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2009/07/08

Three Pillars of Zen<2>

<1>よりつづく

Zen3
「Three Pillars of Zen」: Teaching, Practice, and Enlightenment<2>
by Roshi P. Kapleau (Author) February
7, 1980 Publisher: Anchor; Paperback 400 pages Rev. and expanded ed edition Language: English

  While the organaization of book follows the natural pattern of teaching, practice, and enlightenment, each section is complete in itself and can be read at random according to the reader's taste. p.xviiii

 まえ書きにこのようにある限り、気になったところをアトランダムに読み進めても、特に問題はないだろう。前回<1>で感じた疑問は、Osho「私が愛した本」の編集関係者のコメントもあって、すこし溶解してきた。

1)この本の著者はやはり男性で、この本と類似の本にNANCY WILSON ROSS という女性が書いた"THE WORLD OF ZEN"という本があることがわかった。こちらはなるほどナンシーという名前からして女性の著書のようである。彼女の本も図書館にあるので、そのうち別途目を通してみようと思う。

2)英語本にはいいろいろなヴァージョンがあることはよくあることで、少なくとも現在自分の手元にある本が、特別な乱丁落丁本でもないかぎり、このまま定本として読み進めてかまわないだろう。

3)Zenの経験があるかないか、という問いは、狭義的に考えれば、正確にはなかなか難しいものがあるが、広義的には当然のことながら、著者のKapleau老師はZen体験がある、と判断すべきであろう。ナンシー・ウィルソン・ロスについては、彼女の本を読んだ時にわかるであろう。 

4)老師、という尊称はその道においてはみだりに使われる言葉ではないのかもしれないが、その道ならざる外部の人間にとっては、熟達した指導者、というようなニュアンスに聞こえる。欧米におけるZen布教の中、老師 P. Kapleauと自称他称することの重要性はその道の人にしかわからない価値あるものであるのだろう。

5) 著者が挙げた「禅の三本柱」とはなにか。それは本のサブタイトルにもなっているteaching, practice, and enlightenment,と考えていいだろう。門外漢のそそっかしい早とちりになりそうではあるが、それは、教え、実践、悟り、という言葉に置き換えてもよさそうだ。最初、仏法僧、ではないだろうという予測が湧いたが、当ブログは当ブログなりに、むしろこの言葉に引き寄せて考えてみたほうがよさそうだ、と思う。

 さて、<1>において感じたごく初期的な疑問は、ほとんどが溶けてしまったが、あえて、ここから話題にすべきことがあるとすれば、5)のテーマに尽きると思う。

 ある時、禅寺寺の和尚に質問したことがある。
 「よく一般に、仏法僧といわれますが、この順番が違ってくるということはあるでしょうか」
 この質問で私が意図したことは、当時Oshoはいわゆるガーチャーミイを始めていて、その順序が、ブッダム、サンガム、ダンマム、つまり仏僧法の順序になっていたので、それが、どうも私には座りが悪いので、整理しておきたかったのである。

 誠実なお人柄であるK和尚は、しばし沈黙されたあと、「それはどの順番でもいいのです」とお答えになった。つまり、仏の陰には法と僧があり、法の陰には仏と僧があり、僧の陰には仏と法があります。それは三つあるのではなく、ひとつのことの三つの面にすぎないのです。そのような内容であったと記憶する。

 K和尚は、79年にインドから帰ってきたときに、温かく迎えてくれた若き和尚の御尊父であり、その寺の道場にも数々お世話になった。私はこの時から、あまりこの問題には拘泥しなくなったが、それでもやはり印象に残っているので、いまだに忘れることができない。

 この本において、Kapleau老師の使うteaching, practice, and enlightenmentという言葉を、いきなり仏法僧に置き換えるのはいかがとは思うが、Three Pillars of Zenと言われる限り、出来る限り自分の理解しやすいように整理したくなるのは、当ブログの性癖である。

 もしこの単語を使うとすれば、ここで言われているのは、ダンマム(法)、サンガム(僧)、ブッダム(仏)という順番である、ということになり、和尚の言葉をたよりにする限り、この言葉の並びにも、特に問題はない。

 さて、ここでOshoが異空間軸から禅ステッィクを打ちすえているとすると、問題は、このThree Pillars of  Zenとしたところにあるのだろう。よく鼎(かなえ)という文字がつかわれ、その形からも三本足の台を連想するし、3人で話しあいをすることを鼎談ともいう。つまり、トリオや三人組の類だ。ここに問題があるのだろう。

 30年前のK和尚の答えは素晴らしかった。三つではなくて、一つなのだ、ということで私の迷いは去った。しかし、考える。いま、ここでOshoに同じ質問をしたら、その答えは別なものになるのではないだろうか。

  「Bhavesh そこには三つも一つもないのだ。それはないのだ。それがZENだ。」

 

     喝

.

<3>につづく

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