ミケランジェロの生涯―苦悩と歓喜
「ミケランジェロの生涯」―苦悩と歓喜
アーヴィング・ストーン (著), 新庄 哲夫 (翻訳) 1966/02 二見書房 486ページ
Vol.2 No729★★☆☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
今日の私の2番目の本の本もアーヴィング・ストーンによるものだ。私がそれを2番目に挙げるのは、それが二番手だからだ。「生への渇望」ほどの質はない。それは「苦悩と歓喜(邦題「ミケランジェロの生涯」)だ。同じようにまた、もうひとりの人の生涯にもとづいたものだ。おそらくストーンは、もうひとつの「生への渇望」を生み出すことができると思ったのだろうが、彼は失敗した。失敗にも関わらず、この本は第2位だ---他のどの本でもなく、彼自身の本に次いで。芸術家や、詩人や、画家の生涯について書かれた何百という小説があるが、そのうちの1冊も、1番目の本に言うに及ばず、この2番目の本の高みにすら達しているものはない。両方ともすばらしいが、最初の本には超越的な美がある。
2番目の本は若干低くなる。だがそれはアーヴィング・ストーンの咎ではない。「生への渇望」のような本を書いたとなれば、普通の人間なら、本能的に、同じ程度のものを書くために、自分で自分を模倣したくなる。だが模倣した瞬間、それはもう同じものではありえない。「渇望」を書いた時には、彼は模倣していなかった。彼は処女地にいた。「苦悩と歓喜」を書いた時には、彼は自分自身を模倣した。これこそは最悪の模倣だ。浴室では、鏡を眺めながら誰もがそれをやる・・・・彼の2番目の本を読んで感じられるのはこれだ。だがたとえ鏡に映った姿にすぎないものであっても、それは何がしかの真実を映し出していると言おう。だからこの本を挙げておく。(略)
ミケランジェロ? 偉大な生涯だ・・・・・それならストーンの見逃しているものは大きい。ゴーギャンならまああれでもよかっただろうが、ミケランジェロとなると、残念だが、私でもストーンを許すわけにはいかない。しかしすばらしく書いている。彼の散文は詩のようだ。2番目の本が「生への渇望」と同じような質の本ではないとしても、それがそうでありえない理由は簡単だ。ヴィンセント・ファン・ゴッホのような人間がいなかったからだ・・・・・このオランダ人はまさに無類だった! 彼は独り立っている。満点の星の下に、彼はひとり離れて、彼だけの独特のやりかたで輝いている。この男についてなら偉大な本を書くことは容易だ。そしてミケランジェロについてもそうだったはずだが、ストーンは自分を模倣しようとした。だから失敗した。決して模倣者になってはいけない。、後ろについてはいけない・・・・・たとえ自分自身の後ろでも。 Osho「私が愛した本」p182
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コメント
実はこの本、あまり詳しく読んでいない。そのうち、再読だな。
投稿: Bhavesh | 2018/08/18 20:11