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2009/07/06

法句経

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「法句経」
友松圓諦 1985/03 講談社 354p
Vol.2 No706★★★☆☆ ★★★★★ ★★★★★

 法句経というと、いささか思い出すことがある。上の画像は若い時にF寺のS和尚からいただいたもの。このF和尚とは、浅からぬ縁があったようだ。F寺に生まれたS和尚は、少年時代に隣を走っていた蒸気機関車の火の粉で寺が火災に遭い、焼け出されてしまった。

 寺が再建するまで身を寄せたのが、当時町長で、寺の総代を兼務していた村の家。つまりこの家は私の生家で、総代をしていたのは私の曽祖父。もちろん私が生まれるずっと前の話で、私の父も生まれていない時代の話である。

 S和尚は長じて小学校の先生になったが、その時、別な村の分校で教えてもらったのが、私の母親。つまり、私にとっては、私が生まれる前の父とも母とも縁のある方だった。この和尚さんは、私が7歳の時、父親がなくなった際の葬儀をしてくれた人なので、私が小さい時から、和尚さん、というとこの人しかイメージが浮かばないような存在の人だった。

 私が長じて20も過ぎて、インドに行こうと資金作りのために印刷屋で働いていたときに、突然、S和尚が私の職場にやってきた。驚いたのは私の方だけではなく、S和尚も同じだった。つまり、ずっと昔からF寺の会報はその印刷屋で印刷しており、私はまったくそのことを知らなかったのである。それが縁で長いことF寺の会報の編集を任されていたし、時には短文を書かせてもらった。

 その後、若い連中とコンサートを企画することがあり、一度F寺でシタールのコンサートを開かせてもらったことがある。そんなことをしていた時、S和尚が私にくれた一冊の文庫本がこの「法句経」(1953年真理運動本部発行第2版)だった。友松圓諦という人は初耳だったが、なにやら戦前から日本におけるラジオ番組などを通して一大法句経ブームを起こした人のようである。

 法句経は、簡潔で実に分かりやすいが、いささか普段の行いが決してお行儀のよい方でない私には、ちょっと窮屈な面もある。それに、仏教理解がすこし限定されすぎていないだろうか、と生意気な感想は持っていた。

 しかし、尊敬すべきS和尚からいただいた本なので、表紙をつけて大事にしようと思って付けたのが、当時別なコンサート企画をした時のポスターのコピー。今回、その思い出深い「法句経」を取り出してきて、久しぶりにこの、自分でデザインしたポスターをみた。すでに他のものは残っておらず、本のカバーにしていたものだけが残ったなんて、これもまた何かの縁であろう。

 F寺は、もとは禅宗の寺だったが、戦後、友松の影響などもあってか、教団から離脱して、一寺一宗の単立寺院となった。教えは禅であるが、教団には属さない、というちょっと変わったお寺であった。

 その存在形態のよしあしはあるのだろうが、もし、私の意識が、自らの生まれる場所を特定してこの生を選んだとするならば、きっとこのF寺ゆえに、今回この地に転生したのではないか、と思う時がある。

 すでに当ブログでは、邦訳Osho「ダンマパダ」について記しているが、英語本は全10巻である。瞑想会の友人サニヤシンP君から借りていちどパラパラと目をとおしたが、いつかはゆっくりと読む時がくるだろう。

 仏陀は、彼の最大の書に「ダンマパダ」という名前をつけた。そしてそこにあるのは矛盾につぐ矛盾だ。ブッダはあまりにも矛盾に満ちていて、いいかね、私以外にはこの人を負かせる者がいないほどだ。むろん仏陀は、私に負かされて喜ぶだろう。ちょうど父親が、たまには我が子に打ち負かされることを喜ぶことがあるように。勝ち誇って自分の胸の上にまたがる息子を、ただ勝つにまかせている父親のように。

 覚者はすべて、自分を愛する者たちによって打ち負かされることを許す。私は弟子が私を打ち負かし、私を超えていくことを許す。私を超えていく弟子を見る以上にうれしいことがあるはずがない。

 仏陀はまさにその「真理の足跡(ダンマパダ)という名前で始める---それこそが彼がしようとしていることだ。彼は言いえないことを言おうとしている。語りえないことを語ろうとしている。だが仏陀は、その語りえないことを実に美しく語っており、「法句経」はエベレストのようだ。たくさんの山々があるが、どの山もエベレストの高みには達していない。Osho「私が愛した本」p70

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コメント

suganokeiさん

私の手元にも中村訳岩波文庫スッタニパータ「ブッダのことば」があります。奥付のメモを見ると、私はこの本を「ダンマパダ」と同じ76年4月頃読んだようです。

この一連の「ブッダのことば」は、当時の私にとっては、ブッタ直々の言葉には思えませんでした。もしこれらの本に満足できていたなら、その直後に、本物のブッダを求めてインドに旅することはなかったと思われます。

素晴らしい経典は数々あれど、それを生きている存在は、そう多くないようです。

投稿: Bhavesh | 2009/07/10 14:58

ダンマパダも好きですが、スッタニパータがさらに好きで、岩波文庫の中村元氏訳のものを時にめくっております。

投稿: suganokei | 2009/07/10 14:15

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