カラマーゾフの兄弟<4>
「カラマーゾフの兄弟」(2) <4>
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー /亀山郁夫 2006/11 光文社 文庫 501p
Vol.2 No746★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆
まず、父親フョードルがカラマーゾフの始まりだ。
そして、そこに3人の子供がいる。長男ドミトリー、次男イワン、三男アレクセイ。この三人があたかも正三角形を形成しているかのようだ。
小説の中では、この三人が等間隔でそれぞれに独立しながらも依存しあう関係にある。この正三角形の頂点に、父親フョードルを頂けば、それは正三角錐(正四面体)となろう。
この正三角錐が、この小説のひとつの次元の核を成しているとしても、この重層的な長編小説にはさらにさまざまなシンボルが登場する。まずは、4人目の子供、下男スメルジャコフだ。彼は4人目というより、次元をひとつ違った所にいる。3人兄弟に対比するなら、それは4つ目の頂点、つまり下向きにできた正三角錐の頂点ともいえる。
この上向きの正三角錐と、下向きの三角錐を合わせれば、正6面体となり、これもまたひとつの核と成り得るモデルである。ちょうど父親フョードルと下男スメルジャコヌが対応しているとこも面白い。ヒョードルが「実」なら、スメルジャコフは「虚」とでもしておこう。
さて、このヒョードルとスメルジャコフが対応しているような形で、長男ドミトリー、次男イワン、三男アレクセイにも、それぞれに、実vs虚、あるいは表vs裏、とでもいうような存在があるのではないか。図地反転する存在があるはずだ。
とすると、ヒョードルを頂点とする上向きの正三角錐が存在するとともに、スメルジャコフを最下点とする下向きの正三角錐が存在するのではないだろうか。そしてそれが組み合わせると、ひとつの星型二重四面体ができあがってくるように思えてくる。
ランダムに投げ出される乱数をなんとか一つにまとめあげようする感性がある。それが邪魔になるときもあれば、それがなくしては、その場を通り過ぎられない場合もある。ひとつの「宇宙観」にまとめあげようとすると、あらかじめ刷り込まれている図式が浮き上がってくる場合がある。ここで星型二重四面体が現れてくるのは、当ブログの場合、ドランヴァロ・メルキゼデクの「古代神聖幾何学」などに首を突っ込んでしまっているせいもあるだろう。
それにひょっとすると、あれほどかたくなに、あれほど自分流に人類を愛している呪われた老審問官っていうのは、いまも、多くのこういう類まれな老人たちの集団として、まるまる存在しているかもしれないな。それも、たまたま存在していましたなんていう甘っちょろいもんじゃぜんぜんなくてね。不幸で非力な連中を幸せにしてやる、そんな秘密を守る目的ですでに大昔に作られた一宗派として、いわゆる秘密結社として存在しているってわけだ。そう、それはかならず存在してるし、存在してて当然なんだ。おれはふと、こんな気がするんだよ。第2巻 p294「プロとコントラ」
つづいて結社FMについても書いてあるわけだが、このキーワードでググられると、トンデモアクセス数がいたずらに増えてしまうので、あえて略号で書いておこう。
つまりFMの根底にも、これと同じ秘密に類した何かがあるんじゃないかとね。カトリックがあれほどFMを憎むのは、FMをライバル視し、ひとつの理念の分断をそこに見ているからじゃないかとね。羊の群れがひとつなら羊飼いも一人じゃなくちゃならないのにさ・・・・。しかし、こうやって自分の思想を擁護していると、おれはなだか、おまえの批判にもまともにこたえられない三文小説家に見えてくるじゃないか。この話はやもうやめにしよう。第2巻p295
小説で語られる「実」の部分に対して、対応するだろうシンボリズムとしての「虚」の暗示が始まる。
「ひょっとすると、兄さん自身が、FMなのかもしれない!」と、ふいにアリョーシャは口をすべらせた。「兄さんは神を信じていないんです」彼はそうつけ加えたが、その口ぶりにはすでに、とほうもない悲しみがこもっていた。しかも彼は、兄が嘲るような目でこちらをみているような気がした。第2巻p295
20歳と24歳の登場人物たちが語る内容としては、すこし重すぎる内容だが、ドストエフスキー自身が55歳当時に書いた小説だとするなら、この登場人物たちの口を借りて語っている「自伝層」ということになろう。そういえば、この家の家長である父親ヒョードルも55歳という設定になっている。
思えば、私もそのような年代になっている。19世紀のロシアと、21世紀の日本では、555歳のという年齢の意味は違っているだろうが、それにしても、人生の後半、あるいは晩年という意味ではそれほど違ってはいないだろう。そういう意味合いから、もうすこし自分なりにこの小説を自分なりに引き寄せることは可能なはずだ。そういえば、知人に初老になって教会に通い始めた御仁がいることを思い出したが、彼のことについては、別な機会に譲ろう。
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