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2009/07/15

The Life of Marpa the Translator<3>

<2>よりつづく 

Marpa
「The Life of Marpa the Translator」 <3>
Chogyam Trungpa (著) 1995/6/18  出版社: Shambhala; Reissue版 言語 英語, チベット語

 当ブログにおけるチベット密教(タントラ)への接近は、必ずしも一元的ではない。ネット上における読書ブログ、という性格上、偶然性と恣意性が渾然としており、当ブログが文字として加工されたものに対する私的なコメントを骨格として成立している限り、当然と言えば当然の結果である。しかしながら、チベット密教(タントラ)に言及している部分は多くあり、この「マルパ」をめくる機会を得たことにより、多少は全体を俯瞰しておく必要があるだろう。

 1)インターネット上のブログ機能ありき、から始まった当ブログは、ネタ探しを図書館のなかに求め、次第に読書ブログとして、手当たりしだい読書日記を書き始めることになった。その初期的な段階で意表を突かれたのはツルティム・ケサン&正木晃「チベット密教」という小さな本であった。この本はのちに増補版がでることになり、巻末にあった「さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」を手掛かりに読書をすすめ、2.3のレア本を除いて、ほぼその書籍の存在を確認し、なにはともあれめくってみることができた。

 2)一方、NHKテレビの 「週刊ブックレビュー」で紹介していた「さよなら、サイレント・ネイビー」をきっかけに、それまで10年間以上も直視することをさけてきたともいえる麻原集団事件について、もういちど捉えなおしてみようということで、図書館の開架書庫にある程度の本は、一通り目を通してみた。その結果は「麻原集団事件」関連リストとしてまとめておいた。拙速ぎみだが、個人的な結論としては佐木隆三「慟哭 小説・林郁夫裁判」をもってそのソーカツの頂点としたい。

 3)さて、その麻原集団を追証するなかで、気になったのが中沢新一と島田裕巳のお二方。中沢はチベット密教の修行者の立場から「虹の階梯」を著し一大ブームを作りだした大きな存在だが、その一連の著書は麻原集団存在の礎となっているとさえみられているし、自らもそれを意識した節がないでもない。一連の著書を追っかけて「中沢新一関連リスト」にまとめておいたが、芸術人類学、とやらに逃げ込みつつある現在の中沢は、以前より彼の動向を注視している人びとにとっては、いまだに釈然としないものを抱えたままである。

 4)一方の島田は、宗教やチベット密教に対する深い造指はもっていないものの、宗教学者として雑誌の取材などを通じて麻原集団にたいする決定的な誤報を発したりしたものだから、社会的なバッシングを受け、時代の話題の人となった。彼の一連の著書は人名索引「し」の欄の島田裕巳リストにまとめておいた。彼の最近の特定宗教集団にたいする研究は特段当ブログの関心ではないが、近著「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」については、今後の展開や中沢からの反論ありやなしやを含め、要注目ではある。ただ問題の本質がどこに向かうかは定かではない。

 5)さて、まったく別な角度から、当ブログは「アガルタ幻想」に付きまとわれてきた。一連の読書は「アガルタ探検隊「必携本」を探せ(暫定版)」にまとめておいたが、たんにごちゃまぜの観はいなめない。このごちゃまぜをもう一段深く読み解くには、グルジェフクリシュナムルティのさらに以前のムーブメント、19~20世紀の神智学やエソテリックな流れのなかからもう一度光を当てなおさなければ、仔細は見えてこない。「オムマニマドメフム」のマントラを唱えつつ歩む必要がある。

 6)チベット密教に対する現代人の関心はまた別な角度からも強いものがあり、たとえば「チベット死者の書」などは、万人ひとしく対峙せざるを得ない死の問題に対する、東洋的ソリューションのひとつとして、近年とみに注目されている。この本にはさまざまヴァージョンがあり、当ブログとしてはまだ十分めくり切れていないが、文献的な探究よりも、自らの瞑想の進化状況と合わせながら読み進めていかなくてはならない。近年の茂木健一郎の一連の著書なども、こちら側から眺めなおせば、見るべき点もある。

 7)さて、そもそも私がOshoと出会ったのは「存在の詩」であり、 最初の最初から、チベット密教の真髄からの呼びかけが続いていたのだ、ということを再認識する必要がある。マハムドラーとか、あるいはゾクチェンなどと呼ばれるそのenlightenmentの境地は、必ずしもチベット文化を離れて存在しないものではないが、具体的な地球上の存在としての顕現がヒマラヤの山中深く存在したことを私たちは大いに喜ぶべきである。

 この他、杉山正明史観などによるモンゴル側からのチベット観などもたよりにしながら、当ブログにおけるチベット密教(タントラ)に対する探究は続いてきた。あるいは、チベット密教の象徴的存在であるダライ・ラマ17世の近況、そして「隣国」中国との切迫した政治状況もある。、これらの中にあって、ポツンと「翻訳官マルパの人生」をここで読むということは、ひとりマルパに思いを馳せればそれでよい、ということにはならない。

The Taming of Milarepa

 In Tibet, Marpa settled down to his life as teacher, farmer, businessman, husband, and father. It was during this time that he put his chief disciple Milarepa through the arduous trial of building towers in order to purify him of his previous evil deeds and make him a worthy vessel for the teacings. pxlv

 マルパとミラレパの有名なくだりだが、この時点で、マルパは教師であり、農業者であり、ビジネスマンであり、夫であり、そして父親だった。マルパの生涯をイメージする時に、どうしてもマルパの俗人性が気になるところであるが、このようなミラレパとの対比によるところが大きいであろう。少なくともここでtamingという言葉が使われているのは興味深い。十牛図の5番「牧牛」の英語的表現では Taming the Bull や Taming the OX として、taming という単語が使われている。

 巻末に用語集がついており、300弱のチベット語を中心とした単語が解釈されている。独特な発音記号などがあるので、正確には転記できないが、aの項目にあるアビシェーカは、一般に潅頂とかイニシエーションと言われているが、次のように説明されている。

abhiseka

(T: dbang-skur ; a sprinkling, anointment, empowerment, or initiation) A ceremony in which a student is ritually entered into a mandala of a particular tantric deity by his vajra master. He is thus empowered to practice the sadhana of that deity. In anuttarayogayana there are four principal abhisekas:

(1) vase abhiseka (kalasabhiseka), which includes the abhisekas of the five buddha families: water(vajra), crown(ratna), vajra(padma), bell(karma), and name(buddha);

(2) secret abhiseka(guhyabhiseka);

(3) prajnajnana-abhiseka; and

(4) fourth abhiseka(caturthabhiseka).

 An abhiseka is usuall  accompanied by a reading transmission (T; lung) and instructions(T: khrid). The lung authorized the student to read and practice the text. The tri is the mastar's oral instructions on how to practice. See also reading transmission. P211

<4>につづく

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