Three Pillars of Zen<1>
「Three Pillars of Zen」: Teaching, Practice, and Enlightenment<1>
by Roshi P. Kapleau (Author) February 7, 1980 Publisher: Anchor; Paperback 400 pages Rev. and expanded ed edition Language: English
Vol.2 No704★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
5番目。私の前には実にたくさんの本が立ち塞がっており、選ぶのは非常にむずかしい。だが私は、ロスの「禅の三本柱」を選ぶ。禅を最もよく知っていた鈴木を含めて、たくさんの人たちが禅について書いている。だが「禅の三本柱」は、禅について書かれた最も美しい本だ。私が「について」と強調しているのを覚えておきなさい。なぜならロスには禅の経験がないからだ。実際その方がかえって驚くべきことだ。何の経験もなく、ただ本から学び日本の寺を訪れることで、彼女はひとつの傑作を書きあげた。
禅には三本の柱などない。一本の柱すらない。禅には柱はない。それは寺院ではない。それは純粋な非ー物ー性だ。それは柱などまったく必要としない。彼女がこの本をもう一度出版するなら、タイトルを変えるべきだ。「禅の三本柱」はもっともらしく見えるが、それは禅の精神にとって真実ではない。だがこの書は、きわめて科学的な方法で書かれている。禅を知的に理解しようとする者には、これ以上の本は見つけられない。Osho「私が愛した本」p238
いくつかの疑問がある。まず、このOshoの言及でこの本の著者が女性であろうと察するのだが、この名前で検索すると、僧衣姿の欧米人が登場する。この人物が著者なのであろうか。あるいは別人か。そこのところがまだ分からない。
二つ目。この本のタイトルで検索するとさまざまなヴァージョンが出てくる。紀伊半島の図書館から私のもとにやってきてくれたのは、このページに借用した本と同じデザインの本であったが、色が違う。黄色、ないしは黄土色だ。ちょっと光に焼けたようなイメージもあるので、ひょとするともとは青だったのかもしれないが、やっぱり別ヴァージョンである、と言えないこともない。
三つ目。Oshoは「ロスは禅の経験がない」と表現しているが、巻頭言は1964年12月8日に鎌倉で書かれたことになっているし、本書後半には、十牛図の素晴らしい墨絵とともに、座禅の方法が具体的なイラストつきで説明されている。ここまで書いておいて、自分で座禅をしない、ということはないのではないだろうか。
四つ目。名前が安定しない。ロスならRossとなるだろうに、Roshi Philip Kapleauとなっている。ひょっとすると、これって「老師」という尊称なのではないだろうか。自分で老師とは名付けないだろうから、なんらかの修行を終えたあとに贈られた称号なのではないだろうか。
五つ目。著者が挙げた「禅の三本柱」とはなにか。仏法僧、ではないだろうという予測が湧いてくる。そして、それはそうではない、というOshoの言わんとしていることはなにか。
ほとんど予備知識のないまま、まずは一番最初の印象だけをメモしておいて、次第にひも解いてみようと思う。
| 固定リンク
「48)意識とは何か」カテゴリの記事
- This Is It<2> & The Supreme Doctrine <2>(2009.08.23)
- 論理哲学論考(2009.08.14)
- The Supreme Doctrine <1>(2009.08.13)
- This Is It <1>(2009.08.13)
- Maxims for Revolutionaries(2009.08.12)
コメント
小森さん
コメントありがとうございます。
やはり、そうでしたか。
NANCY WILSON ROSSの著書も近くの図書館に複数入っていますので、チャンスがあったら、めくってみたいと思います。
マルセルとカミュのことについても、ずっと気になっていました。
この辺のことが分かって、これで一段とOsho「私が愛した本」を読む楽しみが増した感じます。
(◎´∀`)ノ
投稿: Bhavesh | 2009/07/06 09:04
bhaveshさん こんにちは。
この本について和尚が言っているのは、
NANCY WILSON ROSS という女性が書いた
"THE WORLD OF ZEN"
の方が正しいタイトルのようで、それとこの
"THREE PILLARS OF ZEN"
を混同しているようですね。
「シーシュポスの神話」をマルセルだと言ったり(正しくはカミュ)いくつか間違いが散見されますね。
投稿: 小森 | 2009/07/06 01:07