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2009/08/13

The Supreme Doctrine <1>

Supreme_doctrine
「The Supreme Doctrine 」<1>
by Hubert Benoit (Author) October 1995 Publisher: Sussex Academic Press; Paperback: 234 pages Language: English 初版1955
Vol.2 No752★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 このユベール・ブノアという男----私は彼の第一作「手放し(レット・ゴー)」については触れたことがある。実際はあれは彼の2番目の著書だった。「手放し」を書く前に、彼はもう一冊「至高の教義」とよばれる本を書いていた。この本も加えておきたい。さもなければ、それに言及しなかったことで私はひどく辛い思いをするだろう。それは途方もなく美しい本だ。だが読むのはむずかしい。そして理解するのはもっとずっとむずかしい。だがブノアは、それを可能なかぎり簡明にするために最善を尽くした。Osho「私が愛した本」p96

 この本を読み解くのが難解かどうかを考える前に、この本に取り組む当ブログの体制づくりがむずかしい。手身近な図書館にはこの作者の本はなく、数少ない可能性である大手公立図書館から転送してもらい、最寄りの図書館に通って、館内閲覧という形で読まなければならないからだ。

 寝そべらないと本を読めない体質に加え、読み慣れない英文であり、ま分厚い。話題作りで、ちょこちょこっと目を通しておく、というやり方では、この本を読んだことにはならない。だが、せめての救いは、テーマ自体が、Zenや東洋思想についての考察であること。そして、著者の思考形態が、どこか図式的であり、かならずしも観念的でないところ、である。

 この本が最初に出たのは1955年。現在55歳の私が生まれた翌年ということになる。日本語文献であろうと、自分の得意のジャンルであろうと、自分が生まれた当時の本を読むとなると、やはりかなりな時代的なギャップを感じることになる。

 当時の出版状況も違っていたし、本の持つ意味合いも違っていた。世界の情報網の在り方も、全く違ったものであった。インターネットが発達し、交通がグローバル化し、図書館利用が実に簡便になった21世紀とは雲泥の差があったはずの時代の本である。思考そのものの質自体になんら遜色はないにしても、その本を取り巻く周りの環境はまったくちがっているはずだ。

 半世紀前なら、西洋人おけるBuddhismと言えば、たしかにZenSatoriTaoと言った、ステロタイプの東洋思想のなかにあったことは想像できる。しかし、20世紀後半、その歴史的背景の騒動もありながら、かなりの勢いでチベット密教(タントラ)が勢いを伸ばしたため、21世紀的西洋社会の仏教理解はほとんどチベット密教一辺倒とも言われる。

 その様な時代変化を経験する前の、20世紀前半的西洋的仏教理解の代表格の一人がこのユベール・ブノアである、ということのなるのだろう。形としては理路整然としており、やや異国情緒的な扇情的な感性は抑えられているものの、西洋哲学的な何処までも透徹した理論性を排し、未知なる神秘性に訴えようとする意図はありありと見受けられる。

 

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<2>につづく

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