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2009/07/10

Three Pillars of Zen<4>

<3>よりつづく 

Zen3
「Three Pillars of Zen」: Teaching, Practice, and Enlightenment<4
by Roshi P. Kapleau (Author) February
7, 1980 Publisher: Anchor; Paperback 400 pages Rev. and expanded ed edition Language: English

 そもそも当ブログがOshoの「私が愛した本」に突入したのは、最初からの予定ではなかった。最初は、まずインターネットありきで、その中で積極的に関与するとすれば、ブログという機能が今日的であろうと、その利用を考えた。しかしそのブログも、個人的なプロフィール情報を書き込むだけでは、すぐにネタ不足になるし、モチベーションが維持できない。

 その時にふと思いついたのが図書館利用と読書ブログとしてのインターネット活用であった。その方針はわりとスムーズに路線に入っていったと言える。最初手当たりしだいに図書館の新着コーナーに手を出しながら、開架図書をめくっているうちに、いくつかの気になるキーワードに出会うことになった。

 その一つが「マルチチュード」だった。その概念も興味深かったし、取り上げられ方もちょっと刺激的に思えた。しかし、その流れにはどこか底が浅い部分があり、いつかは書物類の流れも途絶え始まった。その頃、マルチチュードの思想的背景にあるスピノザなどの西洋哲学などにも食指を伸ばし、ちらちら図書館から借り出しては眼を通してみた。

 その頃、Oshoも西洋哲学に言及していることを思い出し、「私が愛した本」を引用するようになった。だから当ブログ的には、最初は西洋哲学的な展開が一気に深化すると思われたが、次第に「私が愛した本」の流れに沿った動きが目立つようになってきた。もともとOshoのサニヤシンであってみれば、当然の流れであったようでもあるし、意図せずこのよう流れになったように感じる自分としては、ちょっと意外な気分でもある。

 Oshoはこの本の168冊を最初は、ニーチェの「ツァラトウストラかく語りき」から始めている。西洋哲学的には、ニーチェを最初に登場させるというのは、よく在る手の話であろうし、途中でウィトゲンシュタインを盛んに取り上げるあたり、西洋哲学の流れを意識していることは間違いない。

 しかし、Oshoはこのシリーズ三日目において、ニーチェから始めたこのシリーズのトップの位置を「信心銘」僧燦(そうさん)に譲るよう指示した。このシリーズが、168冊めのアラン・ワッツの「タブーの書」で終わり、このシリーズすべてがアラン・ワッツの思い出に捧げられることになって、ようやく全体像が見えるようになった。

 1冊目の僧燦による「信心銘」から、最後の1冊アラン・ワッツの「本」まで、時には私たちの既知の著者から、時には聞いたこともないような神秘家や詩人の珍しい贈り物を選んで、和尚は私たちを比類なき発見の旅へと連れていく。「私が愛した本」p5「前書き」スワミ・アナンド・アデャーパ

 最初この前書きを読んだ時には、すこし違和感があった。一番はニーチェの「ツァラトウストラ」であるべきだろう、というような、自分なりの期待感があった。三祖僧燦という存在がそれほど身近になかったせいもあるだろう。しかし、ここまで当ブログが読み込んできた過程において、なるほど、あの本のトップはやはり僧燦がふさわしいのだ、と思えるようになってきた。 

 In his The Way of Zen , Alan Watts even tries to prove, by citing portion of a well-known diaglogue, that the Zen masters themselves have impugned sitting. Three Pillars of Zen」p23

 ここでいきなりアラン・ワッツが登場し、「エスリンとアメリカの覚醒」で登場していたワッツといきなりリンクし始めた。当ブログでは、ワッツの本は、2冊しか読んでいないが、「タブーの書」日本語訳の巻末には、この本の他に23冊ほどの英書が紹介されている。いつかはこれらをめくってみようと思い始めた時、Oshoの「私が愛した本」のトップはやはり僧燦なのだ、と、すとんと腑に落ちた。

 マルチチュード的な展開へとつながっていくなら、ニーチェの方が収まりがいい。だがOshoはその伏線を使いながら、僧燦 → ワッツ、という一貫したZenの流れを作っていた。いや作っていたというより、自由闊達な世界に生きていれば、自然とその流れになるのは、当たり前、ということになるだろうか。

 この本「Three Pillars of Zen」は、道元や曹洞禅などを具体的な老師などを登場させながら、具体的な座禅の方法を図示する。巻末のイラストいりの座禅の方法などは、20世紀の欧米人ならずとも、日本人の初心者にとっても、必要不可欠な座禅要心記になっている。その説明が懇切丁寧であればあるほど、この本の必要性とこの本の限界性が次第に明らかになる。とくに、いきなり、「臨済録」などと並べて見たときに、ここで語られているZenとは一体なんだ、と、問い直したくなってくる。

<5>につづく

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