聖アウグスティヌス 告白<3>
<2>からつづく
「聖アウグスティヌス 告白〈下〉」 <3>
服部 英次郎 (翻訳) 2006/07 岩波書店 文庫 302p 初版1976/12 第22刷1997/07を読んだ
Vol.2 No756★★★☆☆ ★★☆☆☆ ★★☆☆☆
正直に告白しておこう。この本を読むのはつらい。上下2巻なので、なんとか上巻は読み進んだが、下巻はさらにアクグスティヌスの「本性」があらわになり、読み進めるのがつらい。いや、読むこと自体は、むしろ上巻よりさらにストレートな物言いになり、スラスラと読むことができる。そして、アウグスティヌスがそのように考えた、ということは4~5世紀の人でもあり、歴史的な書物としては、当然と言えば当然、というところがある。
しかし、読み進めていくにつれて、普段の生活の中ではあまり意識することがなかった、周囲のクリスチャンの人々を、折に触れて思い出してしまうことには、ちょっと辟易した。現代は信仰の自由があり、誰がどのような信条のもとに生きているかは、こちらへの押しつけが強かったり、あまりに狂信的である、ということを知らずに済むなら、なんの問題もなく付き合っていける。
ああ、それなのにそれなのに・・・。アウグスティヌスを読みながら、あの人、この人、いろいろな周囲のクリスチャンを思い出してしまった。ひとことでキリスト者と言っても、さまざまな流れがある。カトリック、プロテスタント、カルト的集団、無教会派、実にさまざまな流れがある。この人々の、その精神的な契機はさまざまあり、、もちろん一つ事でないことは分かる。しかし、一旦、主、とか、キリスト、とか、天、とかいう用語に面した時の、彼らの心がどのように動いているのか、そんなことは普段は考えたことはないのだが、それを想像すると、なんとも、文庫本を一冊読み進める、という簡単な行為さえ、できなくなった。視線が宙をさまよう。
もうここに一人一人をメモすることは止めよう、そして、いちいち思い出すのもやめよう。彼らの人生には彼らの人生がある。それらのドラマやカルマやテーマがそれぞれにあるだろう。ここは軽くスルーしてしまおう。少なくとも、アウグスティヌスの徹底した「告白」は、微に入り、細に入り、心の動きを描いているので、あれこれ想像力を刺激してくれる。
Oshoがどのように言っているのか、気になるが、これがなんとも長文だ。別建てで転記しておこうかと思ったり、部分引用でとどめようか、と思ったり、こちらのほうもなんとも方針が定まらない。
これは本当ではない。どんな人間にもあらゆる罪を犯すことはできない。どんな人間にも、神自身さえ、そんな能力はない。神など言うにも及ばない・・・・当の悪魔でさえ、アウグスティヌスが告白しているように悪を楽しむにはどうしたらいいのか、と考え始めるに違いない。アウグスティヌスは誇張している。Osho「私が愛した本」p216
本当のことを言えば、もうアウグスティヌスのことは、もうどうでもいい。だが、どうも私の中に喚起された身近なキリスト者たちが、なんだかモゾモゾと動き出して始めてしまった。忘れていたかった。知らないままでいて構わなかった。無視しておこう、と思っていた。なんだか、でも、それはまずいのではないか、と、罪悪感さえうごめきだした。
「告白」は、嘘の傑作だ。それは嘘でいっぱいだ。だがこの男は、自分の仕事をほぼ完璧にやった。私がほぼというのは、誰かがその仕事をもっとうまくやる可能性は常に存在するからだ。だが彼はそれを99パーセント完璧にやった。他の誰かに、もうあまり余地は残されていない。Osho「私が愛した本」p217
聖書や教義が、壮大なフィクションであるとしても、それを真実として受け入れ、その世界にハマり切るほどに、彼らはみずからの「罪」にさい悩まされていたとして、それしか解決方法はなかったのか。そして、その壮大なフィクションで問題は解決したのか。
ガンになってから、教会で葬式を上げてもらうために、クリスチャンになった人。子育てや夫婦関係に悩んで教会に通うようになった人。知らず知らずにカルト的な人間関係を拡大していった人。圧力的な父親の存在に反抗するように教会活動に専念する人。ホスピストとして教会経営の病院で亡くなった人。職場として関係施設に就職した人。結婚式のために、聖職者に式を上げてもらった人。幼稚園や大学、学校施設がたまたまキリスト系だったとして、軽く利用する人。クリスマスだからと言って、ケーキを売る人、食べる人。いろいろいていいのだろう。
だが、どうも私の中で撹拌されて浮上してしてきてしまった友人知人たちが、なんだか落ち着く場所もないまま、浮揚し始めてしまった。この結末、どうなるのだろう。
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