オバマのグリーン・ニューディール<1>
「オバマのグリーン・ニューディール」 <1>
山家公雄 2009/04 日本経済新聞出版社 単行本 237p
Vol.2 No765★★★★☆ ★★★★☆ ★★★★☆
1990年に比較して25%のCO2を2020年までに削減するとは、どういうことなのであろうか。産業形態や社会的インフラ全体の見直しを意味するのだから、ダイレクトにひとりひとりのライフスタイルをマイナス25%変える、ということではないだろう。
しかし、90年頃の生活を思い出してみることも悪いことではない。もう20年前のことだ。当時の我が家の暮らしは現在のそれとは、かなり違う。当時は、平屋の築30年の賃貸住宅に住んでいて、使っていたのは井戸水だった。トイレも汲み取り式だった。
エアコンもなかったし、台所に温水器もなかった。当時幼稚園から小学低学年の子供たちは、ひとつの部屋の二段ベットに押し込んでいたし、小さなものだが庭には畑があって、ちょっとした野菜なら作ることができた。
でも車は二台あり、走行距離に対する燃費の割合は、極めて効率が悪かった。まったく無頓着であったせいだが、現在の4倍の燃費だった。テレビも二台あって、一台は韓国製のブラウン管だったので、確かにCO2排出量の面から考えれば、必ずしも効率的ではなかった。
全体としてみれば、かなり質素な生活で、収入も少なかったが、子どもたちもまだ教育費がかかる前の段階だった。だから、無駄がなかったわけでもないが、ぜいたくをしていたわけではない。20年が経過するなかで、次第にライフスタイルが変わってしまっていたが、子供たちが独立していなくなって、老夫婦2人の暮らしに戻ってみれば、当時のあの生活に戻れ、と言われれば、戻れないわけではない。
あの当時よりさらに25%のCO2を削減する、ということはどういうことを意味するのか。もちろん、車は一台にする。車の使用は最小限にして、徒歩や自転車、公共交通機関を活用する。生活の中の家電品を節電型にする。不要な電気はこまめに消す。
25%を削減することは不可能なことではない。もし、それが達成できなければ、地球が破滅するといわれれば、我が家は率先して、それを実行しよう。だが、問題は、それを実行するのは、社会全体だ、地球全体だ、ということだ。
我が家だけが削減したとしても、それは環境全体としては、なんの意味にもならない。それが、地球全体のことにならなければならない。発展途上国もあるだろうし、成長過程のプロセスにある家族もあるだろう。増えるべきところは増やさなければならないし、増やさなければならないところは、おおいに増やさなければならない。
とすると、減らすことができるところや、減らすべきところは、25%削減だけでは、全体としては達成できないことになる。さしずめ我が家などは50%削減を要求される可能性がある。もっとも、家族が4人から2人に減ったのだから、それは不可能ではない。独立した子供たちが排出するCO2が増加したとしても、死亡した身内も何人もいるので、それはプラマイゼロと考えよう。
さて、本当の問題はこれからだ。エネルギーの使用を半分に抑えるだけではなく、その作業のプロセスを、社会全体の活性化のためのきっかけにしようというところが大切なのだ。卑近な例でいえば、燃費の悪い車をエコカーに変える。ブラウン管テレビを、薄型省エネテレビに買い替える。太陽光パネルを各家が装備するようにする、などなど。それを産業活性化のきっかけにしよう、というところだ。
まずエコカーを考えると、本当にエコロジーなのかどうかは疑問だ。買い替え需要が進んでいるのは、緊急的な減税や補助金とか、家計にエコノミカルである、というだけでは、本当のエコではない。我が家などでは、10年間使っているリッターカーを乗り続けたほうが、CO2削減の意味では、はるかにすぐれている。
地デジで新しいテレビを買うことも、必ずしもエコではない。省エネ型と言われながら、結局はみんな、大画面のテレビを買っており、全体としての消費量は25%削減どころか、増加一方の現象がまだまだ続く可能性がある。
太陽光発電パネルもまだまだ本気度が低い。10数年前の我が家の建て替え時にも大いに検討した。当時でも補助金がでていたのだが、それでも200万円ほどかかり、それを月単位に直せば、個人負担は一般の電線を使ったほうが安かった。メンテナンスの必要経費もかかるだろうし、当時は、余剰電力の買取制度もなかった。
数年前に、隣家で太陽光発電パネルを屋根に上げた。電力も買い取ってもらっているらしいが、その採算については、くわしく聞いたことはない。むしろ、勤務先のノルマ達成のために、しかたなく自分でも購入した、というのが実態のようだ。
CO2排出量、1990年比で25%削減は、我が家では可能だ。家族減少も手伝って、25%どころか、50%削減だって、決して不可能ではない。協力すべきところは、まだまだ協力できるだろう。しかし、社会全体、地球全体が、そのムードを醸し出さないと、一軒の家が質素な暮らしを始めたというだけで、意味がない。
社会全体、地球全体の本気度が、まだまだ伝わってこない。
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