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2009/07/25

ゴーリキー 母

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「母」 世界の名作文学 23
マクシム・ゴーリキー/石山正三  1975/02 岩崎書店 判型 B6 p312
Vol.2 No725★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★☆☆

 この本、小中学生にも読めるように、ルビが振ってある。いや別にルビまで振ってもらわなくてもいいのだが、他の部分も読みやすく訳出されているようだ。なるほど、苦手な分野は、このような弱年層向けの書籍を狙う手もあるなぁ、と納得。白黒とは言え、豊富な挿絵が読む者の理解を助ける。文字の大きさや行間も、なかなかやさしくできております。

 しかし、内容は社会主義運動にかかわる人々のストーリーだから、必ずしもやさしくない。ロシアにおける労働運動についてのあれやこれやは、21世紀の現在、直線的に評価することはできない。ただ、この本のポイントは、その運動を見つめる一人の母親に焦点をあてているところだろう。

 ロシアにおける労働者の置かれていた状況や、社会主義運動、革命運動については、晩酌をいっぱいやったあとにいい加減なことを書いたのでは、大変なことになるので、あまり触れないでおこう。

 当ブログでは、「Gの残影」のなかで、ウスペンスキーがロシア革命の動きの中でどのような影響を受けたのか、とか、「新左翼とは何だったのか」をはじめとする荒岱介の一連の著書や、「昔、革命的だったお父さんたちへ」で、日本におけるサヨク的な動きをちょっとおっかけてみたにすぎない。あるいは、ネグリ&ハートのマルチチュード的な動きにもアプローチしてみたが、さしたる成果が上がったわけではない。

 6番目。どうやら今日はロシア人に取り囲まれているようだ。6番目は、マクシム・ゴーリキーの「母」だ。私はゴーリキーが好きではない。彼は共産主義者だし、私は共産主義者が嫌いだ。嫌うときは、私はただ嫌う。だが「母」は、たとえマクシム・ゴーリキーによって書かれたものであっても、大好きだ。私はあの本を生涯愛してきた。私があまり何冊も持っていたので、父はよくこう言ったものだ。

 「お前はどうかしているんじゃないか? 一冊あれば充分じゃないか、何冊も注文し続けるなんて! 何度も何度も小包を見るけど、マクシム・ゴーリキーの「母」ばかり買っているじゃないか。お前は気でも違ったんじゃないか?」

 私は父に言った。「うん、ゴーリキーの『母』については僕は気違いだ。完全な気違いだよ」

 自分の母を見ると、私はゴーリキーを思い出す。ゴーリキーは全世界で最高の芸術家として数えられなければならない。特に「母」において、彼は書くという技の最高の高みに達している・・・・古今未曾有だ・・・・彼はまさにヒマラヤの頂きだ。「母」は繰り返し繰り返し学ぶべき本だ。そうして始めて、それはゆっくりと人に浸透する。そうすればゆっくりゆっくりと人はそれを感じ始める・・・・・そうだ、この言葉だ。感じるのだ、考えるのではない、読むのではない、感じるのだ。それに触れ始める。それがこちらに触れ始める。それが生命を帯びる。そうなれば、あれはもう本ではなく人だ・・・・ひとりの人間だ。Osho「私が愛した本」p189

 中沢新一も著書の何処かで、自分が幼い時代に、親や叔父が党活動をする姿を見ていて、彼なりの感想を書いていた。OshoにはBeware of socialismがある。当ブログにおいては、この辺の顛末については、全然煮詰めていない。読書ブログというスタイルが、それに適していない、ということもあり、自らの能力の限界を感じるためでもある。

 ただ、ここでは、ただひたすら「母」に焦点を当てることにしよう。そしてゴーリキーの筆さばきの妙技に共感することにとどめよう。

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