思考・発想にパソコンを使うな
「思考・発想にパソコンを使うな」 「知」の手書きノートづくり
増田剛己 2009/05 幻冬舎 新書 231p
Vol.2 No701★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★☆☆☆
そもそも、よそ様から、しろ、とか、するな、とか言われるのは好きではないが、ましてや「パソコンを使うな」という御命令には承服しかねる。幻冬舎特有の受けを狙ったタイトルと企画であるのだろうから、いちいち文句をいうほどでもないが、このタイトルはどうしても好きにはなれない。
そもそもパソコン、と一言で区切ってしまうことは、かなりデジタル過ぎないか? アナログ世界の住人を気取るなら、パソコン使用もそうとうにアナログな分野に及んでいることを忘れてはいけない。私のような、自分でも読めないような悪筆の持ち主にとっては、パソコンやワープロは救世主である。あとは、アナログ的に使うことだって、充分できる。
デジタル・ハリウッドの杉山知之などは「何か考えをまとめなくてはならないとき、まずパワポを立ち上げる」とまでアドバイスしている。私はこちらのほうに基本的に賛成である。ただし、パワーポイントは、すこし重厚すぎるので、私の場合は、エクセルを立ち上げることにしている。
エクセルを立ち上げ、とにかく、中央のマスにひとつのキーワードを書く。そしてランダムに単語を書いていき、ある程度の数になったら、コピー&ペーストでグループ分けにする。あとは、文字を大きくしたり、色づけしたり、時系列に並べたり、時には削除する。この一人ブレーンストーミングで、かなり自らの思考や発想は整理できるし、新しいアイディアもたくさん生まれる。
著者の言わんとするところは、インターネットでお気軽に借りてきたりするなよ、という意味であろうが、道具は道具、もともと中身のない人なら、パソコンを使おうが使うまいが、いいアイディアなどでるはずがない。逆も真なり。中身があれば、パソコンだろうが、スーパーコンピュータだろうが、手作りだろうが、足作りだろうが、よい思考や発想には恵まれる。
「ノートとブログはまったく別物」p65なんて、分かり切っている論旨を展開しているが、そもそも、日記だろうがノートだろうが、三日坊主で終わる人も多くいる。かくいう私もその口だが、パソコン、ワープロ、インターネット、ブログ、SNSだからこそ長続きしたなんて報告もたくさんある。受けを狙ったタイトルはタイトルとして、受けを狙ったようなインターネット批判やパソコン蔑視に聞こえるような発言なら、私はあまり歓迎しない。
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