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2009/10/13

食料自給率100%を目ざさない国に未来はない

食料自給率100%を目ざさない国に未来はない
「食料自給率100%を目ざさない国に未来はない」
島崎治道 2009/09 集英社 新書 188p
Vol.2 No780 ★★★★☆☆ ★★★☆☆ ★★☆☆☆

 八ッ場ダムや高速道路、JAL問題で一挙にクローズアップされている国土交通省や、亀井金融相のモラトリアム法案などで、影に隠れている農政問題だが、いずれ間もなく、大きく国民的議論のテーマとなることだろう。農家の所得保障政策の、その具体的な実態はどのようなものになるのか。そして、これからの日本の農業はどのようなグランドデザインを描くことができるのか。

 自給率100%という言葉はイメージしやすいが、この数値もその本質的な意味を理解することはそう簡単ではない。

 実は、食料自給率と一口でいっても、何に基づいて算出するかで、カロリー自給率(供給熱量総合食料自給率)、金額自給率、穀物自給率、品目別自給率など、さまざまな数値が存在します。先進国間で比較をするときは、多くの種類の異なる食料が供給されていても比較できるという理由で、カロリー自給率の数値を「食料自給率」として用います。p23

 CO2問題と同じように、一般人的感覚としては、数字だけが独り歩きし、その計算方法や根拠となる現状、そしてその分析や理解については、たんに提示されたものを鵜呑みにしただけでは、納得いかない。いくつかの研究結果に対して、一定期間の間、定期的に定点観測し続けなければいけない。過剰な反応は慎むべきだろう。

 食料自給率と言った場合、イメージとしては自給自足と連なってくる。はて、貿易経済で外需に頼り続けてきた日本の産業構造が、今、内需を高めると言ったところで、食料に限らず「自給率」は相当に偏っているものになっているだろう。さて、それでは地域別に見た場合どうなるのか。p160の「都道府県別食料自給率」が興味深い。

 北海道は自給率195%。東北6県のうち4件が自給率100%を超えている。その他、日本の国内には100%を超えているところはない。北陸では、かろうじて新潟の自給率99%が光っているだけで、四国、九州でさえ、100%に届いていない。東京都は自給率1%、大阪は2%。沖縄でさえ、自給率28%、というのだから驚く。

 この資料は、一部の指標にすぎないのであり、他の指標とともに全体的に理解されなければならないのは当然だが、日本全体の自給率40%前後、というのに対して、アメリカ、フランス、ドイツなどは自給率100%を超えている、ということは十分記憶しておく必要がある。

 地域格差もあり、数字のマジックあり、日本という産業構造の特殊性を考えたとしても、この数年来続いている輸入食料の汚染問題などを考えると、国内の農業生産性を高めることは、なにを置いても高めなければならないテーマだと思える。

 しかし、ながら、この本の著者もそうであろうと想像するが、農業を初めとする第一次産業の大事さを強調しながら、自らは、第一次産業に従事しようとはしない。魅力ある産業に作り替えなければならない、と分かってはいても、自ら「手をよごす」人は少ない。

 かくいう私も若い時分には、公立の農業講習機関で2年間の寮生活を送り、農業全般に学んだにも関わらず、結局は農業を職業とすることはできなかった。卒業と同時に、大病を患い、その重労働に従事することにドクターストップがかかり断念したのだった。それでもやっぱり、後ろめたさはいまでも残っている。

 年に一度の田植え作業の手伝いに行き、ネコのひたいより狭い庭にゴーヤを植えてその収穫を楽しんでいる程度で、とてもとても自給自足どころか、食料自給率100%なんて、夢の夢なのだが、将来的に、それは絶対無理、とは言えない。いずれはそうなる可能性を模索している。

 食料自給率問題は、農業などの第一次産業問題ではあるが、つとめて地域主権の問題でもある。そして、地域主権の問題とは、当然のごとくヒト問題でもある。人間が生きていく地域モデルがイメージできないことには、実は食料問題は解決の方向さえみえてこないだろう。

 今回、2020年オリンピックの開催地として、ヒロシマとナガサキが手を挙げた。実際に成功するかどうかはともかくとして、手を挙げたことに当ブログは大いに賛成する。「核なき世界」は、オバマが言おうが、鳩山が言おうが、国連安保がどうのこうのと決議したとかしないとかの問題ではなく、人間として、絶対に実現しなければならない問題だ。

 ところがオリンピック憲章では、ヒロシマ・ナガサキは、開催地としては、都市機能のキャパが満たされていないと判断されてしまいそうだ。二県合わせても東京都の10分に1にも満たない都市ではあるが、東京などのモンスター・シティをこれ以上つくる必要はない。人類は、もっともっと、コンパクトな、自然と共生するライフスタイルを模索するべき時代となっている。

 広島県の食料自給率は36%で中国地方では一番低い。長崎県は自給率38%で、19%の福岡県についで九州では2番目に低い(163P~164P参考)。立派な工業県であるし、地域での中核都市でもある。都市機能はこれ以上大きくなる必要はない。東京がエコシティーだ、なんて大きな真っ赤なウソに騙されないで、ヒロシマ・ナガサキは、独自のオリンピック開催を目指せばいい。感じるところ、オリンピック憲章自体が間違った方向に進み始めているのだ。(ちなみに東国原の宮崎県の自給率は65%)。

 国をつくるのは、それぞれの地域だ。それぞれの地域を作っているのは人間だ。人間は自然に囲まれて、自然の恵みに育まれて生きている。自然に愛され、ヒトに愛されなければ、地域もなければ、国もないのは当然のことだ。そして、国がヒトを忘れてしまえば、地球の上で人間が生きていくことは無理だろう。

 食料自給率100%を目ざさない国に未来はない、というスローガンは正しい。しかしそこで言われる本質は、自然と共生を目ざさなければ、人間は地球から排除される、と読み替えるべきだ。ひとつ食料問題を考えることは、極めて本質的で、未来の地球人たちのライフスタイルに大きな影響を与えるだろう。

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