通じるものかどうかはわからないし、物語そのものを歴史的事実と捉えてしまうこともどうかと思う。ただ、このような形で臨済禅は愛されてきた。

 黄金の粉

 侍従はある日、先生を訪ねた。先生といっしょに僧堂に入ってきてたずねる、「堂内の坊さま方は、お経を読みますか」
 先生、「経を読むことはない」
 侍従、「禅を修行しますか」
 先生、「禅を修行をすることはない」
 侍従、「お経も読まない、禅も修行しないで、いったい何をするのです」
 先生、「まるまる、かれらを仏にならせ、祖師とならせる」
 侍従、「黄金の粉は高貴でも、眼に入ればくもりになるのを、どうなされる」
 先生、「てっきり貴下は俗人とばかり思っていましたがね」
 p211 臨済録

 このような経典は文字ばっかりを追ってはいけないだろうが、この箇所においては、たしかにThree Pillars of Zenなんてものは、一発で蹴っ飛ばされる。TeachingPractice なんてものはぶん投げられ、いきなりEnlightenmentと付き合わされる。いやそのEnlightenmentとやらさえ、ぼろくずと一緒に打ち捨てられる。

 怖ろしい本である。
 星の数ほどある仏教書のうちで、人間の自由と価値を、これだけ大胆に、これだけ明快に語ったものも少ないであろう。一字一句、人を奮起させずにおかぬ迫力に溢れる。それが禅の本質だと言うなら、この本はもっとも禅の名にふさわしい。古来、諸録の王者とされる所以である。
「禅家語録1」p307「臨済録」秋月龍珉

 ひとつの法灯とされるものでも、実に多面的で、そのバラエティさに圧倒される。ここで展開されているものは、「法句経」で語られるような清浄の世界ではない。自由闊達な、野放しにされた人間性だ。まさにLET GO!だ。

 祖師や仏の師となる

 質問、「どういうのが真実の仏であり、真実の法であり、真実の道でしょうか。どうかお示しください」
 先生、「仏とは、われわれの心が浄らかなことであり、法とは、われわれの心の輝きであり、道とは、どこもさえぎられないで、浄らかに光ることだ。三つはそのまま一つであり、いずれも空しい名前にすぎず、実体があるわけではない。正常に道を修めている男なら、刻々に心のとぎれることはない。(後略)
p268「臨済録」

 三つになく、一つになく、なにもなく、そして、途切れることもない。


 翠峰をたずねる

 翠峰のところにやってこられた。翠峰がたずねる、「どこから来られた」
 先生、「黄檗から参りました」
  翠峰、「黄檗はどういうことを弟子たちに教えているか」
 先生、「黄檗は教えることが何もない」
 翠峰、「どうしてないのか」
 先生、「あるとしても、言葉でいいあらわしようがありません」
 翠峰、「とにかくいってごらん」
 先生、「一本の矢がはるか西の空をとんでいます」
 p283「臨済録」 

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2009/07/08

Zen Flesh, Zen Bones<3>

<2>よりつづく 

Zen_flesh
「Zen Flesh, Zen Bones」 : A Collection of Zen & Pre-Zen Writings<3>
by
Paul Reps (1959) 
Publisher: Charles E. Tuttle Company  Hardcover p211

 いまだにこの本の、禅肉、禅骨、というタイトルがついた由来をつかんではいないが、この本にのこの本がついた理由は分かってきたような気がする。少なくとも、なるほど、この本にはこのタイトルが似合う、と思うようになった。

 この手の本は通り一遍目をとおしたから、と言ってどうなるものでもないが、かといって、ここで一気に突っ込んでいっても、どうなるものでもない。大体の概略がつかめたら、あとはその時期が来るのを心待ちして、静かに引き下がるのも、立派なな読書スタイルであると思う。

 第3部の、Gateless Gateは、いわゆる「碧眼録」と並ぶ公案集「無門関」の英語訳であり、原典のほうは「禅家語録 2」p357の「無門関」などを見る限り48の公案がまとめられている。この48という数字にはエソテリックな意味合いはなく、こちらのZen Flesh, Zen Bonesのほうが48+1=49の公案で成っているとしても、そこのところにこだわる必要もなさそうだ。

 ここまでいわゆるZEN関係の書物をちらちらと身ながら思うこと。それは英文のZEN書は、つねに禅の伝統を大事にし、その伝統の中で何事かを見性しようとしているふうに見えるのに対して、OshoZenは、とかくあまりそのような伝統を重く見すぎてはいない、ということ。

 また、「禅の三本柱」のようにTeaching, Practice, and Enlightenmentという順序も、決してあり得ないことでもなさそうだが、Oshoの場合のように、とにかくEnlightenmentが一番先に来ることもあり得るのだ、ということも認識しておかなくてはならない。教えがあり、実践があって、究極の体験があるのではなく、まず究極の体験が起こってしまったあとに、実践や教えが追っかけてくるということも大いにありうる。

 とくに「六祖檀経」などに目を通すとつくづく思うのだが、学問もなく、修行もたいして積まないのに、たった一回お経を聞いただけでEnlightenmentしてしまうという「頓悟」の存在も、ますます禅=ZENの魅力を深いものにする。

 欧米の英語Zen本は、とかく中国日本文化を高く敬愛して、その中から次第に何かを得ようとしている方向性が強いように見えるが、Oshoの場合は、取り立ててどこかの地域や文化の伝統なしにはなにごともできないとする姿勢はない。むしろ、そのような依存性をつよく禅棒で撃ち落とす。

 Oshoのサニヤシンという立場であってみれば、ましてや日本に生まれ、禅の伝統を敬愛している立場であるなら、なおのこと、その伝統の素晴らしさを再学習する必要性を感じながらも、それらの時間軸や空間軸を超えた、極私的にして、なお普遍的な人間の在り方の可能性を知る必要があると思われる。

 この本、素晴らしい一冊だった。いずれはわが書棚にも一冊常備したい。

<4>につづく

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三祖信心銘<1>

<1>よりつづく

Photo_2
「禅家語録 2」
世界古典文学全集 36B 西谷 啓治 , 柳田 聖山 1984/01 筑摩書房単行本: 523p


「三祖信心銘」<1>

 三祖僧燦は、「続高僧伝」にその名が見えるにもかかわらず、その伝記を欠いていたために、8世紀より9世紀の始めにかけて、達磨以来の伝統が確立されると、南北の各派でにわかに顕彰運動がもりあがり、各地に塔碑が再建される。105p 大森曹玄

 当ブログにおいて、三祖僧燦については、Osho「私が愛した本」のなかからOshoが僧燦に触れたところを抜粋しておいたし、Oshoがまるまんま僧燦を語った「信心銘」についても触れたので、ここは静かにスルーしようかな、と思っていた。しかし、当ブログも、全著書について、その典籍を探し出し自前のコメントをつける流れになってきたので、さて、この原本はどこにあるのか、と気になりはじめた。

 いざ探し始めてみれば、実にすぐそばにあって、先日読んだばかりの「禅家語録2」の、しかも2番目に掲載されていた。

 至道の大道は、すぐそこにあって、かれこれと七面倒くさいものではない。ただ選り好みさえしなければ、それでよいのである。選り好みをすると、好きなものは愛し、いやなものは憎む念が起こって心の鏡がくもる。それさえなければ、至道はきわめてはっきりと包みかくすこともなく現れてくる。
 けれども毛筋一本ほどでも分別の念があると、至道か邪道か、天と地ほどの差を生ずる。だから、至道を目の前に見たいと思うなら、順とか逆とか、善とか悪とか、二元対立の見がすこしでもあってはいけない。
p105 僧燦 

 漢文があり、読み下し文がある。そして現代文があるのだが、今は現代文をさらさらと読んでいるだけの自分がちょっと物足りない。それでは、現代文に翻訳してくれたひとのセンスに依存していることになる。もっと漢文自体を読めるほどの力が必要だ。いやいや、原文自体、もともと僧燦の手になる文ではないかもしれない。その指ししめすところを読む必要があるのだ。云々。

 至道にたどりつこうという初心でありながら、またまた脇道の泥沼に突っ込んでいる。

 英訳に、プライス氏のThe Believing Mind(Zen and Zen Classics, vol, 1 1925)、鈴木大拙氏のOn believing in mind(Manual of Zen Buddhism, 1957)、アーサー・ウエレイ氏のOn Trust in the Heart(Buddist Texts through the Ages, 1954)があり、他にも独訳もある。この作品は、現代欧米の人々のあいだに人気があるらしい。p105 大森

 独訳はともかくとして、チャンスがあれば、英訳本の存在くらいは確認したいものだと思う。

 いくら二段組みとは言え、見つけてみれば、漢文、読み下し文、現代文、解説を入れてもわずか8ページの実にコンパクトな文章である。

 信ずる心と、信ぜられる対象とは、相対する二つのものではない、信ぜられる対象はそのまま信ずる心である。こうして決定した信心不二、不二信心の世界は、文字や言葉で表現できないし、また過去・現在・未来というような相対的な時間もない絶対的の境地である。それが至道そのものといってよい。p112僧燦

<2>につづく 

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Zen Flesh, Zen Bones<2>

<1>よりつづく

Zen_flesh
「Zen Flesh, Zen Bones」 : A Collection of Zen & Pre-Zen Writings<2>
by
Paul Reps (1959) 
Publisher: Charles E. Tuttle Company  Hardcover p211

 この本、コンパクトでありなおかつ、小さな禅ストーリーに満ちているので、読みやすくお手軽に考えていたが、いざ読み始めてみれば、やはりそうではない。この感覚は「ナスレッディン・ホジャ物語」に通じるところさえある。

 Theching the Ultimate

In early time in Japan, bamboo-and-paper lanterns were used with candle inside. A blind man, visiting a friend one night, was offered a lantern to carry home with him.
"I know you do not need a lantern to find your way," his friend replied, "but if you don't have one, someone else may ran into you. So you must take it."
The blind man started off with the lantern and before he had walked very far someone ran squarely into him. "Look out where you are going !" he exclamed to the stranger.
"Can't you see this lantern ? "
"Your candle has burned out , brother," replied the stranger. 
p104

4部構成になっており、1部の101の禅話については知っているものもあり、初めて聞くものもあり、別な表現になっているものもあり、いずれも面白い。どこかにPeach Boyとかいう表現があったが、あれは桃太郎のことであっただろうか。それとも他の意味もかけてあるのか、いずれ日本文化を逆照射してみてみると、また新鮮なものである。bamboo-and-paper lanterns were used with candle insideとはなんとも不思議な感覚だ。日本語なら提灯、とこれ以上の説明はなにもない。

 第3部の十牛図は、この本においても素晴らしい。この廓庵禅師の十牛図は、プーナのアシュラムの中にも大きく描かれていて、あっけにとられて眺め続けたこともある。「究極の旅」のテーマでもあり、この本にも実にマッチしている。

 第4部の「ビギャーナ・バイラヴァ・タントラ」の112のスートラについては、いずれOshoの引用文とつきあわせて読み比べても面白いかもしれない。しかしまた、「禅肉、禅骨」という本のなかに、このタントラの経文を忍び込ませたポール・レップスという人のセンスとユーモアも特筆すべきものだ。

 残った第3部「The Gateless Gate」についてはいま読んでいるところだが、いわゆる「無門関」の49の公案ガ英文で紹介されている。一通り目を通してすみような部分ではないが、いずれ、他の日本語文献とも見比べながら、英文特有の表現の味わいも確かめてみたいものである。

<3>につづく

 

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Three Pillars of Zen<2>

<1>よりつづく

Zen3
「Three Pillars of Zen」: Teaching, Practice, and Enlightenment<2>
by Roshi P. Kapleau (Author) February
7, 1980 Publisher: Anchor; Paperback 400 pages Rev. and expanded ed edition Language: English

  While the organaization of book follows the natural pattern of teaching, practice, and enlightenment, each section is complete in itself and can be read at random according to the reader's taste. p.xviiii

 まえ書きにこのようにある限り、気になったところをアトランダムに読み進めても、特に問題はないだろう。前回<1>で感じた疑問は、Osho「私が愛した本」の編集関係者のコメントもあって、すこし溶解してきた。

1)この本の著者はやはり男性で、この本と類似の本にNANCY WILSON ROSS という女性が書いた"THE WORLD OF ZEN"という本があることがわかった。こちらはなるほどナンシーという名前からして女性の著書のようである。彼女の本も図書館にあるので、そのうち別途目を通してみようと思う。

2)英語本にはいいろいろなヴァージョンがあることはよくあることで、少なくとも現在自分の手元にある本が、特別な乱丁落丁本でもないかぎり、このまま定本として読み進めてかまわないだろう。

3)Zenの経験があるかないか、という問いは、狭義的に考えれば、正確にはなかなか難しいものがあるが、広義的には当然のことながら、著者のKapleau老師はZen体験がある、と判断すべきであろう。ナンシー・ウィルソン・ロスについては、彼女の本を読んだ時にわかるであろう。 

4)老師、という尊称はその道においてはみだりに使われる言葉ではないのかもしれないが、その道ならざる外部の人間にとっては、熟達した指導者、というようなニュアンスに聞こえる。欧米におけるZen布教の中、老師 P. Kapleauと自称他称することの重要性はその道の人にしかわからない価値あるものであるのだろう。

5) 著者が挙げた「禅の三本柱」とはなにか。それは本のサブタイトルにもなっているteaching, practice, and enlightenment,と考えていいだろう。門外漢のそそっかしい早とちりになりそうではあるが、それは、教え、実践、悟り、という言葉に置き換えてもよさそうだ。最初、仏法僧、ではないだろうという予測が湧いたが、当ブログは当ブログなりに、むしろこの言葉に引き寄せて考えてみたほうがよさそうだ、と思う。

 さて、<1>において感じたごく初期的な疑問は、ほとんどが溶けてしまったが、あえて、ここから話題にすべきことがあるとすれば、5)のテーマに尽きると思う。

 ある時、禅寺寺の和尚に質問したことがある。
 「よく一般に、仏法僧といわれますが、この順番が違ってくるということはあるでしょうか」
 この質問で私が意図したことは、当時Oshoはいわゆるガーチャーミイを始めていて、その順序が、ブッダム、サンガム、ダンマム、つまり仏僧法の順序になっていたので、それが、どうも私には座りが悪いので、整理しておきたかったのである。

 誠実なお人柄であるK和尚は、しばし沈黙されたあと、「それはどの順番でもいいのです」とお答えになった。つまり、仏の陰には法と僧があり、法の陰には仏と僧があり、僧の陰には仏と法があります。それは三つあるのではなく、ひとつのことの三つの面にすぎないのです。そのような内容であったと記憶する。

 K和尚は、79年にインドから帰ってきたときに、温かく迎えてくれた若き和尚の御尊父であり、その寺の道場にも数々お世話になった。私はこの時から、あまりこの問題には拘泥しなくなったが、それでもやはり印象に残っているので、いまだに忘れることができない。

 この本において、Kapleau老師の使うteaching, practice, and enlightenmentという言葉を、いきなり仏法僧に置き換えるのはいかがとは思うが、Three Pillars of Zenと言われる限り、出来る限り自分の理解しやすいように整理したくなるのは、当ブログの性癖である。

 もしこの単語を使うとすれば、ここで言われているのは、ダンマム(法)、サンガム(僧)、ブッダム(仏)という順番である、ということになり、和尚の言葉をたよりにする限り、この言葉の並びにも、特に問題はない。

 さて、ここでOshoが異空間軸から禅ステッィクを打ちすえているとすると、問題は、このThree Pillars of  Zenとしたところにあるのだろう。よく鼎(かなえ)という文字がつかわれ、その形からも三本足の台を連想するし、3人で話しあいをすることを鼎談ともいう。つまり、トリオや三人組の類だ。ここに問題があるのだろう。

 30年前のK和尚の答えは素晴らしかった。三つではなくて、一つなのだ、ということで私の迷いは去った。しかし、考える。いま、ここでOshoに同じ質問をしたら、その答えは別なものになるのではないだろうか。

  「Bhavesh そこには三つも一つもないのだ。それはないのだ。それがZENだ。」

 

     喝

.

<3>につづく

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2009/07/07

Let go!<1>

Let_go
「Let go!」 Theory and practice of detachment according Translated to zen. <1>
Hubert Benoit (著) 1977/02 ペーパーバック 出版社: Red Wheel/Weiser  277p 言語 英語
Vol.2 No707★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 今日は7月7日の七夕、星祭りの日。当ブログVol.2にして707番目に登場するのは、「LET GO!」。ユーベル・ブロアのこの本、残念ながら満天のマークとはならなかったが、それは読む立場の能力不足によるのかもしれない。というか、手には取ったが、まだよく読んではいないのである。

 「私が愛した本 OSHOのお薦め本ベスト10(私家版)」の第5位に位置し、当ブログ「私が愛した本<11>その1乙」リストも、この本一冊にコメントを加えれば、とりあえずは一巡する、という位置にありながら、なかなか手にとって見ることができなかった。ようやく手を尽くして、本日、なんとか読み始めることができるようになった。

 転送されてきたが、この本、館外持ち出し禁止。焼酎をいっぱいひっかけ、ごろ寝しながら読むというわけにはいない。図書館に通いながら、読まなければならない。しかも、何回か足を運ばなければならない、のだ。

 それって、全然、LET GO! って感じじゃぁ・・・ないんですが・・・・・。 (゚Д゚)ハァ?

 その本はユベール・ブノアの「手放し(レット・ゴー)」だ。これはあらゆる瞑想者の本棚にあるべき本だ。あれほど科学的に、しかもあれほど詩的に書いた者はいない。これは矛盾だが、彼はそれをやってのけた。ユベール・ブノアの「手放し」は、近代西洋世界に出現した最上の本だ。これは西洋に関する限り、今世紀最上の本だ。東洋は勘定にいれていないが。Osho「私が愛した本」p48

 Oshoはその講話のなかで、よくこのLET GO!を口にした。私としては、TAKE IT EASY!などと同義語としてとらえていたが、その語源と出会ってみると、割と難解である。いやいや、かなり難解な本に思える。本日のところは、閉館直前に飛び込んで、短時間内でなんとか画像撮影をした程度だが、ぱらぱらめくっても、かなり気難しそうで、気が重くなった。なんだかな~~~

 でも、やっぱり、ここは気を取り直した。なにはともあれ、全部のページをめくってやろうじゃぁないかぁ。

 LET GO !

 <2>につづく

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2009/07/06

法句経

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「法句経」
友松圓諦 1985/03 講談社 354p
Vol.2 No706★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★★

 法句経というと、いささか思い出すことがある。上の画像は若い時にF寺のS和尚からいただいたもの。このF和尚とは、浅からぬ縁があったようだ。F寺に生まれたS和尚は、少年時代に隣を走っていた蒸気機関車の火の粉で寺が火災に遭い、焼け出されてしまった。

 寺が再建するまで身を寄せたのが、当時町長で、寺の総代を兼務していた村の家。つまりこの家は私の生家で、総代をしていたのは私の曽祖父。もちろん私が生まれるずっと前の話で、私の父も生まれていない時代の話である。

 S和尚は長じて小学校の先生になったが、その時、別な村の分校で教えてもらったのが、私の母親。つまり、私にとっては、私が生まれる前の父とも母とも縁のある方だった。この和尚さんは、私が7歳の時、父親がなくなった際の葬儀をしてくれた人なので、私が小さい時から、和尚さん、というとこの人しかイメージが浮かばないような存在の人だった。

 私が長じて20も過ぎて、インドに行こうと資金作りのために印刷屋で働いていたときに、突然、S和尚が私の職場にやってきた。驚いたのは私の方だけではなく、S和尚も同じだった。つまり、ずっと昔からF寺の会報はその印刷屋で印刷しており、私はまったくそのことを知らなかったのである。それが縁で長いことF寺の会報の編集を任されていたし、時には短文を書かせてもらった。

 その後、若い連中とコンサートを企画することがあり、一度F寺でシタールのコンサートを開かせてもらったことがある。そんなことをしていた時、S和尚が私にくれた一冊の文庫本がこの「法句経」(1953年真理運動本部発行第2版)だった。友松圓諦という人は初耳だったが、なにやら戦前から日本におけるラジオ番組などを通して一大法句経ブームを起こした人のようである。

 法句経は、簡潔で実に分かりやすいが、いささか普段の行いが決してお行儀のよい方でない私には、ちょっと窮屈な面もある。それに、仏教理解がすこし限定されすぎていないだろうか、と生意気な感想は持っていた。

 しかし、尊敬すべきS和尚からいただいた本なので、表紙をつけて大事にしようと思って付けたのが、当時別なコンサート企画をした時のポスターのコピー。今回、その思い出深い「法句経」を取り出してきて、久しぶりにこの、自分でデザインしたポスターをみた。すでに他のものは残っておらず、本のカバーにしていたものだけが残ったなんて、これもまた何かの縁であろう。

 F寺は、もとは禅宗の寺だったが、戦後、友松の影響などもあってか、教団から離脱して、一寺一宗の単立寺院となった。教えは禅であるが、教団には属さない、というちょっと変わったお寺であった。

 その存在形態のよしあしはあるのだろうが、もし、私の意識が、自らの生まれる場所を特定してこの生を選んだとするならば、きっとこのF寺ゆえに、今回この地に転生したのではないか、と思う時がある。

 すでに当ブログでは、邦訳Osho「ダンマパダ」について記しているが、英語本は全10巻である。瞑想会の友人サニヤシンP君から借りていちどパラパラと目をとおしたが、いつかはゆっくりと読む時がくるだろう。

 仏陀は、彼の最大の書に「ダンマパダ」という名前をつけた。そしてそこにあるのは矛盾につぐ矛盾だ。ブッダはあまりにも矛盾に満ちていて、いいかね、私以外にはこの人を負かせる者がいないほどだ。むろん仏陀は、私に負かされて喜ぶだろう。ちょうど父親が、たまには我が子に打ち負かされることを喜ぶことがあるように。勝ち誇って自分の胸の上にまたがる息子を、ただ勝つにまかせている父親のように。

 覚者はすべて、自分を愛する者たちによって打ち負かされることを許す。私は弟子が私を打ち負かし、私を超えていくことを許す。私を超えていく弟子を見る以上にうれしいことがあるはずがない。

 仏陀はまさにその「真理の足跡(ダンマパダ)という名前で始める---それこそが彼がしようとしていることだ。彼は言いえないことを言おうとしている。語りえないことを語ろうとしている。だが仏陀は、その語りえないことを実に美しく語っており、「法句経」はエベレストのようだ。たくさんの山々があるが、どの山もエベレストの高みには達していない。Osho「私が愛した本」p70

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2009/07/05

シークレット・ドクトリン<1>

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「シークレット・ドクトリン」 宇宙発生論 上 神智学叢書<1>
H・P・ブラヴァツキー (著), 田中 恵美子 (翻訳), ジェフ・クラーク (翻訳) 1994/02 神智学協会ニッポン・ロッジ 761p
Vol.2 No705★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 この本については、すでにOshoの「私が愛した本」の中から抜粋を転記しているので、それで済まそうと思っていた。しかし、現在のところ、あの168冊すべてにおいて、自前のコメントをつける方向に流れが変わってきたので、この本についても、自分なりにコメントしておかなくてはならない。

 いわゆるエソテリックな本を探っていくと、いずれはマダム・ブラバッキーの名前に悩まされることになり、将来的にはいつか読もうと思っていたのだが、なかなかそのチャンスがめぐってこなかった。理由はいくつかあるが、まずは、有名な割には、現物がない、ということ。図書館などを検索しても、お手軽に手に触れることはできないでいた。

 ある日、いつもの古書店にいくと、この本が並んでいた。ほう、と思ったが、上巻しかなかった。下巻がないのか、とちょっと残念に思ったが、値段がわりと安かった。手持ちの小遣いで何とかなりそうな値段である。元値は10300円也。ネットオークションなどでは、倍、三倍の場合もある。ここは買いと思って購入。

 あとで調べて分かったのだが、この本、すでに1994年にでた本なのに、上巻しか出ていないようだ。下巻がない。それだけ時間がかかる翻訳ではあるのだろう。あるいはマーケティング上の状況が続刊を許さないのか。

 いずれにせよ、このようなエソテリックな本を多読すると、刷り込み現象が起こるので、あまり積極的には読んでいないのだが、一旦自分が所有することにさえなってしまえば、あとは読み込む時期は自然と訪れるであろう。

 今は、この本が手元にある、ということだけをメモしておく。

<2>につづく

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Three Pillars of Zen<1>

Zen3
「Three Pillars of Zen」: Teaching, Practice, and Enlightenment<1>
by Roshi P. Kapleau (Author) February
7, 1980 Publisher: Anchor; Paperback 400 pages Rev. and expanded ed edition Language: English
Vol.2 No704★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 5番目。私の前には実にたくさんの本が立ち塞がっており、選ぶのは非常にむずかしい。だが私は、ロスの「禅の三本柱」を選ぶ。禅を最もよく知っていた鈴木を含めて、たくさんの人たちが禅について書いている。だが「禅の三本柱」は、禅について書かれた最も美しい本だ。私が「について」と強調しているのを覚えておきなさい。なぜならロスには禅の経験がないからだ。実際その方がかえって驚くべきことだ。何の経験もなく、ただ本から学び日本の寺を訪れることで、彼女はひとつの傑作を書きあげた。

 禅には三本の柱などない。一本の柱すらない。禅には柱はない。それは寺院ではない。それは純粋な非ー物ー性だ。それは柱などまったく必要としない。彼女がこの本をもう一度出版するなら、タイトルを変えるべきだ。「禅の三本柱」はもっともらしく見えるが、それは禅の精神にとって真実ではない。だがこの書は、きわめて科学的な方法で書かれている。禅を知的に理解しようとする者には、これ以上の本は見つけられない。Osho「私が愛した本」p238

 いくつかの疑問がある。まず、このOshoの言及でこの本の著者が女性であろうと察するのだが、この名前で検索すると、僧衣姿の欧米人が登場する。この人物が著者なのであろうか。あるいは別人か。そこのところがまだ分からない。

 二つ目。この本のタイトルで検索するとさまざまなヴァージョンが出てくる。紀伊半島の図書館から私のもとにやってきてくれたのは、このページに借用した本と同じデザインの本であったが、色が違う。黄色、ないしは黄土色だ。ちょっと光に焼けたようなイメージもあるので、ひょとするともとは青だったのかもしれないが、やっぱり別ヴァージョンである、と言えないこともない。

 三つ目。Oshoは「ロスは禅の経験がない」と表現しているが、巻頭言は1964年12月8日に鎌倉で書かれたことになっているし、本書後半には、十牛図の素晴らしい墨絵とともに、座禅の方法が具体的なイラストつきで説明されている。ここまで書いておいて、自分で座禅をしない、ということはないのではないだろうか。

 四つ目。名前が安定しない。ロスならRossとなるだろうに、Roshi Philip Kapleauとなっている。ひょっとすると、これって「老師」という尊称なのではないだろうか。自分で老師とは名付けないだろうから、なんらかの修行を終えたあとに贈られた称号なのではないだろうか。

 五つ目。著者が挙げた「禅の三本柱」とはなにか。仏法僧、ではないだろうという予測が湧いてくる。そして、それはそうではない、というOshoの言わんとしていることはなにか。

 ほとんど予備知識のないまま、まずは一番最初の印象だけをメモしておいて、次第にひも解いてみようと思う。

<2>につづく

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The Life of Marpa the Translator<1>

Marpa
「The Life of Marpa the Translator」 <1>
Chogyam Trungpa (著) 1995/6/18  出版社: Shambhala; Reissue版 言語 英語, チベット語,
Vol.2 No703★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 当ブログにおけるOsho「私が愛した本」を辿る旅は、いまだ道半ばだが、徐々にその歩を進めていることは間違いない。暫定的にジャンル分けして、しかも、ブログの字数制限の関係上、いくつかに分断されてしまった168冊のリストだが「その1乙」に関してはだいぶ読書が進んだと言える。

 もっとも、原書に依らず、Oshoの言及をもってあてている本もあるし、あと数冊はまだ未読である。しかし、近日中に、「その1乙」に関しては、一通りのコメント付けは完成することになる。だから、そのプロセスの中においては、この「マルパの書」も、特段の関心がなかったとしても、その本が存在し、しかも手の届くところにある限り、わが手において、ページをめくってみないことには、一連の作業が完成しないということになる。

 マルパは、ミラレパにつらくあたったので、嫌いだ、と、シンデレラの継母に対するような感情がないでもないが(笑)、ティロパ、ナロパ、マルパ、ミラレパ、という法統のなかでは、回避できない重要な位置にある。

 10番目。今晩の私の最後の本は変わった本だ。普通なら誰も、私がこの本を中に入れるとは思わないだろう。それはマルパ、チベットの神秘家の大作だ。彼の信者さえもそれを読まない。読まれることを意図した本ではない。それはパズルだ。瞑想の対象にしなければならないものだ。ただそれを見ていれば、突然その本が消える----その内容は消える----そして意識だけが残る。

 マルパは非常に変わった人だった。彼の師(マスター)のミラレパは「私でさえマルパに頭を下げる」と言っていたものだ。師でそんなことを言ったものはいない。だがマルパはそれほどの・・・・・。ある時、マルパに、「あなたはミラレパを信じていますか? もし信じているのならこの火の中に飛び込みなさい!」と言ったものがいた。即座に彼は飛び込んだ! 人々はマルパが飛び込んだと知って、まわり中から火を消しにかかった。火が消えると、そこには結跏趺坐して陽気に笑っているマルパがいた!

 彼らはマルパに「どうして笑っているんですか?」と訊いた。
 「私が笑っているのは、信頼だけは火も滅ぼし得ないからだ」と彼は言った。
 これが、私が10番目に数える「マルパの書」という素朴な詩を書いた男だ。
 Osho「私が愛した本」p51

 ん? おかしいな。マルパの師はミラレパだったのだろうか。

 In the West, Marpa is best known through his teacher, the Indian yogin Naropa, and through his closest disciple, Milarepa. 裏表紙

 この英語本をたよりにする限り、マルパの師はミラレパ、というのは間違いということになる。この話の出典は知らないが、これに近い話ならOshoタロットの14番「信頼」で聞いたことがある。そこで火の中に飛び込んだのはミラレパであって、その師はマルパであったのではなかっただろうか。

Marpa was very strange man. His Master Milarepa used to say, "Even I bow down to Marpa." No Master has ever said that, but Marpa was such....... Somebody once said to Marpa, "Do you believe in Milarepa? If so then jump into this fire!" Immediately he jumped! People ran from all sides to extinguish the fire knowing that Marpa had jumped into it. When the fire was put out they found him sitting  there, in a Buddha posture, laughing hilariousuly! 「The Books I have Loved」 p46

 原書にもこのように書かれている限り、Osho本が日本語に翻訳するときに取り違えられたのではないようだ。ことは、チベットの聖者とたたえられる翻訳官マルパにまつわるエピソードである。1000年前の歴史とは言え、ここは、すこしクリアにしておかなければならないのではないか。歯科椅子の上で、Oshoは、なにか勘違いしたのだろうか。あるいは、ゆうべの焼酎が、まだ私の体に残っているのか。定かではないが、朝一番、? はてなマークが私の頭のなかにひとつ芽生えた。

 周囲のものも、翻訳に関わった人も、ここはすべて「YES! OSHO」で通してきたのだろうか。ことは「信頼」に関する大事なところである。私もまた、「YES! OSHO」とすみやかにスルーしておいた方が、賢明だろうか。それとも、ここは「Osho! それはちょっと違うと思います」と言ったほうがいいのだろうか。

 最初は、単に「マルパの書」という本が存在する、ということを確認する程度でとどめたかったのだが、ことはそうシンプルではなくなってきた。英語版が大学図書館書庫にあるのを確かめたことだけでは、ことはすまなくなった。「私が愛した本」日本語版では、「マルパの書」の関連としてこの「The Life of Marpa the Translator」を上げているが、この本は、アメリカに渡ったチョギャム・トゥルンパが1982年にその監督のもと翻訳させ、シャンバラ社から出版したものだ。

 1981年に語っているOshoが具体的に言っている「マルパの書」は、このシャンバラ社の刊行物ではないだろうが、はて、その辺のことはどうなっているのか。信頼深きミラレパならぬ、好奇心旺盛な、はてな小僧の当ブログとしては、はたまたおっとり刀で飛び出すことになりそうだ。

<2>につづく

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2009/07/04

色彩記憶

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「色彩記憶」 色をめぐる心の旅
末永 蒼生, 江崎 泰子 2002/05 PHP研究所 単行本 235p
Vol.2 No702★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 「色彩自由自在」心を元気にする色彩セラピー 」、など、断片的にしか最近の著者の本を読んでいないが、うん、このヴァイブレーションだったら、25~35歳を中心とした女性に圧倒的な支持を受けているのだろうな、と思って読み進めた。

 私が「色彩学校」に来て驚いたのは、まずほとんどが女性の受講生だったこと。それに若い人が圧倒的に多いでしょう。まあ私に比べれば、ですけどね。p88

 1944年生まれの著者による2002年発行の本のなかにこのような文章があるのだから、つまり、58歳以下の女性が圧倒的に多かったということになるだろう。著者は別途こどものお絵描き教室を主宰しているが、それも、その年代の母親の支持が圧倒的に多いから、成立するビジネスモデルなのだろう。

 「色彩学校」に来る人の多くは働く女性。職業は多様で、直接、色彩を扱っている人たちもいるが、まったく色彩とは関わりのない一般の職業の人も少なくない。その中には、仕事場でいろいろなストレスや行き詰りを感じていて、自分の次なる可能性を探りたいと考えている、いわば人生のターニングポイントに立つ人たちもいる。p134

 もともと浅利篤がファウンダーとなって登場してきた色彩心理学は、必ずしも若い女性を中心として発達したものではない。ハート&カラーという形で、著者を中心として発達してきた「カラーヒストリー」は、必ずしも浅利式の中心的な発展形でもないだろうし、著者一流のパーソナリティに大きく依存することが多いだろう。

 カラーヒストリーをたどっていくと、意識と無意識が織りなす個人の内面、記憶の彼方に埋もれかけていた心が時間の中から鮮やかに立ちあらわれてくることがある。このため、カラーヒストリーを作る本人自身が、途中でいろいろなことに気づき始め、精神的に大きな変化を体験することも少なくない。  p31

 若い女性を中心とした感性が、これらの色彩感覚に鋭く反応するのは、オーラソーマなどと共通する面があるだろう。ひとつのセラピースタイルとしてこの色彩記憶=カラーヒストリーがエスタブリッシュされることに何の違和感もないが、それが完全無欠の最終的な完成スタイルだとは、言えないように思う。対象や、その目的のさらに深化する方法がもっと多面的に探究される必要があるのではないか、というのが、先日からの著者たちへの動きの私の感想であった。

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思考・発想にパソコンを使うな

思考・発想にパソコンを使うな
「思考・発想にパソコンを使うな」 「知」の手書きノートづくり
増田剛己 2009/05 幻冬舎 新書 231p
Vol.2 No701★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★☆☆☆

 そもそも、よそ様から、しろ、とか、するな、とか言われるのは好きではないが、ましてや「パソコンを使うな」という御命令には承服しかねる。幻冬舎特有の受けを狙ったタイトルと企画であるのだろうから、いちいち文句をいうほどでもないが、このタイトルはどうしても好きにはなれない。

 そもそもパソコン、と一言で区切ってしまうことは、かなりデジタル過ぎないか? アナログ世界の住人を気取るなら、パソコン使用もそうとうにアナログな分野に及んでいることを忘れてはいけない。私のような、自分でも読めないような悪筆の持ち主にとっては、パソコンやワープロは救世主である。あとは、アナログ的に使うことだって、充分できる。

 デジタル・ハリウッドの杉山知之などは「何か考えをまとめなくてはならないとき、まずパワポを立ち上げる」とまでアドバイスしている。私はこちらのほうに基本的に賛成である。ただし、パワーポイントは、すこし重厚すぎるので、私の場合は、エクセルを立ち上げることにしている。

 エクセルを立ち上げ、とにかく、中央のマスにひとつのキーワードを書く。そしてランダムに単語を書いていき、ある程度の数になったら、コピー&ペーストでグループ分けにする。あとは、文字を大きくしたり、色づけしたり、時系列に並べたり、時には削除する。この一人ブレーンストーミングで、かなり自らの思考や発想は整理できるし、新しいアイディアもたくさん生まれる。

 著者の言わんとするところは、インターネットでお気軽に借りてきたりするなよ、という意味であろうが、道具は道具、もともと中身のない人なら、パソコンを使おうが使うまいが、いいアイディアなどでるはずがない。逆も真なり。中身があれば、パソコンだろうが、スーパーコンピュータだろうが、手作りだろうが、足作りだろうが、よい思考や発想には恵まれる。

 「ノートとブログはまったく別物」p65なんて、分かり切っている論旨を展開しているが、そもそも、日記だろうがノートだろうが、三日坊主で終わる人も多くいる。かくいう私もその口だが、パソコン、ワープロ、インターネット、ブログ、SNSだからこそ長続きしたなんて報告もたくさんある。受けを狙ったタイトルはタイトルとして、受けを狙ったようなインターネット批判やパソコン蔑視に聞こえるような発言なら、私はあまり歓迎しない。 

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読書は1冊のノートにまとめなさい

「読書は1冊のノートにまとめなさい」
「読書は1冊のノートにまとめなさい」100円ノートで確実に頭に落とすインストール・リーディング
奥野宣之 2008/12 ナナコーポレートコミュニケーション 単行本 211p
Vol.2 No.700★★★☆☆ ★★★★☆ ★★☆☆☆

 30万冊ほど売れたとされる「情報は一冊のノートにまとめなさい」の続編だけに、どこか二匹目のドジョウを狙っているようなお手軽さは否めない。しかし、その一冊目は立ち読みで手に取っただけだし、二冊目だからと言って面白くない、とはいいがたいだろう。

 この本についても私は基本的に賛成だ。読書ノートは何度も作ったが、私の場合は、あとから読み返した場合、あまりの速度の速記なので、自分でも判読不明な文字にたびたびであうことがある。文脈に自信はあったとしても、文字の形には自信がない。

 その点、この読書ブログは、手書きするよりキーボードを叩いたほうが早いので、私の場合は「読書は一つのブログにまとめなさい」という方が正解ということになるだろう。少なくともワープロ文字なら、あとで自分でも判別できないような文字になっている、ということはないし、誤字脱字、文脈の乱れも、後でスイスイ直せるところが、ブログのほうが一歩進んでいる、と思える。

 ましてや100円ノートがいらないばかりか、ブログならアフェリエイトが発生するので、当ブログの場合、月に数百円から数千円のキックバックがある。有料ブログサービスもあるが、当ブログは無料サービスにこだわっている。

 最初、当ブログでも数百冊までは、自分でなんとかインデックスをつくって整理していたが、追いつかなくなり、各書き込みのタイトルはすべて本のタイトルとした。自分でもどこに書いたか忘れた場合には、「Bhavesh +(本のタイトル)」とするとほとんどの書き込みが検索できる。自分の読書ノートを、Googleを使って検索するなど、なんと横着なとも思うし、インターネット資源のトラフィックを無駄遣いしているのではないか、と反省はしてみるが、今のところは暫定的にそのような利用をしている。

 個人の読書ノートではないので、デメリットもないわけではない。デリケートな個人情報や、他人を罵詈雑言するような批判は控えなければならない。だから、本音の本音は書けない。ぼやかして書いたために、あとから自分で読んでも、何を書いたのか分からなくなることもあるが、それはまたご愛嬌としておこう。誤字脱字訂正なども、ブログなら、気付いたときに何回でもできるので、楽だ。

 読むだけではなく、気に行ったところは、転写することにしている。OCRソフトなどを使えば、誤字脱字もなく引用できるのであろうが、これは、現代流写経のつもりで、手打ちで転写している。この方法は、そろそろ認知症の兆しがあるわが脳(笑)にも、適度な刺激となっているようだ。

 いつ何を読み、なにを書いたのか忘れてしまいがちだが、一冊のノートにまとめるのと同じ程度には、読書ブログも活用できる。ノートが紛失しても、ネット上に残っているし、適時バックアップをとっているので、まったく損なわれることもない。「ハブ本」を探せ、ブログに書評を書く、古典を枕にする、「ツンドク山」で読みこなし、などなど、さまざまな知恵が紹介されているが、いちいちごもっともな事だと思う。

 そして、いろいろ考えた結果、「一冊のノート」にまとめるよりも、一つのブログにまとめるほうが、私の読書スタイルには適合しているように思う。 

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図書館利用の達人 インタ-ネット時代を勝ち抜く

図書館利用の達人
「図書館利用の達人」 インターネット時代を勝ち抜く
久慈力 2008/11 現代書館 単行本  201p
Vol.2 No.699★★★★★ ★★★★★ ★★★★☆

 この本が主張していることのほとんどは、当ブログが主張していることであり、この本に展開されているサービスが提供されていることによって、当ブログが存在していると言えることになる。「達人」とか「勝ち抜く」とかの言葉は、必ずしも当ブログのセンスではない。当ブログなら、「図書館利用の常識---インターネット時代を分かち合う」というようなタイトルになるに違いない。しかし、それでは、一般消費者に購入を訴えかける新刊本のタイトルとしては、弱すぎるのだろう。せめて「インターネット時代を生き抜く」程度にしなくてはならないか。

 インターネットと図書館、というキーワードがなければ、当ブログは存在しない。しかし、これに、プラスαが必要だ。著者のプロフィールは奥付にこうある。

 久慈 力(くじ つとむ)
 インフィクション作家。歴史研究家。日本史、世界史をユーラシア規模、グローバル規模でとらえ返し、これまでの自国優先、自民族優先の歴期観の見直しを目指す。あくまでも客観的な事実の積み重ねにこだわり衆目の納得するような歴史の構築を目指す。
 p203

 「日本史、世界史をユーラシア規模、グローバル規模でとらえ返し、これまでの自国優先、自民族優先の歴期観の見直しを目指す。」 その言やよし、と思うが、当ブログのテーマはもうちょっと違っている。地球上の各地域の、自らの精神性優先、を見直す、というのが当ブログのテーマだ。「地球人スピリット・ジャーナル」とは結果的にいきついたタイトルではあるが、当ブログとしては強いメッセージを込めているつもりだ。

 著者はこの40年間に、数十万冊の本と数十万冊の雑誌に目を通しています。あるいはそれらを利用しています。目を通す、利用するといのは、わたしの場合、読みこなすという意味のほかに「コピーの必要なページをピックアップして、その部分をコピーを取る」という意味になります。著者の場合、大部分は後者のほうです。ストーリーの流れが大事なフィクションを読んでいるのではないので、必要な部分だけピックアップし、それを原稿に書く際に、自分なりに消化吸収して、運動や著作に利用できればよいのです。

 著者が目を通した50万冊以上の書籍、雑誌のうち、自分で購入したものは、おそらく1万冊にも満たないでしょうから、98%は図書館利用によるものです。著者にとって図書館がいかに重要なウェイトを占めているかがわかるでしょう。 p12

 「膨大な本を読んだが、10万冊までは数えた」というOshoだが、当ブログはこの3年間ちょっとで2000冊弱。利用したり、コピーをとったり、銀行の待ち時間に読んだ本をまぜたとしても年間1000冊行くことはないだろう。だから、生涯10万冊読むことはないだろうし、ましてや50万冊を利用することはないと思う。だが、著者が50万冊を豪語する限り、人間として、この程度までは利用可能なのだろう。

 本書においては、地域の市立図書館、県立図書館のほか、大学図書館や国会図書館の利用法を伝授する。当ブログはこれらのほかに、地域のコミュニティセンター付属のほんとに小さな図書館や、個人図書館、あるいは一般書店や、古書店、ネットオークションなどを利用しながら、ブログを書いている。国会図書館についても、すでに複数回利用している。

 コンテナとしてのインターネット、コンテンツとしての図書館のほかに、当ブログでは、コンシャスネスとしての意識、というテーマに行きついたところである。著者にとっては歴史観、というのが目下の図書館利用の目標だろうが、当ブログにおいては、「地球人スピリット」探索が、目下のターゲットである。

 なんにせよ、インターネットの発達とともに、図書館サービスの進化には、多いに感謝している。あとは意識のインテグラルが、どのような形で立ちあがってくるのか、に関心をもって、整理を進めている当ブログである。

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ヒンドゥーの聖地

ヒンドゥーの聖地
「ヒンドゥーの聖地」 世界歴史の旅 
立川武蔵 /大村次郷 2009/03月 山川出版社 全集・双書 122p
Vol.2 No.698★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 異なる言語を話し、異なる民族に属する人びとが、インド亜大陸においてこれほどの長期間にわたって「インド主義」とでも呼ぶべきことのできる一つの文化的伝統をつくりあげてきた。その伝統を「ヒンドゥー教(ヒンドゥーイズム)」あるいは「インド教」という。「ヒンドゥー」という語は、河、とくにインダス河を意味した「シンドゥ(Sindhu)という語がペルシアに伝えられてインドを意味する語となり、あらたに英語の「ヒンドゥー(Hindu)」となってインド教徒すなわちヒンドゥー教徒を意味することになったと考えられる。

 このように、「ヒンドゥー教」という語をインド主義というような広義に用いるほかに狭義で用いることがある。ヴェーダの宗教を「バラモン教」と呼び、ひとたび衰退した「ヴェーダの宗教」が後世、仏教などの非アーリア的諸要素を吸収して新しく生まれ変わった形態を狭義の「ヒンドゥー教(ヒンディズム)」と呼ぶことがある。今日では、後者つまり狭義の用い方が一般的である。 p6

 アイヌとは、アイヌの人々が使っている「人間」という意味であり、アイヌ民族と外部から呼ばれたとしても、彼らは自らを人間(アイヌ)と言っているだけなのである。ネイティブ・アメリカンとか、アメリカ・インディアン、などの呼称もさまざまな経緯があれ、やはり、それは外部から見た場合に、そのようなネーミングが必要となっただけなのである。

 ヒンドゥー(インド)の人々にとって、神は神なのであって、「ヒンドゥー教」の神ではないはずなのである。ヒンドゥー教の聖地、という言葉自体、すでに、その聖地を外部から見ているよそ者の姿がありありと浮かんでくる。おなじ立川武蔵の本「ヒンドゥー教巡礼」をめくったときも、そのタイトルを見た時から、すぐに、ああ、この人はヒンドゥー(インド)の外の人なのだな、と気がついた。

 この人にとっては、ヒンドゥーの神も、聖地も、巡礼も、すべて自分の外部に存在するものであり、ヒンドゥーの神々を廻ったところで、その神々と出会うことはないのではなかろうか、と思った。いや、神にヒンドゥーもキリスト教も、仏教もないのだ。ヒンドゥーの神々だけではなく、この人は、神そのものに距離感を感じているはずだと直感する。

 リンガ・ヨーニ。リンガ男根を、ヨーニは女陰を意味する。リンガ・ヨーニとは、男性原理と女性原理の統一をあらわしている。シヴァはそれを具現していると信じられている。ハリドワール。p17

 シヴァ神のシンボルを男根+女陰である、などと言ったら、ヒンドゥー(インド)の人々は逆上にするに違いない。彼らはそんなセックス・シンボルを「信じて」崇拝しているかのように誤解されてしまうだろう。この辺の感覚は、百万語を尽くして説明してもヒンドゥー(インド)ならざるものには、理解不能なのだ。外側だけ見て、神とか、聖地とか、巡礼とか、自らの皮相さをカモフラージュすればするほど、物事は本質からどんどん遠ざかっていく。

 プネーおよびムンバイを中心とする地域はマハラシュトラ州のなかでもサンスクリット文化が色濃く残っているところである。プネー市北端にはインドでもっとも古いカレッジ(大学)に一つデカン・カレッジがあり、ここでは国家プロジェクトとして梵英辞典の編纂が続けられている。p81

 著者は、70年代からプネーを訪ねているので、各著書においてインドというとお決まりのようにプネーが話題となる。行きがかり上、著者の本を見つけると、すぐに通行人に付きまとうヒンドゥー(インド)のバクシーシー坊やのようなってしまって、思いっきりからかいたくなる当ブログではある(笑)。

 この本、今年の3月発行の本だが、現在、愛知学院大学の教授となっている。そういえば「スピリチュアリティの社会学」の著者と同じところのようだ。 

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神の詩―バガヴァッド・ギーター<2>

<1>よりつづく

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「神の詩(うた)」バガヴァッド・ギーター <2>
田中嫺玉 (翻訳) 1988/06 三学出版 単行本: 276p
Vol.2 No.697★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 この本、新装版が最近発売されたので、すでに店頭で手にしてひととおり目を通しておいた。だが、せっかく旧版が図書館にあるので、先日リクエストしておいたら、少し遅れてようやく私の番になった。新装版に比して質素で素朴なイメージ。ネット上にも新装版についての情報は多いが旧版の表紙さえ画像を確保できない。発行がすでに21年前ということになるからしかたないか。

 この本を読むきっかけは、もちろんOshoの「私が愛した本」の初日からバガヴァッド・ギーターが登場しているからであり、また先日、数多いギータ本の中のこの本を紹介してくれる人があったからである。

 「市場での瞑想ということのエッセンスがギータの中にあるのじゃないかというインスピレーションを最近得ました。」

 さて、「市場での瞑想」という意味合いの付きあわせはともかくとして、ギータを読んで「市場での瞑想」につながるものだろうか、と、ちょっと疑問ではあった。当ブログのスタートとともに数年前に始まった私の個人的な、そそっかしい読書では、なかなかバガヴァッド・ギーターを読む解くことはできない。

 滅敵の勇者 アルジュナよ
 この至上智の道を信じない者たちは
 わたしのもとに来ることができず
 生死反復の物質界に戻っていく

 非顕現のわたしのなかに
 この全宇宙はひろがっている
 全ての存在はわたしのなかにあり
 わたしが彼らのなかにあるのではない

 だが万物が物質としてわが内にあるのではない
 これは至聖不可思議の秘密力なのだ
 わたしは全生物の維持者であらゆる処にいるが
 宇宙現象の一部ではなく創造の源泉なのだ

 世界の至る処に動いている大気は
 常にエーテル空間のなかにある
 それと同じような関係で
 万物はわたしのなかにあるのだ 
  p138

 私の読書力では、このギータから「市場での瞑想」(私なりの意味合いでだが)を見つけることは困難である。むしろ、市場での瞑想というなら、昨日読んだ「Zen Flesh, Zen Bones」のほうがインスピレーションが強かった。とくに偶然拾った動画の主がウィリアム・リードという人物。ゲリラマーケティング公式トレーナーという立場で「マインドマップ・ノート術」や「お客の心に飛び込め!実践ゲリラ・マーケティング入門」などの著書があるらしい。

 アメリカ・ミズリー州生まれで、高校生の時に「Zen Flesh, Zen Bones」を読み、大卒後、日本にやってきて、合氣道は現在七段、書道も師範の資格を持つ、というこのキャラクター。マーケティングのトレーニングを受け、現在は優れたトレーニングマスターになっているという。なんだか私の中の「市場での瞑想」のイメージには、こちらのほうが近い。

 昨日、この本と一緒に借りてきたのは、世界歴史の旅シリーズの「ヒンドゥーの聖地」。ムック形式のきれいなカラー写真満載の一冊だが、文章は立川武蔵が書いている。バガヴァッド・ギーターといい、ヒンドゥーの世界といい、エキゾチックな旅情はそそられるが、生きていくべきわが道とは、ちょっと思えない。

 いつ果てるとも知れない迷宮に入りこんでしまったような当ブログだが、それを迷いと言ってしまうか、彷徨そのものを楽しんで今を生きていると言うのかでは、今後の展開に大きな違いがでてくる。しかし、もし当ブログが収束する方向性がでてくるのだとしたら、この本を読んだことがひとつのきっかけになってくれた、という時がくれるかもしれない。

 比較するのもなんだが、ヒンドゥーではなくて、私に身近ななのはむしろZENなのだなぁ、と痛感した。漢字で書くところの「禅」でもなさそうだ。ZENのほうが親しみやすい。そんなことを思っていたら、最近はすっかりお休みしている「Osho最後の講話録・ZENシリーズ」を思い出してしまった。

 とは言え「私が愛した本・東洋哲学(インド)」編」でOshoは、ZENをはるかに凌駕する大量のヒンドゥー(インド)本に触れており、やはり、こちらもひととおり消化してからじゃないと、当ブログは収束することはできないのだな、と、ちょっとため息がでた。

 正しくない宗教や信仰を正しいと考え
 正しい宗教や信仰を正しくないと思い
 妄想と無知に支配されて常に悪へと向かう
 そのような知性はタマスである

 プリターの息子よ
 ヨーガの修行によって確固不動となり
 心と生命力と諸感覚を自ら支配する
 その決意はサットワである

 しかし アルジュナよ
 宗教においても経済活動においても
 名誉と利益を得ようとして奮闘努力し
 感覚的満足を追求する決意はラジャスである
   p260

 この本、新装本をめくった時は気がつかなかったが、旧版では、おおえまさのりが巻頭において「神への恋を超えて---『ギーター』の今日的意味---」という推薦文を書いている。

<3>につづく

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2009/07/03

Zen Flesh, Zen Bones<1>

Zen_flesh
「Zen Flesh, Zen Bones」 : A Collection of Zen & Pre-Zen Writings<1>
by
Paul Reps (1959) 
Publisher: Charles E. Tuttle Company  Hardcover p211
Vol.2 No.696★★★★☆ ★★★★★ ★★★★☆

 この本そうとうに人気があるらしく、ググッてみればいろいろなヴァージョンが出てくる。オーディオテープもあるし、ほとんど全文がネット上で読むことさえできるようだ。当ブログでもその本の存在を認知していたが、よく見ると、小さな本で、手のひらにさえ乗ってしまうようなコンパクトさだ。

 Oshoもこの本を絶賛しているが、翻訳語の「禅肉、禅骨」は、はてどうかな、と思う。実際にこの本の邦訳がでているわけではないので、タイトルの直訳だけが先行しても、変なイメージができてしまう。内容が内容だけに、日本に逆輸入しようという好事家も少ないのか、まだ邦訳はない。

 実際に、この本の完成度は高く、Oshoのコメントについても、これ以上、なんとも言えないような、すっきりした印象を持つ。

 この本を読むと、enlightenment とか、masterとか、あるいはzen、などの英語の言葉使いは、このままポール・レップスのやり方をOshoは踏襲しているのではないか、と思わせる。Gateless Gate だとか、Is that so? あるいは10 bulls などの、Oshoが多用する英語的出典はこの辺にあったか、と思わせるほどの等質さを感じさせる。

 本書は、101の禅話と、「The Gateless Gate」、さらに十牛図、そして「ビギャーナ・バイラヴァ・タントラ」の112の詩文から成っている。なるほど~、と思わせる一冊。

 誰かもしらないが、この本について説明しているビデオがあったので、貼り付けておこう。

<2>につづく

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私が愛した本<34> ポール・レップス「禅肉、禅骨」

<33>からつづく 

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「私が愛した本」 <34>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p

 ポール・レップス「禅肉、禅骨」

 8番目。ポール・レップスの「禅肉、禅骨」だ。本人の創作ではないという意味で、それは原典(オリジナル)ではないのだが、オリジナルではなくても単なる翻訳というにはあまりにも重要だ。これ自体、一流の本だ。ある意味ではそれは創作(オリジナル)であり、別な意味では翻訳だ。それは古い禅の逸話の翻訳と創作からなる。私は、禅について書かれた本はほとんどすべて目を通しているので分かるのだが、このポール・レップスの著作に比較できるものはない。彼は一瞥を得ている。彼には芭蕉や臨済と同じ香りがある。

 この人はカリフォルニアのどこかでまだ生きている。彼はこの小さな本の中に、禅の逸話だけでなく、「ビギャーナ・バイラヴァ・タントラ」----シヴァが愛人のパルヴァーテに与えた112の経文----も収めている。これは、シヴァが、ありうるすべての鍵について語ったものだ。私には瞑想において、このビギャーナ・バイラヴァ・タントラ」以上のものがあるとは思えない。112の鍵は十全だ。あれだけで充分のようだ・・・・113では正しい数のようには見えないだろう。112という数は、本当に秘教的で美しく見える。

 この本はごく小さい。ポケットに入れて持ち歩ける。それは懐中本だ。だがコイヌールもポケットに入れて持ち歩くlことができる・・・・もっともコイヌールは、イギリスの王冠に象嵌されていて、ポケットに入れて歩くわけにはいかないが。だがポール・レップスの最もすばらしいところは、彼が一語たりとも自分の言葉を付け加えていないことだ・・・・これは信じられない。彼は単純に翻訳しただけ、ただ翻訳しただけだ----ところがただ翻訳しただけではなく、彼は禅の華を英語にもたらした。この花は禅に関する他のどの英語の著述家の中にも見当らない。鈴木大拙でさえそれはできなかった。それは彼が日本人だったからだ。光明を得ていながらも、彼は自分の光明の香りをその英文著作に持ち込むことはできなかった。鈴木の英語は美しいが、まったく光がない。多分電気は入っているのだろうが、明かりはまったくついていない。

 ポール・レップスは、ほとんど不可能な仕事を成し遂げた。アメリカ人でありながら、しかも、くり返そう、しかもなお、禅のあらゆる香りを手に入れている。しかもそれは自分のために手を入れているだけではなく、それを「禅肉、禅骨」の中にももたらしている。全世界のためにだ。世界は永久に彼に感謝すべきだ。もっとも彼は光明を得てはいない。だからこそ私は、彼はほとんど不可能な仕事を成し遂げたと言う。 Osho「私が愛した本」 p222

<35>につづく

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2009/07/02

パンデミック・フルー襲来

パンデミック・フルー襲来
「パンデミック・フルー襲来」 これが新型インフルエンザの脅威だ
木村良一 2009/03  産經新聞出版 /扶桑社 新書 221p
Vol.2 No.695★★★☆☆ ★★★★☆ ★☆☆☆☆

 図書館では、漫然と図書を並べているわけではなく、さまざまな業務やサービス、企画を行っている。そのひとつに、テーマ別に本を紹介することで、宇宙旅行とか、年金とか、オバマとか、その時々の話題に合わせて、図書館内にある本を集めて展示してくれていることがある。AVや写真集などが一緒に並んでいることもある。

 今回のテーマは「新型インフルエンザ」。ざっとみただけで20数種の文献が並んでいた。貸し出し可能なので、すでに誰かが借りていった本もあるだろうから、もっともっと関連本があるのだろう。今回、私は、お手軽に読めそうな新書本3冊を借りてきた。

 2009年型インフルエンザ(H1N1)は、メキシコで今年春に発生して以来、すでにWHOはフェーズ6の大流行期に入っていると警告を発している。一時は日本国内でも大変な話題だったが、その流行はすでに各都道府県に及び、私の住むしないにおいても複数の経路でじわじわと日常の話題になっている。

 手洗い、うがいを励行し、外出を控え、マスクを活用する、という対策はすでに行きわたっているとは思われるが、ニュースが一段落すると、対策も甘くなる。我が家でも、マスク、うがい薬、手洗い用洗剤の備蓄は完了しているが、この程度のことでは、いずれ、この感染が我が家にも及ぶことは容易に想像できる。

 38度を超える体温がでる状態になると、体はだるくなり、とにかく日常生活はできなくなる。先年私もインフルエンザにかかったことがある。その時はなんと、体温が40度を突破した。二つの体温計で測ったのだから、間違いない。タミフルを投与してもらい、幸いに数日寝込んだだけでなんとか日常業務に復帰したが、それでもその体調不良はその後、一か月ほど続いた。その体験をもとに、毎年秋口にはワクチン注射をしてもらうことにした。

 「パンデミック・フルー襲来」は、ジャーナリストが書いた小説。とはいうものの事実に基づいて書かれているので、新型インフルエンザをとりまく状況が分かりやすく、全体を手っ取り早く把握できる。1985年から物語は始まるが、今年3月にでた本だから、今話題のH1N1については触れられていない。しかし、すでにその登場は完全に預言されていたものであることがわかる。

 

ウイルスパニック
「ウイルスパニック」新型インフルエンザ、大感染の恐怖
皆川正夫 2008/11毎日コミュニケーションズ 新書 213p
Vol.2 No.696★★★☆☆ ★★★☆☆ ★☆☆☆☆

 知人の青年がこの4月から行政の「危機管理室」に配置転換になった。そのとたん、北朝鮮のミサイル対策に追われるは、大規模な山火事は発生するは、老人医療施設におけるとんでもない事態が発生するはで、てんやわんやの模様である。一市民としては、自らに降りかかってこなければ、ノー天気で過ごしているが、いざ行政の「危機管理室」的な視点から見ていると、私たちの生活空間には、実にさまざまなことが起こり続けているものだなぁ、と驚いてしまった。

 「ウイルスパニック」。医療/科学ジャーナリストによるレポートだが、一市民レベルでは、公衆衛生に対する対策など、考えられることなど実に限られたものでしかない。過去においても人類をおそったウィルスパニックはさまざまあったに違いない。「1481」などを読むと、ネイティブピーポーが壊滅的に減少したのは、まさに「旧大陸」から持ちこまれたウイルスパニックも大きな要因になったようであるし、たとえばノストラダムスの時代のペスト騒動をも連想する。

 人類が進化して、次第に生活空間もグローバル化するということは、このようなウイルスパニックを体験し続けることをも意味することにもなるのか、と、あらためてその大自然のメカニズムの大掛かりなシステムに驚かされる。科学者や医療技術者の考えてくれる対策に依存するしかない一市民の立場ではあるが、その実態をより正確に把握し、その対策に協力すうr姿勢は必要であろう。

新型インフルエンザ
「新型インフルエンザ」世界がふるえる日
山本太郎 2006/09 岩波書店 新書 181p
Vol.2 No.697★★★☆☆ ★★☆☆☆ ★☆☆☆☆

 こちらは2006年発行と、ちょっと古めだが、今思えば狂牛病だの鳥インフルエンザだのと、他の生物圏の話のように思っていたが、とにかくごくごく身近なところで、すでにこのような状態が進行していたのだ、ということを知らされる。開発途上国の感染対策などに従事してきた医師によるレポート。

 人類を襲う危機は、なにも新型インフルエンザに限るものではないが、このような危機の連続にあって、今日この命があることに感謝することを忘れがちになる。危機は危機として対処しつつも、人間が人間らしく生きるとは、どういうことか、考えることも重要だ。

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2009/07/01

死の真相

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総力特集 マイケル・ジャクソン 「死の真相」
週刊朝日 2009年7月10日増大号
Vol.2 No.694★★★☆☆ ★★★☆☆ ★☆☆☆☆

 書店では、ビジネス誌以外の週刊誌を立ち読みするなんてことはほとんどしたこともないのに、銀行にいくと、なんだか、もう救いは週刊誌しかない、とばかりに週刊誌に飛びつく自分が可笑しい。今日も傍らをみたら、そのタイトルも「死の真相」。何ともそそられるタイトルであった。

 もちろん、それは先日亡くなったマイケル・ジャクソンの「死因の追求」ということであろう。マイケル・ジャクソンにとっての「死の体験」とはどんなものであっただろうか、という研究なら、それはもう週刊誌のレベルを超えていると言えるだろう。

 そう思ってみていたら、後ろのほうのページのほうにある「週刊図書館」という書評で、飯沢耕太郎という写真評論家が「心霊写真 メディアとスピリチュアル」という本を紹介していた。そのタイトルも「宗教・科学・芸術の三位一体の産物」。心霊写真については特に関心を持っているわけではないが、この「宗教・科学・芸術の三位一体の産物」には驚いた。このタイトルは当ブログでも使いたいタイトルだ。週刊誌も健闘している。

 何はともあれ、マイケル・ジャクソンの冥福を祈りたい。

 

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中論

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「渡辺照宏著作集」 第8巻 仏教聖典 4
渡辺 照宏著 1982/09 筑摩書房 256p
Vol.2 No.693★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

「中論」

 Osho「私が愛した本」の巻末においては、レグルス文庫の「中論―縁起・空・中の思想」上中下三巻をもって、ナーガルジュナの「中論」日本語文献資料として紹介されている。なかなか親しみやすそうではあるのだが、身近な図書館を検索してみても、この書はなかった。

 かの有名な「中論」なのであるから、他になにか文献があるだろうと、検索してみたのだが、思っていたより割と少ない。なにかの全集の一部になっていたり、解説本となっている。解説本なら、当ブログでも、四津谷孝道「ツォンカパの中観思想」、ツルティム・ケサン・高田 順仁「ツォンカパ中観哲学の研究」、黒崎宏「純粋仏教 セクストスとナーガールジュナとウィトゲンシュタインの狭間で考える」「ウィトゲンシュタインから龍樹へ」、定方晟「空と無我 仏教の言語観」などの頁をめくってきた。

 はて、ここに来て初めて気がついたのであるが、世に「中観」と「中論」と似たような言葉があるのだった。ざっとググッてみれば、ナーガルジュナの思想がまとめられている典籍が「中論」であり、そこに展開されているのが「中観」思想である、と把握しておいても間違いではなさそうだ。

 中国や日本では大乗仏教といって色々な宗派ができたが、インドで大乗といえば龍樹の「中論」に基づく中観派と無着、世親たちに始まる瑜伽師派(唯識派ともいう)との二派だけで、チベット仏教でもその伝統を次いでいる。しかしこの瑜伽師派はやはり龍樹の思想を基礎として独自の領域を開いたのであるから、後世になるとこの両派が対立するけれども根本においてはインドの大乗思想はすべて龍樹から源を発すると言える。ある人達は龍樹を「第二の仏陀」とさえ称している。P4

 レグルス文庫では3冊の分冊となっているが、実際に手にとってはみていないが、それでも相当な分量が想定される。原典の考証や解説、注釈などが充実しているのだろう。それに比して、こちらの「渡辺照宏著作集」におさめられている「中論」はわずかに70頁ほどのコンパクトな文章だ。しかも平易な現代文だから、とても読みやすい。

 渡辺照宏という人は、当ブログにおいて「ギーターンジャリ タゴール詩集」の翻訳者としてその名を記しておいただけだが、現代の仏教研究者としては大きな業績を残された方のようだ。本文を読んだだけでは気がつかなかったが、本書に挟まれていた「月報6」1982/6などの友人知人の筆によると、肺を患って長く病床に伏せっておられた方のようである。名だたる大学の教授に任じられながら、その教壇に立つことすらできなかったこともあったようだ。であるがゆえに、その研究に集中されているエネルギーがひしひしと伝わってくるとともに、この本には、むしろ一つの黒雲を突き抜けたさわやかな軽さがある。

 9番目。龍樹(ナーガルジュナ)の「ムラ・マデャミカ・カリカ(中論)」だ。私は龍樹はあまり好きではない。彼はあまりにも哲学的であり、私は反哲学的だ。だがこの「ムラ・マデャカ・カリカ」、つづめて「カリカ」は・・・・。「ムラ・マデャミカ・カリカ」とは、「中庸の道の精髄---本質的な中庸の道」という意味だ。「カリカ」の中で、彼は言葉が届きうる限りの豊穣な深みに達している。私はこれについては一度も話していない。もし本質的なことについて話したければ、最上の道は何も話さないこと、ただ黙っていることだ。だがこの本は途方もなく素晴らしい。Osho「私が愛した本」p50

 概略的に把握すべきなのか、精緻を極めて理解すべきなのか。そんなことを二律背反の課題として問題意識にしてしまうような私などは、そもそも最初から中庸の道からはずれてしまっているのだろう。

 第25章

 (小乗の人たちは避難していう、)「もし万物が空であるとすれば、生滅もないわけであるから、何かを絶滅し、何かを滅却することによってニルヴァーナ(絶対の境地)に達すると主張することはできないではないか」(第1偈)

 (それに対してわれわれは答える。)もし万物が空でないとすれば、生滅もないわけであるから、何かを絶滅し、何かを滅却することによってもニルヴァーナに達すると主張することはできないではないか(第2偈)

 絶滅されず、達せられず、断絶なく、常住でなく、滅することなく、生ずることなきもの、それをニルヴァーナという(第3偈)

 生死の世界は基くところがあり、依存するところがあるが、それが基くところがなく依存するところがないようになれば(そのまま)ニルヴァーナであるという(第9偈)

 輪廻はニルヴァーナとまったく区別がない。ニルヴァーナは輪廻とまったく区別がない(第10偈)

 あらゆる認識の寂滅、無用の議論の寂滅はめでたいことである。仏陀はどんな場合にも、誰に対しても、どんな法も説いたことはない(第24偈) p70「中論」ニルヴァーナの研究

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