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2009/08/20

私が愛した本<38> トルストイ「復活」

<37>からつづく

Photo  
「私が愛した本」 <38>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p

トルストイ「復活」

 三番目。ヘフ・トルストイの「復活」だ。その全生涯を通じて、レフ・トルストイはイエスを問題にした。それも一通りのこだわりようではなかった。それゆえにこのタイトル「復活」がある。そしてレフ・トルストイは、本当に途方もない芸術作品を生み出した。これは私のバイブルだ。絶えずトルストイの「復活」を持ち運んでいた若い頃の自分の姿が、今でも目に浮かぶ。父までが心配したほどだ。

 「本を読むののはいいが」と、ある日父は言った。「どういうわけで一日中その本を持ち歩いているんだね? 読み終わったんだろ」
 私は言った。「うん、読んだよ。それも何回もね。でもこれはいつも持っているつもりなんだ」。

 村中の誰もがそのことを、私が「復活」という本をいつも持ち歩いているということを知っていた。彼らはみんな、私のことを気違いだと思っていたし、気違いのことだから何をするやらわかったものではないと考えていた。だが私はなぜ一日中「復活」を持ち歩いていたのか?------それも日中だけでなく、夜中までも。この本はベッドの傍に置いてあった。私は愛していた・・・・・レフ・トルストイの書き方は、イエスの全メッセージを再現する。彼は、イエスの使徒の誰よりもはるかに成功している。トマスは除くが----彼については、この「復活」のすぐ後に話すつもりだ。

 特にバイブルに入っている四福音書は、イエスの精神をすべて取り逃がしている。「復活」の法がはるかにいい。トルストイは本当にイエスを愛していた。そして愛は魔法だ。とりわけ、人が誰かを愛すれば、時間は消えるからだ。トルストイがあまりにイエスを愛したために、ふたりは同時代人になった。その隔たりは大きい。二千年だ。だがトルストイとイエスの間でそれが消える。こういうことはめったに起こらない。実に実に稀なことだ。私があの本を持ち歩いていたのはそのためだ。私はもうあの本を携行をしてはいない。だが、今でもそれは私のハートの中にある。Osho「私が愛した本」p185

<39>につづく

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コメント

ENIさん

Oshoはトルストイやドストエフスキーに限らず、小説もだいぶ読んでいますね。
当ブログでは、全部はおっかけることはできませんが、これを機会に、小説嫌いを直して、形だけでもパラパラあちこちめくってみようと思っています。
 
トルストイの輪廻論も興味深いですね。どこにでてくるか、注意深く読んでみようと思います。

投稿: Bhavesh | 2009/08/21 22:36

Bhaveshさん、こんにちは。

トルストイの事をOsho師も取り上げているんですね。初めて知りました。

或る本で知ったのですが、トルストイは輪廻を確信していたそうです。深い洞察力のある作家や芸術家のような人たちは何かしら持っているんでしょうね。

投稿: ENI | 2009/08/21 13:09

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