カラマーゾフの兄弟<7>
「カラマーゾフの兄弟」(3) <7>
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー /亀山郁夫 2007/02 光文社 文庫 541p
思えば、この小説を読んでおくことによって、19世紀のロシアの文化について、すこしは分かるようになる。殺人事件の「予審」と言っても、現代の私達が考えるような裁判員制度のようなものではない。もっと牧歌的なものだ。他の風物詩や人間関係についても、ブラヴァッキーやグルジェフ、ウスペンスキーなど、19世紀のロシアと関係のありそうな人々を考えてみるのも価値あることだ。
もともとこの小説は新聞だか雑誌に連載されたものだから、もともと流行小説であったはずで、大衆に受け入れられるように書かれている。そこにはスキャンダルも必要だろうし、お高くとまって形而上的なお話ばかりでは話題になることも少なかっただろう。当時は、文庫本5冊を重ねて一気に読んでやろう、などというスタイルではなかったはずだ。
だから、毎回毎回、なにごとかのストーリーの盛り上がりが必要になり、毎回毎回、感情移入過多ともいうべき恋愛小話が延々とつづく。これもまた、当時のロシア社会の影響もあっただろう。21世紀の小説なら、過剰なポルノグラフィーのような表現が刺激的に採用されるが、当時のロシアでは、このようなスキャンダルの在り方が、小説としての「商品価値」を維持するための最小限の装置だったのかもしれない。
予審においてドミトリーは自らの立場や意見を発言する充分な時間と機会を与えられる。ずいぶんと多弁だ。それでもなお弁明しきれずに、護送されることになる。その際においても、多弁すぎるほど多弁だ。実際に事件なら、これほど自由に発言することなどできなかったであろう。いや、そこは小説だから、それが可能だ、ということなら、なら、事実や現実から大きく離反した小説とは一体なにか、ということになる。
第4巻においてここまでドミトリーが描かれれば、あとははてさて、残るは、スメルジャコフの言い分やいかに、ということになってきた。
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