シークレット・ドクトリン<1>
「シークレット・ドクトリン」 宇宙発生論 上 神智学叢書<1>
H・P・ブラヴァツキー (著), 田中 恵美子 (翻訳), ジェフ・クラーク (翻訳) 1994/02 神智学協会ニッポン・ロッジ 761p
Vol.2 No705★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆
この本については、すでにOshoの「私が愛した本」の中から抜粋を転記しているので、それで済まそうと思っていた。しかし、現在のところ、あの168冊すべてにおいて、自前のコメントをつける方向に流れが変わってきたので、この本についても、自分なりにコメントしておかなくてはならない。
いわゆるエソテリックな本を探っていくと、いずれはマダム・ブラバッキーの名前に悩まされることになり、将来的にはいつか読もうと思っていたのだが、なかなかそのチャンスがめぐってこなかった。理由はいくつかあるが、まずは、有名な割には、現物がない、ということ。図書館などを検索しても、お手軽に手に触れることはできないでいた。
ある日、いつもの古書店にいくと、この本が並んでいた。ほう、と思ったが、上巻しかなかった。下巻がないのか、とちょっと残念に思ったが、値段がわりと安かった。手持ちの小遣いで何とかなりそうな値段である。元値は10300円也。ネットオークションなどでは、倍、三倍の場合もある。ここは買いと思って購入。
あとで調べて分かったのだが、この本、すでに1994年にでた本なのに、上巻しか出ていないようだ。下巻がない。それだけ時間がかかる翻訳ではあるのだろう。あるいはマーケティング上の状況が続刊を許さないのか。
いずれにせよ、このようなエソテリックな本を多読すると、刷り込み現象が起こるので、あまり積極的には読んでいないのだが、一旦自分が所有することにさえなってしまえば、あとは読み込む時期は自然と訪れるであろう。
今は、この本が手元にある、ということだけをメモしておく。
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コメント
Devayanaさん
自己開示どうもありがとうございます。
貴ワークますますご清栄でありますように。
LOVE
投稿: bhavesh | 2014/03/08 16:49
私は逆に、いろんなスピリチュアルな罠、落とし穴にはまってきました。ただ自分の甘さから~、その意味では不運だったのかもしれませんが、だからこそ、エソテリックな世界の真実を知りたい、という欲求が強くなったのだと思います。
そして、そのエソテリックな素地、ネットワークを形成するためにも、Oshoの本の翻訳、特に秘教的な講話の翻訳を進めていきたい、と思っているわけです。
投稿: Devayana | 2014/03/08 13:49
Devayanaさん
では、Oshoそのものは、どうだったのだろう、どうなのだろう、と自問します。様々な見方はあれど、私サイドから見た場合、概ね、良好だと感じます。
私自身はスピリチュアルな意味においては、Osho以前には、政治グループを含め何処にも属さなかったし、その後も、どこにも属していません。場合によっては、生涯不偏不党でもよかったわけです。実際、そのような友人は周囲に多くいます。
いろいろ機会もあったし、歓迎もされました。しかし、私にはたった一つしか道はありませんでした。そういうのも正確ではないかもしれません。本当に確信があったわけではありません。
ただ、私のようなものは、一度は何処かに属した方がいいのだろう、という直感はありました。それから40年近く経過しているのですが、概ね、これでよかったな、と思います。その思いはずっと深まり続けています。
私がOshoが望むようなサニヤシンであったかどうかはともかく、私が考えているようなOshoネットワークであるかはともかく、概して、このマスターと出会い、このネットワークにつながっていることを諒とします。
あるいは、ほかにどのような方法があったでしょう。どのような努力が必要だったでしょう。どのような幸運が必要だったでしょう。自分なりに努力もしたし、十分幸運でありました。今回、うまく行ったと思います。
雑多で矛盾に満ちた私たちのネットワークですが、私が見る限り、すでに十分なエソテリックな素地は、形成できていると感じています。それは、適当な図書館に十分な図書が収蔵できた、というイメージに近いです。
さてそれでは、これらをどう活用するのかは、未知数です。各個人、自分の好きな図書を選んで行くところから始まるでしょう。全てを網羅することできないし、その必要もありません。次第に純化されて行くでしょう。
ただ、純化が始まれば、以前よりはるかに注意深くなる必要があります。高速道路では居眠りや脇見は禁物です。
ここまでは来ているのですが、正直言うと、私は高速道路が好きではないのです。今までどおり、脇見をしたり、居眠りをしたりして、ノンビリ行きたい、と思っているのです。w
投稿: bhavesh | 2014/03/08 13:18
bhaveshさんの危惧するところもわかります。
そのいい例が、去年まで騒がれていたアセンションという考えでしょう。
私は最初から全く否定していました。エソテリックな知識を深めれば、アセンションという現象自体がナンセンスであることがわかります。
マヤの予言からでっち上げた地球滅亡説もしかり・・・
スピリチュアルな妄想があちこちに蔓延り始めているのには、私も呆れています。
私はバシャールのようなチャネリングにも懐疑的です。
それは、霊的知識を知れば、だいたいそのカラクリがわかるからです。
ですから、危険な目に遭わないためには、その世界を完全に否定・拒否するか、徹底的に真実を知るか、のどちからでしょうね。
投稿: Devayana | 2014/03/08 12:24
Devayanaさん
ご指摘の「未知への扉」の抄訳は1980年代中盤に雑誌「ムー」に掲載されました。現在も手元にあるはずですが、「I am the gate」の全体ではなく、第八章のみが確か2号に渡って掲載されたと記憶します。
当時はリアルタイムで翻訳のモンジュから連絡が入っていたので、Oshoを読みたくて「ムー」を購入し保存したのでした。ある種、他の記事はどうでもよかったのです。
しかしながら、偶然書店でこの雑誌を手にし、他の記事と関連させながら読むような好奇心の強い読者があったとすれば、何らかのバイヤスのかかった形で読み込まれて行く可能性も十分ありました。
幸か不幸か、このような形で長文のOshoがマスメディアに登場することは、他にはありませんでした。女性週刊誌やスポーツ新聞などにも、いくつも歪曲報道は散見されていましたが、オレゴン騒動の以前には、たわいのない他国のゴシップに過ぎなかったわけです。
閑話休題。例えば、ダイナマイトを個人で作ろうと思えば、現在ならネット情報を駆使することによって、高校生でも設計図を作ることができるでしょう。多分、材料の素材も極めて安価に身近で入手できるでしょう。
ただし、アパートでそれらをいじっているうちに、実験と思っていたことが、実に正確に作動し、誤爆してしまうこともあるでしょう。実際、しばしばこのようなニュースが報道されます。
現在では花火を変造したような爆弾だけではなく、小さな核爆発物なども、器用な学生なら、極めて安価に、簡単に入手できる素材で製造できる、と聞いたこともあります。
角度は違いますが、エソテリックな知識も入手することは、現代においては、それほど難しくはないでしょう。断片的なことなら、山ほど集めることが、可能でしょう。
しかし、本当に自分に必要な情報だけを集め、組み合わせることは容易ではありません。実験しているうちに、誤爆した、という実際に起こった事件も、幾つか連想できます。
マスター、ガッチャーミー、インナーサークル、ホワイトローブブラザーフッド、などという言葉使いも、実験的に使っているうちに、実際に力を持ち、組み合わせ方によっては、簡単に誤爆します。
瞑想という言葉使いも曲者ですが、Oshoの残した最小パーツとして、最も基本であり、個人レベルで扱い得る科学、アーツ、として、常に立ち帰るべきポイントは、ここにあるとおもいます。それこそがgateであるし、goalであると思います。
そこから引き続き起こる物事について、なんと呼ぼうとお好み次第ですが、実際に、いわゆるエソテリックなソースが開示される可能性は十分あり得ると思われます。
投稿: bhavesh | 2014/03/08 10:09
確かにヒンディー語の講話にはエソテリックな内容が多いようです。「Krishna: The Man and His Philosophy」もヒンディー語からの英訳です。
「未知への扉」の中で、最も興味を引く話を私のHPに抜粋しています。
http://mahorobanomori.web.fc2.com/Osho-hikyoGroup.html
で、Oshoもこういう秘教的知識は成長の役には立たず、むしろ邪魔になる、と言っています。
ようするに、自分で体験して得た知識でない限り、借り物の知識は先入観、固定観念になる危険がある、ということでしょう。
そうすると、極論として、本を読むこと自体が疑問に思えるようにもなりがちですが、要は、知識に使われる(支配される)のではなく、知識を使いこなす(主人になる)ということがポイントでしょう。それはマインドについても同じです。
私にとっては、エソテリックな知識は未知の世界を垣間見せてくる扉のようなもので、それは結局は、自分とは何か、生きるとは何か、という問いへのひとつの糸口として使っています。
そのためにも、ひとつに偏らず、批判的に、幅広く知りたいと思うし、その意味ではOshoの秘教的な話は、Osho自身があえて矛盾した話をするので、最も興味のあるところですね。
投稿: Devayana | 2014/03/08 07:29
Devayanaさん
「未知への扉」の英語の原題は「I am the gate」でした。1977年にプーナに行った時、一番最初に買った英語本です。当時、邦訳は「存在の詩」しかなかったのです。私はこのタイトルから、入門書、というニュアンスで受け取ったのでしょう。完読はしませんでしたが。
Oshoの英語本には、ヒンディーからの翻訳が含まれており、ヒンディーの方にはエソテリックな内容が多いように思います。
ある友人が、自分でヒンディーを読めるようになりたいと、Oshoにかいたところ、そこまですることはない、と返事があったそうです。
そもそもエスペラントを学ぶほどの気力があったら、Osho英語程度は読めて当たり前であるし、また、Osho英語本になっていないヒンディー本まで、インド人ならざる者が、深堀する必要はないのかもしれません。
要はポイントがどこにあるか、ということです。自分が、瞑想に入っていく、ちょっとしたきっかけがあれば、あとは、全ての、方便としての「本」を読み切らないといけない、ということはないでしょう。
「Krishna: The Man and His Philosophy」も1985年版が手元にありますが、ネットでは全文pdfやらで読めるようです。1970年のキャンプでのインド人向けの講話ですから、元はヒンディーだったのではないでしょうか。
「未知への扉」というと、何かOshoが一生懸命、エソテリックな世界へ誘惑しているかに読めてしまいますが、生そのものが神秘なわけで、必ずしもOshoがエソテリックな知識を伝授するよ、と言っているわけではない、と思います。
1970年当時、すでにエソテリックな断片を抱えて彷徨してしまっている神智学「残党」に向けての、「救済」の手としての「I am the gate」があったと推測します。
エソテリックな仕組みが問題なのではなく、瞑想に入っていくことこそが重要なポイントだったのだ、と感じます。
もちろん、人によっては、その瞑想の中でエソテリックなインスピレーションに包まれることになるのでしょうが。
でもそれは、すべての人に必須の道筋である、とは思えません。
投稿: bhavesh | 2014/03/08 00:16
おっしゃるとおり、私もこの「シークレット・ドクトリン」に現代的な意義は感じられません。つまり、全巻を翻訳する価値は、いまさらにはない、と思っています。時間の無駄だろうと・・・
古典としての価値だけでしょうね。いろんな思想家がこの本に影響を受けたのは事実ですが、書かれている内容は「神智学大要」を読めば事足りるようです。
「とんぱ」に載せられた抄訳を読んでも、古代文明~アトランティスやエジプトに関しては、シュタイナーやケイシーのリーディングの方が詳しく興味深いです。
Oshoが紹介している神智学は、私もすごく興味があるのですが、やはり「Krishna: The Man and His Philosophy」の中で多く語られているようです。邦訳された本としては「未知への扉」や「秘教の心理学」などにも散りばめられていますね。
Oshoの秘教的講話の編集はいつかやりたいですね。
投稿: Devayana | 2014/03/07 11:50
Devayanaさん
この本は完全に積ん読本になってます。再読するにも体力がいるので、今生ではちょっと無理かも(笑) これはグルジェフの「ベルゼバブの孫への話」と双璧をなすくらいな大変な作業となります。http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200812270003/
これだけ厚い本というと、今読んでいる三省の「インド・ネパール巡礼日記」も二冊合わせるとかなりな分量になります。http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/1-763d.html
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-7de1.html
こちらはゆっくり読んでいるのですが、いずれ読み終わるでしょう。
分厚い本というと、千葉 富三「甦る古代 日本の誕生」http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-9373.html
と、「甦る古代 日本の真実」http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/1300-ee6f.html があります。これは現在一呼吸おいているところですが、近々再開の予定です。
これら三つのグループを考えてみると、三省は、おそらくこの二冊を読んでしまえば、一応私なりの三省観ができあがり、三省を読んだ、と自分なりに納得ができそうです。
千葉富三はいわゆる秀真伝なので、ある種トンデモ本なのですが、それでもそれを上回る説得力があります。とくに3・11後の価値転換における啓蒙の書として読むと、背筋が伸びる思いがします。
これら二つのグループが扱っているテーマは古代に及ぶ壮大なスケールなのですが、出版されたのは割と近年ということで、一般にも話題を共有できそうな範囲かなと思います。
さて、シークレット・ドクトリンですが、どうなのでしょうか。確かに古代も扱っているし、翻訳出版も現在進行形ということなので、上記2グループにひけを取らない存在感があるのですが、他2グループがダイレクトに読者の私に関わってくるのに比べ、繋がりが薄いように感じます。
三省はフィジカルに接触した同時代人であるし、登場人物達も知己であることも少なくありません。千葉ホツマに関して言えば、私の住んでいるこの地域に深く関わる研究なので、一つ一つが興味深いものがあります。
ところが、シークレット・ドクトリンをはじめとする神智学は、おそらくダイレクトには私には関わりがありません。というと語弊がありますが、つまりこの分野に関しては、私にはOshoという解読者がいますので、そちらの解釈を重用したいと思うのです。
Oshoに出てくる神智学を楽しみ、時に原典にあたることはあっても、深入りすることはないでしょう。
翻って考えて見るに、Oshoは三省を語らないだろうし、秀真伝も解読しないでしょう。プーナを訪れたことのある三省についてはともかくとしても、秀真伝に関しては、その具体的存在も知らないでしょう。ありていに言うと、Osho本には出てこない魅力があります。
結論として、私はOshoが紹介してくれている神智学で十分だ、ということになります。もちろん彼が語った神智学が、まだ十分邦訳されていないとしたら遺憾に思うし、Oshoの神智学観がまとめられているものが今後出版されるとしたら、何はさておきの必読の書となる予感が湧いてきます。
投稿: bhavesh | 2014/03/07 10:56
私もこの本を定価で購入して、一応全部読み終えましたが、正直、内容に比べて値段が高すぎると思いました。
現在は4200円で再販されていますが、確かに原書全体の6分の1、1巻の前半部分で、いわば、まだ導入部という感じでしょう。
内容も宇宙発生の話ですから、私にはピンと来ませんでした。
翻訳者の田中 恵美子氏は、この本の全巻翻訳を念願にしていたらしいですが、この1巻を訳終えた時に亡くなったそうです。
現在、続巻の翻訳が進められているという話ですが・・・。
「とんぱ」という精神世界専門の雑誌、特集チベットⅡに、「シークレット・ドクトリン」の1巻と2巻の抄訳が載っています。
ブラヴァッキー自身のこじつけ的な意見の反映もかなり見られるようですね。部分的に興味あるところだけを翻訳したい思いはありますけれど・・・
投稿: Devayana | 2014/03/07 08:16
小森さん
あれで6分の1とはたまげたもんです。ぱらぱらめくって見る分には決してそれほど敬遠しなくてもよさそうだけど、いざ読もうと思ったら、そうとう覚悟しないといけないですね。
それでもなお、いつの日か、この本の邦訳が完了することを願いたいです。一つの記念碑ですから・・・。
投稿: Bhavesh | 2009/07/06 20:43
私は、この本出てすぐに買いましたが、そのときついていた挟み込みチラシでは、全六冊の予定でしたね。「宇宙発生論」は、「シークレット・ドクトリン」全三部のうちの、第一部「宇宙発生論」前半ということなので。
あれだけ大冊でも、まだ六分の一なんで、私もまだこの本は英語でも完読できていない大著ビッグ8のひとつです。
投稿: 小森 | 2009/07/06 20:04
ENIさん
この本、定価は10300円ですが、ヤフオクだと今日現在の価格は22800円です。もっとも値下げ交渉あり、となっていますから、いくらかディスカウントの可能性があるでしょうが、私にはとても手がでない価格帯です。
ところが私が見つけた時は、4000円でした。これでも古書としては高かったのだけど、いつかはめくらなきゃならないと思っていた本だし、近くの図書館にも入っていないし、一度借りただけでは、とても「読了」となるような本ではありません。二冊組(下巻はまだないようですが)で1万円程度なら、許容かな、という感覚でした。
しかし、購入したからと言ってすぐに読もうと言う本ではないので、私にとっては、古書店で安く買ってツンドク本、というのが、適度な距離感のようです。
X51. ORG THE ODYSSEY については、最初にsopanが教えてくれて、何回か手にとり、サイトも見てみました。
http://plaza.rakuten.co.jp/bhavesh/diary/200708230001/
こちらの本については、アガルタ関連で強い関心を持っているのですが、英文学者ブルワー・リットンがらみで、いつか再突入する可能性もあります。
( ̄ー ̄)ニヤリ
投稿: Bhavesh | 2009/07/06 09:19
こんばんは、Bhaveshさん。
とても稀少な本を購入されたのですね。
H・P・ブラヴァツキー、名前が有名ですね。
鈴木大拙も神智学大乗協会(?)に関係していたらしい話を
どこかのネットで読んだ覚えがあります。
ただ、どうも私の場合は、怪しさが先行してしまって
彼女の本をジックリ手にとってはいませんが
Bhaveshさんが読まれた際の感想が楽しみです。
こちらは彼女を三面記事的に調べたようなサイトみたいです。面白かったので、記入しておきます。
http://x51.org/x/05/10/3050.php
不必要でしたら削除してください。
よろしくお願いします。
投稿: ENI | 2009/07/05 23:48