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2009/09/22

21世紀への指導原理 OSHO <5>

<4>よりつづく
21
「21世紀への指導原理OSHO」 <5>
スワミ・パリトーショ 1994/08 壮神社 単行本 465p
 

政治を超える科学

 脱ダム宣言、90年比CO2の25%削減、アジア経済圏における共同通貨の創設など、次から次と民主党政権による新しい政策が表面化している。どこまで現実化できるのか、高見の見物とばかりもいかない。

 長年の自民党政権下における腐敗はうすうす想像できるものの、はてそれをどれだけあぶり出し、どれだけ軌道修正できるものかは、今後の動きを見てみないと計り知れないが、ハラハラドキドキしながらも、期待すべきところはしっかり期待してみたい。

 あるいは、新「抵抗勢力」の出現によって、はて、その「マニュフェスト」をどこまでゴリ押しできるものか。今ははまだハネムーンの時期であり、もうすこし最低でも数カ月が経過しないと、全体像は見えてこない。そんななか、鳩山首相の持論である「友愛」精神の政治とやらはどのようなものか、現実の国際政治の中、どれだけ実現可能性が残されているのか。

 そのようなことを考えているとまたまた「21世紀への指導原理」というフレーズを思い出した。21世紀「への」という段階ではなく、今や21世紀そのものに突入してすでにほぼ10分の1が経過して、21世紀という単語さえ陳腐化してしまったが、すくなくとも、人類は、自らの未来に対する希望を棄ててしまってはいないようだ。

 地球人類が21世紀の新しい世界に脱皮していくために、処理しなければならない問題がここに一つある。

 それは地球人類が従来の意味での政治を超えるということだ。個人でいえば、それはマインドの超越にあたるかもしれない。

 マインドが個人のレベルで心配と好奇心に仕えるように、地球人類のレベルでは大きく分けて「政治」と「科学」の二つの方向に分化する。「政治」とは、いわば物理次元に生存する”肉体の不安”に焦点を合わせたマインド、「科学」とは何処までも宇宙の神秘を探求したい、”魂の好奇心”に焦点を合わせたマインドといえるかも知れない。

 ”死の恐怖”に焦点を合わせた自我(エゴ)が私たちの中心を乗っ取っているように、「政治」が今地球上の全権力を握っているように見える。これまでの地上世界で見る限り、政治の固有の領域は「支配」と「被支配」のゲームだろう。その手段として政治家が使うのは”死の恐怖”に他ならない。

 OSHOは端的に「政治家とは、その欲望のすべてが権力を持つことである人間だ」と言う。その権力は、他の人間に対する権力、者を支配する権力を選ばない。政治家は、人々に対する権力を手に入れようと躍起になっており、科学者は物質に対する権力を手にいれようと躍起になっている。その欲望、その思考は同じであり、ある意味では、両者は共に同じ舟に乗っている、と。

 政治が隷属させようとするのは生きた人間であるのに対して、科学の征服対象は物質だ。その意味では科学は政治ほど暴力的な探究ではない。けれども一方、科学はあまりにも複雑なものに成長してしまって、今や科学者個人がどくりょくで科学を研究することは不可能になってしまった。科学者は政治家の大きな支援を必要とするようになってしまった。科学的な研究課題があまりにも高価なものとなり、豊かな国の政治にしかそれを賄うことはできなくなった。かくて科学者たちは、知らず知らずのうちに政治家の支配下に入ってしまった、と。p400~401 パリトーショ「政治を超える科学」 

 もともと全465pという大冊であるだけでなく、テーマそのものが広範囲にわたるので、この本を一気に読むことはなかなか難しい。ましてや著者が自らの個人史を「舞台裏の独り言」というエッセイとして、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」風に織り交ぜてあるの、この本全体の構成はなかなか分かりにくい。ましてやここから「原理」のような単一な解決方法をポッと抜き出すことは難しい。

 しかしながら、やっぱり、「21世紀への指導原理 OSHO」というタイトルのなかに、著者が言おうとしていること、そして、もともと私達がOSHOというイメージに求めてきたことがずばり表現されている部分がある。

 鳩山内閣は、今度どのような実績を遺していくのか。理系出身の鳩山首相の政治家のスタート地点でのスローガンは「政治を科学する」であったという。そして、祖父の時代から受け継ぐ「友愛」精神とは一体なにか。

 ここはもうすこし、いくつかのイメージをすり合わせながら、これらの政治家を抱える日本社会に生きる現代人の一人として、実際に、自分はなにをし、どう生きるのかを模索することを続けたい。

 

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