神の詩―バガヴァッド・ギーター<2>
<1>よりつづく
「神の詩(うた)」―バガヴァッド・ギーター <2>
田中嫺玉 (翻訳) 1988/06 三学出版 単行本: 276p
Vol.2 No.697★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
この本、新装版が最近発売されたので、すでに店頭で手にしてひととおり目を通しておいた。だが、せっかく旧版が図書館にあるので、先日リクエストしておいたら、少し遅れてようやく私の番になった。新装版に比して質素で素朴なイメージ。ネット上にも新装版についての情報は多いが旧版の表紙さえ画像を確保できない。発行がすでに21年前ということになるからしかたないか。
この本を読むきっかけは、もちろんOshoの「私が愛した本」の初日からバガヴァッド・ギーターが登場しているからであり、また先日、数多いギータ本の中のこの本を紹介してくれる人があったからである。
「市場での瞑想ということのエッセンスがギータの中にあるのじゃないかというインスピレーションを最近得ました。」
さて、「市場での瞑想」という意味合いの付きあわせはともかくとして、ギータを読んで「市場での瞑想」につながるものだろうか、と、ちょっと疑問ではあった。当ブログのスタートとともに数年前に始まった私の個人的な、そそっかしい読書では、なかなかバガヴァッド・ギーターを読む解くことはできない。
滅敵の勇者 アルジュナよ
この至上智の道を信じない者たちは
わたしのもとに来ることができず
生死反復の物質界に戻っていく
非顕現のわたしのなかに
この全宇宙はひろがっている
全ての存在はわたしのなかにあり
わたしが彼らのなかにあるのではない
だが万物が物質としてわが内にあるのではない
これは至聖不可思議の秘密力なのだ
わたしは全生物の維持者であらゆる処にいるが
宇宙現象の一部ではなく創造の源泉なのだ
世界の至る処に動いている大気は
常にエーテル空間のなかにある
それと同じような関係で
万物はわたしのなかにあるのだ p138
私の読書力では、このギータから「市場での瞑想」(私なりの意味合いでだが)を見つけることは困難である。むしろ、市場での瞑想というなら、昨日読んだ「Zen Flesh, Zen Bones」のほうがインスピレーションが強かった。とくに偶然拾った動画の主がウィリアム・リードという人物。ゲリラマーケティング公式トレーナーという立場で「マインドマップ・ノート術」や「お客の心に飛び込め!実践ゲリラ・マーケティング入門」などの著書があるらしい。
アメリカ・ミズリー州生まれで、高校生の時に「Zen Flesh, Zen Bones」を読み、大卒後、日本にやってきて、合氣道は現在七段、書道も師範の資格を持つ、というこのキャラクター。マーケティングのトレーニングを受け、現在は優れたトレーニングマスターになっているという。なんだか私の中の「市場での瞑想」のイメージには、こちらのほうが近い。
昨日、この本と一緒に借りてきたのは、世界歴史の旅シリーズの「ヒンドゥーの聖地」。ムック形式のきれいなカラー写真満載の一冊だが、文章は立川武蔵が書いている。バガヴァッド・ギーターといい、ヒンドゥーの世界といい、エキゾチックな旅情はそそられるが、生きていくべきわが道とは、ちょっと思えない。
いつ果てるとも知れない迷宮に入りこんでしまったような当ブログだが、それを迷いと言ってしまうか、彷徨そのものを楽しんで今を生きていると言うのかでは、今後の展開に大きな違いがでてくる。しかし、もし当ブログが収束する方向性がでてくるのだとしたら、この本を読んだことがひとつのきっかけになってくれた、という時がくれるかもしれない。
比較するのもなんだが、ヒンドゥーではなくて、私に身近ななのはむしろZENなのだなぁ、と痛感した。漢字で書くところの「禅」でもなさそうだ。ZENのほうが親しみやすい。そんなことを思っていたら、最近はすっかりお休みしている「Osho最後の講話録・ZENシリーズ」を思い出してしまった。
とは言え「私が愛した本・東洋哲学(インド)」編」でOshoは、ZENをはるかに凌駕する大量のヒンドゥー(インド)本に触れており、やはり、こちらもひととおり消化してからじゃないと、当ブログは収束することはできないのだな、と、ちょっとため息がでた。
正しくない宗教や信仰を正しいと考え
正しい宗教や信仰を正しくないと思い
妄想と無知に支配されて常に悪へと向かう
そのような知性はタマスである
プリターの息子よ
ヨーガの修行によって確固不動となり
心と生命力と諸感覚を自ら支配する
その決意はサットワである
しかし アルジュナよ
宗教においても経済活動においても
名誉と利益を得ようとして奮闘努力し
感覚的満足を追求する決意はラジャスである p260
この本、新装本をめくった時は気がつかなかったが、旧版では、おおえまさのりが巻頭において「神への恋を超えて---『ギーター』の今日的意味---」という推薦文を書いている。
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