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2009/10/30

世界の葬送 125の国に見る死者のおくり方 <1>

世界の葬送
「世界の葬送」 125の国に見る死者のおくり方 <1>
松涛弘道 / 「世界の葬送」研究会 2009/06 イカロス出版 単行本 166p
Vol.2 No806★★★☆☆ ★★★★☆ ★★★★☆

 土葬をを目撃したのは、ほんの小さい時、たぶん一回しかないと思う。あの棺桶はサイコロのような立方体に近い形で、道を男たちが担いでいった記憶がある。中には座ったお婆さんが収められていた。昭和30年代のかなり早い時期だった。あの頃はまだ、「らんば」と呼ばれる村の共同墓地があり、墓石は、自然石を半分にしてその平面にひとりひとりの法名が彫りつけてあった。大きな家では、「らんば」はいくつもあり、そして、菩提寺の墓地にも、永代使用の墓地を持っていた。

 昭和50年前後になると、高度成長の波に乗って、墓地も代々墓になり、ナニナニ家の墓、というのが多くなった。あちこちに散らばっていた「らんば」は掘り起こされて改葬され、菩提寺の代々墓に納骨された。「らんば」には、記念碑のような小さな石碑だけが残され、周囲は次第に住宅化され、むかしここが墓地だった、なんて知る人はだんだんすくなくなっている。

 次男として独立した私は、死後どのような送られ方をするのだろうか。長男と一緒に、生家の代々墓に入るという習慣はなく、私は私として墓地を求めることになるだろう。先日散歩していたら、お世話になっている和尚さんと出会った。聞いてみると、墓地には余裕があるらしく、永代使用の最初の費用は7~80万だとか。いずれはいく道だから、自分のライフプランの資金計画にいれておかなければならない。

 ケツをまくって考えれば、所詮、自分は死んでしまったのだから、墓地もなにもいらないと思う。白州次郎のように、葬式無用、戒名無用、というのもカッコイイが、葬儀もいらなきゃ、法名もいらぬ、香典献花はうけつけぬ、というのもなんだか極端だ。

 ただ、私は自分は誰か、と問うた時、それが最終結論ではなかったにせよ、両親の祖先のことを考えた。辿ろうとすると、300年でも500年でも辿ることができたというのはすごいことだと、私は思う。かつて、アフリカ系アメリカ人が、自らの系譜をたどって一冊の本を書いた。その本が「ルーツ」という本になって話題になったことがある。

 墓は送られる側のものでもあろうが、送る側のものでもあろうと思う。もし私に子孫が発生するとしたら、良くも悪くもこの先祖があって自分があるのだな、という目印くらいにはなるような墓石を立てておきたいと思う。散骨も悪くはないし、無縁仏になるようなことが仮にあったとしても、私なら化けて出たりはしないのではないか、と今のところ思っている。

 さて、この本「125の国に見る死者のおくり方」というのも極端な調査だが、さまざまな地域のしきたりや文化の壁を乗り越えて、一列に「世界の葬送」を並べてみると、なかなか面白いものだと、思う。ヒンズー教や仏教は火葬、キリスト教とイスラム教は土葬、という大きな流れがあり、水葬、風葬など、地域の特性によって行われている。チベットの鳥葬なども、地域の特性や宗教観から考えれば、実に合理的にできていると思われる。

 パプアニューギニアの「葬送としてのカニバリズム」p69も相当に興味深い。これは伝統として行われていたわけではなく、せいぜい半世紀の間おこなわれていただけでだという。もともとヨーロッパ人がフォア族の人々に人肉食をすすめた、という説もあるらしい。貴重なタンパク源としての影響補給の意味合いもあったらしい。しかし、脳などを食べると、狂牛病に近いような症状もでたようなので、やはり「共食い」は、近親相姦と同じく、どこか自然界に反する行為ということになろう。

 即身成仏やエジプトのピラミッドの中に収めれたミイラ。あるいは「社会主義指導者たちの遺体保存」p122なども興味深い。世界各国、地球各地、各民族、各宗教、地域、宗派、しきたり、思想、さまざな「死」の迎え方があり、「死者」の送り方がある。

 最初、ちょっと異様な本だなと思ったが、こうして網羅的に一列化して「葬送」を見つめてみることも、グローバル化した現代なら、時には必要になることもあろう。本書は実に貴重だと言える。部分部分は想像してみることもできるが、並べてみると、実に多彩で多様な人間社会が営まれていることがわかる。それにしても、どの国に於いても葬送があり、どの人間においても「死」は等しくやってくる。

<2>につづく

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