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2009/08/22

私が愛した本<40>アンナ・カレニーナ

<39>からつづく

Photo  
「私が愛した本」 <40>
OSHO /スワミ・パリトーショ 1992/12 和尚エンタープライズジャパン 単行本 269p

「アンナ・カレニーナ」

 3番目。レフ・トルストイの「アンナ・カレニーナ」だ。小さいが、この上もなくすばらしい小説だ。私がこのリストにどうしてこの小説を含めるのか、お前たちは不思議に思っているに違いない・・・・私が狂っているからにすぎない。私はあらゆる種類のものが好きだ。「アンナ・カレニーナ」は、私の最大の愛読書のひとつだ。何度それを読んだか思い出すこともできない。その回数のことだ・・・・本の方なら完璧に覚えている。一冊全部を思い出すこともできるよ。

 見なさい! アシュが大きな溜め息をついた。心配になったに違いない・・・・・この狂った人は「アンナ・カレニーナ」を一冊全部話すつもりだ、と。いや、アシュ、大丈夫だ、そのつもりはない。私には他にたくさんしなければならないことがあるからね。いつか話すかも知れないが、今ではない。

 もし私が漂流していて、世界中の何百万という小説の中から一冊を選ばなければならないとしたら、私は「アンナ・カレニーナ」を選ぶだろう。あのすばらしい本があれば、それもすばらしいことだろう。あれは何度も読まれるべき本だ。そうして初めてあれを感じることができる。その匂いを、香りを味わうことができる。あれは普通の本ではない。

 レフ・トルストイは、マハトマ・ガンジーが聖者として失敗したのとまさに同じように、聖者としては失敗した。だがレフ・トルストイは偉大な作家だった。マハトマ・ガンジーは、誠実さの権化としては成功した-----そして永久にその絶頂に止(とど)まるだろう。今世紀においてあれほど誠実だった人を私は他に知らない。彼が手紙に「あなたの誠実なる」と書いたとき、彼は本当に誠実だった。あなたたちが「あなたの誠実なる」と書けば、そんなものはみんな社交辞令にすぎないことはあなたもしていれば、他の誰もが知っているし、また手紙を受け取る相手も知っている。本当に「あなたに誠実」であるのはきわめてむずかしい、ほとんど不可能だ。誠実さ---これこそが人間を宗教的にするものだ。

 レフ・トルストイは、宗教的であろうとしたが、そうはなれなかった。彼は懸命にやってみた。彼の努力は大いに同情する。だが彼は宗教的な人間ではなかった。彼は少なくともあと2、3回の生涯は持たなくてはならない。ある意味では、彼がムクタナンダのような宗教的人間になれなくてよかった。そうであったら私たちは「復活」や「戦争と平和」、「アンナ・カレニーナ」や、その他何十冊というすばらしい、この上もなく美しい本を失っているところだ。そうなっていたら、彼はもうひとりのスワミ・イディオタナンダ以外の何者でもなかっただろう。Osho「私が愛した本」p217

<41>につづく

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