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2009/08/07

ドストエフスキイの生活

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「ドストエフスキイの生活」 
小林秀雄 1964/12 新潮社 文庫 625p 改版 2005/04  64年版を読んだ
Vol.2 No746★★☆☆☆ ★★★☆☆ ★★★☆☆

 小林秀雄についてはなにも知らない。茂木健一郎「脳と仮想」が第4回「小林秀雄賞」を受賞したとか、白州次郎&正子の孫である白洲信哉は小林秀雄の孫でもある、という下世話な話題を2・3知っただけで、ご本人がどのような業績をあげ、どのような人生を送った人なのか、知らない。

 しかし、ここ数日はカラマーゾフ色に染まっている当ブログだが、ブログ全体の中でのこの数日の書き込みの位置を確認するためにも、カラマーゾフ繋がりで、小林秀雄という人の作品に触れておくのも意味あることに思える。

 表題のごとく、三分の二がドストエフスキーの「自伝層」について書かれているわけだから、ここを読めばよいのだが、今はカラマーゾフ繋がりなので、巻末ちかい「カラマアゾフの兄弟」p219と題された50ページ程の評論をめくって終りにし、他の部分は今回は割愛する。

 言うまでもなく、イヴァンは、「地下室の手記」が現れて以来、十数年の間、作者に親しい気味の悪い道連れの一人である。ラスオオリニコフ、スタヴロオギン、ヴェルシオフ達、確かに作者は、これらの否定と懐疑との怪物どもを、自分の精神の一番暗い部分から創った。誰が生んだのでもない、作者のよく知っている生みの子達だった。p229

 「地下室の手記」は先日読んだ。数日前に読んだだけなのに、あの小説を読んだときは、その作者のことなんかあまり考えていなかった。今になって、ああ、「カラマーゾフの兄弟」と同じ作者だった、と気付く程度のことであり、わずかにその繋がりの中に、何事か、ひとつふたつの感慨が生まれてくる程度である。

 だから、この大作家についての作品をもっと量的に読みこんで、なお、周辺を理解してから、この小林秀雄の評論も読むべきであろうが、いまはその余裕はない。ただ、断片的なうつろな記憶を綴っていけば、なるほど、と思えることもいくつかでてくる。

 ここで再び問題となるのは、大審問官はイヴァンの掌中にある人物だし、イヴァンはドストエフスキイに操られている人間に過ぎない、という面倒なところで、その点を曖昧にして置くと評家は羂(わな)にかかる。羂は慎重に狡猾に仕掛けられているのであって、それは前にも書いた通り、「大審問官」の劇詩を読む読者は、キリストを選ぶか大審問官を取るか、二者択一のジレンマに追い込まれるというからくりにある。p250

 当ブログでは、まだ全4巻のうち、第2巻まで来たところだから、ここで小林が言っていることと対応しているかどうかわからないが、すくなくとも、キリストVS悪魔、のような二価値判断は極力避けたいと切実に思う。このからくりは、一読者としては、かなり窮屈な思いがする。ただ、ドストエフスキー自身は、この二つの価値に対して、第3の、第4の価値観を置いているように思う。

 小説の登場人物を指して、この人物はよく描かれているとかいないとか言われるが、そういう極く普通な意味で、ドミトリイは実によく描かれてた人物である、おそらく彼ほど生き生きと真実なる人間の姿は、ドストエフスキイの作品には、これまで現れた事はなかったと言ってもいいだろう。p256

 たしかにこれまでのところ、アレクセイとイワンの登場頻度に比して、ドミトリー(ミーチャ)がいまひとつ注目されていないところが、不満であったが、ということは、この小説後半においては、この愛すべきカラマーゾフ家の長男が、もっと生き生き登場してくる、ということなのだろう。

 なるほどイヴァンも詩人だが、ミイチャの様な天稟(てんぴん)の詩人ではない。ミイチャには、文才がない、要らない。彼の馳駆する素材は、言葉ではなく生活だ。彼は世間のしきたりなぞには凡そ無関心に、好むがままに、衝動の赴くがままに、生活を創って行く。p259

 思えば、ドストエフスキーは、科学者でもなければ、神秘家でもない。いわゆる小説作家としての芸術に属する類の人間だ。イワンや、アレクセイに共感を示すより、むしろ、このドミトリーにこそ、「自伝層」を重ねていたのではないか、と現時点でも私はそう思う。翻訳者・亀山郁夫説なら、イワンの存在も気になるところだが、もしイワンVSアレクセイの論争に決着が着くとするなら、そもそも、この「カラマーゾフの兄弟」という小説は一体なにか、ということになってしまう。決着はつかないのであろう。

 小林秀雄のこの50ページ程の小論文は(未完)となっている。これだけの長編小説に対して、これだけの小さなスペースでは描き切れなかったのだろうが、それでも、小林がこの小説と、この作家を、どのように見ていたかの片鱗はよくわかる。

 この本、他の項にもいろいろ興味深いことが書かれている。再読を要す。

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