ヒンドゥーの聖地
「ヒンドゥーの聖地」 世界歴史の旅
立川武蔵 /大村次郷 2009/03月 山川出版社 全集・双書 122p
Vol.2 No.698★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
異なる言語を話し、異なる民族に属する人びとが、インド亜大陸においてこれほどの長期間にわたって「インド主義」とでも呼ぶべきことのできる一つの文化的伝統をつくりあげてきた。その伝統を「ヒンドゥー教(ヒンドゥーイズム)」あるいは「インド教」という。「ヒンドゥー」という語は、河、とくにインダス河を意味した「シンドゥ(Sindhu)という語がペルシアに伝えられてインドを意味する語となり、あらたに英語の「ヒンドゥー(Hindu)」となってインド教徒すなわちヒンドゥー教徒を意味することになったと考えられる。
このように、「ヒンドゥー教」という語をインド主義というような広義に用いるほかに狭義で用いることがある。ヴェーダの宗教を「バラモン教」と呼び、ひとたび衰退した「ヴェーダの宗教」が後世、仏教などの非アーリア的諸要素を吸収して新しく生まれ変わった形態を狭義の「ヒンドゥー教(ヒンディズム)」と呼ぶことがある。今日では、後者つまり狭義の用い方が一般的である。 p6
アイヌとは、アイヌの人々が使っている「人間」という意味であり、アイヌ民族と外部から呼ばれたとしても、彼らは自らを人間(アイヌ)と言っているだけなのである。ネイティブ・アメリカンとか、アメリカ・インディアン、などの呼称もさまざまな経緯があれ、やはり、それは外部から見た場合に、そのようなネーミングが必要となっただけなのである。
ヒンドゥー(インド)の人々にとって、神は神なのであって、「ヒンドゥー教」の神ではないはずなのである。ヒンドゥー教の聖地、という言葉自体、すでに、その聖地を外部から見ているよそ者の姿がありありと浮かんでくる。おなじ立川武蔵の本「ヒンドゥー教巡礼」をめくったときも、そのタイトルを見た時から、すぐに、ああ、この人はヒンドゥー(インド)の外の人なのだな、と気がついた。
この人にとっては、ヒンドゥーの神も、聖地も、巡礼も、すべて自分の外部に存在するものであり、ヒンドゥーの神々を廻ったところで、その神々と出会うことはないのではなかろうか、と思った。いや、神にヒンドゥーもキリスト教も、仏教もないのだ。ヒンドゥーの神々だけではなく、この人は、神そのものに距離感を感じているはずだと直感する。
リンガ・ヨーニ。リンガ男根を、ヨーニは女陰を意味する。リンガ・ヨーニとは、男性原理と女性原理の統一をあらわしている。シヴァはそれを具現していると信じられている。ハリドワール。p17
シヴァ神のシンボルを男根+女陰である、などと言ったら、ヒンドゥー(インド)の人々は逆上にするに違いない。彼らはそんなセックス・シンボルを「信じて」崇拝しているかのように誤解されてしまうだろう。この辺の感覚は、百万語を尽くして説明してもヒンドゥー(インド)ならざるものには、理解不能なのだ。外側だけ見て、神とか、聖地とか、巡礼とか、自らの皮相さをカモフラージュすればするほど、物事は本質からどんどん遠ざかっていく。
プネーおよびムンバイを中心とする地域はマハラシュトラ州のなかでもサンスクリット文化が色濃く残っているところである。プネー市北端にはインドでもっとも古いカレッジ(大学)に一つデカン・カレッジがあり、ここでは国家プロジェクトとして梵英辞典の編纂が続けられている。p81
著者は、70年代からプネーを訪ねているので、各著書においてインドというとお決まりのようにプネーが話題となる。行きがかり上、著者の本を見つけると、すぐに通行人に付きまとうヒンドゥー(インド)のバクシーシー坊やのようなってしまって、思いっきりからかいたくなる当ブログではある(笑)。
この本、今年の3月発行の本だが、現在、愛知学院大学の教授となっている。そういえば「スピリチュアリティの社会学」の著者と同じところのようだ。
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