中論
「渡辺照宏著作集」 第8巻 仏教聖典 4
渡辺 照宏著 1982/09 筑摩書房 256p
Vol.2 No.693★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
「中論」
Osho「私が愛した本」の巻末においては、レグルス文庫の「中論―縁起・空・中の思想」上中下三巻をもって、ナーガルジュナの「中論」日本語文献資料として紹介されている。なかなか親しみやすそうではあるのだが、身近な図書館を検索してみても、この書はなかった。
かの有名な「中論」なのであるから、他になにか文献があるだろうと、検索してみたのだが、思っていたより割と少ない。なにかの全集の一部になっていたり、解説本となっている。解説本なら、当ブログでも、四津谷孝道「ツォンカパの中観思想」、ツルティム・ケサン・高田 順仁「ツォンカパ中観哲学の研究」、黒崎宏「純粋仏教 セクストスとナーガールジュナとウィトゲンシュタインの狭間で考える」、「ウィトゲンシュタインから龍樹へ」、定方晟「空と無我 仏教の言語観」などの頁をめくってきた。
はて、ここに来て初めて気がついたのであるが、世に「中観」と「中論」と似たような言葉があるのだった。ざっとググッてみれば、ナーガルジュナの思想がまとめられている典籍が「中論」であり、そこに展開されているのが「中観」思想である、と把握しておいても間違いではなさそうだ。
中国や日本では大乗仏教といって色々な宗派ができたが、インドで大乗といえば龍樹の「中論」に基づく中観派と無着、世親たちに始まる瑜伽師派(唯識派ともいう)との二派だけで、チベット仏教でもその伝統を次いでいる。しかしこの瑜伽師派はやはり龍樹の思想を基礎として独自の領域を開いたのであるから、後世になるとこの両派が対立するけれども根本においてはインドの大乗思想はすべて龍樹から源を発すると言える。ある人達は龍樹を「第二の仏陀」とさえ称している。P4
レグルス文庫では3冊の分冊となっているが、実際に手にとってはみていないが、それでも相当な分量が想定される。原典の考証や解説、注釈などが充実しているのだろう。それに比して、こちらの「渡辺照宏著作集」におさめられている「中論」はわずかに70頁ほどのコンパクトな文章だ。しかも平易な現代文だから、とても読みやすい。
渡辺照宏という人は、当ブログにおいて「ギーターンジャリ タゴール詩集」の翻訳者としてその名を記しておいただけだが、現代の仏教研究者としては大きな業績を残された方のようだ。本文を読んだだけでは気がつかなかったが、本書に挟まれていた「月報6」1982/6などの友人知人の筆によると、肺を患って長く病床に伏せっておられた方のようである。名だたる大学の教授に任じられながら、その教壇に立つことすらできなかったこともあったようだ。であるがゆえに、その研究に集中されているエネルギーがひしひしと伝わってくるとともに、この本には、むしろ一つの黒雲を突き抜けたさわやかな軽さがある。
9番目。龍樹(ナーガルジュナ)の「ムラ・マデャミカ・カリカ(中論)」だ。私は龍樹はあまり好きではない。彼はあまりにも哲学的であり、私は反哲学的だ。だがこの「ムラ・マデャカ・カリカ」、つづめて「カリカ」は・・・・。「ムラ・マデャミカ・カリカ」とは、「中庸の道の精髄---本質的な中庸の道」という意味だ。「カリカ」の中で、彼は言葉が届きうる限りの豊穣な深みに達している。私はこれについては一度も話していない。もし本質的なことについて話したければ、最上の道は何も話さないこと、ただ黙っていることだ。だがこの本は途方もなく素晴らしい。Osho「私が愛した本」p50
概略的に把握すべきなのか、精緻を極めて理解すべきなのか。そんなことを二律背反の課題として問題意識にしてしまうような私などは、そもそも最初から中庸の道からはずれてしまっているのだろう。
第25章
(小乗の人たちは避難していう、)「もし万物が空であるとすれば、生滅もないわけであるから、何かを絶滅し、何かを滅却することによってニルヴァーナ(絶対の境地)に達すると主張することはできないではないか」(第1偈)
(それに対してわれわれは答える。)もし万物が空でないとすれば、生滅もないわけであるから、何かを絶滅し、何かを滅却することによってもニルヴァーナに達すると主張することはできないではないか(第2偈)
絶滅されず、達せられず、断絶なく、常住でなく、滅することなく、生ずることなきもの、それをニルヴァーナという(第3偈)
生死の世界は基くところがあり、依存するところがあるが、それが基くところがなく依存するところがないようになれば(そのまま)ニルヴァーナであるという(第9偈)
輪廻はニルヴァーナとまったく区別がない。ニルヴァーナは輪廻とまったく区別がない(第10偈)
あらゆる認識の寂滅、無用の議論の寂滅はめでたいことである。仏陀はどんな場合にも、誰に対しても、どんな法も説いたことはない(第24偈) p70「中論」ニルヴァーナの研究
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コメント
ENIさん
龍樹は気になる存在ですよね。
私も、いずれ、ツォンカパやウィトゲンシュタインなどと絡めてゆっくり読んでみたいと思っています。
レグルス文庫もいずれ目を通したいです。
投稿: Bhavesh | 2009/07/01 22:25
こんにちは、Bhaveshさん。
ご無沙汰しております。
今回紹介の『中論』参考になります。
近々読もうと思っていたので。
レグルスの方とどう違うのか知りたいと思います。
投稿: ENI | 2009/07/01 12:32